第13話 幸せの作り方
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僕は大学に入学した。
ここでも僕はいくつかの後悔を抱えることになるのだが、ここからの僕の人生は概ね「幸」運へと変わっていく。
ここで僕が幸せに向かっていけた理由が2つある。
1つ目
不幸の檻から飛び出し、フラットな世界に入れたからだ。
それは唯一僕が受動的に得た幸福であり、それを僕に与えてくれたのは「時」だった。
「時間が解決してくれる」という言葉に、僕は説得力を持つことができる人間になったのだ。
2つ目
僕には幸せになる準備ができていたからだ。
不幸の檻の中において、僕は幸せになるための能動的努力を惜しまなかった。
人より何倍も、強く、切実にそれを望み、行動してきたという自負が僕にはあった。
そのため、僕には幸せを掴む土台ができていたのだ。
チャンスが目の前に来た時にはいくつかのパターンが存在すると、僕は思う。
1.そのことに気が付かない。
多くの受動的幸福の中にいる人たちだ。
2.チャンスが来たことには気が付くが、掴むことができない。
人一倍幸せには貪欲なくせに、掴むための努力をしてこなかった馬鹿たちの末路だ。
3.チャンスが来たことを理解し、それを享受する準備ができている。
これが僕だった。
幸運とは、幸せな定めなのだ。
定めは運命であり、運命は行動によって位置づけられるのだ。
つまり自らの行動の結果に起因するもの。それが運命なのだ。
幸せになるために正しいプロセスで行動に移していたとしたら、それはもう確定された、予め定められた、確約された、保証された、訪れない理由のない、幸運となるのだ。
そして不幸はその逆だ。
そして人は順応する生き物なのだ。
いや、してしまう生き物なのだ。
不幸にあっては不幸に、幸せにあっては幸せに。
加えて、理性という物差しを得た人間は、際限がなくなってしまったのだ。
幸せにあっては更に幸せを求める。満足し得ない生き物だ。
そしてどこかで失敗してマイナスに転じるリスクを孕む。
そのくせマイナスには底を作ろうとする。
だが作れない。不幸にあっては不幸に順応し、幸せへと向かう準備ができなくなるからだ。
それ故、多くの人間は自ら不幸になるために生きていると、僕は思うのだ。
だがこれは受動的で普遍的で一般的な人生を辿っている大部分の人間の場合の話だ。
僕がそういった人種であったなら、僕は不幸の檻の中で深い沼から抜け出せず、今もなお不幸の底を探す毎日を過ごしていたことだったろう。
なんと無為で無駄で、無価値で有害な人生だろう。
僕はその時を通り過ぎた。
そう、通り過ぎたのだ。経験したのだ。
直接的には立ち向かうことはなかったのだが、外に光を求め、自ら作り出し、時を待ち、今こうして乗り越えたと言えるのだ。
結局僕は超えるのではなく、越えることを選んだのだ。
時という一点を定め、その一点を越えるための手段を豊かにした。
それは中高生の僕が精一杯できることだった。
だが再び越えた今、僕は思う。
超えたかったと。
そうして僕はRe ariseの中でも後悔を作ったのだった。
いや後悔ではなく葛藤というべきなのだろうが。




