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家庭内ホームレス  作者: とららん
第五章 当たり前のわがまま
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当たり前のわがまま 4

今週は二回投稿予定です。

※現在では医療技術も進んでおります。

―※―


 喫煙室の中では、タバコを咥えた二人の白衣の男が無言のまま佇んでいた。


「手術は無駄ですよ」

「分かっている。無謀だ」


 沈黙の中で口火を切ったのは眼鏡をかけた医師、中村だった。

 鈴乃の状態は、過去最悪だ。


 総動脈幹症。端的に言えば肺動脈と大動脈が結合した状態で生まれてきた先天性の心疾患だ。それは出産直後に判明し、その二つの動脈を分けるバイパス手術を行い処置すると言う形になった。

 その後も、カテーテルバルーンで血管を広げ、人工血管を取り替え、最終的にはペースメーカーを取り付ける手術も行った。だが、結果的は失敗だった。

 一つ目の左胸に付けたペースメーカーは微弱にしか作動せず、苦肉の策で右胸にもう一つ楕円形の電池を付けることになった。

 

 本来、心拍が急激に下がった時に起動するものだが、鈴乃の場合は常にペースメーカーが作動している状態だった。体にかかる負担は尋常ではない。本来なら動けないか、死んでいるかのどちらかだ。

 今までは薬と酸素呼吸器で今まで維持してきた。それでも普通に歩行できたことは、医者から見れば奇跡に等しかった。さらに言えば、目の当たりにできる命への挑戦、医学の発展と恩恵が生み出した自然の生命の終わりにあらがう医療という名の暴力行為、それは『奇跡の人体実験』とも言えた。

 先日の手術も、何時間もかけて網目状の癒着の壁を掘り進み、鈴乃の生命力を信じ、ボロボロになった人工血管の交換手術を成功させた。だがもう、その奇跡は望めない。鈴乃の体力も限界だ。


「鈴乃ちゃんを殺す気ですか? 今度は忍くんまで巻き込んで」

「アンタは興味があるだろう。被献体がどこまで生存できるか」

「ふざけるな! 私の行いがジリ貧であることは認める。しかし、実験体として彼女を見たことは一度も無い! それよりも、この期に及んでVASを使用することは自殺行為、いや、殺人行為とは思わないのですか!」


 眼鏡越しの黒い瞳に、怒気を孕んでいることはすぐに解った。だが、誠司はそれに構わずある疑問を口にする。


「なら、なぜVASをもっと早くに使用しなかった。アンタなら出来たはずだ」

「日本で子供への補助人工心臓使用が許可されたのは近年になってからだ。既に彼女にはペースメーカーが装着されていた。体力的に改めて手術をするなど不可能だった。せめて、あと十年、いや、あと五年早ければ私も・・・・・・」

 

 それが、中村の限界だった。彼は本当に平凡な医師だった。平凡だったからこそ、踏み込めなかった。なぜもっと早くに認可されなかったのか、声を上げることも出来なかった。鈴乃だけでは無い、他にも診てきた患者も必要とした人たちがいたはずだ。何故もっと早くに、そう言う場面は何度も見てきた。

 自分にはできなかった。技術も伝手も、大した地位も無い。だからこそ、自分に出来ることに自信を持ち、できる限りのことをしてやろうと思った矢先に、この男は『自分にならできる』と言い放ったのだ。

 中村にとっては結果的に、医師として誠司に対し劣等と同時に敗北を痛感することになってしまった。

 常人なら致死量とも言える昇圧剤や強心剤を使用し、腹水を逃がすための利尿剤、それと共に排出されてしまうナトリウムの摂取。

 様々な試行錯誤の末、今の鈴乃がある。助けたい想いの結果、これが中村にとっての鈴乃の病に対するささやかな抵抗であった。


「とにかく、今の鈴乃ちゃんには危険過ぎます」

「そう思うなら、手伝ってくれないか。アンタの助言も欲しい。正直、俺と親父でも手にあまる。少なくとも今より悪い状況にはならないだろう」

 

