四十五話
ウィオラはジャックを連れてプルッケル自由都市の港から小舟で対岸を目指していた。
「どうしてついてきてくれたの?」
ジャックは櫂を漕ぎながら、水面に視線を逃した。
「俺は錆の国で義賊のやつに拾われた。その日の食い物を得るので精一杯な暮らしだったけど、同い歳の仲間もいて幸せだった。でもよ、その仲間の一人が死んだんだ。守るって約束したのに。だからわかるんだよ、あんたの辛さ。大切な人が戻ってくる可能性があるなら、黙って待ってるなんてできやしない」
「意外と漢らしいことでして」
「そりゃどうも。それで、手がかりはさっき言ってた男だけなのか?」
「えぇ。カルという女性に会って話すことができましたの。ジルク達の救出対象だった人よ。そのカルの話だと、ヤグサという仲間もいたそうなの。ウィリアムの話の中ではヤグサは死んでいなかった。その人なら、なにか知っているかもしれない」
その〝何か〟とは何か、ジャックは敢えて聞かなかった。
二人は小舟でプルッケルの北の岸に渡った。東の開けた場所に、フルケル北防衛線の駐屯地の陣幕が間遠に確認できた。二人は駐屯地には向かわずに霊樹の森の方へと足を向けた。というのも、ウィオラがヤグサらしき男の目撃情報を得ていたからだった。
しばらく森に挟まれた街道を進んだ。時折現れる集落は無人だった。いくらスバニア騎士団が駐屯しているとはいえ、争いの煙が見える場所に住み続けようと思う者はいない。扉は閉められているが、いろいろな家財がなくなっている。
「ここではなさそうね」
二人はさらに北へと進んだ。岩の断面が見える、つづら折りの細い登り道が続く切り立った小高い丘の集落には人がいた。ここには酒場もある。家の外では洗濯物が干され、子供が木の棒を持って走り回っていた。細い街道と切り立つ丘のおかげで、ここの人達は逃げる必要がなかったのだ。
集落の人は、ジャックの武装している姿を見て顔を険しくする者もいたが、大抵は好意的だった。二人は宿屋に入り、一階の酒場の仕切り台の向こうで豚の燻製肉を切っている宿屋の主人に声を掛けた。
「すみません。ここに弓を使うわたくしと同じくらいの年齢の男が来ませんでしたか? 腕のいい狩人だとか」
半袖のシャツに麻の平織の前掛け姿といった主人は包丁を握った手を止めずに鼻で薄ら笑った。ウィオラは明け透けに不機嫌そうな顔を主人に向けたが、主人はお構いなしだ。ジャックがウィオラの横っ腹を肘で突っついた。
「すまない親方。一杯もらえるかい?」
ジャックは気前よくペイス硬貨を二枚、仕切り台の上に音を立てて置いた。主人が一瞥し、前掛けで手を拭ってようやく体を向けてきた。
「ペイス硬貨なら銅貨三枚だ」
「いや、二枚だろう?」
「あんたは兵士だろう? 気を悪くして貰っちゃ悪いんだが、ゲピュラが勝ったらそれは使い物にならなくなるかもしれん。すまないね」
ジャックは食い下がるようなことはせず、納得したように息をつくと巾着からもう一枚、船の刻印があるペイスの銅貨を出した。
「それに、お前さんは未成年だろう」
「そうだよ。そして未成年は寛大なんだ。ミルクと間違えてうっかり別のものを注がれたって怒らないぜ」
ジャックの悪戯な笑みに主人は首を振ったが愉快そうだった。
「親方、訊きたいことがあるんだ」ジャックは銅貨をもう一枚出した。「このお嬢さんの質問に答えてやってくれないかな」
親方という呼び方にあからさまに気分を良くしたのか、店主は銅貨を押し返すと酒場の角を指差した。
「あいつのことかい? 確かに弓の腕はいいし、確かに狩人だがかなり高慢だ。いいかい兵士さん。揉め事はごめんだ。争いならちょうどいい戦場が近くにあるだろう?」
ジャックは銅貨をもう三枚取り出して、自分と同じ酒にパン、燻製肉を所望した。二人分の杯と皿に盛られた食べ物を持って狩人のところへ向かう。
「坊や、抜け目ないのね。少し見直しましてよ」
「そりゃどうも」
皮を所々にあしらった革鎧姿の男は卓に突っ伏していた。傍らにはここらでは珍しい曲剣と、湾曲した小ぶりな弓を立て掛けていた。
ジャックが長椅子を引くと、その音に革鎧の男が顔を上げた。口元を拭って、無骨な表情で二人に視線を走らせる。
