第16話 歪な距離感
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僕は大学に入っても毎日女性に声をかけ続けていた。
通学の電車であったり、大学の構内であったり、「この人と話してみたい」と思った女性には必ず声をかけた。
社会で生きる人は大抵動線を持っている。
僕の場合は家から大学の通学路といった感じで。
そして僕は基本的にはその動線の中で声をかけていたので、声をかけた人たちに結構な頻度で再び会うことが多かった。
連絡先は知らないのだが、名前も職業も知っている。
たまにそのまま遊びにいくこともある。
そんな、繋がっているようで繋がりきれていない関係が僕は好きだった。
約束の、束縛のない、自由な距離感が好きだった。
それはきっと、
僕が今までの人に対する吐き気がするような思いをまだ持っていて、不特定多数の人たちと明確に繋がることを避けていたからだと思う。
だが、不幸の檻を抜け出し、恒常的な苦痛がなくなった僕は人との繋がりを求めてもいたのだ。
それがこういった歪な距離感となって現れていたのだろう。
この頃僕はたくさんの、手に触れることができる現実の女性から好意を受けることになる。
だが、そのどれもを断り、最終的に行き着いた先はデジタルな出会いによって生まれたまだ触れることのできない縁だった。
そのこともまた、僕の歪な距離感を証明していたのだと思う。
大学生になり時間ができた僕は、ほぼ毎週一人で動物園に行っていた。
僕はレッサーパンダが大好きなのだが、園に入って2.3時間はずっとレッサーパンダを見ていた。
僕にとっての癒しの時間だった。
そして残りの時間は横目でいろんな動物を見ながら移動し、小動物とのふれあいコーナーでふれあいを楽しんでいた。
まぁ僕はそんな自分を変なやつだなと思いつつ通っていたのだが、結構いたのだ同胞が。
その中でも一人、僕と関りを持った人が存在する。
基本的に僕はレッサーパンダのところにいるので、同胞がレッサーパンダのところまできて僕を確認する。
そして一緒にお昼ご飯を食べて、また各々の好きなところへ行って、いつの間にか帰っている。
帰り時間が合ったら街へ遊びに出かけることもあった。
僕の動物園の楽しみ方は、「好きなものを満足するまで見る」だ。
それ故、僕はデートで行く動物園が嫌いだった。
可愛いと黄色い声を上げている私かわいいでしょ的なあれに辟易とするのだ。
動物の方が断然かわいい。
「僕はレッサーパンダを見ているから勝手に色々見てきて後で合流しよう。」
と言いたくなるのだが、流石にデートでそれをするほど野暮ではない。
まぁまだ先にはなるのだが、我慢を重ね、普通にデートとしての動物園を楽しめるようにもなったのだった。
そして、同胞は数少ない僕本来の楽しみ方をさせてくれる女性であり、もしかしたら僕らは相性が良かったのかもしれない。
数多くの繋がりきれていなかった人々の中で、僕は唯一あの女性だけは先があっても良かったのではないかと思わないでもないのであった。
そうした、交わることのなかった数多くの人生もまた、僕の今を形成しているのだ。
僕はこれからもっといろんな人と出会うことになる。
そのどれもが僕にとってなんらかの影響を与えていたのだろうと思い、
僕は運命という言葉の意味をやはり実感していたのだった。




