後編
公爵邸に戻った私は、事前に荷物を積み込んだ馬車に乗り変える。
合間に、父母と最後の挨拶を交わした。
妹と挨拶なしに別れるのは心が痛むが、仕方ない。
しばらくは、婚約破棄のショックにより引きこもっていることにし、私が海上国家の船に乗るまでの時間稼ぎをするという。
私は馬車に乗り南方へ向かった。
海原が広がる、砂浜が今回の引き渡し場所だ。
引き渡し場所という表現もおかしいが、私の立場は言うなれば人質である。
(国内に国交樹立を流布しないのだから、それぐらいのことは要求するわよね。人質とは言えないから、王太子の妃という立場を用意したとしたら、下手な娘を出すこともできないもの)
揺れる馬車の車窓から景色を眺める。
この風景も見納めになるのだろうけど、実感がわかない。
馬車に乗り、数日かけて目的地についた。
殿下が婚約破棄を宣言した時点で、先触れは出ており、国同士で日時が決められる。それまでの間、私は待つことになった。
目的地が近い別荘地で寛いでいると、明日の深夜の砂浜に迎えが来ると決まったと連絡がきた。
急な決定にも対応できるようにすでに荷物はまとめてある。
約束の当日、私は馬車で砂浜にのりつけた。
草地に馬車を置き、砂浜を歩く。
海は静かであり、雲一つない空には、大小さまざまな星と月が瞬いていた。
「きれいね」
海上国家に行っても、星空は変わらない。
それでも、祖国の夜空に最後に見る星は格別だろう。
もしかしたら、異国で夜空を眺め、この景色に思いを馳せ、祖国を懐かしむのかもしれない。
そんな感傷に浸るなんて想像もできなかったが、今ならわかる。
(その場になってみないと、人の気持ちがどう動くかなんて、わからないものなのね)
夜空を見ながらふらふらと浜辺の中心まで進んだ時だ。
海原に大きな船が現れた。たくさんの窓から煌々と光が放たれ、とても忍びできた船には見えなかった。
(あんな船でくるなんて、ばれても構わないとでも言いたげね)
ゆっくりと航行し、浜辺に近づく。とはいえ、浅瀬に乗り入れられる大きさではなく、程なく一隻の舟艇が海におろされた。
(あれが私を迎えに来る船……)
海上に降りた小さな舟艇には人影が見えた。四人ほどのってくるようだ。
舟艇は軽く迂回し、右手の岩場近くからぐるりと回り、側面を見せて止まる。
船上で、更に小さなボートを用意し始めた。船舶では砂地に寄せることができないからだろう。
(港を利用できないから、不便をかけるわね。国交がきちんと結ばれたら、こんな不便をかけさせることもないのに。申し訳ないわ)
私はボートに船員が乗り込み、砂地に近づくのを待つことにした。
徐々にボートが近づく。
オールを操作する二人に、もう一人男性がのっていた。
突如、その男性が跳躍し、海に飛び込んだ。
水しぶきが舞い上がり、飛沫が月明かりに輝く。
ふくらはぎまで海水につけて、男性が背筋を伸ばす。
ほれぼれするほど体格の良い姿にため息が漏れそうになった。
赤い髪が月明かりに揺れる。
無造作に結わえているため、いくつかの毛束が風に煽られる。
瞳は淡い黄色。彼の背後に輝く月とよく似ている。
海で生きている男性らしい、威風堂々とした風格が漂う。
(王都の貴族男性とは違うわ)
まさに海の男という風貌に、私は息をのんだ。
赤い髪の男性は海水も波もものともせずに闊歩し、砂地にあがった。まっすぐに私のもとへとやってくる。
見惚れる程、たくましい男性なんて、なかなかお目にかかれるものではない。夜空を背に、近づいてくる彼から目を離せなかった。
砂地を歩きながら、赤い髪の彼が叫んだ。
「君か。君が、イリア・ルーヴァンか」
「はい、私です」
「そうか、君がイリアか」
たくましい赤い髪の彼は、目を大きく開けて、晴れやかに笑った。
月の瞳をして、太陽のように笑う。
そのアンバランスさが魅力的に見えた。
「俺はカルロス。カルロス・カルメーナ・フェメニーノだ」
「カルロス・カメ……、フェ……ーノ」
呪文みたいな名前に口が回らない。
さすが異国の人である、名前からして違う。
「カルロスと呼んでくれ」
「初めまして、カルロス様」
「敬称もいらない。嫁になる女だ、そのまま名を呼ぶことを許そう」
(嫁?)
私は両目を瞬き、男性を凝視した。
「つまり、あなたが、海上国家の王太子殿下」
「ああ、そうだ。自分の花嫁ぐらい、迎えに来るのは当然だろう。真っ先に会いたい。一番乗りは俺であってしかるべきだ」
カルロスがにかっと笑う。
笑うと愛嬌がある。ぽーっと見惚れそうになり、私は頭をふった。
違う違う。大事なことはそこじゃない。
彼の言葉を私は理解しているけど、この言語は古代語に近い。彼の言語に合わせて、私も古代語で話しかけたら通じたから間違いない。
この古代語。私は学んでいるし、学者たちと古代文明の石板を音読し合ったりしていたから聞き取れるけど、普通の人々には無理なのよ。
古代語により近い言語は、王家伝統の祝詞や、南方の一部地域に残っている方言だったはず……。
「そっか、初めは言葉が通じなかったのね」
海上国家と意思疎通を交わすにも言葉が通じなかったために、十年近く海賊として扱われてきたのだ。
海上国家に助けられた船員は、南方の一部地域の方言を話せる人だったに違いない。
「つまり、私が選ばれたのは、多言語に精通しているからなのね」
父と王が私に白羽の矢を立てた理由がやっと腑に落ちた。
「どうした、イリア」
呼ばれてふと顔をあげる。
いつの間にか近寄っていたカルロスが私の顔を覗き込んでいた。
いきなりなに、この距離感。パーソナルスペースないの!
