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Belief of Soul〜薔薇の棘〜  作者: 彗暉
第三章
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九話

 払暁の静かな城下町、中洲に聳える王都には石畳の階段が張り巡らされていて、今はカンサルタ歌剣院(かけんいん)へ向かう人がしずしずと歩いていた。

 毛織りの服や外套を纏い、息を白くさせて階段を上り下りする住民の装いは、上等なものから簡素なものとさまざまだ。誰にでも開かれた祈りの場所、それがカンサルタ歌剣院だった。

 カンサルタ歌剣院は、瑠璃城の麓に佇む。赤茶色の石で建てられた歌剣院の大きさは小さな城ほどもあり、精巧な彫刻や塑像が壁龕や入り口のアーチだけでなく柱にも施され、聖戦やスバニアが世界の騎士に召し上げられたその瞬間や、五神が人間であるアスロスたちの元に降臨した様子などの神話が再現されていた。

 やがて、マッケロ川の水面から太陽が顔を覗かせた。朝陽が聖堂のアーチ型の入り口の飾り迫縁のステンドグラスを照らすと、それを合図に聖堂内から聖歌が流れた。壁、尖塔、色とりどりのガラスを組み合わされたステンドグラスの窓から、聖剣歌で神秘を修めた歌剣たちが歌う聖歌が城下町に響き渡る。

 ウィリアムは悴む手を揉みながら、二年前の王都に来たばかりの頃にルーベが歌った物語の一節を思い出していた。

 〝女の柔らかく澄んだ声は重なり、神秘のヴェールとなっている〟――ネブリーナの吟遊詩人のルーベは、そう表現していた。

 聖歌が終わると、不思議と体と心が軽くなる。どんなに疲れた朝も、二日酔いで頭が喧しい鉛みたいになっても、この聖歌を聴くと安らぐのだった。聖歌で施される神秘は、まさに奇跡であり、この朝の祈りを受けるために異国から訪れる旅人も少なくなかった。

 ウィリアムは、人混みの中を魚のようにすり抜けていくと、学舎に向かう青年たちの流れに合流した。

 学徒たちの服装に決まりはない。季節によって服装が変わり、仕立ての具合が暮らしの度合いが見てとれる。草臥れた毛織りの服を重ねている者もいれば、艶やかな毛皮の外套を羽織る者もいる。

 ウィリアムは、すべて父親のジョンに買い与えられた物を着ていた。上等な毛織りの服で、ウィリアムの体の寸法を測って裁縫されたものだ。

 目の前に、草臥れた毛織りの服を着た女の学徒を見て、ウィリアムは呼吸が詰まるような思いで離れた。ああいった身なりの者は、カンサルタの祈りの時間の前から仕事をこなしてから来ていることが多い。学舎が終われば、すぐにまた仕事に戻る。

(俺は子供だ)

 十八歳になって、初めてそう強く感じた。商家の者や騎士の息子は生まれつき裕福で、品格あるなかで生きている。その多くの者は、生まれた場所の責を呼吸をするように心に染み込ませ、自覚をせずとも身の振る舞いや生き方に表れている。

 自分はそうではない。いま思い返せば、子供が外に遊びにいくような感覚で父親に王都に連れてきてもらったようなものだ。二年間の学舎通いで、王都での暮らしが想像していたものとは違うことを身をもって知った。

 必修科目だけでも、同盟関係にある諸外国との関係、同盟国の主要な産業、自国の行政地区、そして世界の剣たるスバニア騎士国が介入した戦争の歴史とそのときに貫いた騎士道精神を知らなければならない。

 必修科目でないにせよ、さらに、それを学ぶ上で知っておかなければならないアルヴェ神話や、大陸に強く根付く五神教、星教、神導教の三つの宗教のことも学ばねばならない。

 六歳から十五歳までタロエのフレル院で習ったことなど露ほどにしか役に立たず、ほぼすべての勉強をやり直しながら新しいことを学んでいかなければならなかった。

 タロエの皆はどうしているのだろう。鍛冶屋のスミーはきっと町長の仕事を一任されるほどになっているだろう。パン屋のアルトは不満を垂らしながら町の人のために美味しいものを作ろうと人知れず努力を重ねていることだろう。狩人のテーレはどうしているだろうか。狩人の仲間に入れているだろうか。

 どちらにせよ、みなは机に齧り付くのではなく人々のためになることをしているはずだ。

 ――それなのに。

 ウィリアムは、答案用紙の最後の問題に書き込んでいた手を止めて、弾かれたように顔を上げた。制限時間を報せる鈴の音が鳴っている。

 二年通う学舎は、最後の一年から卒業まで三回の試験があり、その試験の合計点によって就きたい職業に足る人物か査定される。家業を継ぐ者は点数は関係ないが、ウィリアムは違った。点数も稼げずに卒業となれば、戦士になるか、王都を離れて田舎の町か村で役人の補佐になるほかない。雇われの人足もあるが、これは最終手段だ。

 試験が終わり、暗澹たる将来への不安をこねくり回しながら帰宅の支度をしていると、靴になにかが当たって止まった。反射的に拾い上げて落とした人が差し出した手に乗せるとため息をついた。

 帰宅できればいいが、このあとには剣の稽古がある。

 ウィリアムはもう一度ため息をついた。

「あ、ありがとう」

 なにを言われたのかわからず、ウィリアムはその女学徒の顔を見た。その表情に自分がなにをしたのか気づいて、ウィリアムは首を振った。

「いや、勝手に拾ってなんかごめん」

 女学徒は胸の前で手を握りながら、栗色の一つに束ねた三つ編みを揺らして首を振る。

 女学徒は擦れた茶色の毛織りの使用人のようなドレスを纏っていて、ところどろこ藁の屑がついていた。きっと朝から働いていて、学舎に通う時間だけ免除されているのだろう。

 ウィリアムは自分が小さく感じて手早く鞄の留め具をとめると立ち上がった。すぐ横で床に大量の何かが落ちる音がして振り向くと、さっきの女学徒が鞄に詰め込んだはずのものを床にぶちまけていた。

