すれ違いホームレス 2
―※―
どこを、どう彷徨ったのか分からない。
気がついたら線路の下に設けられた地下道にダンボールを敷き、忍は横になっていた。顔が見られないよう、ダンボールの端で陰を作り頭を隠す。
空腹で目眩がして気怠い。何日も地下に居たため、昼なのか夜なのか分からない。
携帯電話のバッテリーが切れて久しい。使用しなければ三日は持つが、それだけの時間が経ったと言うことだけは認識できた。手持ちの金も底を尽き、カップ麺と菓子パンが、如何に高価な金額で売買されているのか理解する。
空腹よりも喉の渇きが酷い。
もう、店長から弁当を恵んでもらえない。どんな顔をすれば良いのか分からない。
アキラも誠司も、将来の夢を掴むために、鈴乃との時間が大事なはずだ。結局、鈴乃は何もしなくても、全てが与えられた。
忍が持っていた聖域、時間、関係。その全ては、鈴乃を生かすための供物に過ぎない。
両親は、自分を探してくれているだろうか。いや、放任主義と言って本当に放任している親だ。今更、息子に何を期待しているのだろうか。
鈴乃が居れば良いのだ。忍の他人の認識、評価は鈴乃が中心になってしまっていた。これは一種の刷り込みであり呪いだ。
鈴乃のため、両親のため、そうしなければ愛してもらえない。忍は自身が愛してもらっているという実感を得たことが無い。
鈴原鈴乃という人物の兄というパーツでしかない。それが嫌で、鈴乃を避けていた。だが、結果はどうだ。今の自分は、見窄らしいダンボールのベッドが最後の財産となった。
もういっそ、このままでいるのも悪くない。半生が奪われ続けるだけの生。本当に何も無い。だが、果たしてそうだろうか? 何かを忘れている気がする。空になった財布を探り、忍は一枚の紙切れを取り出した。
それは、自分が手にし、自身のための生存方法を記した覚え書き。
「死ななくて済む」
悔しさと嬉しさで、涙が溢れた。過去の自分は、今の自分を救ってくれたのだ。
―※―
既に河川敷の公園には、ホームレスの長蛇の列がジグザグに並んでいた。
本日は週二回の炊き出しだ。献立は素麺のぶっかけ丼とおむすび。七月も近い暑い時期、火照った体にはありがたい食物ではある。
「本当にありがたい」
炊き出しの列の中間付近で忍は空を仰ぎ、素直に思ったことを口にした。
家を出て約二週間は経過していた。最初は一人で荒れて、当てもなく町中を徘徊していたが、行き着いた先は隣町の河川敷の公園だった。
切っ掛けとなったのは、財布の中に残されていた炊き出しの場所と時刻だった。最初は空腹から最寄りの場所に通ったが、自分を探す誠司やアキラを見つけ逃げ出した。その後は人伝いに新たな炊き出しの場所を聞いて周り、落ち着いたのがこの場所だ。
公園の端の藪の中で、穴が開いて捨てられたビニールのドームテントを張り、空き缶拾いも別のホームレスを通して売買し、一日百円から二百円の収入を得る。
駅前のティッシュ配りの手伝いもした。もっとも、これはバイトをサボっていた見ず知らずの男に声をかけ、少々の収入を頂いただけだったが、それでも三百円は手に入った。
炊き出しのために、遠出もするようになった。移動用の自転車を自宅から持ち出したおかげで、今はほぼ毎日二食はありつける。
(何だ。生きていけるじゃん)
生きるだけなんて簡単なものだ。始めから、手に入らないモノを求めても仕方が無い。
捨ててしまえば、諦めてしまえば良い。『生きているだけで良い』両親は鈴乃をそう定義していた。
(そうか、人間は生きているだけで良いんだ)
目の前が明るくなった。このままホームレスとして生きて行くのも悪くない。最悪、両親が死んだら保険金や生活保護で良いじゃないか。
前向きであればそれで良い。いずれ、鈴乃は死ぬ。今、死んだモノとしよう。両親も自分のではなく、妹の両親として認識しよう。
『自分はただの忍だ』
アキラが何故ホームレスでありながら、自分の境遇を悲観せず、前向きに生きていられるのか少し理解できた気がする。
アキラはただのアキラで、今までのモノを諦め、前にあるモノを求めている。忍の心は今までにないほど晴れやかだった。
学校、両親、妹、自分から去た友人達。全て諦めて、最初から頭を切り換えよう。自分は、生きているだけで良い。
今が良ければ良い。もうすぐ、自分の番になる。食事を摂ることがこんなに楽しみだとは思わなかった。小さな幸せを糧に一日を生きる。それで良いじゃないか。
ホームレス。全てのしがらみから解き放たれたその言葉は、ありもしない家族の絆にすがり、惨めだった家庭内での自分の立場から考えれば、誇らしくさえ思える。
いよいよ、忍の番になったその時――
「兄貴!」
後方から聞こえた声に、忍は度肝を抜かれた。だが振り返らない。無言のまま、素麺とおむすびを手に取り、さっさとテントへ向かう。
「なにやってんの、兄貴らしくないよ。みんな心配してたんだよ」
後ろを付いて来る女の声が耳障りだった。
「お前に何が分かるんだ? 年に数度しか会わない俺の何が分かる。俺らしくない? ふざけるな」
「いい加減にしてよ兄貴! そんなに私が嫌いなのかよ!」
「嫌いだね。ってか、もう、興味ないんだよ。おめでとう、父さんも母さんもお前のものだ」
自分の意志ではどうにもならないほど、捲し立てる忍の言葉は、迷いもなく流るように発せられた。
