十四話
聖剣歌の歌剣院の総本山であるカンサルタ歌剣院は、朝の祈りを行う大聖堂とくっつく形で瑠璃城の足元にある。大聖堂と四階まである三つの棟が中庭をつくり、大聖堂以外の大きな入り口は、巨大な鉄の壁のように聳え立つ大門だけ。そして、出入りできるのはこの大門ひとつだけだった。
外側は石造りの焦げ茶色の大理石。瑠璃城と比べると質素で静かな印象を抱かせる。外からは窺い知ることができない中庭にはアーチ型の屋根をもつ柱廊が巡り、ところどころに透かし細工の鉄格子を持つエクセドラやベンチが並ぶ。その中庭には、次の授業に向かう者や雑談する者、神秘的な聖歌の旋律に対する議論をする青と白の修道着を纏った聖剣歌の乙女達の姿があった。
下級生を表す白い修道着を纏ったマーシャルは、空に轟いた雷の音を探すように空を見上げた。
「星読みの導師は、今日は雨は降らないって言ってたんだけどな」
雲は厚く垂れ込んでいる。
白い修道着を纏った同期のウィオラが、穏やかに鼻で笑う。
「〝雨は〟でしてよ。雷だけで、雨は降らないのかもしれなくてよ」
マーシャルは午後の日課奉仕のことを考えて口を渋らせる。それを見たウィオラがマーシャルの腕を小突いた。
楽譜や教典を纏めた紙挟みを危うく落としかけたマーシャルは顔を顰めるも、ウィオラの優しく諌める目にマーシャルははぐらかすように笑んだ。
「奉仕の気持ちを忘れれば、聖歌はただの歌になってしまってよ」
「わかってるわ」
一つ雷が喉を鳴らすように轟き、ウィオラが回廊から顔を出して空を見上げた。
「あなたと出会った日も、こんな感じではなくて?」
慎ましやかに口角をあげるウィオラの表情に、マーシャルは回廊のアーチ型の天井を見上げて思い出す。
「あ、そうだったかもしれない。もうすぐ一年が経つのね。なんだか、早いようでそうでもないような」
――今から一年前。
多くの人が王都での暮らしに憧れを抱くなか、劇団サシアネッタの友人の口利きのおかげでマーシャルは王都で職を得た。
倉庫での仕事だった。その日暮らしの人足と混じって、マーシャルは働き、二年間学舎に通った。
荷物の運搬のための馬車の掃除、厩舎の掃除、商品の管理、倉庫管理を仕切る副務長の身の回りの世話、と目まぐるしく過ぎていく一日。これが一生続くのかと、マーシャルは暗澹たる日々を送っていた。
しかし、あの日、青年――ウィリアムに出会って世界が変わった。
ウィリアムは、自分はまだなにもしていないのだと言った。その言葉で、マーシャルは再び気づけたのだ。
できない自分、暮らしへの不満を抱いてなにもしていない。自分は不遇だとどこかで思い、自己憐憫に浸っている。前に進む土台として今の自分を駄目だと踏みつけるのではなく、自分を可愛がるために現状を卑下していた。
そして学舎を卒業し、仕事をやめてカンサルタ歌剣院の門を叩いた。
そして、マーシャルは門前払いされた。
「あの日は本当に途方に暮れてたんだ。身寄りもいなくって、街中で野宿はできなくってしかたなく港側に行ったの」
「憶えてましてよ。同い年くらいの娘が施しの配給に並んでるんですもの」
マーシャルは口元を隠すようにして笑った。
「ほんとうに、驚いたような顔してたもんね、ウィオラ」
港は城壁の外側にあり外から来た人足たちの住まう場所となっていた。暮らしのために着るもの以外を売り払ったマーシャルは、人足に混じってその日の宿賃を稼ごうとしたが、女だという理由で雇ってはもらえなかった。
一張羅の服は売れなかったから髪を売った。長靴も売り、差額で木靴を買った。二日の野宿で金子が底をつき、マーシャルにはなにもなくなった。
