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Belief of Soul〜薔薇の棘〜  作者: 彗暉
第十章
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五十話

 その日の王都は晴天だった。蒼穹を溶かして作り上げたガラス細工のような瑠璃城が、火ノ季の煌々と燃える太陽の光に輝き、スバニア騎士団を誇らしげに迎えた。

 港は色とりどりの三角旗がはためき、凱旋する戦士を讃え、喜ぶ歓声に満ち溢れていた。

 フルケル防衛戦はスバニア騎士団と南方諸国連合による勝利で幕を閉じた。エクエス=シュヴァリンというスバニア騎士国の最高戦力の一人を失ったものの、世界の劔たるスバニア騎士国の矜恃を貫いた姿には、多くの戦士が胸打たれ、それは騎士道精神を焚きつけた。

 瑠璃城の麓にある野外広場には二千人の戦士が微動だにせず、青と金の刺繍を施した正装の軍衣姿で整列していた。

 騎士王の演説を傾聴する戦士たちは、演説の終わりには新たに来たる戦いの予感に気を引き締めていた。

「〈真紅の予言〉の到来とは、俺たちも忙しいよなぁ」

 最初に口吻を洩らしたのはベーネだった。それは、ベーネの行きつけの酒場の止まり木で三杯目の酒杯の底を打ち付けたときだった。

「飲み過ぎでしてよ」

「まだまだこれからだ!」と不敵な笑みのベーネ。

「生きてることへの祝杯だ、止めるなよウィオラ」ベーネに追いつこうとウィリアムは酒杯を傾ける。

「南の酒は思った以上に強いもんがあるんだな」やっとこさ二杯目を空けたヤグサ。

「そうだとも! 我らはこれしきでへこたれるようなやわではないわ!」

「あなたが一番心配でしてよ!」

 ウィオラが顔を真っ赤にしているジルクートにきつい目を向けた。

 ジルクートはまだ一杯目だった。

「少なくとも、ジルクートとウィリアムは自重すべきではなくて? 正式に従士になったというのに、呆れましてよ」

 ウィリアムは立て掛けてある聖剣マーシャルの柄を優しく撫でた。

「クルシュヴァリン=ウィリアム……。親父と同じ従士になったんだな。ちゃんと自覚してるよ。これからマーシャルと歩んでいくんだから」

「私も、ひっく……自覚している、愛おしい、愛しきウィオラよ。我らの愛で、ともに世界の劔として歩むのだ」

 ウィオラの目は一層険しくなるばかりだ。ベーネが酒杯をぎこちなく掲げる。

「エクエス=シュヴァリン、騎士のなかの騎士に。月剣院の仲間のトルンに、古参のサイード、弓の名手ロビンに、乾杯」

 乾杯、とそれに続いてウィリアムたちも酒杯を掲げた。誰よりも早く酒杯を卓に置いたウィオラを見て、ベーネが歯の間から笑いを洩らした。

「まぁ、いまくらいは許してやってくれよ。従士になったこいつらは、こんなふうに集まれることもないんだからさ」

「あぁそうだ! 従士であっても騎士道を歩む者として生きねばならない!」頭皮まで赤く染まったジルクートがウィオラの肩を抱き、ウィオラはこれでもかと顔を顰めた。

「結婚するならなれなきゃならん」

「ヤグサの言うとおりだ」とウィリアム。

「あ、それで思い出した。お前らはいつ式を挙げるんだ?」

 ウィオラが紅潮した顔を隠すように酒杯に口をつけた。

「式は三ヶ月後の霊土月、すすきが川岸で揺れるころだ! 貴様らも招待するゆえ、必ず出席するように! 私の屋敷で執り行うのだ!」

 ジルクートの呂律の危うい言葉に頷きながら、ヤグサが姿勢を変えた。

「ところで、サシアの港町にはどうやったらいける?」

 全員が首を傾げた。

「いや、サシアの港町に知り合いがいるようで、ついでだから会いに行こうと思ってる」

 ウィリアムは小さな雷が頭の中で走ったのを感じて声をあげた。

「カルのことか?」

「カル? あの強気な娘?」ベーネが眉をあげた。

「なるほど? 貴様も運命の相手を見つけたか!」

「あら、もしかしてですけど、この地に残ったのは、本当はその娘が目当てではないですの?」

 ヤグサが心外だと目を剥いてウィオラを見やる。

「なにを言う! 俺があの村に残っていたのは、霊樹の森を共に切り抜けたこいつらを救うためだと……」ベーネと坊主頭のジルクート、ウィリアムの細めた目に、ヤグサは決まりの悪そうに言葉尻を弱めて酒杯の縁を指で弄う。