「お前は勝手だ。自分のことは兄貴に関係ないとか言いならが、お前には関係のないことで・・・お前に口出しされる謂われなんか今の俺にはない! お前から拒絶しておいて、何だよその言いぐさ、馬鹿馬鹿しいにもほどがある」
確かに、鈴乃から拒絶の言葉を発していたのは事実だ。忍はそれを肯定した。そのことで不満を漏らされる理由はない。だが……。
「どうして……どうして兄妹なのに、こうなっちゃうんだよ!」
微かに嗚咽が聞こえた。だが、そんなことは関係ない。傷付けられて来たのはこっちだ。もう、気にせずに堂々としていれば良い。自分の人生には関係のないことだ。
「なに泣いてんの? キモイんだよお前。お前、俺のなんなの? 生きてて俺に何かメリットになることしたの? 俺の人生を何だと思ってんの? 振り回すだけ振り回して、切羽詰まると妹役か? うざいんだよ」
小気味が良かった。胸の中の鬱憤が全て洗い流された。もう、体裁など考えない。最初からこうしていれば、悩み、苦しまずに済んだ。勝利はすぐ近くにあった。
「どうして、こうなっちゃんだよ……これじゃ……兄妹になれないじゃない!」
カラカラと、酸素ボンベを運ぶキャリーの車輪音が遠ざかる。
(やっと消えたか)と、安堵し、テントの中で素麺とおむすびを口に押し込むが、あまり味がしなかった。薄味という訳ではない。不味い訳ではない。ただ、美味いという感覚がぼやけていた。
「また、この味か……やっぱり、まずいって言うんだろうなこう言うの」
「当たり前じゃん。アンタ死人なんだから」
耳を突いた高い声が聞こえたと同時に、テント内の天地が逆転し、忍は顔面から天井へ顔を叩き落とされた。
一瞬の出来事に声を上げることもできず、思わず口元に手を置く。
鼻血が出る。唇も切った。顔面が鈍い痛みを覚え、背筋がテント越しから向けられる鋭く、冷たい視線に射貫かれた気分になる。
「こんなとこで腐って、生きてるフリ? 久しぶりに見たわ、アンタみたいな根性無しのろくでなし」
振り向くと、予想通りの相手がそこにいた。もちろんアキラだ。テントの破れた隙間から見える、ヒラヒラのレースで飾られた黒い服、太股まで隠したニーソックスと厚底のロングブーツ、紅黒のロングヘアーは豪奢にアップにされ、縦に捲かれている。
真っ白に塗られた肌の上に、シャドウで大きく縁取られた瞳は、いつもの何倍も大きく見えた。
「何だよ。それ、お化け?」
「誠司のツテで借りたゴスロリ風ステージ衣装。様子見て帰るつもりだったけど、気が変わった」
アキラの手がジッパーで閉ざされたテントを開き、忍の住まいへと侵入した。
一人用のテントに二人は正直辛いが、今の忍にはアキラを追い出す余力は無かった。とりあえず、鼻血を止めようと、仕事道具のティッシュのあまりを鼻の穴に押し込む。
「久しぶりに顔を会わせてコレか?」
「アンタこそ、妹によくあんなこと言えたわね。このドS」
「何で俺がSなんだよ。大体アイツが勝手に来て勝手に泣いてっただけだろ。泣きたいのはこっちだってのに。アイツこそMっ気あるんじゃないか?」
「そうだよ。鈴乃は普通にMだよ」
「マジかよ!」と驚きで悪寒が背筋を走った。
「嘘だよ。でも、前にも言ったでしょ、鈴乃がアンタに甘えたいのは本当なんじゃないの?」
そう呟いたアキラは腕を組み、怒りを露わにした。
忍は即答しなかったが「クソ喰らいだ」と否定した。
アキラも「あっそ」と無機的に返えす。烈火のごとく殴り掛かってくるのではと身構えていたが、逆に意表を突かれ、胸を鷲掴みにされた気分になる。
ゆっくりと、狭いテントを出たアキラが、入り口の前で一枚の紙切れを置いた。
「明日の夕方五時、ショッピングモールのヤマト楽器のスタジオで、アタシ達は演奏する」
ヤマト楽器店という名を聞いた忍は、口を振るわせながら返答した。
「お前達は夢に向かって一直線か。運が良ければプロデビュー、それが叶わないまでも、やる気があればインディーズでCDデビューできるかもな」
ヤマト楽器は月に一度、レコーディングスタジオを解放して演奏会を開いている。楽器、ジャンルを問わず、参加費、視聴料金は無料。ただし、どちらも予約制のため、飛び入りはできない。
大抵の客は参加者の身内だが、バンド同士の交流や情報交換も魅力の一つだ。しかし、それ以上に引かれるものがある。
道楽か、趣味かは知らないが、時々音楽関係者も気分転換で試聴をしに来ると言うことだ。そこからレコード会社やスタジオなどと契約するバンドや、歌手志望、バンドのメンバー集めのために参加したミュージシャンが、声をかけたりすることもある。
「鈴乃はできることや、やりたいことがあるってことを、アンタに見て欲しいんだよ。自分は母親がいなくても、立っていられるって」
「意味が解らない。大体、俺や鈴乃より年下のお前が、よくそんな風に言えるもんだな」
「解るよ。鈴乃もアンタも『私』に似てるから、自分が飼われていると思っている自分に」
「飼われていたって、どういうことだよ」
『飼われていた』と言う言葉に、目の前にいる少女が本当にアキラなのか疑ってしまう。今まで、彼女がそんな言葉を発しただろうか。
忍が何かしらの言葉をかける前に、アキラは公園の中へと歩みを進ませていた。




