婚約者として勉強した結果
十歳のとき、私は伯爵家の跡継ぎであるウールフ様の婚約者になった。
私の家の領地とのあいだに新しく橋を架けるとかで、共同の事業を始めるにあたって、そうするのが一番都合が良かったそうだ。私とウールフ様が顔を合わせる前からの話で、まるでお手本のような政略的婚約だと思う。
そんなふうに、いつのまにか決まってた将来だけど、私がウールフ様に嫁いで伯爵夫人になるには、勉強が必要らしい。
ということで、家庭教師をつけられた私は、先生のお休みの日以外、毎日勉強することになった。
でもさ?
勉強って、意味あるの?ほんとに役に立つの?って思うじゃん?
私の弟(3才)のように、父様の跡を継ぐんだ!って夢があったら、勉強がんばろう!ってなるかもだけど。私のように、なんか知らんけど勝手に将来決められてたわ!ってなったら、勉強がんばろう!ってそう簡単に思えないじゃん?
いくら政略結婚が義務の貴族でも、うちなんてかなりの田舎。都の商人のほうがよほど裕福にしてるし、言うほどの特権なんてない。せめて、いくつか来た縁談の中からお相手を選ぶ余地があったら、お相手に恥じないように、ってなったかもしれないのに、それもなしで強制されて、勉強がんばろう!ってならないじゃん?
だいたい、うちの父様母様も子どもの頃は勉強したって言うけど、その勉強が役に立ってるふうには、全然、さっぱり、まったく、見えないんだけど。
マナーはね、母様がお茶会のときに使ってるのを見たわ。だからマナーは母様からちゃんと教えてもらって、習得済み。
でもそれ以外の勉強なんて、いったい、いつどこで使うっていうの?
勉強なんて楽しくないし、家庭教師をつけられてまでやりたくない。遊んでたい。お昼寝してたい。
って思いながらも、脱走できないし――私の家はずっと逃げ回れるほど広くない――私は先生と向き合って、勉強部屋の椅子に座ってるしかなかった。
家庭教師の先生は、婚約者の家の遠縁にあたるっていう中年の女性。
逆らったり間違ったりしたときに、鞭で叩かれるとかそんなことはなくて、まあまあ優しい。でも、控えめに言っても、勉強はおもしろくなかった。
そうして勉強に熱心になれないまま、先生の話を右から左に聞き流して、たしかあれは二年くらい経ったあたりだったと思う。
「レイヤ様。聞いてましたか?」
名前を呼ばれて、私はびくりとした。
今日のお昼ごはんはなんだろう、って考えてたから。つまりは、いつもどおり聞いてなかった。
「レイヤ様の家も、レイヤ様が嫁がれる伯爵家も、約二百年前から続いています」
「おそろいね」
「レイヤ様。どれだけ仲良しでも、そんなところおそろいにしてどうします」
「それもそうね」
お茶会で仲の良いお友達同士が衣装を似せたり、夜会で父様母様が衣装を合わせてるのは楽しそうだけど。
「レイヤ様、二百年前のこのあたりでは飢饉があったのです」
「飢饉?お昼ごはんが食べられないってこと?!」
ちょうどお昼ごはんのことを考えてたものだから、私は心の底から震えあがった。
「当時はお夕飯も食べられなかったと思います」
「そんな!なんでそんなことに!」
先生の説明によると、当時、マルスという芋類の栽培方法が確立して大流行したらしい。それはもう大人気で、領民の反対を押しきり、領地ではマルスしか栽培させていないという貴族が出たほど。
「でも、ある年、マルスを枯らす植物病が流行りました」
人に直接の害はなかったものの、国のマルスは全滅。マルス好きを公言して、マルス以外の作物を育てていなかった貴族の家は没落、絶えてしまったらしい。
「それで、治める人がいなくなった土地に新しくいくつかの貴族がたてられました。レイヤ様の家も、レイヤ様が嫁がれる伯爵家もその一つです」
「だから、おそろいなのね」
「そういうことです」
「母様に、好きなものばっかり食べるのはダメって言われるのも、そういうことだったのね」
「それはちょっと違います」
それにしても、ごはんが食べられないなんて恐ろしい。
貴族の家といっても、無条件にずっと続くわけじゃないんだ。私の家も貴族だけど、例外じゃないってことだ。
