すれ違いホームレス 1
気が付いた忍が最初に見たものは、高い天井と広いロビー。受付のプレートが乗せられた机だった。
後ろの窓ガラスから覗いたパトカーを目にするまで、ここが警察署だと気づけなかった。
深夜一時を回り、長椅子の端で小さく俯く。忍は、ここと良く似た場所を知っていた。
「病院じゃ、ないのか……」
安堵で出た一言が、何故か悔しかった。
『お前の妹って、何だ?』『あんな嫌われ者の兄貴で可愛いそうだな』
『お前良い奴なのに、妹のせいで後輩に誤解されるって、完全に被害者じゃん』
過去に自分へ寄せた、心無い同情心が自分を慰めていた。
「お前のせいだ鈴乃…お前さえ生まれてこなければ……」
視界が赤くなり、体中を鈍い痛みが走る。
(これが俺だ。憎い。あの女が、あの化物が。何度死にかけても蘇る女の形をした化物)
自分の半生を喰らい生き続ける怪物。どうして自分がこんな目に遭わなきゃいけない。自分と妹は別の生き物なのに、誰も彼もが鈴乃の兄であることを義務とし、または同視し、責任を押しつける。そんな力も自覚も、有りはしないのに。
(アイツガイナケレバオレハシアワセダッタ)
固く握った拳に、そっと手を添えられたのは、そう思った直後だった。
「帰ろう。忍」
顔を上げると、笑っているのか、悲しんでいるのか、複雑な表情の誠司が立っていた。
「いつから居たんだよ」
「今さっきだ。気が付かなかったのか?」
「ああ、そうか、アイツらは?」
「調書を取って帰ったよ。茫然自失のお前の代わりに謝っておいた。被害届は出さないとさ。近くに居た客や店員が話を聞いていたらしい。それに兄貴なら怒って当然だ」
頭に軽く手を置かれ、乱暴になで回される。
「連中も、深い意味は無かった。軽率だったと反省してたよ。悪気は無いだろうから、許してやれよ」
それが誠司が忍に対して、「良くやった」と投げかける意味であることは理解していた。だが、それを受け入れることができない。
「結局、障害者の家族の気持ちなんて、普通の人には分からないってことなのかよ」
「悪い言い方だが、他人事だしな。お前や鈴乃の苦労は、知らないほうが普通だろ。理解しないんじゃない、出来ないんだよ。そんなに邪険にしてやるな」
少し突き放された考え方だが、忍はそれ以上に思うことがあった。
「なあ、誠司」と、忍は静かに問いかけた。
「俺が、アイツらを殺していたら、母さんと父さんは俺を迎えに来てくれたかな?」
馬鹿なことを言うなと、冗談交じりに苦笑する誠司だが、忍は本気だ。
「喧嘩に巻き込まれたのが俺じゃなくて、鈴乃なら、母さんと父さんは来てくれたのか!」
誠司の肩を掴み、力任せに体を揺らす。
「どうして、お前が来たんだ! どうして、母さんと父さんじゃないんだ!」
「両親を呼んだら鈴乃の居場所がバレるだろう。代理人として迎えに来た方が良いと思ったからだ」
突然の忍の変貌に、誠司が慌てて口を滑らせた。
「鈴乃? 鈴乃のためなのか? 奴を庇うために、お前まで俺じゃなく、鈴乃を第一に」
「待て忍。本当に頭でも打ったのか?」
さすがの誠司も険しい表情になり、忍の腕を掴んで引き寄せた。
「いつもこうだ。何があっても鈴乃優先。俺ばかりが貧乏くじ! 俺が兄だって言うだけで、理不尽な責任を押しつけられる。もう限界だ! あの化物! ぶっ殺してやる!」
それは、一つの本音だった。忍にとって、鈴原鈴乃はまさに怪物だ。
両親や友人、遂には忍自身を狂わせ、彼女を快く思わない人間に危害を加えさせた。全て鈴乃のため、心臓に加えた異物により動かされる死体人形のためだ。
「俺の妹はとっくに死んでいる。アレは妹の肉体と機械で動いているバケモ――」
突然振り上げられた拳が、忍の頬を打った。
首が吹き飛ばされそうな衝撃、勢いで体が床へ叩きつけられる。何が起こったのか分からず、忍は動転し過呼吸に陥り息を乱した。
それは普段、好々爺を自負する誠司からは想像も付かない行動だった。
「何を言っているのか、分かっているのか!」
細身の長身が、忍の顔を見下ろす。その表情は怒りなのか、哀しみなのか、それとも両方なのか、唇を横に引き強張ったものだった。
「わかんねーよ。全然わかんねーよ! どうして俺だけこんな目に遭うんだ!」
「忍、いい加減にしろ! お前から変わらなければ、誰も何も変わらない。このまま歩き続けても、俺と同じ道を歩むだけだ。一つだけ教えてやる。お前があの子達に怒りを覚えたのは、お前が鈴乃の『兄』だからだ! 家族だ!」
「またそれか、嫌なんだよ。俺はそれが嫌で嫌でしょうがないんだ!」
「そうだとしたら、鈴乃がお前に関係が無いなら、お前は理由も無く人を殴ったんだぞ」
確かに、殴った理由が無かった。どうしても見つからなかった。激情のまま勝手に激高し、殴りかかっただけだ。
自分自身が分からない。ただ一つ言えることは、鈴乃が原因だと言うことだ。
逃げ場所はどこにも無い。妹と言う重石と兄という鎖が忍を逃さない。だとしても、忍は逃げたい。逃げたい。逃げたいのだ。
誰も自分を理解出来ない、そして、自分も理解出来なくなった。そんな虚無感が忍の心を暗闇に覆い始める。
