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Belief of Soul〜薔薇の棘〜  作者: 彗暉
第十章
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四十七話

 ウィリアムは混沌とした戦場を従士とともに駆け抜けた。度重なる戦闘で戦場に燃えるものはないと思われていたが、馬が燃え、人が燃える炎の塊が点々と白煙を上げている。白煙の隙間から覗く鎧に反射した太陽光が視界の端で閃く。戦場の中央には油を使った兵器が使われたのか、おびただしい数の骸の絨毯が広がり、黒煙を上げ始めていた。

 黒煙の場所を抜けると戦闘の喧騒が壁となって現れた。屈強な荒くれ者といった風体の戦斧使い達が、惜しげもなくその肉体を唸らせて文字どおり斧を風に唸らせ、スバニア戦士だけでなく仲間であろう辛子色のサーコートを纏ったゲピュラ兵まで薙ぎ倒している。ウィリアムの前を走る従士は馬に乗ったままゲピュラ兵と斧を持った狂戦士の首を撥ねると、曲芸師よろしく鞍の上から華麗に飛び降りて敵陣の中に飛び込んでいった。ウィリアムにはマーシャルがいたために、律儀に馬を止めた。馬は前脚を上げて嘶くと、目の前のゲピュラ兵を蹴り飛ばした。ウィリアムとマーシャルは鞍から飛び降りるようにして馬を降りると、二人で寄り添って周囲を見回した。ウィリアムがマーシャルの強張らせている肩を掴んで顔を覗き込んだ。

「大丈夫か? やれるか?」

 男達の怒声と叫び声に掻き消されないようにウィリアムは声を張り上げた。

「ばかなこと聞かないで! くるよ!」

 マーシャルはウィリアムの後ろを指差した。ウィリアムは振り返り際に剣を翻して重装兵の戦斧を弾き飛ばした。もちろん、しっかりと剣から力を引き出して。重装兵の兜の目庇から覗く目に驚きが満ちた。ウィリアムは何も考えずに、ただマーシャルがそばにいる幸福感を感じながら、素早く剣を一閃させた。鎧ごと重装兵の上半身が斜めに地面に崩れ落ちた。

 マーシャルを強く想う感情が即座に剣と繋がり、ウィリアムの体には力が満ちていた。後ろでは喧騒の中でもマーシャルの歌が聴こえてきている。ウィリアムはさながら混沌の戦場の支配者のように微笑んだ。木の下でそよぐ風に包まれながら語った、二人の夢の暮らし。

(マーシャルが近くにいる)

 満ち足りていた。その想いとマーシャルの歌声が共鳴し、恐れを消した。するとどうだろう、剣から無尽蔵に力が湧き立ってくる。ウィリアムは、満ちた微笑で戦場を見回すとやるべきことをした。

 ウィリアムの剣がマーシャルの聖歌を奏でるように滑らかに筋を描き、重装兵を斬り倒していく。

 ウィリアムの活躍も凄まじいものだったが、他の従士、とりわけランパートは自慢の魔具である剣の魔法を屈指して、青白い稲妻を放ちながら一線を画す戦いぶりを見せていた。

 ゲピュラ皇国の三公が一人、テレディア公自慢の狂戦士の怪力と、痛みを恐れない無謀な戦いぶりもまた、従士のいくつかの命を奪うだけのものがあった。気がつけば、ウィリアムの周囲にはマーシャルと敵しかいなかった。戦場に飛び込んで数十秒で、混沌の渦中となったかのようなその場所で、マーシャルとウィリアムは満ち足りていた。マーシャルは目を瞑り、ウィリアムを信じて聖歌を奏でた。ウィリアムはマーシャルの想いの力を信じ、嵐のような剣の舞で敵を蹴散らしていった。

 その時だった。突然、空が眩しくなった。太陽がまるで爆発したのではないかという閃光が降り注ぎ、ウィリアムは腕で目元を覆い空を仰ぎ見た。

 まるで太陽がもう一つあるようだった。流線をいくつも組み合わせたような紋様を表面に纏った光の球体が戦場の上空に浮かんでいる。それは少しずつ肥大化しているようだった。そう考えている間に、小さな太陽の全体がわからないほど巨大になっていた。その太陽がわずかに、苦しそうに振動しながら収縮した。次の瞬間、熱風と衝撃が全身を襲った。


 シュヴァリンは戦場の上空に光の球体が現れたのを見て息を呑んだ。

(あれはなんだ?)

 そう考えるよりも早く光球は巨大化してあっという間に戦場の上空の半分を占めた。光球の周囲を取り巻く秘紋を見てすぐにそれがなにか理解した。

 二種類の秘紋は相対するものだ。一つは力を押さえつけ、一つは増幅させるもの。そして、増幅させる秘紋のほうが強い。単純な秘術式だった。増幅させる力が抑制する力に打ち克った時、破裂する。このままでは――シュヴァリンは聖剣アシュラムが恐れるのを感じ取った。しかし、話し合う時間はない。長い時間、彼女の心の奥に触れることをしてこなかった。いつまでも時間があるとそう考え、彼女の剣として生きる苦しみに触れてこなかった。彼女との繋がりが薄くなっているのを感じていた。しかし、いまこの瞬間だけは力を貸してほしい。

