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家庭内ホームレス  作者: とららん
第五章 当たり前のわがまま
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当たり前のわがまま 1

 物心ついた時から、私はそこにいた。

 消毒薬の匂いに包まれたロビー、走り回る子供達と、浮かない顔をする母親達。

 ここは小児科の総合病院だ。院の敷地内には養護学校も完備され私はそこの中学を卒業した。

 小学校は途中から普通の学校に通っていたけど、保護者の付き添いが市や学校から出された条件だった。色々取り繕っていたが、結局、大人は責任を取りたくなかったのだ。

 

 不自然な光景だった。授業中も、学校行事の中も私だけ母と一緒だった。子供の中の社会は、既に崩壊していた。私は他とは違う。と改めて実感させられた。

 障害を持って生まれたことは、心情的には健常者が思っているほど辛くはない。なぜなら、一般的な健常者の健康、丈夫な体という物を知ることはできないのだから比べようがない。その事実より、普通の子供と違う扱いをされる実状の方が辛かった。


 教育の現場での監督責任、両親の普通の学校に通わせたいという希望。しかし、そんなことは同年代の他の子供に関係のない話であり、私は特別扱いされている子供と言うように見られていたのだと思う。

 大人が思うほど、子供は優しくはない。学校という集団生活の輪の中で、私という存在はその環境に適合できないものだ。


 私は既にクラスメイト達との交流を、同じクラスの人というだけで留めていた。なぜなら私の友人達は、私よりも十歳以上年上の看護師達であり、周りの同級生の行動は、子供くさくて低レベルに感じ、やっていることが馬鹿馬鹿しく思えた。

 母の言い分では、私の考えは大人なのだそうだ。

 大人の中で大人になった子供。それが他人と違うということが誇らしかった。

 

 私は私の好きなように生きたし、学んだ。私は特別なのだ。幾多の死線を越え、命を掴んで大事にされる。私は同級生の子供達とは違う。これは無自覚ではあるが、ある種の特権を持った優越や悦楽なのかも知れない。

 しかし、私の知らない内に私を見る兄の目はクラスメイトの子供達のように、とても冷ややかになっていた。兄は私とは違っていた。普通の子供の考えを持った少年だった。普通であることで、人との触合いを大事にしたかったのかもしれない。


 いつの間にか兄は私の兄だと言う理由で、何の関係もない初対面の下級生からも後ろ指を指されるようになり、いつしか仲の良かった友人も兄から離れて行った。

 かつて母は私に人と比べることなくオンリーワンであれば良いと言った。でも、それは実際、現実からの逃避と否定だ。

 スタートが同じならばそれでも良いのかもしれない。しかし、私は生まれた時からマイナスだ。人は社会に適応するために人の中で学び、人の中での生き方を見つける。

 マイナスをゼロにする機会も与えられず、私は中学二年生で入院を機に養護学校へ戻った。体調不良が原因だったが、端から見えればなじめない学校からの逃避だった。私自身もそう思う。

 そして、兄だけが残された……そう言った意味では、兄も私が生まれた瞬間に、マイナスの因果に巻き込まれてしまったのだ。

 私がいなくなったあとも、ずっと陰口をたたかれていたらしいことは後から知った。


 通信制の高校に入学する頃には、同学年、同世代の患者は別の病院に移っていた。

 いつの間にか、私だけ取り残された。私は本当に一人になった。

 本当に、それで良かったのだろうか? 既に四度の手術を終え、薬による調整で体を維持している状況。手術はできないと宣告されていたが、手術をしなくても良いという安堵もあった。

 同年代の女の子が写ったファッション誌を眺め、不意に自身の環境に嘆いた。

 心臓の病気、完治が不可能な自分の体。背も小学生とあまり変わらない。突然発作的に襲いかかる恐怖。時に叫び、泣き、咆え、枕を投げ、ベッドへ潜り込んだ。


 自分が嫌になり、母に自分は何故生まれてきたのかを聞いてみた。母は私は生きているだけで良いと言った。しかし、もはや自分では納得できる歳ではない。母の言うように、生きているように振る舞うことが、本当に生きていることなのだろうか?

 そんなことが何度か続き、ある日の早朝、私は病院を抜け出した。久しぶりに同級生に会ったが、それは私の生存が受け入れられるものではなかった。ここにも居場所は無かった。

 なら、別人になってしまえば良い。気が付いたら私は髪を染め、右耳にピアスを嵌めていた。


―※―


 誠司が去って五日が経過した。既に、鈴乃の状態は芳しくなく、何とか意識を保っているのがやっとの状態だった。


(これは……何だ?)


 鈴乃の病室の中、忍は無言のまま立ち尽くすことしかできなかった。


(これじゃまるで……)


 見ていたくはなかった。既に忍の見ていられる範疇を超えていた。だが、それは人間だった。冷たいと思われても良い。誰か嘘だと言って欲しい。

 鈴乃のその姿は、弱々しく、か細く、懸命に生きようとしていた人間の姿。だが、身近であればあるほど、その姿は醜かった。

 この水で膨れた腹部は、忍の半生を喰らい育ち生み出された結果。髑髏に皮を覆ったような顔。そこに嵌まった瞳は大きく見開いている。『怪物』と脳裏を過ぎった時、忍は自分を嫌悪した。だが、一瞬しかめた顔が、いつの間にか、優しくほころんでいた。


「じゃあ、また、アキラと来るから。その、絶対、明日来るから待っててな」


 精一杯の言葉だった。すぐに逃げ出したい気持ちだった。しかし、踵を返した瞬間――


「手……」

 

