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Belief of Soul〜薔薇の棘〜  作者: 彗暉
第一章
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一話

 入道雲が地平線の彼方で隆隆としている。

 麦わら帽子の下の額に流れる汗を拭ったウィリアムは、丘の上で寝転ぶと、開いたままの本を胸に置いて、表題〈騎士の誕生〉の文字を指で拍子を取りながら青空を見つめた。

 スバニアは愛する人を剣に変えられて、それを振るって世界の争いを平らげた。愛するカンサルタに触れることも会うことも叶わないそんな苦しみのなかを歩いたスバニアに、愛の光はさしたのだろうか。

 ウィリアムの父ジョンは、スバニア騎士団の戦士として異国を駆け巡るためになかなか帰って来なかったが、本と手紙を送ってきていた。ウィリアムは幼い頃に初めて送ってもらった、この〈騎士の誕生〉がお気に入りで、入道雲が漂う季節になるとまた読みたくなる。一年ぶりに本棚から引っ張り出したはいいものの、冒頭の贖罪を受けた場面でいつもこの疑問にひっかかるのだった。

「おい、ウィリアム」

 ウィリアムは声が聞こえたような気がしたが、熊蜂の翅の音だろうと思いあらため、麦わら帽子を顔に被せた。その麦わら帽子がひょいと浮き上がり、驚いた顔をしたウィリアムを祖父が見下ろしていた。

「爺ちゃんか。脱穀は明日だろ?」

 日に焼けた祖父は、表情を変えずに寝っ転がったままのウィリアムの胸に、一つの油紙の包みを置いた。それからウィリアムが読んでいた本の題名を見ると、

「〈騎士の誕生〉。あいつが、お前と同じくらいのときによく読んでたやつだな」と祖父は言って、嘲笑にも見えるばてたような笑みを刷く。

 火ノ季の暑さにやられたのではないかと心配したウィリアムは、身を起こすと丘を降りていく祖父の背中に「水、飲むんだよ」と声をかけた。片手を上げて去っていく祖父の背中が小さくなるのを見ながら、もう歳なんだから気をつけて欲しいと心の中でため息をこぼし、 ウィリアムはひとつ首を振ると、油紙の包みに手をかけた。

 本が一冊、それに添えられた手紙を裏返す。

 走り書きしたような筆跡で――クルシュヴァリン=ジョン・ダーリヤと書かれていた。

 前の手紙までは、ただのジョン・ダーリアだったはずだ。まさか、王都で新たな家族でも作ったんじゃないだろうな。首に汗が滲む天気にも関わらず、嫌な冷たさを感じつつ手紙の封を切った。

 ウィリアムの父ジョンは、小麦の農商の家に生まれながらも、母カベラと結婚してからすぐにスバニア騎士国の戦士となった。最初の遠征から帰ってきたときにウィリアムが生まれ、ウィリアムは農商と戦士の息子となった。

 多くて一年に一度しか帰ってこない父親を父と呼ぶのは、街で愛想の良い雑貨屋のおじさんを父と呼ぶような感覚に近い。手紙がウィリアムに不安を抱かせたのはそれだけが理由ではない。父の暮らす王都は美しいと聞いていたし、本でもたびたびそのように語られる。どこの都市よりも立派な石造りの建物に、異国情緒あふれる香辛料が効いた食べ物、一日の大半を建物の修繕に生徒を駆り出さない本当の学舎。それに、王都には十六歳ぐらいの歳のちかい娘が、聖歌や人の役に立つための生き方を学ぶ、聖剣歌の本拠地カンサルタ歌剣院がある。

 しかし、一番の見所は、蒼穹の一部が落ちて城となったと言い伝えられる、騎士王の居城でもある瑠璃城だろう。文字通り瑠璃でできた城は、神が創ったのだとも言われ、膝下に広がる港には、色とりどりの帆布を掲げた商船が入り違い、街は眠ることを知らないという。そんな場所に住む父親は、派手な暮らしを営み贅沢をして故郷に帰ってくる気をとうとう失ったに違いない——そんな燻っていた不安が本当になったのではないかと思ったのだった。