「南の港からサシアの港に出る船がある。それで乗り継ぎなしでいけるよ。劇団サシアネッタはどこかと誰かに尋ねれば、すぐに見つかるさ」

 ウィリアムの言葉にヤグサは小さく礼の言葉を呟いた。ジルクートの目はすでにうつらうつらとし始め、ベーネは頬杖を突きながら店主のバリーにもう一杯と所望し、ウィリアムも負けじと指を立てて追加した。そんな男達を、ウィオラは一つため息をついてバリーに宿を所望した。部屋は二つ。男四人のための部屋一つと、ウィオラ一人のための部屋だ。

 鶏が鳴いた頃、五人は酒場の外にいた。ウィリアムとベーネは気怠そうに頭を抱え、ヤグサはいつも通り腕を組んで立っている。ジルクートが困ったような顔で坊主頭を撫でながら、まるで手を付けられない子供にむすっとしたような母親よろしく立っているウィオラを横目でちらちらと確かめながらウィリアムに近づいた。

「ウィオラの様子が変だと思わないか? 昨晩、なにがあったのだ」

 ウィリアムは片方の口角をゆっくりと上げた。

「さぁ? これからの帰り道にじっくり訊けばいいんじゃないか?」

 こんどはベーネが愉快そうに小さく笑った。

「ジルクート、お前は俺たちだけと酒を飲んだほうがいいぜ」

「それはどういう……」

「さぁ、もう出発してはいかがでして?」

 ウィオラが小さな顎をつんと上げて四人を見回した。

 五人は黙って城下町の港に向かって歩き出した。まだ城下町は朝の静けさが漂っていた。通りには首を前後に揺らしながら鶏が歩き、港の方の空にはカモメが旋回して飛んでいる。

 あいにく天気は曇り空だ。ウィリアムは四人の背中を見ながら、この四年間のことを思い返した。故郷から外の世界に憧れて王都に来たものの、ついていけない生活に弱音を吐いていたこと。月剣院に入り、戦場で背中を預ける仲間ができたこと。大切な騎士道を目の前に敷いてくれた、エクエス=シュヴァリンやジンダジス、父親。そして、なにが大切か気づかせてくれたマーシャル。

「薔薇の棘……肝要なのは愛することそのもの、か」

 ウィリアムの呟きに、四人が肩越しに振り返った。ウィリアムは聖剣マーシャルの柄に手を添えると、続けた。

「エクエス=シュヴァリンの言葉、なんとなくわかった気がする。生きる上での苦しみとか、悲しみとか、そういうのが棘なんだ。俺はマーシャルに会いたくてたまらない。会えない寂しさと苦しさは、確かに棘だけど、愛してる実感にはなってる。この痛みが続くのか」

 カモメの鳴き声が間遠に聞こえてきた。

「いつかきっと、エクエスのように聖剣の中のマーシャルと話せますわ」ウィオラが疑いのない微笑みを見せた。

「それまでは、一人でせっせと剣の手入れだな」ベーネが悪戯な笑みを食む。

「人が剣になるんだ。なんだって可能だろう」ヤグサが腕を組んで言った。

 ジルクートはゆっくりと、夕陽のような朧げな微笑で頷いた。

「それでも、マーシャルは貴様とともにある」

 ウィリアムは頷き、はっと顔を上げた。

「苦悶の焔も愛せれば、それは道を照らす灯りになる。焔の道のさき、愛の光さすってのはこのことか」

「従士ウィリアム。マーシャルとともに騎士道の真髄を見つけたりってか」

 ベーネの言葉にウィオラが目を細めた。ジルクートは喉の奥で笑い、ヤグサは港の方を見て体を伸ばしている。

 ウィリアムは聖剣マーシャルの柄を一度だけ強く握り締めると、顔を上げた。

「みんな、帰ろう」

 城下町の十字路には、五人の交わす静かな笑みがあった。

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