 ベッドに横たわった鈴乃が、事切れるような小さな声で左手を精一杯伸ばした。

 棒切れのようなガリガリの腕、腹水が溜まった腹は妊婦のように膨らみ、足は行き場を無くした水が流れ込みむくんでいる。

 やせ痩けた頬、目が蛙のように大きく飛び出ているが、改めてそれは間違いなく忍の妹、鈴乃だと認識する。

 右腕には何本も点滴の管を通され、自由が利かない。

 意識も朦朧としているのか、視線は焦点が合っていないように思えた。

 

 もう、見ていたくはなかった。正直、恐ろしかった。だが、伸ばされた手に思わず触れた時、忍は気が付くと簡易椅子に座り、彼女の顔に微笑みをかけていた。


「あったかい……」


「そうか……」


 重度の心疾患を持った妹が、こうなることは昔から言われていたことだ。血圧も四十で安定していたこと自体が奇跡でもある。既に死に体でありながら、十五年間よく保ったと、医師達が度肝を抜いていた。

 過去に四度の手術に耐えた鈴乃は彼らには、貴重な研究、記録資料であり、両親にとっては大事な娘という盲目的な考えで鈴乃を無理矢理『生』へと結び付けていた。


 そして、先月行われた六度目の手術が最後となっただろう。いつの頃からだろう、彼女は忍にとって憎むべき対象だった。

 高校受験の時に、親が鈴乃の手術のことで頭が回らなくなり、志望した学校の試験にすら行かせて貰えなかった時だろうか。

 中学時代、身体障害者の妹を持ったことで、好きな女の子に振られた時か。

 小学校の時に、見ず知らずの下級生から鈴乃のことで、後ろ指をさされた時なのか。

 それ以前に、病棟のガラスドアの向こうに去って行く母親を、何時間も待ち続けた時かもしれない。原因は数え切れない程ある。自分にとって、鈴乃が生まれたこと事態、最大のマイナスであることは否定できなかった。


「なあ、鈴乃。お前のライブ見に、兄ちゃん会場に行ったんだぞ」


「うん」


「それでな、お前がピアノちゃんと弾けるか心配だった」


「うん」


 忍は葛藤していた。死んでしまえと言う心と、死ぬなと妹を励ます言葉。拮抗した相反する感情は、不思議と忍を落ち着かせた。


「今度はもっと時間を掛けて練習して」

(お前はもう弾けない)

「それと、お前が焼いてくれたグラタンは絶品だった。店ができるぞきっと」

(誰が、お前の食い物などありがたがるか)

「ステージのある店を作って、お前とアキラと誠司でワンマンライブをやってみたらどうだ? 絶対売れるって」

(お前にはもう何もない)

「だから……」

(だから……)

 

 思ってもいない言葉が口からスラスラと出た。だが、その言葉に偽りは無かった。感情と心、二つが分離している気分だ。


「鈴乃……」

 

 自分が次に口にしなければならない言葉が出せなかった。出してしまえば、きっと自分は今までの自分とは違うものになってしまう。今までの自分を否定してしまう。その言葉だけはどうしても言えなかった。恐ろしかったのだ。そして、言ってしまったら、きっと自分は鈴乃との関係を後悔なく清算させてしまえるだろう。それを言ってしまえば、きっと鈴乃は戻ってこない。もう、二度と……。


「あにぃ……」


 鈴乃の左手を両手で被い、いつしか()()に祈っていた。妹の声がいつになく柔らかだった。


「暖かい……」


「あ、ああ、そうか……」


(俺はバカヤローだ)


 神に祈った訳じゃない。たった一言が言えない自分の失望。お互い、今生の別れであろうと予感し、忍は妹に懺悔した。


「バイバイ」


 静かに腕を引き、鈴乃がゆっくりと手を振って見せた。


「ああ、絶対にまた来るからな。明日、絶対、だから待ってろよ」


 別れを切り出したのは、鈴乃の方だった。きっと、自分が言おうとしていた言葉を、鈴乃は聞きたくなかったのだろうか。これで終わりだ。今、終わった。終わってしまった。


 簡易椅子から立ち上がり、忍が手を振ろうとした瞬間――


「忍!」


 勢い良くスライドドアが開き、アキラが弾けるように飛び込んできた。


「誠司が戻って来て、偉いお医者さんが鈴乃の手術をしてくれるって! 中村先生は無理だって言ってたけど、できるって!」


 アキラが中村に鈴乃の手術を何度も頼んでいたことは知っていた。だが、1%でも可能性があるなら希望に賭けてみようと言う精神論ばかりの説得だった。

 具体的な案も無いまま、そんなことを容認する医師は居ない。「全力を尽くす」と言う曖昧な言葉に何度も言いくるめられるだけだったが、希望が見えた彼女の喜びは、天地が引っ繰り返るほどの出来事だった。


「本当にできるのか?」と、忍が驚きのあまり、顔を引きつらせた。

「今、おじさんとおばさんと、中村先生と五人で話してるよ。アタシ達も聞きに行こう」


 興奮したアキラが忍の腕を掴み、扉をスライドさせた。勢いで端にぶつかる扉の音が大きく鳴り響いたがどうでもよかった。鈴乃が助かる。それ以外どうでも良い。

 病室から飛び出す瞬間、鈴乃の表情を確認しようと振り向くと、鈴乃は少し寂しそうな、複雑な作り笑いを浮かべていた。

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