「狩りの依頼なら前金で十マーネ。得物が兎か雉子なら半額でもいい」
「十マーネもあったらここに三日は浸れる金額だぜ。それに、マーネはゲピュラ皇国の通貨だ。狩人なら放浪の身だろう? ペイス硬貨のほうがどこでも使えていいぜ」
男はジャックを無表情で見下ろした。ジャックは悪戯な笑みを見せると、発酵させたパンとハムが載った木皿を差し出した。男は杯にも目をやった。ジャックはもちろんと言って杯の取ってを男側に向けた。男は杯をむんずと掴み、一気に煽ると音を立てて卓に下ろした。
「ここの野郎ども、狩には腕の良し悪しは関係ないと言いやがった。この宿屋の屋根の風見鶏とかいう食えない鶏を見たか? 見れないだろうな、俺が撃ち落としてやったんだからな。しかも見ないで、一矢で撃ち落とした。ここの粗悪な矢で。それを見たらなんて言ったと思う?」
二人は黙ったままだ。
「なら獲物を狩ってこいだと。あいつら、この弓にパン屑の欠片ほどの敬意も見せない」男はパンを噛みちぎると、柔らかさに一瞬驚き、思い出したように二人を見た。「それより、随分と気前がいいな少年戦士」
「従士と呼んでくれよ」
「従士? そういや、あいつも従士の息子で……ってなんのようだ」
ウィオラが我慢も限界と言わんばかりに身を僅かに乗り出した。
「いま、従士の息子って言いまして? それはウィリアムのこと? ウィリアム・ダーリア?」
男は首を引いた。
「そうだ」
「なら、あなたがヤグサね? ドラ=カルダリーアのヤグサ」
「そうだ」
ヤグサは不機嫌そうに言った。
「あいつなら、駐屯地の戦士に後を任せた。俺じゃなくて、駐屯地に行けば情報が得られるだろう。傷を負ってから――あれは酷かった――三日くらいだったから、熱は出るだろうが死んではいないはずだ」ヤグサが鋭い視線でウィオラを見た。「まさか……」
「生きてましてよ。そのことで訊きたいことがありましてよ」
ヤグサはジャックのパンに手を伸ばした。
「その前に教えてくれ。カルって女を知らないか? 俺と同じくらいの歳で、気の強い女だ」
「カルなら、今朝王都に向けて出港しましてよ。元気そうでしたけど、貴方達のことを心配していたわ。会いたがってもいましてよ。お礼を言えなかったとか」
「そうか、生きてたか。よかった。その、王都は遠いのか?」
「マッケロ川を船で一週間ほどでしてよ」
「船とやらも金がかかるんだろうな。ここらはなんでも金だ。あれのどこに価値がある。それはそうとして、それで、お前の訊きたいことは?」
ウィオラは居住まいを正した。
「ウィリアムが怪我をしたとき、他に男が二人いたはず。ベーネと、ジルクート……。二人は、その、どうなったのでして?」
ヤグサが咀嚼を止めた。杯に手を伸ばして酒で胃の中に流し込むと、深く息をついた。
「それが知りたくて俺はまだここにいる。狩をしてるのも、霊樹の森の中で過ごすための物資を調達するためだ。矢に食料、それに、もしあいつらが生きてたら必要だろう、余分な食料とかな」ヤグサは胸元にこぼれたパン屑を払うと、重々しく語った。
あのとき、ヤグサにはベーネとジルクートが地面を張って逃げようとしているのが見えていた。
ベーネは背中に傷を負った拍子に地面を転がり、それでも逃げるように窪地に落ちていった。ジルクートは炎に襲われていたが、炎の剣を操るコンティーレの剣を弾くと、髪を燃やしながら川の方へと転がっていった。それがヤグサが見た二人の最後の姿だった。
「俺には酷い傷を負ったウィリアムをなだめる余裕もなく引き摺っていくしかなかった。だから、俺もあいつらが生きてると思ってる。あいつらは、よそ者にしてはいいやつらだった。見捨てることはできない」
「それなら、探しに行くまででしてよ」
「先立つものがなきゃ話に――」
「それならお気になさらず」
ウィオラはジャックを見た。ジャックは腕を組んでヤグサの話に神妙な表情をしていたが、ウィオラの視線の意味に気がついて唸った。
「おいおい従士の給金も高くはないってのに。まったく、自分のために財布が軽くなった試しがない」




