孤立 2
―※―
昼食は、冷凍のエビピラフと簡単な酢の物だった。先ほど誠司が買い出しに行ってきたもので、予算は鈴乃の自腹とのこと。忍は気にくわなかったが、調理までしてもらっては文句の付けようがない。
アキラが起動させたラジカセから流れるBGMは、食事の空気には合わない慌ただしい曲が多かった。
忍達が四人そろって食事をするのは初めてだ。先ほどのこともあり、全員が全員、無言のまま食事を口に入れる。
四人で食事。と言う奇妙な光景、自分と両親と妹。そんな当たり前の四人家族の食事は、忍には縁が薄いものと考えていた。だが、今はそれに近い光景が目の前にある。幻を見ているような、不思議な感覚だった。
「やっぱ、スリップは良いよね」
唐突にアキラが鈴乃へ声を掛けた。
「なによ急に」
少し驚いたのか、鈴乃の背筋がシャチホコのように仰け反り声を裏返した。
「いや、何となく……初期のメンバーも味があって良いなって思って。私、見たことないし、何かちょっともったいない気がして、鈴乃は知ってる?」
「私も小さい時に少し見たことがある程度で、はっきり覚えている訳じゃないけど、抜けたメンバー達も夢を追いかけてそうなったんでしょ。世代が違うし、あんまり興味があった訳じゃないけど、それくらい知ってるわ」
アキラとは目を合わせず、鈴乃が素っ気なく答えた。
「そう、それ! 夢に向かって自分に嘘を吐かない人生を選ぶ。その心意気は、本当に格好いいよ」
腕を組んだアキラが、まるで往年の人生を語る老人のように頷いた。
「母は抜けたメンバーのファンだったみたいだけど、脱退の時は残念がってたかな」
「なるほど、新しいのだけじゃなくて古い曲のCDが多いのは母譲りのものか」
アキラと鈴乃が同じ趣味の話で華を咲かせつつあるようだ。忍にとっても好都合だったが、どことなくモヤモヤした気持ちになり、無言で席を立った。
「忍?」と、不思議そうな顔で、アキラが声を掛けた。
「ちょっと、出かけてくる」
視線を逸らし、忍はそれだけを告げるとリビングをあとにした。
―※―
「ガキだな、俺……」
何も考えずにその場を逃げ出した忍は、呆然と空を眺めながら国道沿いの歩道を歩いていた。車道の車は途切れることなく、風切り音が忍の耳を絶え間なく掠める。
「なに、やってんだろうな」
特に夢も理想も無い。鈴乃のために我慢を強いられる毎日。それが正しいことだと刷り込まれてきた。だが、一歩離れて俯瞰すると、それは自分のためでないと言うことに気が付く。まさに、無駄な時間だった。そう思うと、今の鈴乃を見ていることが恐かった。
ドラマのようなフィクションなら、自己犠牲の美談で済ませられるかもしれない。だが、忍にそんな気持ちが湧くことは無い。幼い頃から妹の為と犠牲を強いられてきた彼を誰も責められるだろうか。
それが出来る人間がいるのであれば、それは無知から出た偽善だ。
「アレ? 忍じゃないか?」
擦れ違いざま、学生服の青年に声を掛けられ忍は驚いた。中学の頃の同級生だ。
「うを、久しぶり。元気だったか? 中学の卒業式以来だから、一年半ぶりくらいか?」
「健太? あ、ああ」
戸惑う顔を隠しきれず、忍は俯いて答えた。
「妹さんはどうだ? 元気にしているか?」
「今は家にいるけど……何とかやってるよ」
「そっか、お前も大変だなぁ。何かあったら携帯にでも連絡くれ。じゃあ、頑張れよ」
相変わらずだなと安心しつつ、やはり旧友でも鈴乃のことに対してはこれくらいの声掛けが精一杯なのだろう。『大変だな』『頑張れ』その励ましは、何万回と聞いたものだ。
裏を返せば所詮は他人事。ねぎらっているつもりでいる自分を誤魔化す言葉の羅列。忍と接する人は、自分を非情な人間と思うことを避けるために心にも無い言葉を紡ぐことが多い。