 家族の臓器の移植。中村も考えていなかった訳ではない。既に数年前、一度だけ家族から血を採取し、血液型、HLA(免疫抗原)の適合も調べている。適合性が低いとレシピエント(被移植者)の免疫反応が起こりやすい。だが、他人同士のミスマッチゼロは数万人に一人と言われている。

 忍は鈴乃にとって、その数万人に一人の逸材だった。だが、成功率が究めて低い手術に対し、忍にそんな重荷を背負わせることは酷な話だ。

 第一、肝心の心臓が手に入らなければ部分移植など論外だ。近年、子供へのVASが許可されたとはいえ、今の鈴乃が手術に耐えきれるとは思えない。


「よくも、そんな事を……今の貴方は、子供達が慕っていた男とはとても思えない」

 

 その問いに、誠司は答えなかった。ただ、今やらなければならないこと、やらざるを得ないことは、お互いが理解している。それでも中村が納得ができないことは仕方が無い。親のコネクションを使い、捨てた道へ恥を知らずに舞い戻り、忍にまでリスクを背負わせようとしている。中村や他の医師達が見てきたであろう、数々の現実や焦燥感を知らぬまま、突然この男は一線を越えてきた。


「あなたが、そこまでして貫きたいものは何だと言うのですか。異常ですよ」

「傲慢は自覚している、それでも、覚悟はある」


 誠司の瞳に曇りは無かった。狂気とも取れる傲慢な正義感は、中村から見ても鬼気迫るものだった。だが、狂っていると思いつつも、中村はそれ以上の反論はしなかった。


「一応、資料は提示します。あとは患者さんと、御家族の意向を尊重してあげてください。警察へは、私から連絡しておきます」


 誠司に一礼した中村は納得しきれない、やりきれないといった感情を抑えながら、喫煙室をあとにした。


「理解しているよ、中村先生……でも、もう決めたことだ」


 フーっと、溜め込んだ何かを捨てるように、勢いよく紫煙を吐く。その行為は、中村に図星を突かれた事実を認めることと、忍達と過ごしてきたホームレスの自分との決別を表す儀式だった。


―※―


 ある小さな田舎町に少年がいた。

 外科医者である父、自宅で診療所を営む内科医の母が与えてくれた愛情と裕福な生活。少年が物心ついた時から、父は国内外を飛び回り、なかなか家には戻れなかった。だが、いつも母は言っていた。「お父さんは私達と、患者さんのために頑張っている」と。

 少年はその言葉を素直に受け止め父を敬った。そうすることで、休日に父がいない寂しさを、幼いながら誇りとして考えていた。

 戻れないと言っても、父は一ヶ月に一度は必ず家に戻っていたし特に不満も無かった。


 中学卒業間近、少年は父の勧めで医者を目指すことにした。誰かのために役立つ仕事、命を救う父と、同じ使命を実感したかった。


「何事もベストを尽くせ」


 それが父の口癖だ。一生懸命やって、他人に認められなくとも、自分の満足の行く結果を出せ。と言う意味だったのかもしれない。

 だが、少年は他人に認められるナンバーワンに成りたかった。そしてその結果、彼はナンバーワンに成った。いや、気が付いたら成っていた。


 医大を首席で卒業し、研修医と成ったが、時々父の助手を勤め、彼の監督の下、何度か手術も実践した。その技術と才能は熟練の外科医の父でも目を見張るものがあった。

 基本的に外科手術の方法は確立しており、医師の差というものは大してある訳ではない。強いて言えることは経験値だ。現在の医療は、技法をより効率良く行うための試行錯誤、優れた医療機器の開発が重視されていることが実状であるため、技術と経験があれば極論ではあるが誰にでもできる。

 彼が天才と言われたのは、経験を積まずに、技法と機器を完璧に操り、多くの困難な手術をやって除けたことだ。しかし、彼にとって、それは模型を組み立てている行為に等しかった。

 何故、技法や道具が揃っているのに、こんな簡単なことで誉められるのか。少年は理解できなかった。

 

 ある日の深夜、少年は緊急搬送されてきた十五歳の少女と出会った。自殺未遂だった。腹部を刃物で刺しており、出血も酷い。父やベテラン医師が居ない中、独断ではあったが、すぐに手術をすると決意した。まだ研修医ではあったが、そんなことは関係ない。

