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Belief of Soul〜薔薇の棘〜  作者: 彗暉
第十章
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四十六話

 それは唐突にやってきた。

 腕の中のマーシャルが肩をぴくりと動かして首をもたげた。それにつられて、ウィリアムも身を起こした。天幕の外――駐屯地全体が騒がしくなっている。戦士の走る足音に金具がぶつかる音が拍子を刻み、男達の掛け声と歌が聞こえ始めていた。

「これって……」マーシャルが掠れそうな声でそう言い、胸の上で顔を上げて見つめてきた。

 ウィリアムはマーシャルの肌の温もりを記憶に刻むように、肩に唇を押し当てた。

「始まったんだ」

 二人は強く抱きしめ合うと、それを決意としたように黙々と準備を始めた。ウィリアムは動きやすいように半袖の鎖帷子を纏い、鉄の鎧は付けない。エクエスやエスたちを見習って革を使った籠手や肩当てに変えて動きやすさを重視した装いの変えていた。鎖帷子も腰を覆うまでの丈で、革の胴衣は膝丈まであるが、縦に切り込みが入っていて足捌きの邪魔にならない。

 ウィリアムが天幕を出ようとすると、マーシャルが後ろから抱きしめた。ウィリアムはその腕を握った。

「おい、起きてるか。出陣だ」

 垂れ幕の向こう側から、ランパートがぶっきらぼうに声を掛けきた。彼の拍車が遠ざかっていくのを待ってから二人は向き直った。そして一瞬の情熱を、最後かと言わんばかりにぶつけ合った。

 いよいよ天幕の外の喧騒がひどくなった。男達の士気を高める掛け声、自分たちの連隊名を叫んで鼓舞する閧の声が響いている。戦士の下品な歌と共に進む隊列の揃った足音、鎧や剣、盾がぶつかり合う音が二人を現実に引き戻した。

 天幕の外にはシュヴァリンに向き合うように七人の従士が並んでいた。コンティーレよりも少し瀟洒な身なりの従士たち。かつて父親もここにいたのだろうかとウィリアムは思いを馳せた。

「来たな。ジャックの姿が見えんのだ。なにか知っているか?」

「いいえ。彼が時間を破るなんて珍しいですね」

「まぁいい」シュヴァリンは七人の従士に向き直った。「勇猛で気高き我が従士達よ、ついにこの時が来た。ゲピュラ軍は三公の全軍を展開、北と南の防衛線それぞれに。我らが防衛するはここ、北の防衛線。南にはクリマーレ山脈の麓の鉄の諸国の軍と、アスクードの荘園領主の最強の騎馬隊〈赤き絨毯〉が率いる連合軍四万が防衛に当たっている。強力な連合軍だ。それに比べて我らは、アマールエクエスからなる二個師団の二万。数には劣るが、我らには連綿と受け継がれ、尚も研ぎ澄まされていく騎士道がある。この道を歩む諸君ら一人一人が百の剣に匹敵する! 南の連合に劣らぬ誇りを見せよ。そして諸君らの愛する世界を蹂躙せんとする愚かな者に見せてやれ! 世界を脅かす者に剣の正義を! 世界の劔たる誇りをいま貫くとき!」

 従士だけではない。シュヴァリンの演説を聞いていた戦士の全員が鬨の声をあげた。その熱気は駐屯地中に瞬く間に広がり、エクエスを呼ぶ声となって駐屯地を渦巻いた。


 戦場は混沌と化していた。騎士団アマールエクエスの騎馬隊が先陣を切ってゲピュラ軍の前線を崩壊させ、スバニア戦士の矢尻型の盾の陣形による突撃で、雪崩のようにゲピュラ兵士を倒して有利な形勢に運ぶつもりだったが、往々にしてそううまく運ぶものではない。

 スバニア戦士は、構えて並べた盾の壁の間から、ゲピュラ兵士の後ろから五から十人ほどの個性あふれる装備を纏った遊撃部隊が展開してきたのを見て、この突撃はまずかったと理解した。

 ゲピュラ遊撃隊のいくつかが素早く左右に展開し、盾の壁の戦士達を孤立させた。傭兵部隊のあまりの迅速な動きに、スバニアの弓戦士は左右の遊撃に出る傭兵部隊を射ることができなかった。スバニア戦士達は後方を遊撃隊に遮断され、退路を断たれたことによる混乱から壁が弱くなりつつあった。小隊長は兜の目庇の間からその状況を鋭く捉えると、副小隊長に命令して部隊を二つに分けて、盾の壁の陣形を小さくして安定させた。

