孤立 4
―※―
アーケードを潜り、目当ての品を確保しながら街をまわると、帰宅した頃には正午を過ぎていた。
買い物の途中、食料だけでは心許ないというアキラの意見で、日用品など、四人暮らしに必要なものを一通り揃えることとなった。
実際、忍はその誘いはありがたかった。どういう顔をして鈴乃に会って良いのか分からない。その間に何か良い案でも出ないかと頭を捻ったが、結局のところ何も浮かばなかった。
「お帰り、遅かったわね」
掃除機を引っ張りながら、鈴乃が気怠そうに声を掛けてきた。
「色々買ってきたよ。パジャマとか歯ブラシの新しいの」
元気良くはしゃぐアキラが、買い物袋を思いっきり持ち上げて見せる。
「兄貴もお疲れさん」
「おう。お前も、大丈夫かよ」
忍は相手の顔を見ず、とりあえず妹を気遣うフリをして見せた。(まずはフリから)。と言うのが咄嗟に出た忍の答えだった。
「どうしたの兄貴?」
先ほどとは違う兄の態度に、鈴乃も戸惑っているようだ。どうもギクシャクした空気に、忍はやるせなさを感じた時、考えるより先に体が動いた。
「違う。そうじゃない。こんなのは違う! 俺じゃない。俺らしくない!」
「ちょっと忍?」
「兄貴!」
部屋に飛び込み鍵を閉め、忍はベッドの中で身を丸めた。体が言うことを聞かない。拒絶と言ったら良いのだろうか、自分の理性ではどうしようもないほど、鈴乃を拒絶していた。
思い返せば昨夜の夢のトラウマは、強烈な拒否反応だったのかもしれない。相反する理性と感情に加え、体までバラバラに動き出す。
吐き気を催すほどの自己嫌悪。それは、妹に対する何かしらの恐怖から来るものだった。
―※―
「忍。鍵くらい開けろ」
何時間経ったのだろうか。誠司の声で、唐突に我に返った忍は布団から体を起こした。
「誠司。俺、寝ていたのかな?」
自分が本当に起きているのか確認するように、扉越しの誠司へ問う。
「もう、夜の八時だぞ。アキラも鈴乃も心配している。取りあえず出て来い」
いつまでも引き籠もっている訳にも行かず、誠司に連れられリビングへ促された。
リビングでは、母がストレス発散のために購入したカラオケマイクを手にして、アキラがテレビの前で何やら歌いまくっていた。
「あ、忍、おはよう。心配したんだよ」
テレビから流れるエコーのかかったアキラの声が耳障りだった。とても心配しているようには見えないが、そのせいで毒気が抜けてしまった。
「歌が好きだって言ったら、鈴乃が用意してくれたの。旧式だから二〇〇〇年くらいまでの曲しか入っていないけど十分使えるよ」
呆れと怒りを込めて鈴乃を睨み付けると、さすがに鈴乃もこれは失敗だったと、気まずそうに『ゴメン』と口を動かした。
「二時間以上この調子だ。お前を出すための天の岩戸作戦だとか。聞こえていたか?」
「いいや、全然。近所迷惑だからやめてくれ」
率直で適切な感想を述べる忍だが、乗りに乗って輝くように歌って踊りまくるアキラを止める勇気は無かった。
「どうするんだよ、これ」
「飽きるまでやらせれば良いんじゃない」
そう言った鈴乃が、ソファと壁の間から長細い鍵盤を引きずり出す。それは鈴乃が小学生の頃、父から買ってもらった電子ピアノだった。
「少し新しい曲も弾けるけど、やってみる?」
「あ、クタダやってクタダ!」
「微妙に古いところ突いてきたな、せめて、クリクロくらいリクエストするかと思ったが・・・・・・」
「止めろよ誠司!」
誠司の体を揺すった直後、鍵盤の上に置かれた鈴乃の指が流れるようにキーを叩いた。
左右の腕、十本の指。その全てが別の生き物のように鍵盤の上を踊る。一瞬見とれたアキラも、慌ててマイクに向かい歌い出す。
よほど気合いを入れていたのか、その時間は五分ほどだったが二人はすっかり汗まみれだ。
「凄いよ鈴乃!」
演奏終了と同時に、アキラが鈴乃に抱きついた。
「楽譜とか無くて、よく弾けるわね」
「前に一回聴いて、弾けるかなと思って弾いたことがあるから……今回はブランクあったから自信は無かったけど……」
「「一回聴いただけ?」」と、さすがに誠司もアキラと共に声を上げた。
鈴乃の数少ない昔からの特技だ。彼女は一度聴いた歌や曲を音で覚え、その音を鍵盤から探して繋げると言う作業で演奏をする。
もちろん、楽譜など無い。と言うよりも、鈴乃は楽譜が読めない。なので、音を耳で覚えるか又は演奏したものを目で見て覚える。その技術は、忍も認めるしかなかった。
「凄い! 天才じゃん鈴乃」
「でも、キーを探すまで時間がかかるから、結果的に効率が悪いと思う。みんな一回聴いたり見たりしただけじゃ覚えないの?」
鈴乃が不思議そうな顔で、アキラと誠司を見やった。
「ねえ誠司。鈴乃と三人でバンド組も!」
「「はあ?」」
アキラの唐突な提案に三人は口を開いた。
「鈴乃、実は誠司って、昔バンドマンを目指していたギタリストなんだけど、どういう訳かバンドの誘いを受けずに、ライブハウスのお兄さんになって廃れてたんだけど、両手に花状態ならやる気出ると思うの。アタシも昔から歌手に憧れてたんだぁ。やってみようよ!」
鈴乃の手を取り、アキラが興奮気味に巻くし立てた。
「俺はやらない!」
間髪入れずに誠司は強い口調で拒否した。
「日々のバイトが忙しい。それ以前に、まるっきり素人と組むのはゴメンだ」
「プロでもない癖に何ワガママ言ってんの? 歳だけ食っても夢は食えないわよ」
「お前は……喧嘩売ってるのか?」
拳を握り、珍しく低い声を上げた誠司がアキラへ睨みを利かせた。
「だって、本当のことじゃない。とりあえず、ライブハウスでライブをすることを目的でやってみようよ。ねえ、鈴乃」
満面の笑みを鈴乃へ向けるアキラだが、鈴乃は暫く口を詰むんだあと、意を決したように宣言した。
「私もライブをしてみたい。プロになれなくても、自分の演奏を見て、聴いてもらいたい」
微かに体を震わせた鈴乃が、不安そうな顔で誠司に視線を送った。
「二対一で決定ね」
勝ち誇ったアキラが、にやりと口を引く。
「俺には拒否権無しか。言っておくが、失敗しても知らないぞ」
「忍はベースでもやる?」
「いや、やめとく。俺、本当に才能ないから」
才能が無いと言うのは本音だった。アキラなりに気を遣ってくれていることは理解できるし、誘ってくれた事は素直に嬉しかったが、何よりも鈴乃とやって行く自信が無かった。
「頑張れよ。お前ら」
この言葉は忍の本心だった。目標を持って前に進む気持ちは純粋に羨望すら覚えた。
それに応えるよう、笑顔で頷くアキラに反し、鈴乃は陰があるような複雑な笑みを見せる。体に自信が無いと言う不安もあるのだろうと、心の中で珍しく鈴乃に気遣いながらも、忍はリビングを後にした。
「夜風にでも当たって来るかな」
次回は第二章最終節と第三章第一節を同時に投稿します。
別作業と並行しているため、その後のペースダウンも予測されますが、
ご理解頂けますよう、よろしくお願い申し上げます。