当たり前のわがまま 3
―※―
「ったく、青い顔してぼーっとしてるから何だと思ったぞ」
忍は店長に連れられ、近くの喫茶店で茶を飲むことになった。
商店街から細い路地に入った隠れ家のようなそこは、アンティークのオルゴールや球体関節人形のアンティークドールなどが置かれ、ステンドグラスが嵌められた洋風の店だった。
本格的な西洋風の茶屋をイメージしているのか、何となく厳かで静謐な雰囲気を醸し出している。
「ドナーね、そりゃ困ったな」
テーブル席に腰掛け、アイスコーヒーのグラスが水滴を浮かばせ始めたころ、鈴乃が行方不明であることを伏せ、ある程度の事情だけを話した後、寡黙に徹した忍に対し店長が口火を切った。
「まあ、お前の体だ。どうするかは自分で決めるんだな、どっちにしても後悔が残るかもしれないが」
「鈴乃を助けろっては、言わないんですね」
少し意外な語りかけに、忍は聞き返した。
「正直に言うと、俺にそんなことを言える資格は無い。と、言うよりも、人のことで、自分の言葉に責任が取れない。と言った方が正しいかもな」
「どういうことですか」
「プライベートだが、少しばかり自分の話しをさせて貰うぞ」
サングラスをはずした店長が、その視線を忍の瞳に向けた。
「俺は、もうすぐ店長じゃなくなる」
突然の報告に忍は息を飲んだ。物心ついたときから、店長は店長だった。両親とは昔なじみだったようで、忍からしてみたらもう一人の父のような存在とも言える。
「田舎のお袋が倒れてな。かみさんと子供を連れて帰ることにした」
「でも仕事が・・・・・・それに、子供が小学生じゃ転校とかも」
「ああ、まったく、馬鹿な決断をしたと思うよ。この就職氷河期に、しかも妻子持ちで田舎で再就職活動だ。親の介護といい、そろろそ自分の老後の年金の心配もしないといけないってのにな、子供の塾の費用とかどうすんだとか、色々考えたら死ぬほど怖いぞ」
頭を抱えながら、店長が苦悩の声を上げた。だが・・・・・・。
「それでも、自分で決めたことだ。かみさんも賛成してくれたし、自分で言ったことと、その行動に責任を取りたいだけだよ。結婚したことも、子供を作ったことも、これから親の面倒を見るって言うのも、全部ひっくるめて自分が決めたことで、誰のせいでも無いと言いたいだけだ。そう思えば、誰も責めたり、恨んだりすることは無いだろ?」
重い言葉とは裏腹に、少しだけ楽しそうな店長の笑顔が少し眩しかった。
「でも、店長がいなくなったら俺は、寂しい・・・・・・」
「嬉しいこと言ってくれるな。そりゃ俺も寂しいさ。だがな、これは俺の門出だと思って送ってやってくれよ」
「そんな気分じゃ・・・・・・」
「俺が居ないことも、その内馴れるさ。変わり行く環境の変化に対応するのも、人生には必要不可欠だからな。こう言うことは、若い内から沢山経験した方が良い」
「なんか、クサイセリフですね」
「うるせーやい。忍・・・とにかく、例え人に恨まれ後悔したとしても、他人のせいにするような選択だけは避けろ。きっとそれは、一生引きずる枷になるだろうからな。今の俺に言えることはそれだけだ」
照れくさそうに頬を掻きながら、店長は言い切った。
だが、今の忍に店長の言葉を素直に受け入れることはできなかった。
(もう、遅い)
忍の環境は既に、店長の語る選択や考えの外にあった。羨望に値する男の言葉が唯々辛いだけだ。
(後悔? するに決まっているじゃないか。こんなことを語るなら、母さんと父さんを知っているアンタが、なんでもっと前に二人に言ってくれなかったんだ!)
忍は理解していた。これは逆恨みだ。店長は正しい。自分を励まそうとしてくれている。自分に決めろと言ってくれている。
今までの忍は決めさせてもらえなかった。だからこそ、今のこの気持ちに困惑する。
自分が決めるリスク。恐怖、絶望、不安。その先にある希望。今の忍にはその希望が具体的に見いだせない。創造が出来ない。
そう言う言葉や考えが心の底で揺らぐ。その先に続くモノが何であるのか、忍にはまだ、辿り着くことができない。それでも・・・・・・。
「アイツを探すか・・・・・・」
店長に聞こえないよう、ぼそりと呟いた。
―※―
時間は午後四時を回り、六月の終わりの生暖かい風が一層不吉な予感をさせる。
「どうするの! ねえ、どうするのよ!」
鈴乃の病室の中、未だに恐慌状態の和子が、稔の腕を掴み泣き叫んでいる。
鈴乃が消えて既に六時間近い。もしかしたら、見つかったかもしれないと、忍も病室に戻るが事態は変わっていなかった。
忍達だけでなく、数十人の病院の関係者も付近を捜索したが、鈴乃を見つけることはできなかった。
「ここまで来たら、警察に任せるしかないか」
様子を見に来た誠司が、躊躇いながらそう呟く。
「警察なんて冗談じゃないわ。鈴乃がびっくりして心臓麻痺でも起こしたらどうするの! 前に居なくなった時も、気を遣って呼ばなかったのに!」
涙を流し鼻を啜り、和子は荒唐無稽な言葉で喚き散らす。
支離滅裂な苦境の叫び。忍は見聞きに堪えない母の姿を前にし眉間にしわを寄せる。そんな中、誠司は稔へ視線を向けそっと首を振った。稔もその意を察してか、賛同するように静かに頷く。