 ウィリアムは思わず出た失笑を消して、顔を赤らめてがむしゃらに荷物を拾う女学徒の荷物を集めていく。

「そんなに急いでると、またぶちまけるんじゃないか」

「ごめんなさい」

「そんな、謝ることじゃ」

「もう……」

 女学徒は自分の顔を鷲掴みするように手で覆った。そして、一拍おいて真顔になるとぶっきらぼうに感謝を述べて走って去ってしまった。

「なんなんだよ」

 ウィリアムは学舎を出ると、断りそびれた剣の稽古に向かうことにした。

 王都に来てから、ジョンはウィリアムに一人の青年を引き合わせた。

「ウィリアム、こちらはジルクート君。お前に剣の稽古をつけてくれる。ジルクート君はお前と同じ十六歳で、エス=スティーグの息子さんだ。仲良くやるんだぞ」

 エスは騎士の称号を意味する。他国の騎士とは別の存在としたかったのか、スバニア騎士国内では、騎士団長をエクエス、騎士はエス、従士はクル、それ以外は戦士と呼ばれるそうだった。つまり、金色の髪の毛を撫で付けたこのいけすかない澄まし顔の冷静な男ジルクートは、騎士の息子というわけだ。

 ジルクートは、笑みを見せるウィリアムに、わずかに緑がかった瞳をもつ眼を伏せて会釈した。

「君の父上からご紹介に預かった、ジルクートと申します。君の剣の稽古をつけさせてもらうことになったので、よろしく。学舎が終わり次第、わたしの家で行うことになっているから、これるようならきてもらって構わない」

 鼻に皺を寄せたくなったが、ウィリアムは努めて笑顔を見せた。その笑顔から二年が経とうとしていた。

 学舎から伸びる一本の階段を下り、十字路を曲がって再び階段を上ると、ジルクートの家――イオン邸が見えてくる。

 初めて剣の稽古に参加したとき、ジルクートはウィリアムに三つの痣を贈った。尻に二箇所、喉に一箇所、おかげでウィリアムは皆の笑い者になった。最初は仕返しをしたくて剣の稽古に参加していたが、ジルクートはその度にウィリアムの心情を知ってか知らぬか容赦無く痛めつけた。

 イオン邸の門は、唐草模様の上品な装飾を施された鉄格子の門だ。門の前には革の丈の長い胴着姿の剣を帯びた門番が二人いて、ウィリアムを見るや頷いて開門した。

 町の灰色の石畳から、茶色の煉瓦に変わり噴水を抱く前庭があった。邸は二つの棟を直角に折った形で並び、裏側に稽古場がある。

 ウィリアムは壁沿いに敷かれた道を進み、垣根の手入れをしている召使いの人と挨拶を交わしながら、裏庭にある稽古場に出た。

 厚手の布を巻いを木人を相手に剣を振るう同じ年頃の青年の四人が動きを止めてウィリアムを一瞥すると、すぐさま稽古に戻った。

 ここで稽古しているのはジルクートの父の関係者の子供たちだった。父親に騎士や戦士をもつ者の多くは同じような道を目指すことから、みな戦士になるのだろう。

 ウィリアムも外套を脱いでシャツ姿になると、素振り用の鉄の剣を握って基本の型を繰り返す。体が温まり、高揚感に包まれると木人を相手に剣を振るう。最初は、距離感さえわからず、距離をつかめるようになっても手首を痛めることが多かった。しかし、今ではそれなりの動きをすることができていた。

「クルシュヴァリンの息子ウィリアム。手合わせしようか」

 わざわざ従士の称号をつけて呼んでくるのは嫌味か、それとも礼儀か、考えるのも面倒になり、シャツの袖を捲る仲間に頷いた。

 誘ってきた相手は稽古仲間の中でも体格がよく、ウィリアムと身長は変わらないのに体が一回り大きい。

 二人は剣を構え、間合いを測るように剣先を相手に向ける。ウィリアムは相手の剣が僅かに弧を描くのを見て、それに応ずるように剣を振った。

 攻防を二回繰り返すと、ウィリアムは相手の力に押されて剣を弾き飛ばされた。胸を突かれて苦痛の声を上げながらウィリアムは地面に倒れた。

「練習用の剣だ。女みたいにそんなにわめくな。一瞬、聖剣歌の乙女かと思ったぞ」

 稽古仲間の間に流れる冷ややかな笑いにはもう慣れた。ウィリアムは飽きたように見回して立ち上がる。突かれたシャツの部分に、赤い染みができていた。

「貴様ら」

 その有無を言わせない声に、稽古場の青年たちが振り返る。そこにはジルクートが広げた書簡を持ちながら立っていた。

「怪我をさせるな。稽古で相手を傷つけることは未熟者だと言っているようなものだ」

 ウィリアムと打ち合った青年は、薄ら笑いを作ると顔を下げずに一礼する。

「これは失礼、エスの息子ジルクート。今日の稽古もお休みですか。流石は騎士の息子。俺たちみたいに汗だくになって――」

「練習用の剣の傷でも侮ってはならない。帰る前に治療を受けていくといい」

 ジルクートは男の皮肉を無視してウィリアムに言うと、踵を返して屋敷のいくつもある扉の一つに戻っていく。ふいに振り返り、

「明日から銀ノ剣が始まる。私は父上の補助にあたるため、しばらく稽古を休む。この稽古場は自由に使ってくれて構わない」

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