何も考えられない。忍の心は空っぽだ。立ち上がった瞬間、体が勝手に警察署のドアを押し開き、駆け出していた。
強い雨が降っている。後方からは誠司が何かを叫んでいたが、忍には関係がないことだ。
言葉にならない叫び、頭を振り乱し、前のめりに疾駆する。両腕が藻掻くように空を切る。心と体が既に離れていた。だが、忍の理性は冷たく自分の姿を見つめていた。
無様に泣き叫び、当て所もなく逃げ回る黒い感情。それを解き放ったのは自分自身だ。一種の錯乱状態となった忍は、そのまま眠った町並みの中を、走ることしかできなかった。
鈴乃は、最後の忍の居場所すら奪った。だが、それだけではない。自分の何かが許せない。それは、『兄として』の自分だった。
―※―
雨上がりの快晴は、梅雨の時期を忘れさせるような雲一つない青空を見せている。
ライブへ向けての下準備のため、役割の確認を兼ね、アキラと鈴乃はショッピングモールのフードコートで作戦会議を始めていた。
開店とほぼ同時に入店した二人は、学生服を着用していた。これはアキラの趣味と、制服で町を歩きたいという要望だった。
「うん、やっぱりこのセーラー服も可愛いわね。今度ブレザーも貸してよ」
ポニーテールに結んだ髪を整え、手鏡で確認するアキラの姿は、少し大人っぽいが、一見では普通の学生とかわらない。
「知り合いのお古だけどね。それより、あまり騒がないでよ。地元なんだから」
小声で釘を刺す鈴乃が、プラスチックのカップを差し出す。
「分かってるって。それにしても、忍も誠司も、どこをほっつき歩いてるんだか」
不機嫌そうにストローを噛み締め、アキラはカップを持ち上げた。
昨晩、誠司は携帯電話に出た後、そのまま仕事だと二人に告げて家を出てしまった。忍は全く音沙汰無し。結果だけ言ってしまえば、ライブの準備をするのに気兼ねなく話せると言う意味では、アキラと鈴乃には好都合だ。
「でも、ま、誠司は乗り気じゃ無さそうだから、逆に二人で良かったんじゃない?」
やれやれとアキラが大げさに首を振って見せる。
だが鈴乃は、久しぶりの地元で落ち着かないのか、それとも同級生の顔なじみに会った時の対処を考えているのか、周囲に目を配っていた。
それでも、アキラから見れば取り越し苦労とも言えた。
黒髪で眼鏡の地味な娘が、コンタクトを付け、金髪のショートヘアーに変え、メイクも少し厚めにし、オマケにブレザーも近所では見られない学校の制服を着用しているのだから、簡単には知り合いも気づかないはずだ。
そもそも何着か有るセーラー服もブレザーも、病院の看護師からもらった中学や高校の時の制服だと言っていたし、普通に二人で居れば、学校をサボっている女学生にしか見えないだろう。
「色々決めるなら二人で。って言うのは正解だと思うけど、曲はどうする? アタシ、種類とか疎くて」
気恥ずかしさに頭を掻くアキラに、鈴乃が一枚のプリントを差し出した。
「一応、アップテンポな曲を作ろうと思ってるの。アキラって声高いし。確認するけど、私は電子ピアノで、アキラはボーカル、誠司はギターってことで良いかな?」
「テンション高いのは良いんだけど、作詞が物語仕立てのものがいいな……それだとイメージできて歌いやすそう」
腕を組んだアキラが、差し出された企画書に目を通す。とは言っても、各々の役割と曲のジャンルの候補を書かれただけだが、イメージを膨らませるには十分だった。
「だったら、自分で作詞してよ。私、そこまでの文才はないよ」
やれやれと手を揺らし、鈴乃がお手上げの意思を示す。
それを見たアキラは不意に「あ」っと声を出した。
「今の仕草、忍に似てる」
一瞬、鈴乃が驚いたように背筋を伸ばし息を止めた。
「アイツ、自分じゃどうにもできなくなると、ふて腐れて、ぶっきらぼうになるんだよ」
「ああ、あるある。兄貴は昔からそう言うとこが……って、それって私もってこと?」
「残念ながら」
軽くショックを受けた鈴乃は溜め息を吐いた後、思い付いたように、天井を見上げた。
「兄貴か……アキラ、会場決めちゃおうか?」
突然の鈴乃の意見に、アキラは驚いた。
「ちょっと、無茶言わないで。まだ何にも決まってないじゃない」
「でも、目標と締め切りは決められるでしょ。私には、あまり時間が無いし」
確かに、このまま鈴乃が両親の目から逃れ続けることは不可能だ。どんなに粘って誤魔化しても、二週間前後が限度だろう。正直、忍が居なければ電話に出ることもままならない。警察や両親が上がり込んできたらアウトだ。
「分かった決めよう。すぐに誠司に電話して場所の確保をしなくちゃ。鈴乃はここにいて、公衆電話探して来るから」
「ちょっと待って」アキラが踵を返した瞬間、鈴乃が彼女の肩を掴んだ。
「会場の心当たりがある。すぐに戻って作詞と作曲の作業に入ろう。運が良ければプロのレコード会社の人も来てくれるかもしれない」
プロという言葉に、アキラが反応し「マジで?」と半信半疑で鈴乃の顔を覗いた。
お読み頂きまして、誠にありがとうございます。
前述の通りしばらく別作業との並行作業に入るため、投稿頻度にムラが出てしまうと思いますが、最低でも週一回、できれば二回のペースを維持して最後まで投稿させて頂きます。
ご理解の程、よろしくお願い申し上げます。




