六話
次の日、マーシャルは壊してしまった人形を梱包し、郵便局に渡しにいった。サシアの港町で郵便局は三つあり、それぞれ役目が違い、王都へ郵便を担うのは港にある場所だった。
劇団サシアネッタがあるのは、町の東の城壁沿いだったため、マーシャルには北側の土地勘がない。
「それじゃ、いくわよ」
だから、カルと行くことになった。
港側に近い場所は宿場街になっている。食事を専門にした店もあれば、按摩店、靴の修理屋、下着類を売る店などがある。これは、港では人足や船乗り、旅人が多いための特色だった。
つまり、玄関でもあるこの場所は、西側のマーシャルが初めて訪れた場所よりも見た目は綺麗に整えられていた。警邏隊も常駐し、街の中に目を光らせていた。
「あれが、王都スバニア、瑠璃城のあるところよ」
カルがそう言って指したのは、間遠に見える河の中洲だった。河の幅は広く、山のような中州にも関わらずぼやけて見える。しかし、陽の光を受けて針のように光る尖塔が見えた。
「ここにくるのは初めてなんでしょ? 賑やかでしょう」
「うん。凄く賑やか」
「夜のほうが賑やかでね。ここに留まってしまう旅人をなんとか東に流せないかって座長と町人と話してるんだけど、なかなかうまくいかなくてね」
マーシャルは、歳を同じくしてまったく別の世界にいるようなカルを見た。乱れることなく野菜を切っていくような包丁のような佇まい。
カルは黙っているマーシャルを見て首を傾げた。
「なにか案があったりするかしら?」
マーシャルは弾かれたように思考を戻して頭を振って見せる。
「カルは凄いなって……」
そういって横目で見たカルは、なにも読み取れない目で前を向いていた。
「当然よ。生まれてこのかた、町から出たことはないし、十五年間ずっと劇団にいるんだもの。あたしが最初に話した言葉は、座長だったそうよ。次に覚えたのは、お客様、その後に母様と父様」
マーシャルは思わず笑いを零した。横を見れば、カルも懐かしそうに静かに笑みを湛えていた。
「田舎から一人で出てきて、ここで仕事を見つけて、慣れないながらも踏ん張ってるあなたも、凄いわ」
カルは少女の面影を残した顔で片笑んだ。
マーシャルは首を振って地面に目を落とす。
「わたしは、凄くない。なにをやっても駄目でね、よく父親に怒られたの。鈍くさいって言われてた。今でもそれは変わらない。こんなに高価な人形を、どれだけ気をつけてもこんなことにしてしまうんだもの」
カルが静かに見つめてくるのを、マーシャルは苦笑いで逸らした。
「一つだけ言うけど、褒められたらまずは受け入れなさい。あなたのそれは謙虚とは違うわよ。自惚れずに土台を固めるために自分を踏みつけるのはいい。だけど、あなたがしてるのは、自分を傷つけて自分を慰めてるだけ。謙虚でもなんでもないただの自己憐憫よ」
マーシャルは止まりそうになった足を努めて動かした。
(わたしのなにも知らないくせに)
マーシャルの中で煮え切らない淀んだ思いが渦巻いた。
年が明ければ十六歳になる土ノ季に、座長から団員達に召集がかかった。
座長の屋敷は町の中央付近にあり、広い庭がついていて、土ノ季の寒い中、庭師達が枯葉の掃除をしていた。屋敷は木造と石造りで屋根は斜面がきつい切妻屋根、三階建てだが石造りは一階だけで、二階から上は木造だった。
その建築様式は、町の中の建物には見られないもので、木なのに流線を描く芸術的な姿をしていた。
マーシャルは前庭を抜けて、その屋敷の美しく異空間のような姿に見惚れながら、噴水に横を通り過ぎて玄関の前に立った。
両開きの艶めいた重々しい木の扉が内側から開いて、執事がマーシャルを出向いた。マーシャルは誰何されると思って、自分が何者なのかを説明する。執事は皺の多い顔に暖炉の入れた部屋のような暖かい笑みを湛えて、マーシャルの言葉を聞き終わると一つ会釈した。
「マーシャル様ですね。カルお嬢様からお聞きしております」
執事は奥ゆかしい仕草で一歩体を引くと、マーシャルについてくるように言った。
屋敷の中は、外よりも不思議なもので溢れていた。通路には必ず胸の高さほどの台が置かれていて、銅の胸像が並べられていたり、別の通路には見る角度によって色の変わる鉱石が置かれていたり、剣や鎧が飾ってあったりもした。
「あら、マーシャル。もう着いたのね」
カルの声だった。カルは執事に目配せをして、執事は押し出しの良い笑みで一礼すると去っていった。
「変な物ばかり置いてあるでしょう」
カルの静かな笑みに、マーシャルは耳に髪をかけながら苦笑するように首を振った。
「ううん。すごく珍しかったから」
「ここはお父様の家なのよ。交易商人で、蒐集癖が酷くてね」
「お父さんの家?」
マーシャルはカルの後ろをついて歩きながら、肩越しに問うた。
「お父様は世界中を飛び回ってて家にいないの。座長――母様はもともと人形劇の人間で、お父様がいない時間を活用して自分の劇団を作ったの。あたしはずっと母様と暮らしてきたから、あたしの家は劇団みたいなもので、ここが家だとはどうしても思えないだけ」
父親ができると思ったときの、雲でできた高揚感を覚えている。カルもまた、父親がいる家族を想像したことがあるに違いない――マーシャルは胸の前で手を握り、締め付ける僅かな感覚に頷いた。
「寂しいよね。わたしも、お父さんとは仲が悪くって。って言っても、わたしが駄目な子だったからなんだけど」
カルは答えなかった。後ろからでは表情が窺い知ることができずに、マーシャルは屋敷の中に満ちる香りに首を絞められているような気分になった。
絨毯が敷かれた階段を登っている途中、ようやくカルが口を開いた。
「お父様がいない寂しさに耐えかねたこともあったわ。なんであたしは皆と同じようにお父様と一緒に過ごせないのって。悲しんで苦しんで、いつの日かそんなふうに思う自分が嫌になったの。辛いって思って自分を愛撫してるだけなんだって。そしたら、次は怒りが湧いてきてね、お父様に対してよ。なんで、家族を放っておく人のために苦しんでるんだろうって」
父親に阿る日々。母親に認められたいから父親に阿って機嫌をとる。家を飛び出したときの怒りは、カルの言うものと同じだった。
「でも、怒りに任せて座長と仕事をしていたら。ある日、団員に言われたのよ。お母さんと本当に仲が良いんだなって。そこで気付いたのよ」カルはマーシャルを振り返った。
「なんだ、あたしは幸せじゃないのって。だから、お父様がいなくても寂しくないのよ」
――不幸に悲しみ続けるのは、自分を愛でてるだけ。
マーシャルは奥歯を噛み締めた。