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家庭内ホームレス  作者: とららん
第二章 孤立
10/30

孤立 5

この節は障害者の方に対し、一部過激なセリフが含まれております。

お読み頂く際は、ご注意、時代背景、お話しの展開上でのご理解を頂けますようお願い申し上げます。

―※―



 翌日、朝七時を廻った頃だった。

 今までは炊き出しへ向かっていた時間だが、鈴乃が来てからは家で三食摂ることができるようになり、体の調子も良い。鈴乃に強く意見を言えない理由の一つでもあったが、今日はそんなことを気にしていられる余裕が無かった。


「鈴乃。朝からキーボード打つのやめてくれ」


 リビングに入った第一声はそれだった。


「起こしちゃった?」


 眠い眼を擦り、ボサボサの髪を掻き上げ、忍が電子ピアノが置かれた台座を見やる。

 木製の台座は、鈴乃の腰の高さに合うように調整され、微かに斜めに向けられていた。


「誠司が作ったのか?」

「さすがにずっと私の膝やテーブルには置いておけないでしょ」


 忍に顔を合わせず、鈴乃は電子ピアノの音量を調整したり音を変えたりしながら、一つ一つキーに故障がないか確認している。


「こんなこと滅多に無いし、一生に一度かもしれないじゃない。やれることは、やっておきたいの」

「ああ、そうだな」


 わざとらしく答えたのは皮肉だったが、鈴乃はそのことに気づいていないようだ。


「兄貴」っと、鈴乃が唐突に真剣な眼差しを忍に向けた。


「ピアノの足って、どこにあるか分かる?」

「いや、もう十年くらい前だし……」


 一瞬、真剣に考えた答えがそれだった。


「そっか、じゃ、このままで行くしかないか」


 コンっと、二、三度台座を叩き、鈴乃が気が抜けたようにソファへ身を投げ出した。


「それじゃ、都合が悪いのか?」

「ライブの時、恰好がつかないじゃない。勉強机みたいで」

「恰好より、まずは実力じゃないのか?」

「私は形から入るの」

「その金髪もか?」


 瞬間、忍の目の前が真っ暗になり、顔面に柔らかだが勢いのある衝撃がぶつけられた。

 クッションを投げつけられたと気づいた瞬間、鈴乃の甲高い声が耳を突いた。


「髪のことは言うな! 兄貴には関係ないんだから、いちいち突っ掛かるな!」


「なんだと!」と、言い返そうとしたが、忍はその言葉を飲み込んだ。忍が次に目にしたものは、涙をいっぱい溜めた妹の瞳だった。



―※―



(調子が狂う)