 王都に住む人達はさぞ華やかな暮らしをしているのだろう。畑を耕し、刺激に欠ける田舎を忘れる。しかし、俺たちのように着飾ることを知らずに勤しむ者がいるからこそ、そんな暮らしができるのだ。ウィリアムは胸に常に留めている言葉を、今一度唱えた。

(鋤を振るう以上の名誉はない)

 祖父の口癖を噛みしめ、大きく頷くように重い息を吐きながら、手紙に目を通し始めた。

 手紙の序文は丁寧な筆跡だった。しかし、これまで送られてきた手紙と同様に進むにつれて筆跡が走るように荒れていく。

 ボスオン大砂漠での霊獣との息をつかせぬ死闘、風が荒れ狂う渓谷を抜ける手に汗握る逃走劇、交易路が重なるゲピュラ地方の多様な文化を記した描写のところになると、もはや読むのが困難なほどの筆跡だ。それでも、読んでいて胸は踊るし、匂いまで感じてきそうで、悪い気はしない。

(戦士なんかやめて物書きにでもなればいい)

 手紙の、次の週のイレかウレの日には間に合いそうだ、という締めくくりの文を読み終わると、ウィリアムは鼻で嗤う。そして、丘の下に広がる景色を眺めながら、眉を顰めた。

 刈り終えたばかりの小麦畑には、乾燥させるためにはさ掛けされた小麦の穂が並んでいる。この皆で育てた小麦は主にパンとなる。ここタロエでできた小麦は、町の名前で呼ばれるほど有名で、かの芸術の都プルッケルにも輸出される。芸術の都は、彫刻や絵だけではなく料理も芸術に含まれるそうで、タロエの小麦の質は特に好まれていた。それだけでなく、北の黒き影から世界を守る騎士団の兵糧としても役立っている。ウィリアムは満足そうに小麦畑を見て立ち上がった。

(つまり、スバニア騎士国の食卓の全てとは言わずとも、かなりの重要な部分を支えているのだ)

 日々の生活に欠かせない食の基盤を支えているのはこのタロエの、ひいてはダーリア家が耕してきた小麦農場なのだ。その責任を、寒い土ノ季に皆が喜んでパンを食べる姿を見るたびに噛みしめる。俺は剣ではなく、鍬と鋤を振るい闘っている。その誇りを忘れたことはない。

 それなのに、どうしてこんなにも不快に胸が焼けるのか。冷たい水を飲んで一息つこうと、ウィリアムは丘を降りた。



「それじゃ、行ってくる」

「あまり、羽目を外すな」と祖父。

「わかってるよ」

「もう大人なんだから、分別はしっかりね」まな板に向かっていた手を止めてカベラが言った。

「わかってるって。大人だって思うなら、わざわざ言わなくてもいいだろ」

 ウィリアムは笑みも見せずに、夕飯後の卓でお気に入りの紅茶を嗜む祖父と、前掛けで手を拭うカベラに呆れたように首を振った。

 家を出て、扉を閉めるや否や、ウィリアムは背負い袋の負い革を握り暮れなずむ街道を鼻歌と共に駆け始めた。

 夜の帳が下りたころ、最後の丘を越えてフレル院の尖塔が見えた。緩やかな丘陵地に建つフレル院を中心に、マッケロ川の畔までなだらかに広がる町を一望する。ウィリアムが通う学舎、友達、そして父と待ち合わせるこの町がタロエだった。

 石積みの城壁に掲げられた松明の影を揺らす城門を叩いた。門扉の覗きから誰何されたウィリアムは、タロエの町の紋章である小麦の穂が描かれた首飾りを見せる。

 ほどなくして開かれた門扉を潜り、ウィリアムは不敵な笑みを浮かべる。

 関所の向こうに広がるは、二階建ての宿の看板が並ぶ宿場通り。二階には灯りが灯されて、旅人達がすでに宿にいるようだった。人が出入りするたびに開かれる扉から、酒場の喧騒が漏れ聴こえてくるのを横目に、活気付く夜の気配にウィリアムは足を急かした。

