PM17:25
あ、1円玉出せばよかったな、と思った。
1ヶ月ぶりに訪れた本屋でのことである。題名とあらすじと出だしの一文で決めた文庫本を2冊、レジに通した。お会計は1441円、何も考えずに2000円を置いて回収された瞬間に、財布の中に眠るわりと多めの1円玉の存在に気づいたのである。
まあそんなこと考えてももう意味は無い。受領した金額を打ち込まれた後に「あの、すいません……」と遅れて細かいお金を出すことがどれほど店員にとってダルいか、私はよく知っている。
そして私はわりと暗そうな内容の小説を2冊と、1円玉を含む釣り銭を手に入れた。
その後に本屋の下にあるスーパーでサラミとゼリー飲料を購入。この店は高1の頃バイトをして散々迷惑をかけた記憶があるが、もう当時にいた人はほぼ居ないと信じているので心を強く持つ。まあいたけど。2人もいたけど。両方とも私見て固まってたけど。
この店と自宅の間に、大きな公園がある。山頂公園という名にふさわしく山の上にあるそれは、ドラマの撮影なんかでも使われるような場所だ。
私は今そこにいる。やや冷たい春の夕方の風に吹かれ、髪に花粉の付着を感じつつ。後ろでは若い男の子たちが走り、隣のベンチでは女性が私と同じようにスマホに目を落とし、外国人の夫婦が子供を連れて歩き、大型犬が大人しく歩く。
平和な平和な、午後5時過ぎの風景である。
ここで私が突然そこの崖から飛び降りたら、どうなるだろうか。動画が回され写真が撮られ、「やばい」という文言とともにTikTokやTwitterにあがるのだろうか。それともすぐに通報されて、助かってしまうのか。
最近はこんなことばかり考えている。体力がなくてすぐ疲れる私がわざわざ本屋とスーパーがセットになっているような大きな店舗に足を運んだのも、エンディングノートを買うためだった。
でも結局、お目当ての品は買わなかった。中身を見たら相続とか財産とか、既に社会的地位がある程度ある人用の項目ばっかりだったからである。
私と顔を合わせる度に文句を言い、「出ていけ」でそれらを締める母に対する呪詛を書くスペースはなかった。当たり前である。
そういうことはエンディングノートではなく「遺書」と呼ばれるものに書くべきことだし、もっと言えばそもそも死に際に残す内容じゃない。
私が今死んだら、主な手続きをするのは母なのだ。それに恨みを残して死ぬとは何事か。先立つ上にさらにそんなことをするなんて!と、真っ当な世間の方からお説教をくらってしまう。まあ、そんなことしてもらえるほどの知名度はないんだけど。
最近、身辺整理を始めた。少しづつ不要なものを捨て、片付け、物の所在を分かりやすくする作業だ。私の部屋はぐっちゃぐちゃで、普通に生活するにも不便がある。片付けることはこの上もなく苦手だし分別はダルいが、やらないと死んだ後に何か変なものが出てきてしまうかもしれないから困る。どうすんだよこのBL本……。
そんなことをしているはずなのに、私は今日また新しく本を買った。分厚いので通読にはおそらく2日はかかる。明日は大学もバイトもあるから、きっともっとかかるかもしれない。つまり、その間は死ねない。
つまり私は今日は崖から飛び降りやしない。このまま帰ってサラミを食べてご飯も食べて、ちょっと掃除して風呂に入って寝るのである。そして一発目から一限必修(しかも言語)という事態を嘆き、Twitterで大学の女たちと実況しながら授業を受けるのだ。
この世とは、こんなもんである。
死のう死のうと思ってもなかなか死ねず、なんか適当に寄り道してるうちにいつの間にか寝る時間になっている。そして朝がきて、また適当に寄り道をする。
周りを歩いていたグレート・デーンとセント・バーナードはもうどこかへ行った。後ろではレトリバーが「歩きたくないんですが?」と言うように寝そべっている。
日は傾き、風はさらに冷え、遠くの三重塔が見えにくくなってきた。私も、そろそろ帰る時間である。
母親には会いたくない。自宅にはやかましいしなんかデカいトイプードルがいるが、そいつにもあまり会いたくない。
でも、春のこの時間はパーカー1枚ではあまりに寒い。
帰ります。帰りますよ。このままのらくらと死ねたらいいんですけどね。
あと、今年の桜も綺麗なので、お花見まだの人はぜひ。
何が言いたかったか忘れちまった