「私のためでなくていい。あの子達を救うためだ。叶わぬ我らの願いを守るために。歌え、アシュラム!」

 シュヴァリンはその刹那、自分勝手な願いを押し付けていると理解していながらも、アシュラムを愛している想いを聖剣に注いだ。いつぶりかの想いだった。

 聖剣アシュラムが震えた。まるで、恍惚に満たされる瞬間の喜びのそれのように。

 シュヴァリアンは渾身の力で聖剣アシュラムを光球に向かって投擲した。聖剣は光となって飛翔し、光の軌跡は歌声となって戦場に降り注いだ。


 上空に浮かぶ小さな太陽に不安を剥き出しにしながらも茫然と見上げていた戦士達は、突如聞こえてきた聖歌に耳を傾けた。

 しかし、聖剣アシュラムが小さな太陽を貫かんとする寸前、太陽が僅かに収縮し、そして炸裂した。アシュラムの聖歌は爆発の中心からガラスのような神秘の防護壁を展開したが、全ての戦士を護りきれなかった。

 炸裂した光線と熱風に、スバニア戦士だけでなく、戦場にあったものは文字通り灰となった。


 ウィリアムは、ひどい耳鳴りと頭痛に吐き気を感じながら身を起こした。マーシャルを信じて握り続けていた剣を手放していないことに、我ながら驚いたが、すぐに辺りを見回して言葉を失った。

 敵味方区別のつかない焦げた戦士達が転がっていた。耳鳴りが収まるにつれて男達の悲鳴と呻き声が悪夢のように聞こえてきた。何が起きたのか理解できなかった。

「マーシャル、どこだ。マーシャル!」

 立ち上がろうとしたが酷い目眩のせいで再び地面に倒れた。ウィリアムは剣に意識を集中した。剣から力を引き出し、絆に繋がればマーシャルが見つかるかもしれない。しかし、体に力が漲るだけでマーシャルの居場所はわからなかった。

 ウィリアムはゆっくりと、剣を支えに立ち上がった。骸はどれも肌が焼けていて干からびていて白い煙を上げていた。見ればゲピュラ兵に生き残りはいないようだった。呻くのは青色のサーコートを煤けさせたスバニア戦士だけだ。

 呻き声と鎧が熱を帯びて軋む音の中を彷徨いながらウィリアムは探した。仲間の骸を引っ張り、マーシャルが下敷きになっていないか探した。鎧は酷い熱を帯びていて、直に掴むことは無理だった。たった今ひっくり返した戦士は、鎧の中で蒸し焼きにされてもなお、命を取りとめていた。それでも、ウィリアムは不幸な仲間の視線を避けながら、マーシャルを探した。

 ふと、見回した視界の中にあるものを見てウィリアムは声を掠れさせた。

「嘘だ、そんな……」

 小さな背中があった。見間違うはずがないなだらかな肩、茶色の髪。ウィリアムは這って近づくと、そっと身を傾け、目を瞑ったマーシャルの横顔を認めて唸り声に喉をつまらせた。両拳が音を立てるほどに握り、噛み締めた奥歯が割れる音がしてもウィリアムは全身の力を弛めなかった。喘ぐように息を吸ってようやく地面に座り込み、マーシャルの背中に手を当てた。

 貪るような呼吸とともにマーシャルが目を覚まし、ウィリアムは思わず口元を押さえて全身から力が抜けそうになるのを堪えた。

(生きている!)

 マーシャルを掻き抱くように、しかしゆっくりと上体を起こし、ウィリアムの喜びはすぐに絶望へと変わった。マーシャルの正面に、砕けた剣や鎧の破片が数えきれないほど突き刺さり、淀みなく衣を赤く染め上げていたからだ。

「ウィリアム……ウィリアム……」

「しゃべっちゃ駄目だマーシャル」

 ウィリアムはマーシャルの髪を指で優しく梳いた。

「大丈夫、すぐに助けがくる。くるから。来てくれるから」

 気丈にも微笑もうとしたマーシャルの口から血が溢れ出る。ウィリアムは自分の中の何かが、細い氷の糸のようになっていくようだった。

 そして意外にも冷静なことに驚いていた。冷静なのか、思考が追いついていないのか、はたまた逃げ出して思考停止しているのかわからなかったが、とにかく考え、行動を起こした。

 マーシャルが歌えれば、この傷を癒すこともできたかもしれない。しかし、それはできない。剣の中の力を使って傷を癒そうと念じてみたが、効力を発揮しなかった。そんな聖歌を剣に宿してはいないからだ。二人のオルスを剣に籠めていて、そのオルスはどんな神秘の源にもなるが、神秘を顕現させる秘術式である聖歌に傷を癒すものはなかった。少なくとも、マーシャルとの訓練の中で歌ってくれたもののなかにはなかった。俺はあくまで剣の中から力を引き出すだけなのだ。そして、術式なくしてそんな奇跡を起こせるはずもなかった。

 マーシャルの苦しそうな息を聞くたびに、この状況が徐々に現実味を帯びていく。同時に形容し難い深い虚無感と恐怖が忍び寄ってきた。それは大きすぎて、喉を締め上げ、マーシャルの髪を梳く手を震わせた。そこでようやく、ウィリアムはさめざめと泣き始めた。

 誰かが叫んでいる。自分の名前を呼んでいるのだと気がついて、ウィリアムは力なく振り返った。

 五頭の馬がこちらに走ってきていた。頭を丸めた男に、不敵な笑みを浮かべる黒髪の長身で痩せた男、栗色の髪を靡かせた女、毛皮と革鎧を纏い弓を片手に手綱を操る男――ここにいるはずのない、死んだ仲間達だった。


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