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Belief of Soul〜薔薇の棘〜  作者: 彗暉
第二章
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四話

 スバニア騎士国、その王都スバニアを飾るは、碧空から創り上げたかのような瑠璃色の城。

 かつてスバニアに贖罪として神秘を授けた神の一柱〝愛と探求の神ハウデンファール〟が人であるアスロスの愛への想いを歌った。そのときに織り上げられてできたのが、瑠璃城と云われている。

 鉱石とは思えない滑らかな城壁は、太陽の光を余すことなく纏い、威光を示す。王都スバニアの港に降り立ったマーシャルは、荷物を背負い直し、栗色の三つ編みを背中に回すと瑠璃城の煌びやかな威光に目を瞬いた。

 わたしが王都にいるなんて、誰が信じるだろう。

 母の冷たい手に引かれて、この人が今日からお父さんよ、と言われた土ノ季。首を竦めてなんとか寒さを紛らわすあの日、わたしは六歳だった。

 父親ができるということに舞い上がったのは、ほんの一瞬で、すぐに父親とは冷たくて堅い存在であると知った。

 話しかけても答えず、いつも漁具の手入れに没頭していた父。寝るときはマーシャルだけ寝室が別で、いつも寒い思いをしていた。

 父親に話しかけないでいると母が心配するので、マーシャルはなにかと父親に話しかけた。鬱陶しく鼻を鳴らされても。そうすれば母が喜ぶからだった。

 ある日、父親が初めてマーシャルに釣り糸の結び方を教えた。マーシャルは緊張から指がうまく動かずに、何度挑戦してもできなかった。

 ――鈍臭い奴だ。

 その夜、父が寝ている時に漁網の手入れに手を出したものの、月明かりの下ではうまくいかず、網は絡まる一方だった。

 そのとき、すぐ後ろの床板が軋む音がした。冷たいものが背筋を走り、マーシャルは振り向いた。

 父だった。採光窓から淡く射し込む月明かりが胸にかかっていて、表情がよく見えない。マーシャルは耳を打つ自分の鼓動を聞きながら、浅い呼吸で口を開いた。

「ごめんなさ――」

 衝撃が頭を襲い、感覚が宙にばらばらになってしまったかのようだった。床がすぐ目の前にあって、ようやくなにをされて自分がどうなったのか理解して、マーシャルは弾けるように身を起こして父を振り仰いだ。

 右頬が顔よりも大きく膨張して熱を帯びていく感覚に、わけもわからず涙が溢れてきた。

 寝室から母が飛び出してきて、マーシャルは縋る思いで母を見た。

 母親はマーシャルの顔を両手で挟み覗き込むと、安堵したような表情を一瞬見せて、すぐに眉を寄せた。

「なにをしたの。ごめんなさいでしょう!」

 マーシャルは、鉄よりも堅く、岩よりも重い怒りが膨張するのを感じた。だが、それはすっと胸の中のなにかが氷の柱のようになったのを感じた。やがて冷たい一本の蜘蛛の糸のようになると、自然と涙と呼吸も収まり、今度こそ静かに言った。

「ごめんさない」

 それはまだ、七歳のときだった。

 言いつけを守り、笑顔を作ることを絶やさず、十四歳になったときに弟ができた。

 揺り籠の中でじっと見つめてくる弟を見るたびに、マーシャルは甘い香りで捻られるような気持ちになった。

 そっと柔らかな頬を撫でて、額に口づけをして、それでも愛おしさが鎮まることはなく弟を抱き上げた。

「なにをやってる!」

 怒声が響き、マーシャルは顎をひいてさっと振り返った。戸口から出てくる父が熱気でも見えそうな顔をしながら近づいてくる。

 マーシャルは、そっと揺り籠に泣き噦る弟を戻し後ずさった。

「お父さんが厠に行っているあいだ、一人にするのはよくないと思ったから。そばにいたの」

 父親は泣いている弟を抱きかかえると、マーシャルを一瞥する。

「お前は触るな。怪我でもさせてみろ。許さんぞ」

 低く厳しい父の声に、マーシャルは袖をちぎるように握って、気づかれないように歯を食いしばった。背中が震えそうになる。積み重ねた怒りが、解き放てと拳を打ち鳴らしているようだった。

「お前は弟に嫉妬してるんだろうが。なにをやっても駄目なお前は養われているだけありがたいと思え。今まではあいつが望むから奉公には出さなかったが、十六になったらお前を町の貴族に出す」

 父親から視線を逸らしたマーシャルは、言われなくても、と思いながら頷いた。そして、視界の端に母が立っていることに気がついた。

 いつからいたのだろうか。母と目が合い、母は眉を強張らせて、叱るような目でこちらを見ていた。

 マーシャルの中でなにかが弾けて、波のように引いていった。踵を返して部屋に戻ろうとするその背中に、母の掠れた鋭い声が響く。

「謝りなさい」

 マーシャルは振り返って、父親と母親と赤子の三人家族を見る。悲しそうな顔を作って頭を下げた。

「ごめんなさい」

 それが家族と交わした最後のやりとりだった。

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