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家庭内ホームレス  作者: とららん
第五章 当たり前のわがまま
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当たり前のわがまま 5

―※―


「まったく、四年ぶりに帰って来たと思ったら、とんでもないこと言い出してくれたな」


 使われなくなった診療所の待合室でボサボサの髪を掻きながら、髭ヅラの初老の男が誠司を睨み付けた。

 近衛清一郎。誠司の父であり、心臓外科医としては、日本でも十指に入るとも言われる重鎮だ。海外での仕事も多い中、本日は偶然自宅で英気を養っている最中だった。


「母さん、死んだのか?」

「二年前にな。おかげで診療所は閉めることになったし、馴染みのご近所のご老人方は困っているよ。まったく電話一本よこさず、どこで何をしていた」


 嫌みを言いつつも、その口調とは裏腹に、清一郎の言葉はどこか暖かかった。


「東京の近くで路上生活をしていた。仕事はライブハウスで、ドリンク係とか雑用とか……部屋は…借りられるほどまともに稼げなかった」


 ここは素直に答えるべきだと弁え、長椅子に腰掛けたまま、誠司は床を見つめた。


「なるほど。話を戻すが、お前の友人を手術して欲しいと言うことか? 馬鹿馬鹿しい」


 タバコに火を付けた清一郎が、溜め息と共に紫煙を吐き出し誠司を(たしな)める。

 呆れているのだろうと誠司は自嘲したが、清一郎は静かに続けた。


「お前はこの四年、何をしていた。この意味が解るか?」


 突然、鷲掴みにされたように、心臓が収縮し思わず息を呑む。


「お前は、家を出る時に言ったな。夢を追いかけたいと。だが、結果はどうだ? 結果が出せなかったことじゃない。お前は何をやっていた」


 何も言い返せなかった。誠司がやっていたことは、アルバイトの間際に、ギターの練習をして、それで終わっていた。

 ステージへ上がろうとしたのはごく最近、一回きりだ。そこに行き着くまで、四年かかった。いや、無意識に掛けてしまった。


「親父、俺は――」

「夢を追いたい。縛られたくない。格好のいい台詞を言ってこれか? 甘えるな」


 重低音の落ち着いた声、その一つ一つが誠司の内面を抉る。眼鏡越しからの冷たく鋭い視線が痛い。


「その娘には、昔からの担当医がいるんだろう? 理解していると思うが、医者同士にも最低限の礼儀と言うか暗黙のルールがある。余所さまの患者に外部の医者が声をかけてどうする。やめとけやめとけ、あちらも立派な医者だ。無理矢理手術をするより、最後は良くしてくれるはずだ」

「手術はしないだろう。いや、できないはずだ……俺は、もう何を言われても良い。説教でも何でも全て受け入れる。だから、頼む!」


 俯いたまま、誠司は訥々(とつとつ)と言葉を紡いだ。


「もう、親父にしか頼めない! 俺は、もう医者じゃない。いや、まともな医者になってもいない。手を考えても実行できない。アイツらを、俺は助けられない!」


 こみ上げてくる感情が、制止できない。


「本当は全部理解していた。あの娘が死んだ日、俺は恐くなったんだ。人を殺してしまうかもしれないって言う恐怖から」


 情けなかった。だが、これは自分自身が歩んだこと。自分自身が逃げてきたものだ。

 否定することはできない。もし、四年前に逃げ出さなければ、自分は鈴乃を助けられたかもしれない。しかし、そうはならなかった。もう、自分ではどうにもならない。だが、過去を否定する訳にもいかない。


「俺は夢を追ったんじゃない。現実から、夢に逃げたんだ! 逃げられたから逃げたんだ! 俺が医者になろうと思ったのは、アンタや母さんに誉めてもらいたくて、そのことを忘れて、自分がやってきたことが理解できなくなって! でも、もう逃げない。二人の妹の直向(ひたむ)きな姿や、隔離された世界であえぐ弟を見て、俺も、闘わなきゃって!」