それは、警察へ通報すると言う確認だった。
「面談室を待機所に使用できますので、皆さんはしばらく休んでください。私はもう一度心当たりのある場所へ連絡を取ってみます」
冷静に状況を見極め、率先して行動する中村が少し頼もしく思えたのが悔しかった。
「俺は少しタバコを吸ってから探しに出るよ」
そう言って誠司は白衣のポケットに手を入れ、喫煙室へ歩みを進ませると、中村も稔と和子を一瞥し同じ方向へと歩いて行った。
残された四人に、重い沈黙が襲いかかる。
和子は稔の胸で泣きじゃくり、稔は駄々を捏ねる子供をあやすように、和子の肩をさすり続け、アキラはその様子を不機嫌そうに眺めている。
忍は何もできない歯痒さから、その場から消えたくなった。
「ちょっと、ジュース買ってくる」
とにかく、動くことで気を紛らわすことにした。何かをしなければと言う衝動が、気が狂いそうな頭より早く体に命令する。
自動販売機は外来ロビーの手前にある。誠司と中村を追う形となるので少し気まずかったが、形振り構ってはいられなかった。
―※―
「どうしてなの? どうして、鈴乃はいなくなったの? 私に何が不満だったの? あれだけ愛情を向けて大切に育ったのに、あんなに可愛がったのに。私の一番の宝物なのに!」
忍が出て行った直後、和子がぽつぽつと漏らし始めた。
「大体、どうして忍は出て行ったの、どうしてジュースを買ってくるなのよ。普通なら、兄妹なら、鈴乃を探しに行くくらい言うでしょ、ねえ、あの子の頭おかしいんじゃ無いの? まるで鈴乃に無関心で、鈴乃のことちっとも理解しなくて、一体、あの子は鈴乃を何だと思ってるのよ! 解らない。私、あの子が全然理解出来ないわ!」
稔の胸ぐらを掴み、当たり所の無いその問いを吐露し続ける和子だったが、稔はまともな回答を提示できなかった。
「忍だって、動揺しているんだ、母さんも落ち着きなさい」
「落ち着け? 何を落ち着いていられるのよ! 元はと言えば、忍が鈴乃を匿ってたことが原因じゃ無い。すぐに連絡をくれればこんなことにはならなかった。私や中村先生のところにいれば、安全だったのにこんなことになるなんて、お腹に水が溜るなんてことなかったのに!」
「まるで、全部が忍のせいって言いたげね」
壁に背を預け、今まで黙っていたアキラが、和子に冷たい口調で続けた。
「全然、忍の気持ちを分かってないじゃない。自分の理想だけしか見えていない。私も他人のこと言えないけど、それでもここまでは成りたくないわ」
「何よ、あなた、大人に対してそんな・・・・・・余計なお世話よ! 子供のくせに知ったような口を聞かないで! 大体、あなたもホームレスでしょ! 汚らしい。さっさとご両親のところへ帰りなさい。できないなら、役所に連絡して――」
携帯電話を取りだし、ヒステリーを起こし叫く和子に、アキラの静かな怒りは沸点を超えた。
大股で歩き出し、アキラが右手上げた直後、和子の頬が渇いた音を立てた。
「痛い・・・なんで、なんで私が叩かれないといけないの!」
「この、毒親! モンペ! 忍を何だと思ってんのよ! 忍はずっと鈴乃のこと考えてたわよ! どうしてアンタが理解してあげないの? 鈴乃を忍の悪者にしたのはアンタじゃない! 大体、鈴乃を匿うって言ったのはアタシ・・・ううん。私を責めれば良いじゃない! 家出でも誘拐でも、何でも良いわよ。好きにしたら? 私はまた鈴乃を探しに行くから、アンタはここで泣いて、心配してるフリで自分のことだけ考えて、何もやらずに旦那さんに慰めて貰ったら? ベッドもあるし、欲求不満も解消できて丁度良いでしょ。少しは落ち着くかもよ。久しぶりに夫婦仲のコミュニケーションとってみたら、三人目は元気な子が生まれると良いわね」
イヤミとゲスな物言いだった。だが、アキラに迷いは無い。ここだけは引けなかった。
「なんてことを言うの、この、クソガキ!」
今度は立ち上がり様に和子が、アキラの左の頬を叩いた。
「これで、アイコでしょ。それとも、片方も叩いてみる」
和子を挑発するように、今度は右頬を差し向ける。
反射的に左手を挙げる和子だったが、その手が振り下ろされることは無かった。
「母さん、もう良いだろう。君もそれなりのことを彼女に言った」
和子の腕を掴んだ稔が、静かに言い聞かせた。
「アキラさんだったね、本当に失礼をした。見ての通り、妻もまともに話せる状態じゃない。ここは席を外してくれないか?」
穏やかな目をした優しい口調の稔に、鈴乃にも少し罪悪感が過ぎり視線を床へ向けた。
「こっちも失礼なことを言って御免なさい。でも、忍は・・・・・・」
アキラはそれ以上続けられなかった。理解している、所詮は他人事だ。知った風な口を言えるほど彼らを語れるのか。
そんなアキラを察してか、稔が和子の手を離し深々と頭を下げた。
「鈴乃を、よろしく頼みます」
その時点で、アキラは本当に何も言えなくなった。
「大人って卑怯よ。そんなこと言われて、何も言えるはず無いじゃない」
振り上げた拳の向かう先を失ない、踵を返したアキラが、乱暴にドアをスライドさせ病室を後にした。