 宿場街の鼠が数匹走る裏通りを走った。迷うことなくすらすらと放棄された樽を飛び越え足場を登り、細い通路を抜けてフレル院の近くの閑静な通りにやってきた。町はすっかり暗くなり、街灯の暖色の明かりが石畳を滑らかに照らしている。

 その一角にある目的地の建物があった。艶やかな樫の木の重厚な扉の、ガラスの小窓から見える灯りに笑みを浮かべて押し開く。

 外よりも一段二段は低い空気が肌を心地よく包み、軽やかな弦楽器の楽音、若者たちの底抜けの明るい声と酒精の匂いがどっとウィリアムを呑み込んだ。

 扉の鈴の音に反応してか、仕切り台の向こうでガラスの杯を拭く店主と目があった。客に笑顔の一つもなく、ため息でもつきそうな顔に、ウィリアムは一層笑みを深めると顎をついっとあげて会釈した。

 店主はそれに応える代わりに、部屋の一角に目をやって、杯を拭く作業に戻った。

 ウィリアムはその視線が送られた一角に向かった。学舎通いの十六かそこそこの若者たちで溢れる店内を縫うようにして進む。

 天井に吊るされた大型の羽根車がゆっくりと回転して、部屋の空気を冷たくしている。羽根には、まるで風を書き表したような文字のようなものが描かれていて、魔紋と呼ばれる。特別な貴石を動力源として、魔紋や術式で特別な力を顕現させる魔具は恐ろしく高価だ。しかし、あれのおかげでこの店は暖かくも涼しくもなる。だからこそ、ここは賑やかなのだ。

 ウィリアムは壁に設置された見上げるほどに巨大な酒樽から生える蛇口をひねり酒杯を満たすと、目的の卓に着くなり酒杯を高く掲げた。

「よっ!」

 その声に三人の若者が顔をあげ、わずかに赤く染めた頬にそれぞれの笑みをたたえて応える。

「よう、ウィリアム!」

 炉の火に焼けた褐色の肌を焼きたてのパンのようにして、満面の笑みを湛えるは鍛冶屋の息子スミー。

「来たなさぼり魔」

 白い肌をうら若き乙女のように赤く染めて、上機嫌にそう言ったのはパン屋の息子のアルト。

「どーも」

 気怠そうな目でそう言いながら、嫌なものを含まない薄い笑みを見せるは、狩人兼木炭職人のテーレ。

 みな十六歳で同じ歳ということもあり、三人は気のおけない言葉を交わし合いながら、あっと言う間に酒杯を空にした。酒を注いで再び卓に戻ったアルトが、盛大におくびをかいて酒杯を掲げる。

「イレとウレに乾杯!」

 一週間である七日のうち、二日は休みと定められている。それがイレとウレの日だ。

 イレとウレとは夜空に浮かぶ二つの月、イレルとウレルのことであり、イレルは過去を、ウレルは未来を意味する。イレの日には過去に感謝し、ウレの日には未来を築く今日に感謝する日。この二日は慎ましく家族との時間を過ごすのが習わしで、仕事が終わった男達はまっすぐ家に帰る。だが、束の間でも自分たちの帝国となる酒場を征服することを見逃す愚かな若者は、このタロエにはいない。

 鬨の声とも呼べるアルトの音頭に従って、ウィリアムも酒杯を半分まで空けると椅子に体を預けた。アルトが頬を紅潮させて、へらへらと笑んだ。

「もうすぐ火ノ季だ。小川にはたわわと果実があふれるんだなぁ」

「果実が川にできるのか?」スミーが眉を寄せた。

「知らないのか?」

 テーレの蔑むような声音にスミーの腕の筋肉が隆起する。

「〝果実〟なんて上品な言い方どこで思いついたんだ。スミー、こいつらが言う〝果実〟ってのは」

 ウィリアムは林檎を持ったような手の形をスミーに見せた。スミーは即座に理解してわずかに顔を赤らめて店内を一瞥して、声を低くした。

「なんでそんなことを知ってるんだ」

 テーレが自慢げにパンをちぎって口にすると。皆が答えを待つ沈黙をパン以上に味わった。

「俺は狩人だ。この店にいる誰よりも森にいる。森にいれば川がある。そういうことだ」

「つまり覗きってことだな?」

 ウィリアムの含む言葉にテーレは肩を竦めて首を傾げた。四人は喧騒にも負けないくらい笑ながら、時折声を顰めてテーレの審美眼による果実の話に耳を傾けた。ひととおり笑い疲れた四人は椅子の背もたれに寄り掛かった。

