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家庭内ホームレス  作者: とららん
第五章 当たり前のわがまま
26/30

当たり前のわがまま 6

―※―


 鈴乃の病室から逃げ出して7時間ほど経過しただろうか、夕闇が迫っている時間帯だ。

 忍は足が赴くまま病院へ戻り薄暗い院内の廊下を徘徊していた。何をどう選択したら良いのか分からない。ただひたすら歩き続け、気づくと病院の一番端にある、自動販売機の前で足を止めていた。

 通路の奥にあるメインロビーは、診療受付時間も終わり既に人の姿は無い。だだっ広い奈落のような暗い空間が、口を開いているようなイメージが脳裏を過ぎる。


「死んだら、あんな感じの所へ行くのかな。鈴乃は、コレをいつも感じていたのか……」


 無意識に吐いた言葉が、意外なほど重かった。思えば、死という言葉をこれほど具体的に考えたことなど一度も無かった。


「そう、かもな……」


 突然、後ろから投げ掛けられた声に、忍は心臓が止まりそうなほど驚いた。

 先ほどまで面談室で和子に寄り添っていた父、稔だ。稔は俯きながら自販機の隣に置かれた長椅子に腰掛け、缶コーヒーの口を開いた。


「母さんは、ほっといて良いのか?」

「そうだな、ほっといちゃダメだな」


 稔はガックリと肩を落とし、床の一点を虚ろな瞳で見つめていた。

 忍も自販機から飲み物を取り出し、父の表情を覗おうと隣に座る。だが暗闇と自販機の光にぼかされ、それを伺うことができない。

 薄暗い廊下の中、暫しの沈黙が二人を支配した。そして、忍は何故かその場を離れることができなかった。離れてしまえば、父がその闇に飲み込まれてしまうような錯覚を覚えたからだ。


(親父なんかどうでもいい)


 海外に赴任し、数ヶ月ぶりにかけられたまともな言葉は、誰かに問うた言葉ではない。問いに対しての生返事だった。

 そう思うと、途端に腹が立つ。この男は何をしに来たのか、忍には全く予期できない。


「親父、悪いんだけど――」


『一人にしてくれないか』と、続けようとした瞬間、稔の口が開いた。


「父さん、少しだけほっとしてしまった」


 稔から発せられた意外な呟きは、忍にとって予想外のものだった。


「お前が手術するって言わなくて、安心してしまったんだ。母さんは良くやってくれている。そのことで、お前に負担をかけていることも知っている。鈴乃がちゃんと生まれていればずっとマシだったはずだと、この頃本気で考えてしまう。ダメな男だな私は……」

「何が言いたいんだよ。それは……それだけはしょうがないだろ。運が無かっただけだ」


 ふて腐れた子供のように言葉を吐き捨てると、忍は父から視線を逸らした。


「アキラさんに言われてしまったよ。忍のことを理解していないって。忍、手術は・・・しなくても良いぞ。お前がこれ以上鈴乃のためにリスクを背負う必要は無い。それは今まで兄妹の関係を重荷にしてしまった、父さん達の責任だろう。突き詰めれば・・・鈴乃のことなんて、本当はお前には関係が無いのにな。父さんと母さんが勝手に作って勝手に生んで、鈴乃が運悪く障害をもって・・・お前はそれに巻き込まれただけなのに。これでもしもお前に何かあったら……」


 それは、父としての本音だった。稔は和子を愛していた。鈴乃は障害を持って生まれてこようと、無条件に愛せる存在だ。ただ、生きていることに対する不満は一切無い。

 そのことで、忍に対する負担が大きくても、兄妹の絆を信じていた。だが、手術に対し、忍は躊躇(ためら)いを見せた。それは、稔にとって意外な光景だった。極端に受け取れば、兄が妹の生存を否定したのだ。そのことで、稔は無意識に安心してしまった自分を恥じていた。


「こんな風にお前のこと考えることなど今まで無かった。本当に済まない……」


 ゆっくりと顔を上げ、ぼやけていた稔の表情が浮かび上がった。今までに見たこともないほど険しく、またそれと同じくらい穏やかだった。矛盾した面持ちではあったが、そう表現することしかできない。


「何を今更、うざいんだよ」

「そうだな…忍、手術は恐いか?」

「ああ、怖いよ」


 自分でも驚くほど、忍は素直に答えられた。


「でも、父さんには分からないな。やっぱり、父親って言っても、結局は他人だと思う時があるよ。本当に済まない。目の前の困難にばかり目が行って、お前達を理解しなかった。いや、違う。逃げて、いたんだろうな」