金歯を入れた手配師の話を聞き会いにいくと、王都を出る船で仕事があるという。ひと航海で一年分は稼げると言われたが、女が船に乗るとどうなるかは聞いたことがあったため、マーシャルは走って逃げた。
他の港の地区で放浪していると、炊き出しの噂を耳にした。そこで炊き出しをしていたのが、織物商の大富豪の娘ウィオラだったのだ。
彼女は父親に解雇されて職を失った人達のために、自分のお小遣いで慈善事業をしていたのだった。マーシャルは尊敬し手伝うようになった。もちろん、屋根と布団と食事を報酬として。
「お父様は〝すべての者が助かる摂理などない〟、〝事業改革には必要なのだ〟とか言ってあの人達を切り捨てましたの。わたくしが小さい頃から知っている人もいましてよ。わたくしは、それが許せない。必死に働いているあの人たちが、なぜこんな生活をしなくてはならなくて?」そこでウィオラは袖をたくし上げて鍋の中を睨んだ。「だから、わたくしはこうしてお父様に歯向かっているのよ。お父様からいただく財産を、お父様が切り捨てた人たちに使うの」
しかし、その慈善事業は宿を買い取るという話に発展したとき座礁した。
ウィオラの父親にそれが露呈して、資金源であるウィオラのお小遣いが凍結されてしまったのだった。
ウィオラとマーシャルは自分たちを頼ってくれていた人たちのところへ謝りに行くために重い足で港に向かった。
しかし、そこには天幕も、鍋をかけた焚き火も無くなっていた。大きな風の化け物にすべて喰らわれてしまったかのように更地になっていた。
ウィオラは無表情だった。マーシャルは声をかけるよりも先に、周囲の人にここの人たちはどこへ行ったのかを訊いて回った。
「あぁ、それなら見た」
そう言ったのは小洒落た色とりどりの紗で着飾った船乗りだった。
「プルッケル自由都市に大勢乗っけて行くって話だったな。なんでも、プルッケルの方は人手が足りてないから。ほら、ちょっと前に戦いがあっただろう? プルッケルの芸術家や商人は都市から避難したのさ。戦争には色々と手が必要になるもんだから、ここの港の難民をプルッケルに送ったってわけだ」
そう気前よく話して、船乗りは掌を差し出してきた。
「情報ってのは風みたいなもんだ。新鮮さが一番で、風みたいにすぐに消えちまう。新鮮な魚を食うにもタダってわけにはいかねぇ。そうだろ?」
片笑んで片目を閉じた船乗りのことを思い出して、マーシャルは柱廊から見える中庭を睨みつけた。
「あのオルニス号のオルニック船長にお金を全部取られちゃって、ほんとうにあのときはどうなることかと思った」
「それだけではなくってよ。わたくし達は、戦場にいかなくてもよかった人達を戦場に送ってしまった」
マーシャルとウィオラは重いため息をついた。
「そうだよね。だけど、今のわたし達にできることは、聖歌を学ぶこと。いつか、力になれるかもしれないから」
「えぇ。贖罪、なんて考え方はしたくはないけれど、わたくし達の行動がこのカンサルタに繋がっていたのだから、運命ね」
二人はオルニック船長の話を聞いたあと、行く当てもなく城下町を彷徨ってた。そのとき、声をかけられたのだった。黒地に青の縦線が入った毛織りの修道着姿の導師だった。
「私はカンサルタの導師です」
目尻の皺と髪に混じった白いもの以上に歩んできた苦労が窺える眼差しの導師は、二人をじっくりと見つめた。
「二人に、奉仕の道を進む覚悟があるならばついて来なさい。かつて、愛と探求の神ハウデンファールがスバニアに贖罪として授け賜うた神秘。その力をもって奉仕する道を、貴女がたに示しましょう」
そうして門を潜ることとなった二人は、次の日には船に乗せられて王都を去るはめになった。