 そして、防衛だけに徹するのではなく、盾の壁の陣形――円卓と呼ばれるそれを維持しながら、ゲピュラ遊撃隊を背後から襲うように撤退し始めた。

 こうして戦場の真ん中に亀裂が入った。それをゲピュラ軍は狙っていた。三公の長男ダッパジョーゾ公率いる精鋭部隊の騎馬隊が亀裂を走り抜け、矛を構えて一気にスバニアの後方部隊に突撃を始めたのだ。

 シュヴァリンは弓兵を下げて第二陣の部隊を展開した。第二陣の戦士は分隊ごとに円卓を組んで小規模の盾の壁の陣形をとった。縦に重ならないように左右にずれて展開する陣形だ。

 後方部隊を狙って一気に軍馬を駆けるダッパジョーゾ公は兜の中で舌打ちをした。目の前に展開してきたスバニア戦士達の陣形のせいで、蛇行して進まなければならなかったからだ。しかし、ダッパジョーゾ公を含め、ゲピュラの騎馬兵は獣の如く兜の中で啀むと矛を腋でぐっと挟み込み、矛先を円卓のスバニア戦士達に向けた。(すべて串刺しにしてやるわい!)。ダッパジョーゾ公はそう心の中で叫ぶと、軍馬に拍車をかけた。

 アマールエクエスの長であるエクエス=シュヴァリンの思惑通り、ゲピュラの騎馬隊は円卓の陣形のせいで団子のように詰まった。それを認めると、シュヴァリンは隣に立つ旗手に頷いた。老練な戦士でありシュヴァリンと数々の戦場を渡り歩いた旗手は、シュヴァリンの頷きと同時に旗を振って、戦場の部隊に指示を伝えた。

 円卓を作って、勇猛果敢で恐れられるゲピュラ皇国軍――それもダッパジョーゾ公の騎馬隊の攻撃を凌いでいたスバニア戦士の分隊長は、後方の丘の上を見た。旗が振られているのを見るや否や、号令をかけた。その号令に、戦士部隊が即座に陣形を崩した。そして今度こそ円卓そのもののように完全な環状になり、中央にダッパジョーゾ公率いる騎馬隊を閉じ込めた。そして更に号令の合図が出されると、盾の壁は中央に向かって一歩ずつ、低く轟く掛け声をもって万力のように進んでいった。

 完全に包囲されたダッパジョーゾ公は、腹の底から煮え立つような笑い声を豪快にあげると、矛を捨て去り剣を抜いた。騎馬兵も剣を抜き馬上戦に移った。しかし、スバニア戦士部隊の不動の盾の壁になす術なく、じわじわと追いやられて、遂に馬の走る広さもない程になった。勇猛果敢で恐れられたゲピュラ皇帝の長男ダッパジョーゾ公は、兜を脱いで赤髪を振り回して狂人のように馬上から剣を振るった。まっったく怯まないその勇猛ぶりに流石のスバニア戦士も恐れをなしたが、結果は変わらなかった。

 ゲピュラ軍の三公が一人、未子のテレディア公はなにを考えているかわからない冷徹な目で、豆粒のような小ささのダッパジョーゾ公が囲まれるのを丘の上から眺めていた。テレディアは生まれて初めて――九十年のときを経て――兄に感謝した。兄を囲むスバニア戦士達の背後はがら空きだった。遊撃隊は最初の突撃の際の捨て駒だったが、意外にも気骨を見せて最前線のスバニア戦士を後方と合流させるのを阻止している。

 テレディア公は自らの自慢の重装兵に進軍を命じた。戦斧を担ぐ歴戦の狂戦士達。東の地の妖術によって肉体を強化させたお気に入りの兵器。女子供を躊躇なく股から引き裂き頭を手で押しつぶすことができる狂戦士は、テレディア公の自慢の一品だった。その狂戦士は前線にたどり着くと、まるで嵐のように仲間である遊撃隊と、その掃討にかかっていたスバニア戦士を蹂躙し始めた。(死ねば金を払う必要もなくなる)。テレディア公は狂戦士の戦いぶりに満足そうに一人頷いた。

 エクエス=シュヴァリンは新たに展開された敵の重装兵を見て顎を摩った。(あれはまずい)。シュヴァリンは切り札でもある従士達に出陣を命じた。従士は命令が下るや、馬に拍車をかけた。前脚で宙をかく馬と剣を掲げる従士の姿はさながら小説の表紙にもなりそうなほど美しかった。短い掛け声とともに従士は帽子の飾り羽根を風にはためかせて突撃した。

 その中に従士見習いというなんともいえない立場のウィリアムもいた。後ろにマーシャルを乗せて。

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