ちょっとした恐怖を覚えて、このとき私は、初めて学ぶってことをしたと思う。そして、初めて考えるってことをしたと思う。
どれだけ好きなものでも、ひとつのものに熱中するのは危険らしい、と。
ただの植物ひとつで貴族の家が絶えてしまうなんて。
そこから、またさらに二年くらい経ったあたりだったと思う。その頃の私は、先生から近くの国の出来事について話を聞いていた。
なんでも、二つ隣の国では二十年前に兄王子と弟王子で国を二分する戦いがあったらしい。
勝ったのは弟王子。
兄王子に一族あげて加担した家はほとんど滅ぼされ、運良く逃れた者もツテを頼って各国に離散したとか。
「じゃあ、今その国は弟王子の味方しか生き残ってないってこと?」
「さすがにそこまでではないですよ。今、権力を握っているのは、一族そろって弟王子を助けた家のようですが」
中には、考え抜いた末に、息子二人を一人ずつ、それぞれ兄王子と弟王子に送りだし、弟王子についた息子から命脈をつないだ貴族の家もある、という。
「この国にも、亡命してきた貴族のかたがいらっしゃるので、社交で失礼のないように」
「気をつけます」
なるほど、亡命してきた兄王子派の人の前では禁忌の話題ってことね。
そしてこの日、私はまた考えた。
今の私はウールフ様の婚約者で、将来の伯爵夫人。
だけど、この婚約者という一点だけに立っているのは、じつはけっこう危険なんじゃないだろうか?
だってつまり、一点張りはリスクが高いってことだ。
たとえば、マルスの単一栽培で没落した貴族のように。たとえば、兄王子に賭けて滅亡した一族のように。
もちろん、一点にすべてを賭けて、賭けに勝った場合の見返りは大きいんだろう。
二つ隣の国で、弟王子に賭けた一族のように。
でも、まだ数回しか会ったことがない婚約者のウールフ様。
ウールフ様との仲は普通だけど――会った時間を全部足しても二時間もないから、仲は良くも悪くもなりようがない――そんなウールフ様の婚約者っていう立場に、私、一点張り?
なんだか急に心配になってきた。
もしかして私、婚約者っていう立場以外にもなにかあったほうが良くない?
婚約者という一点がダメになったとき、私は没落した貴族や滅亡した一族のようになりたくない。
もしかしなくても、婚約者以外の立場が必要な気がしてきた……!
ただ、そうは言っても、ほかの人の恋人、みたいな恋愛関連で得られる立場はダメだ。婚約という先約があるから、変な誤解をされてモメても困るし、かえって危険だと思う。
さて、どうしよう。
と思って、あれこれ行動を始めて、さらに二年ほど。
新しく完成した領地間の橋をとおって書簡が往復し、父様が難しい顔をする回数が増えた頃。
ウールフ様からお茶会に誘われた。
断る理由もなくて、お茶会の席についてみれば、
「彼女を妻にしたいので、レイヤ嬢との婚約をなかったことにしたい」
と、ウールフ様がのたまった。隣に美少女を侍らせて。
……あぶな。あっぶなー!
一点張りは、どうやら本当に危険だったっぽい。家庭教師の先生には感謝である。
ここ二年で、私は顔見知りのご令嬢を増やし、親族のコネを使うこと覚えて、つい最近、王宮の侍女枠に空きを確保していた。
いったい私のどこを気に入ったのか、王太子妃様からは、早くそばにいらっしゃいな、レイヤが春に成人するのが待ち遠しいわ、なんて言葉をいただいている。
家庭教師の先生は先生で、レイヤ様に教えられることはすべて教えました。レイヤ様は八割以上忘れてそうでちょっと不安ですが、でも、家庭教師としてはどこのお屋敷でも通用する力をお持ちですから、いつでも推薦しましょう、なんて言ってくる。
進んでやりたくはないけど、弟が成人するまでのつなぎで、我が家の爵位を継ぐ道もある。
どれも選べるけど、どうしようかな?
まずは父様母様に説明して、王宮にもご連絡しなければ。
私はウールフ様にむかって、微笑んで肯いた。
リスクは分散したほうがいいらしい。
でも、分散してもリスクがゼロにはならないのが難しいね!
いやなに、あるところに馬券をワイドで買って全部外した人がいましてね。軸を間違ったから……
お読みいただきありがとうございました。