近寄りがたい雰囲気を醸す私に、一気に距離を詰めてくる人なんて、今まで誰もいなかった。
仰天した私は半歩後退してしまう。
硬い地面と砂地は違う。
砂にとらえた足がもつれて、身体がぐらりと揺れた。
背面から転びそうになったところで、カルロスが手を伸ばし、私の腕をつかむとぐっと引き寄せる。
引っ張られ前のめりになると、カルロスの広い胸元にぶつかる。
私はしっかりと彼に抱き留められていた。
かーっと私の体温が急上昇する。
近い、近い。
なにこの人、この距離感。
これでも私は、知的で、才女で、近寄りがたくて、お硬いと、何拍子もそろっているのよ。そんな私のパーソナルスペースに易々と近づかないでよ。
「すまんすまん、驚かせるつもりはなかったんだ」
「すまんじゃないです!」
余裕なカルロスに、私の方が焦りのあまり声を荒げてしまう。
「いったいなんですか、初対面でしょう」
「初対面だが、初めてあった気がしない」
「嘘でしょう、初めてよ」
「きっと夢で逢っていたんだ。または前世から結ばれる約束をしていたとか」
「ないです、ないです。前世なんてありません」
「逐一反応も可愛いな。まさかこんなに可愛らしい嫁をえられるとは思わなかったぞ」
「かっ、かわいい!!」
素っ頓狂な声で叫んでしまう。
可愛いは妹の代名詞であり、私のものではない。
違和感しか覚えない評価に、身悶えし、私は彼の腕の中で暴れてしまう。
「可愛いなんて、私じゃないです。私は、才女。近寄りがたい、妹と比べたら悪役顔のお高い令嬢なんです」
他者が認識しているでああろう自己評価を口にして、私は抵抗する。
こんなに恥ずかしくて、いたたまれなくなるのは、彼の、そう、彼の瞳のせいだ。
「謙遜するのも可愛いな」
「謙遜なんてしてない、してないです」
「元気がいいのもいいことだ」
「元気はとり得です。運動神経も良いです」
「それは願ったりだ。こんなかわいい婚約者を一晩たりとも傍に置かずには眠れないからね」
「はあ、なんですか。なんという理由ですか」
カルロスは暴れる私を軽々と抱き上げた。
足が宙に浮き、不安定となる。思わず彼の両肩に手をかけた。
バランスがとれたと安心したところ、見下げた先には、褐色の肌に黄色い瞳をきらめかせるカルロスの顔があった。
ぶわっと私の首から頬まで一気に火がつく。
「帰ります、私、このまま、引き返します」
「それは無理だな~。国同士の約束だもんな~」
「狡い、なんて、狡いの。こんな時に国家間の約束を引き合いに出すなんて」
「んっ~、そうだな。俺たちも色々事情をのんでいるからな。でも、イリアのような可愛い才女を伴侶に得られるなら、条件をのんで待つかいがあるというものだよ」
「なによそれ」
「まっ、俺の国に来れば分かるよ」
カルロスは私を抱いたまま歩き始めた。歩きだすと途端に不安定になり、私は彼の首筋に抱きついた。
カルロスはボートから降りた船員に、「イリアの荷物をのせるように」と指示を出す。
後は、私に有無を言わせる余裕も与えず、ぱっぱと対処し、容姿だけでなく、施政者としても有能さをも垣間見せた。
馬車に同乗してきた御者から受け取った荷物がボートに載せられる。
(ああ、もう引き返せない)
私は観念するしかないのか。
抱き上げるカルロスの横顔を見つめる。彼は晴れやかな微笑を浮かべていた。
私より力があって、人の指示もうまい人って、男性でもなかなかいないのよね。
我が国の王太子殿下だけでなく、どんな男性と結婚しても、どこかで私が支えていくようなイメージがあった。
取り仕切るのは私。
だから、男たちに煙たがられる。
運動も勉学も上をいこうとする女を犬猿するのだ。
妹の方が好かれるのは、やっぱりはかなげで愛らしいからだった。
そこはもう覆らない。
ずっとそう思っていたのに……。
カルロスが私の視線にきづいた。
満面の笑みを浮かべて私を見つめる。
「どうした」
(この人なら、私が頼っても、甘えても、受け止めてもらえるかもしれない)
私はぎゅっとカルロスの首筋を抱きしめた。
「どうした」
もう一度、カルロスが優しく問う。
体中が沸騰しそうな私は彼の顔はもう直視できなかった。
ただ一言、彼の耳もとで囁く。
「不束者ですが、どうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ、どうぞよろしく。末永く大切にするよ、イリア」
海を渡った私は海上国家の王妃となり、祖国では妹が王妃になった。
二卵性の双子である私たちは、陸の国と海の国の友好の象徴となる
そんな私たちの死後、二人の王妃の物語は末永く語り継がれる美談となったのだった。
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