今の忍は他人の何気ない言葉の意味を歪曲してしまうほど摩耗していた。旧友の背を眺めながら、暗闇に放り出された気分になる。自分の時間は鈴乃に奪われ、今も蝕まれ続けているのだ。忍は友人を遠い存在に感じ様々な想いを巡らせていた。
―※―
忍が家を出て暫くして、アキラは風呂場の前に立った。現在は鈴乃が入浴中だが、親睦を深めるために一緒に入ろうという結論に達したのだ。と言うよりも、実際は単にいたずら心から来るものだったが、本人にそんな自覚はない。
「鈴乃、一緒に入ろう」っと、勢い良く扉を開き、鈴乃の姿を確認する。
シャワーの水しぶきに濡れた白い肌と細い手足、一つ上の歳のはずだが、自分よりもずっと小柄な身長と体格は、見ように寄っては小学生くらいにも見える。
裸体の鈴乃と向き合ったアキラは、意外な光景に言葉を失った。見たくれが小さいとか、そう言う話ではなく、鈴乃の胸から腹部まで禍々しく引かれた一線の傷。左右の乳房の上に直径五センチほどだろうか楕円形の盛り上がりが不自然に浮かんでいた。
「あ、あの?」
言葉が出なかった。手術をしていると忍から聞いていたが、実際にそう言った人間を見たのは初めてだった。
「入るなら、入るって言ってよ」
冷ややかに発せられた、ナイフのような鈴乃の言葉がアキラの背筋に悪寒を走らせた。
「醜いと思う?」
「え?」硬直したアキラが思わず声を漏した。
「でも、私はそうは思わない。この傷は私が生きるために必要なもので存在の証だから。と言うよりも、物心つく前からあったから、醜いかどうかなんて判断できないんだよね実際」
「そんなこと……その、ゴメン」
俯いたまま、アキラは一歩も動けなかった。ただ、鈴乃が浴室から出て行くまでずっと佇むことしかできない。そう感じたのは、彼女が浴室から出た瞬間だった。
風呂場の扉が閉まる音を聴き、アキラは気が抜けたように膝を床に落とした。
『ゴメン』と言う言葉に何の意味を込めたのか、自分でも理解できない。勝手に風呂に入ったことか、驚かせたことか、それとも――
「馬鹿だ。アタシ」
裸のまま、膝と手を床に付けシャワーの水に打たれながら、心の底から自分自身を軽蔑した。どういう訳か、涙が溢れた。ただ、床の一点を見つめ体を震わせる。
(何も・・・言えなかった・・・・・・)
自分があの瞬間、脳裏に何が過ぎったのか思い出せなかった。
ただ分かる事は、それは鈴乃に対する侮辱だと、アキラは気づいてしまった。
そんな光景が五分ほど続き、赤みがかった長い髪がたっぷり水を含んだ頃、それはぶわっと豪快に翻された。
(これじゃ、ダメだ!)と立ち上がり、アキラは濡れた体のまま風呂場を飛び出すと、鈴乃の部屋へ飛び込むように押し入った。
鈴乃は部屋でパソコンを開き、何か調べ物をしているようだがそんなことは気にしない。アキラの存在に気づいた鈴乃も何事かと体を向けた。
「アキラ?」
鈴乃に初めて名前を呼ばれたが、それは些細なことだ。アキラは大股開きで鈴乃に近づき、ピシャリと両手を合わせる。
「ゴメン! 傷見て、びっくりしてゴメン!」
何のことだと不思議そうな表情を浮かべ、鈴乃が目を丸くした。
「え? ああ、本当に気にしてないから、考え過ぎだよ。びっくりして当たり前だし……」
慌てた鈴乃が、タオルケットで裸のアキラの体を覆う。
「ホント?」と、恐る恐る目を開き、アキラは問いかけた。
「私もちょっとへそ曲げただけだから、本当に気にしなくていいから……ああ、びしょびしょじゃない。私が悪かったわよ。ちょっと意地悪しただけ」
あたふたしたまま、鈴乃がタオルケットの上からアキラの体を拭き始める。所々くすぐったかったが、アキラは布越しから感じる鈴乃の温もりに安心した。
「鈴乃」
「何?」と、半ばぶっきらぼうに鈴乃が聞き返した。
「料理、教えてくれる?」