「知るか。そんなこと!」


 後悔なのか、懺悔なのか、弱気な父の言葉が意外なほど恐ろしかった。何を恐れたのかは分からない。しかし、忍にとって、その感情は初めてのものだった。

 気恥ずかしさと情けなさが同時に胸を突いた。とりあえず病室へ戻ろうと踵を返し、弱気な父と、廊下の闇から逃れるように足を前に出すと同時に気が付いた。


「まだ・・・明るい?」


 通路の西側はまだ日は落ちておらず、裏口に設けられたガラス窓へと光を射している。忍の足は引き寄せられるように自然と夕焼けに向かっていた。

 ガラスでできた観音扉を開き、噴水のある広場を突き進む。小高い丘を登った先には木でできたベンチが一つ置かれ、人影が一つ、沈み行く日をただ呆然と眺めていた。


―※―


「あにぃ……」


 妊婦のような腹をさすりながら、鈴乃が振り返った。虚ろな瞳、空を仰いだまま、鈴乃は青白い顔に静かで穏やかな顔を浮かべている。


「こんなに近くに居たなんてな。何時間いたんだ? 寒いだろ。みんな心配してるぞ。それにしても、よくその腹で登ったな、見つからない訳だ」

「あにぃは、どうして来たの?」

「何となく、色々考えて怖くなったからかな」


 それは、忍の素直な気持ちだった。


「何となくで、これちゃうんだ。ふーん」

「まあ、お前も手術できるかもしれないし、思うところがあるんだろうな……やっぱ、高いとことか、明るいとことか人間は求める生き物なのかな。見つけられてラッキーだった」

「私、このお腹がなくても、ここに来るのはやっとだと思う。人って、恐いと空や海が見える場所が、どうしても恋しくなるよね」

「ん? まあな……」と、わざとらしく頬を掻いて見せる。稔と違い、理由は分からないが、鈴乃の前だと素直に答えられた。


「いいんじゃないか? 少し体動かしても」

「どうして見せつけるの?」


 静かだが鋭く、重い怒気が隠った一言の真意が理解できず、忍は首を傾げた。瞬間――


「なんで、アンタはそんなに考えずに生きられるんだ! お前に死ぬかもしれない怖さが分かるか! ふざけるな! 私の気持ちを、みんな分かっているように語るな!」


 前屈みになった鈴乃が倒れ込むように忍の腕を掴み、強ばった体を震わせた。

 腕に爪を立てられ、鋭い痛みが走る。咄嗟に振り払おうとしたが、鈴乃の怒りとも、悲しみとも取れる表情に圧倒され体が硬直した。


「どうしてこうなっちゃうの? もう手術なんかしたくない! 恐い! 嫌だ! こんなお腹だって! 体が悪いのだって構わない。何でも我慢してきた、なのに何で良くならないの? どうして恐いことばかり、まだ何もやってない! でも、諦めたのに、あにぃに『バイバイ』って言って全部終わったのに! どうして希望を持たせるの!」


 ぶつけられたのは、初めて見せた鈴乃の生の感情だった。


「何も理解していない大人達が勝手な感傷で私達の生死を汚すな! 私達は可愛そうじゃない! 哀れんでなんて欲しくない! 囲うように大事になんてして欲しくない! 障害を持って生まれてきたことで、私達が可愛いそうな子なんて思って欲しくない! ちょっと生き辛いだけなのに、なんで可愛いそうだって言えるの? 私、今日、生まれて初めて自分が可愛いそうな子だって思った。絶対に思わないって、思っていたのに……私、私!」


 呼吸を乱し、涙を流しながら、鈴乃の視線は真っ直ぐ忍の顔を見つめていた。


「死にたくない、死にたくない、死にたくない、ちくしょう、ちくしょうぅ……」


 目を見開き、嗚咽で何度も言葉を詰まらせながらも生へすがり、文字通り、死を目の前にした必死の形相で訴える。

 忍には鈴乃の言う、私達という複数形が、何を示しているのか理解できなかった。だが、これだけは言える。


「お前は、かわいそうなんかじゃない」


 鈴乃に対する微かな憎悪に苛まれつつ、忍は何かを言わなければと感情に身を任せた。


「少なくとも、俺から見れば幸せな妹だ。俺よりもずっと、ずっと幸せな。幸せでなくちゃいけないんだ! それだけは、俺が一番よく知っている! 誰よりも」


(でなければ、今までの俺の犠牲が全て無駄になってしまう)


「兄ちゃんが・・・何とかしてやる!」


 思わず抱きしめた鈴乃の体は、見た目よりずっとか細く、強く抱いたら粉々になってしまいそうなほど弱々しく、薄いガラス細工のようにもろかった。

次回から最終章に入ります。

今週は先週と同じく二回投稿予定ですので、最後までよろしくお願い致します。

一応、来週完結を予定しております。

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