「大丈夫、ちゃんと直す」と言葉だけで励まし、それを聞いた少女は、血の泡を吐きながら少年に一言だけ告げた。

 当然のように手術は成功した。だが三日後、少女は病院の屋上から飛び降りた。遺書はすぐに見つかった。理由は義父からの虐待と妊娠だった。


 妊娠していることは手術の時点で知っていた。それでも自分には少女を助ける自信があった。確かに、腹部の傷からは救うことができた。だが、それだけだ……。


『もう、殺して……』

 

 彼女が手術の間際に告げた言葉はそれだけだった。傷の痛みから思わず吐いた言葉だろうと、意味をくみ取らずに受け流していた。

 少年は手術後、少女に一度も会うことは無かった。会おうとも思わなかった。命を助けた。それは当たり前で、少年には簡単なことだった。本当に簡単な手術だった。いつも通りに組み立てて見せた。だが、突然理解した。自分が簡単にできて、他者ができなかった理由。それは自分が天才だからではない。

 

 一瞬の揺らぎが、今までの全てを間欠泉のように吹き出させた。他の医師達は、命を繋ごうとしていた。糸を使って肉を縫合しようとしていた訳ではない。命にメスを入れ、尊い命を繋ぐ。慎重に慎重を重ねた経験を繰り返していたのだ。それに比べ、自分は確立された方法と技法、道具、患者を用意された部品や材料としか手術を見ていなかった。模型を組み立てていただけだった。

 初めて、自分がして来たことが、どれだけ大それた危険な行為かを実感した。


「ベストを尽くせ」


 父の言葉が反芻する。ベストを尽くしたことなど一度も無かった。患者を本当に理解していなかった。医者は技術屋だ。人生にまで踏み込む必要はない。だが命は別だ。彼はその命とすら向き合ったことは皆無だった。

 助けるべきではなかった。いや、助けたのは正解だ。その後のことなど医者の知ったことではない。命を助けたからと言って、患者の人生や生活まで面倒を見ることなど不可能だ。当たり前だ。赤の他人だ。所詮は他人事だ。

 医者とはそう言う職業。綺麗事を並べても、特に外科医など技術屋の枠からは抜け出せない。

 神でも、仏でもない。結論から言えば、命と肉体という部品を組み立てる職業だ。患者はその作品、結果に過ぎない。

 だが、その考えに到達することは歪み捻れた一部の者だけだ。命を商売とする因果な職。少年は、最初からその結果に行き着いていた。

 

『せめて彼女に一目でも会って、あの言葉の意味を問うことくらいはできなかったのか? 何故しなかった。できたはずなのに、彼女の最後の叫びを聞いたのは自分だけだったはずなのに』

 

 全てを軽んじていた自己嫌悪が心を支配する。自分は大した人間ではない。助けた人間のことなど、本当は一瞬だって考えたことがない。父に言われるままに済ませてきた。敷かれたレールを走っていた。それで納得していた。自分の責任など感じたことは無い。自分への責任を取ることができない。


「ここには、もう居られない」

 

 矮小な自分にとって最後に残った、たった一つの希望と夢を握り締め彼は逃げた。


―※―


 忍の家を出て二日後のことだった。誠司は群馬と長野の県境にある、小さな町の古い診療所の前に立っていた。

 小高い丘の上にある平屋建ての一軒家。壁には植物のツタが絡み、塗装もあちこち剥げている。屋根もコケが生え、何年も手入れがされていない様子だ。

 周りには山と田畑、昔ながらのかやぶき屋根の家もあれば、コンクリートの新築の家もまばらに見える。目を凝らして畑の奥へ目をやると、大手の巨大モールや各商店も並んでいるようだ。


「この辺りも、便利になってきたな」


 感心と同時に、寂しさが込められた呟きのあと、誠司は診療所のドアを開けた。


「ただいま……」


 そこは、誠司の実家だった。

終わりも近づいて来ました。

思っていたより長期の連載になりましたが、馴れないネット小説の書き方の練習ができたことは良い経験になったと思います。

もう少し、おつきあい頂けましたら幸いです。

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