プロローグ
カクヨムで以前掲載した物を調整しながら、定期的に連載して行きたいと思います。
最後までお付き合い頂ければ幸いです。
※平成中期から後期頃を舞台としたお話しです。現在は学校の対応、医療技術も進んでおります。
プロローグ
「手……」
鈴原忍が病室を出ようとした瞬間、ベッドに横たわった鈴乃が、事切れるような小さな声で骨と皮だけになった手をせい一杯に伸ばした。
棒切れのようなガリガリの細腕、水が溜まった腹は妊婦のように膨らみ、足は行き場を無くした体液が流れ込んでむくんでいる。
やせ痩けた頬、目が蛙のように大きく飛び出たそれは、間違いなく忍の妹、鈴乃だった。
右腕には何本も点滴の管を通され、自由が利かない。
意識も朦朧としているのか、視線の焦点が合っていないように思えたが、忍が部屋を出ようとした時、彼女の腕は素早く伸ばされた。
もう、見ていたくはなかった。正直、恐ろしかった。
だが、伸ばされた手に思わず触れた時、忍は気が付くと椅子に座り、彼女の顔に微笑みをかけていた。
「あったかい……」
「そうか……」
遅かれ早かれ、重度の心疾患を持った妹がこうなることは、昔から言われていたことだ。血圧も四十で安定していたこと自体が奇跡でもある。それは既に死に体でありながら、十五年間もよく保ったものだと、医師達が度肝を抜いたほどだ。
過去、四度の手術に耐えた鈴乃は、彼らにとって貴重な研究の記録資料であり、両親にとっては大事な娘という盲目的な考えで、鈴乃を無理矢理『生』へと結び付けていた。
いつの頃からだろう、彼女は忍にとって憎むべき対象だった。
高校受験の時に、親が鈴乃の手術のことで頭が回らなくなり、志望していた学校の試験を受けさせて貰えなかった時だろうか。
中学生の時、身体障害者の妹を持ったことが理由で、好きな女の子にフラれた時か。
小学生の時に、見ず知らずの下級生から鈴乃のことで後ろ指を指された時か。
それ以前に、病棟のガラスドアの向こうに去って行く母親を、何時間も待ち続けていた時かもしれない。
原因など、数え切れない程あった。
元はと言えば、鈴乃が生まれたことが、忍の人生にとっての最大のマイナスの連続だった。
忍は葛藤していた。このまま死んでしまえと言う心と、死ぬなと妹を励ます心。拮抗した相反する感情は、不思議と忍を落ち着かせていた。
(俺はいつから、こんな風になれたのだろうか……)