「そういえば、親父さんはそろそろじゃないか? 俺、そのうち武具の制作に手を出そうと思っててな。お前の親父さんに色々訊きたいんだ」

 スミーに活き活きと輝かせて語る言葉に、テーレが顔を顰める。

「なんだスミー。外の世界の話を聞いてなんになる」

「腕があれば旅ができるだろう」

「なんでわざわざ。だいたい、お前の家は町長から仕事を貰ってるだろうに。そんな安定を捨てるなんてどうかしてる」

「男の情熱っていうか、なぁ、ウィリアム」

 スミーの熱い視線から目を逸らすようにウィリアムは空の酒杯を手にとった。

「俺は農場のほうが好きだからな。親父は年に一度しか帰ってこないし、それなのに馴れ馴れしくて、だからといって話が続くわけでもないし」

 テーレが鼻で笑ったので、ウィリアムは明け透けにテーレを横目で睨んだ。それに気づいたテーレは顔の前で手をひらひらとさせ、

「いや、別になにも。父親がいるだけいいんじゃないかってね。それに、お前らは町長から良い待遇を受けてるじゃないか。それなのによくもまぁ不満がでるなってよ」

 ウィリアムはテーレの疲れたような目を見て、なにも言い返さなかった。

 テーレは幼い頃に父親を亡くしている。父親は腕の良い弓使いで、タロエ町でも有名な狩人長だった。ウィリアムの父親とは同世代ということもあり、一緒に狩りをして少年時代は森に泊まり外の世界のことをよく語っていた。ウィリアムは、ジョンからその話を何度か聞いたことがあった。そして、テーレの父親がその好奇心によって霊獣に手を出して死んでしまったことも。

 テーレの叔父が狩人長を後任として預かったが、狩人達をまとめることができずに狩人長を追い出され、その日暮らしの狩人になってしまった。そんな叔父に育てられているテーレが不憫な暮らしをしているのは想像に難くない。

 ウィリアムは大きく息を吐いた。

「形がなんであれ。俺たちの家業はこの町の暮らしを支えてるんだ。爺ちゃんはよく、剣を振るうより鋤を振るうほうが誉れ高いっていうぞ。ちょこっと剣を振って王都で煌びやかな暮らしをしている騎士様より、肉と毛皮をくれる狩人のほうがよっぽど誉れ高いよ。それに、危険な森でお前と叔父さんが木炭を作ってくれなきゃ、土ノ季の寒さでこいつを失うかもしれない」

 ウィリアムは股を手で隠しながら肩を竦めて震えて見せた。

「まったくだ」スミーも頷いた。

「俺は季節問わず準備万端だけどな」頭の後ろで腕を組むアルト。

「使う予定はあるのかよ」テーレは不敵に笑んだ。「それで、ウィリアムは親父さんの後を継ぐのか?」

 まさか、そう答えたウィリアムの笑いに続く者はいなかった。一様に笑みが残る顔に真摯なものを目に含んでいる。居心地が悪いウィリアムは首の後ろを撫でた。

「剣より鋤だってさっき言わなかったか」

 テーレが周囲を一瞥してから、唇を湿らすと身を乗り出して声を鎮める。

「大声では話せないことだ。先週、狩で東に三つ尾根を越えた。そこで異国風の身なりをした旅人に会ってな。そいつが戦になるって忠告をしてきた。なんでも、ゲピュラ皇国がプルッケル自由都市に侵攻するらしい」