 忍にはそれしか無かった。今までは、他人であるアキラや誠司を含め、周りを何も考えず生活ができた。だが、今は実の妹と一つ屋根の下で暮らしている。

 どう接したら良いものか。大体、鈴乃と一緒にいることが忍にとっては不自然なのだ。

 少しは気を遣っても良いのではと言う建前と、遣う必要がないと言う本音。それがせめぎ合っている自分が無性に情けない。


「百八十六、百八十七、百八十八」


 廊下で腹筋運動をしているアキラの横で、忍はただ膝を丸めていた。


「誠司は、どうしたんだ?」

「ギターの、弦を、買って、来るって」


 運動を継続したまま、アキラが答えた。


「二百、ノルマ達成っと……それより、アンタ達、本当に仲悪いね」


 腕を伸ばして寝っ転がったアキラが、息を切らせた。


「聞いてたのか?」

「あんだけ大きい声出してればね。でも、二人とも嫌いたくないって感じっぽいかな?」

「なあアキラ、今、楽しいか?」

「凄く楽しいよ。みんながいるし」


 唐突に出た言葉だが、アキラは即答した。

 それだけで十分だ。無慈悲で前向きな空間、それに着いていけない自分。

 これは孤立だ。

 昨日の自分の選択は、明らかに自身の孤立を産むモノだと理解していた。だが、こんなにも早く目に見えて来るとは思わなかった。

 心に自分とアキラ、自分と鈴乃を分けるクレバスが作られたことにより、忍は戦慄すると同時に言いようの無い不安を覚えた。

 家族とか言っておきながら、結局いつも自分だけが相変わらずの一人かと自嘲する。『家庭内ホームレス』とアキラが言った台詞が思い起こされる。


「俺って、何なんだろうな。今の俺と鈴乃、どっちに価値が有るんだ」

「アンタは忍じゃないの? 何? 思春期?」

 アキラの窘めるような口調は穏やかだったが、忍は馬鹿にされたような気分になった。

「何やってんだ二人して、廊下で談笑か?」


 背中から掛けられた誠司の声に、忍は思わず振り向いた。


「なあ、忍。ちょっと外へ出ないか?」


 来い。と言わんばかりに、誠司は親指で背後の玄関を指す。


「ジュースくらいは奢ってもらうぞ」


 誠司の顔を見ず、忍は投げ遣りに答えた。



―※―



 外の空気は五月にしては意外と暖かだったが、薄手のパーカー一つでは少し堪える。しかし、今は家にいたくないと言う気持ちを忍は優先した。

 公園のベンチに座った二人は、先ほど自販機で購入した缶コーヒーで暖を取る。


「俺は、ジュースが良いって言ったよな」

「何だ? ちょっと寒いから温かいの買ってやったのに、もしかして飲めないのか?」


 窘めるように、誠司がニヤリと悪戯っぽく微笑んだ。


「別に・・・ただ、好んで飲みたいとは思わないだけだよ。苦いし・・・・・・」


 最後の一言は聞こえないように言ったつもりだったが、誠司は聞き逃さなかったようだ。


「まあ、そう言うな。美味いと思えば美味い。甘いと思えば甘いかもしれないだろ?」


 そんな訳あるかと、馬鹿にされた気持ちになるが、忍は黙って口を付けた。


「鈴乃が気になるか?」


 忍はコーヒーの苦みと、唐突に投げかけられたその問いに顔を(ゆが)めた。眉間にシワを寄せているのが自分でもよく分かるほど、今の表情の(いびつ)さがよく分かる。

 誠司は「そうか……」と頷くと、忍の表情を読み取り、軽く息を吐いた。


「なあ、忍。お前、ちょっと背負いすぎているんじゃないか?」

「俺は、何も背負っちゃいないよ」

「俺にはお前が、勝手に色々背負い込んでいるように見えるけどな。鈴乃はお前じゃないし、お前も鈴乃じゃない。お前はお前で今を楽しめ。俺も、今はそうしているつもりだ」


 含むところがあるようだが、隣に座る誠司が遠くを見つめる姿は、まるで自分が知らない男に思えた。


『今を楽しめることをやれ』、と言われるもよく分からない。

 環境に振り回され、自分自身がどう思っているかすら分からない。だが、これは言っておこうと、忍は意を決し重い唇を開いた。


「この前、アキラが鈴乃と話しているのを見て、なんだか嫌な感じがした。俺の居場所が削られて行く気持ちになって、それが嫌で……俺は鈴乃が恐いんだ。アイツの行動で、俺は色々なものが奪われて行く不安を感じる」


 言葉が滅茶苦茶で、感情が先走った。しかし、ゆっくりと自分の気持ちを紡ぐ。

 腕を組んだ誠司が顔をしかめた。


「理解できない話じゃない。でも、難しく考えるな。お前の居場所はここで、それは、みんな同じだ。それで良いじゃないか」

「俺には、そんな気になれないよ。結局アンタも、俺の気持ちは分からないってことか」


 すっと、音もなく立ち上がり、忍は公園の出入り口へと足を運んだ。

「どこへ行く」と、少し焦ったような誠司の問い掛けに何も応えられない。結局、今の自分には、誠司の言葉を何も受け入れることはできなかった。



―※―


 ここ二、三日で夜の散歩が日課になってしまった。時間は夜の九時を過ぎていた。誠司と別れて一度も家には帰っていない。かれこれ半日以上街中を彷徨っていることになる。

 アーケードの店が次々と閉店の支度に勤しむ中、大手のファーストフード店は深夜まで営業していることが多い。あてもなく、歩き疲れた忍はその中のコーヒー専門店で時間を潰すことにした。

 三人がバンドを始めることは構わない。だが、どうも気に入らない。鈴乃は父と母、自分の友人や、将来を考えるための時間すら奪った張本人だ。激情が、自分自身でもセーブ出来なくなっている。


『…ね…※…ね…※…ね』


 心の奥底に眠る願い、燻る感情が、少しずつ露わになる。いつか、身を委ねてしまうのではないかという恐怖が、忍を脅かしていた。


「ねえ、この前さ、鈴原見たんだけど」


 自分の苗字を聞き、忍は視線だけその声の方向へ流した。男女四人二組のカップル。歳は忍と同じくらいだろうか、見覚えのないブレザーの制服姿だが、下校中のまま街中をフラフラしているようだ。


「鈴原って、あの心臓が悪いって言う女か?」

「そうそう、まだ生きてたよ。チョーウケル」

「マジ? アイツつまんねーし、小学校の修学旅行もアイツの体調に合わせられたぜ」

「私、同じ班で凄く迷惑だった。しかも親同伴だよ。すっごく嫌だった」

「そう言う奴、マジいらねーから。ってか生きてる意味ねーよ、人間の出来損ないだから」

「社会のゴミだよゴミ。ああ言う奴らに税金無駄に使って欲しくないね。何が弱者だよ生産性もないクズってか生きてる意味なくね?」

「ホント、なんで生きてんの?って感じだよね。で、そいつどうなったの?」

「生きててびっくりしたから『生きてたよー』って、みんなで笑ったら泣いてどっか行っちゃった」

「ギャハハ。空気もったいねー」


 パシャン。と言う擬音が聞こえた時には、もう後戻りができなかった。

 気づくと、プラスチックのカップは空になり、目の前には四人の男女が、コーヒーに濡れた服を拭きながら怒号を飛ばしていた。


「てめえ!」


 男の一人が忍の襟首を掴み上げ、睨みを利かせた。


「楽しいかよ。関係のない奴が、関係のない奴の生死をどうこう言うのが、楽しいかよ!」


 手前側に座っていた女が気づいたのか、バツが悪そうに顔をしかめた。


「鈴原の兄貴じゃね?」

「お前らに、鈴乃の何が分かるって言うんだ。教えてくれ。俺は、どうしたら良いんだ!」


 顎が震える。ガチガチと上下の歯がぶつかり合う音が耳を突く。


「ねえ、行こうよ。ヤバイってコイツ」


 奥に座る女が、対面する男の手を引いて席を立った。


「待てコラ!」


 叫びと同時に、忍は襟首を掴んでいた男の顔に拳を入れ、奥の女の髪を引っ張り上げた。

 甲高い悲鳴と同時に、辺りは騒然となり目の前が真っ赤になる。

 忍が覚えていたのは、ここまでだった……。

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