 ギターをケースから取り出し、誠司は先端を握り締め、力一杯床に叩き付けた。

 バインという、弦が弾ける音、叩き折れた木材が飛び散る音、それは誠司が過ごした四年間が四散する音だった。


「夢は逃げ場所じゃない。向き合うものなんだ。夢は現実の中でも見ることができるけど、現実は夢の中では見られない。俺は、ステージに立つのが恐かった、あの時みたいに失敗するのが。だから、帰ってきた。弱かった自分の現実を受け入れるために」


 誠司は膝を突き、床へ額を押しつけた。彼にはこれしか(すべ)は無かった。


「土下座なんか意味が無いことは分かっている。でも、もう俺一人の力じゃどうにもならない! 俺は、俺の家族をこんな形で失いたくない! 妹が死にそうなのに、何もできない。弟が壊れそうなのに何も言ってやれない。もう一人の妹に全部任せて、俺はここまで来たんだ。このまま手ぶらで帰れない。だから頼む親父! 頼む!」


 今までの自分を否定しない。過ちや後悔、罪悪感からではない。誠司が向かい合っているのは清一郎ではなく、過去の自分自身だ。それを受け入れるために戻ってきた。

 感情に任せて、支離滅裂な言葉を連ね、考えていることも滅茶苦茶だ。しかし、それは誠司の精一杯の主張だった。

 暫しの沈黙の後、「一晩、時間をくれ」と清一郎が小声で答え、誠司は肩をつままれ、立つよう促された。

 何も言えない。父の顔を見る勇気すら無い。


「部屋はそのままだ、今日は寝ろ。今は一人にしてくれ。資料にも目を通してやる」


 便箋(びんせん)を仰ぎ、清一郎が踵を返した。


「なあ、誠司。お前は罪滅ぼしをしようとしているのか? だったらお門違いだ」


 優しく、落ち着いた口調のまま、誠司の心の奥深くを見透かすように、清一郎が続けた。


「お前は、背負う必要のないモノまで背負ってしまった。あの娘はそんなモノを求めてはいないはずだ。少なくとも、お前にそんな筋合いは無い。だから飛び降りた。救いを求めてはいなかった。医者が出る幕は、最初から無かったのかもな。お前が一人の医者である限り」


「それは結果論だ。俺は、もう間違いたくない! あの子は、鈴乃は死にたくないんだ!」

「勘違いするな、お前は正しいよ誠司。四年前の判断は正しい。だが、正しいことがいつも救いとは限らない。少なくとも、お前のギターは壊される必要は無かった」


 鈍い音がする鉄のドアを開き、清一郎は薄暗い診療所の奥へと姿を消した。


(そんなことは分かっている。俺は、勝手に罪を背負ってしまったんだ)


 四年前の少女からして見れば迷惑な話だろう。どこの誰とも知らない男が、自分のことで悩み苦しんでいる。誠司も理解していた。彼女を死なせてしまったと思い込み、勝手に罪悪感として受け取ってしまっただけなのだと。ただ、その死の原因が自分の仕事のミスではなく、完璧であったことが衝撃だった。