 三人はそれをきいて肩を竦めて一蹴した。

 プルッケル自由都市は大陸全土に名を轟かせる芸術と職人の都。その工芸品と技術は大陸の最先端を常に牽引し、世界に影響を与えている。そして、その重要性をどの大国も認知し、支援する。不可侵の都市として世界で認知されている。これは学舎に通っていれば当たり前のことのように習う。

 それほどにまで世界に護られた土地と価値は〈世界の壁〉以外に類を見ない。そこに手を出すということは、世界の大国を敵に回す可能性があった。

 だからこそ、三人が一笑に付すのは当然だったのだが、その笑いをアルトがすぐに引っ込めた。

「いやいやいや、待て待て。これだこれ。最近、小麦の値段が上がったんだ。ウィリアム、別に不作じゃないよな?」ウィリアムが頷いた。「だからさ、俺は町長が私腹を肥やすためだと思ってたけど、これって町の蓄えを増やすためなんじゃないか」火を吹く竃のような目でアルトは続ける。

「ゲピュラ皇国っていったら、百年単位で大規模な戦争を続けてた怪物だ。歌と神秘で詩を紡ぐ吟遊詩人の都ネブリーナは難攻不落だといわれているのに、これを属国にできたのはゲピュラ皇国だけだ。スバニア騎士国の辺境の都市や町が栄えているのはプルッケル自由都市との交易のおかげ……。ゲピュラ皇国がプルッケルを呑み込んだとした、俺たちの町もゲピュラ皇国の言いなりだ」

 スミーがアルトの後頭部をひっぱたいた。

「お前はこういう類の話がほんとうに好きなんだな。だが、そうはならないだろう。なんせ、ここは辺境でもスバニア騎士国だ。スバニアの騎士が黙っていない」

 世界の救済のために剣を振るうスバニア騎士国。その騎士であるスバニア騎士。理不尽な争いに正義を示すべく、国境を越えて弱き国や人々を救う正義の剣だ。神に賜った神秘と騎士道を掲げて、世界を守るために北の黒き影とも戦うスバニア騎士国は、絶対の正義とどの国も認識して助けを求める。

 そのスバニア騎士国の領土にあるタロエ町が安全だと考えるのは当然だった。

 テーレが卓を叩いて目に力を籠める。三人はそれに瞬きをして手を止めると、テーレの深く吐いた息の後を待った。

「陰謀だとか、その答えは定かじゃない。それでも、あの旅人は嘘をついている目ではなかった。そうじゃなくたって俺たちはもう十六歳。学舎に通うあと二年で人生が決まる。スミーとアルトはタロエの学舎でこの町のために学ぶだろうよ。それでも、ウィリアム、お前は違うだろ。父親が戦士、片や農商の家。どっちになるんだ」

「だから俺は――」

「嘘つくのはやめろよ。お前、爺さんの誇りだとか言ってるけど、それならなんで一度も自慢気に言わないんだ?」

「おいおい、タロエの農商の後継ってなれば責任は軽くないと思うぞ」

「なにを熱くなっているんだテーレ」

 スミーとアルトの言葉には見向きもせずにテーレはウィリアムを見据える。

「外の世界、憧れてんだろ。お前には機会がある。しなきゃいけないとか、こうだからってうじうじ考えてその機会潰して、なにが楽しい?」

 ――ウィリアムは胸の中で膨らみ、今にも吐き出しそうな思いを飲み込むように視線を落とした。

 しなければならないだろう。祖父から父に農商の知識や知恵が継がれていれば、そんなに焦ることはない。しかし、祖父はもう歳だ。それに気づくのに遅れた自分も悪いが、それでも父に罪を擦りつけずにいられるほどできた人間ではない。父が戦士になんてならなければ、送られてくる手紙に夢を見ることも、丘に積もった雪滑りをする家族を見て手紙を捨てる気持ちになることはなかった。

 ――テーレの言う通りだ。俺は、望まぬ誇りを標榜して、父への腹いせを隠している。

 ウィリアムは、収まらない嫌なものが腹にまで落ちて留まるのを感じながら席を立った。

「俺、今日はもう寝る。またな」

 スミーとアルトは声をかけながら酒杯を掲げるが、テーレは酒杯を掲げただけだった。

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