 手術中の事故なら納得できた。そのミスを受け止めて、次に生かすこともできた。だが、完璧から来た不幸はどうしたら良い。

 結局、自分の怠慢だと気づくことができただろうが、それすらも考えつかなかった。

 誰も間違っていないし、誰も気が付かなかった結果だ。誠司はそのことから罪悪感を生み出し、勝手に背負って逃げ出した。


 床に散乱したギターの残骸に屋上から飛び降りた少女が重なる。涙が溢れると同時に、忍達との生活が走馬燈のように思い浮かぶ。


「ゴメン。ゴメン!」と、気が付けば、嗚咽を吐きならギターの残骸を掻き集めていた。

 過去を受け入れると同時に、決別と覚悟のつもりで壊したギター、逃げる口実と逃げ場所だった夢。だが、それでも四年間の自分を支えてきた大切な場所だ。もう引き返せない。


「もう一度、始めるよ。今まで、ありがとう」


 結局、一度もまともなステージを共にできなかったが、それでも誠司は四年間支えてくれた相棒へ、惜しみない感謝を込めた。


―※―


「ああ、どうやったらこの歳まで生き延びられた? 軽いものを含めて過去に五、いや六回の手術。しかも前の手術から一ヶ月も経ってない上に、今回は腹水が溜まっている。癒着も網目状に入り組んでいるだろう。術式に二時間でも、癒着を剥がすのに五時間はかかるぞ。腹水による内臓の圧迫。肺も少し浸かっていて、呼吸もままならないはずだ。利尿剤で排水はしているようだが、量が尋常じゃない。五キロは入っているな」

 

 翌日、食事も取らずに診察室へ入った誠司が最初に見たものは、白衣姿の目に隈を作った清一郎の姿だった。


「寝てないのか?」

「ああ、一晩考えたが、どうすりゃ良いのかもう訳が分からん」


 首を振り、清一郎は静かに額へ手を当てた。


「四度目のペースメーカーを付ける手術で、癒着を剥がすのに七時間も使っている。術式自体は二時間で終わるはずだが……今回は腎臓と肝臓が石化しているようだな。あと二、三ヶ月前に見つけていれば……」


 そう言って、お手上げと言わんばかりに、髭面の医者は資料を誠司へ投げつける。


「二、三ヶ月前なら、何とかなったのか?」

「いや、それ以前に今回は前回との期間が短すぎる。患者の体力を考えると危険だ。それに心肺と腎肝の同時移植でなければ、生存はまず不可能だろう。かなり無茶な処方だが、薬で調整してここまで保たせた中村って医師はさすがだよ」

「そうか……」

「海外で過去に消化器官の殆どを取り替えて生き残った子供はいたが、第一俺は心臓外科医だ。心肺腎肝同時ではなんとも言えん……俺ではなく、ブラック・ジャックに頼むべきだったな」


 疲れた目をこすりながら自嘲する清一郎に、「親父」と誠司は静かに口を開いた。


「一つだけ試したいことがある――」


 それからの会話は、誠司の荒唐無稽な夢物語。その説明は無謀で馬鹿馬鹿しい、漫画の読み過ぎ。としか言えない気分になる。


「冗談を言うのも大概にしろ! 模型でも組み立てているつもりか!」


 激高する清一郎だったが、誠司はいたって冷静だった。


「成功したとして、どれくらい保つと思う?」


 手の甲に額を乗せ、清一郎は暫く目を瞑った後、苦心の表情で質問に答えた。


「少なくとも、腹の水くらいは何とか回復させたいと思っているよ。あとは、体力を戻せるかどうか……術後は完全に運任せだ。それよりお前から聞いたドナーの遺恨次第では、手術以前の話しになるだろう」

「そうだな……でも、ベストを尽くせって言ったのはアンタだろ」


 深いため息のあと、清一郎が静かに続けた。


「相手の医者も良くやっている。このまま任せても、家族は納得するだろう……」


 息子の打診と想いは受け止めるつもりだったが、話が突飛すぎて足踏みをする。中村の治療は適切だ。中途半端な希望を持たせるよりも、現状で最善の治療法を続けて終わるほうが、家族には良いのかもしれない。だが、清一郎は深い溜め息と共にその方針を一変させた。


「危険だ。やめとけ。と言うのが本音だ。さっきも言ったが、肝心のドナーを方が問題だろう? まあ、やるならやるで付き合ってやる。それでも彼の選択次第の話しだがな」


 父の言葉を聞いて、それが難関だと額を手に乗せ誠司はどうしたものかと目を閉じた。


「ああ・・・あとは、忍の問題だけだ……」

次回は来週、第五章最終節を予定しております。

ただいま、最終章の調整段階に取りかかっております。

次回もよろしくお願いいたします。

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