第84話 禁足地の中へ
巨人と悪魔の戦いも、神域の神には無関係。ましてや、その少年達にも全く関わりなかった。悪魔と巨人が争おうが、自分達の生活は変わらない。詰まらない永遠が続いて、それに溜め息を漏らすだけだった。彼等はいつもの溜まり場で、例の話題に触れ始めた。「お前の気持ちも、分かるよ? でも、危険な物は危険だ。偉い人が『駄目だ』と言っている以上、その場所には近付かない方が良い。俺達の安全を考えても」
そう訴える親友に少年も「そうだな」と頷いたが、その本心はやはり諦められないようだった。彼は親友の不安を無視して、相手に自分の持論を持ち出した。「コーガの不安も分からなくはない。それでもやっぱり、気になるじゃないか? 御先祖様が『入るな』と使える禁足地。禁足地の周りに危険な罠が張り巡らされているが、そんなのは気合いで何とか出来る。俺やお前の力を使えばきっと、その罠だってぶっ壊せる筈だ。俺達が決して、諦めない限り。その妨害も」
コーガは、その返事に困った。親友の気持ちも分かるが、それに「分かった」とは頷けないらしい。親友にまた「お願いだ」と頼まれた時も、その返事に「う、ううう」と唸ってしまった。コーガは自分の頭を掻いたが、親友が真剣な目で自分を見詰めると、自分も真剣な目で相手の目を見詰め返した。
「お前の浪漫が『仮に叶った』として、その責任はどうする積もりだ? 禁足地の向こうには、『世界の根幹が眠っている』と言う。『その解放が世界を滅ぼす』と言う禁忌、その扉が奥底に眠っているんだ。俺も今の環境は詰まらないけど、世界の崩壊には手を貸したくない」
少年は、その意見に「ムッ」とした。彼の意見は、ご尤も。たった一人の我侭で、世界を壊す訳には行かない。ここは自分の気持ちを引っ込めて、規律に従うのが世界だった。でも、それでも、諦められない。今までは親友に止められてきたが、その我慢も限界に達していた。親友が規則の世界に生きるなら、自分は背徳の世界に生きよう。自分の気持ちに従って、その好奇心を満たそう。自分は彼と違って、家族が居ないのだから。それ位の自由は、持っている筈だ。
少年は地面の上から立って、そこから親友の顔を見下ろした。親友の顔は、不安と恐怖に脅えている。「分かったよ、お前の意見に従う。規則はやっぱり、規則だからな? それを破る訳には行かない。俺は、空想の中に生きるよ」
コーガは、その言葉に眉を寄せた。言葉の意味ではそうでも、肝心の中身はそうでない。彼との付き合いが長いコーガには、今の言葉が「嘘だ」と分かってしまったようだ。コーガは「一応の誤魔化し」として、表面上では彼の言葉に「分かった」と頷いた。「それが聞けて、良かったよ」
少年は、その返事に微笑んだ。彼の答えは悲しいが、それで自分の夢が消えた訳ではない。家の中から必要な物を持って行けば、いつでも禁足地に行ける。召使いの連中には「どちらへ?」と怪しまれるかも知れないが、そこは好い加減に断って置けば良いのだ。自分一人が居なくなった程度で、家の秩序が乱れる訳でもない。少年はコーガの前から去って、冒険の計画を立て始めた。「さてさて、どうしよう?」
旅の準備は? 家を抜け出すのは、何時にする? 召使い達をあしらう言葉は? 少年は自分の家に帰った後も、嬉しそうな顔で旅の計画を立て続けた。その計画が実行に移されたのは、それから数日後の事だった。彼は鞄の中に必要な物を入れると、部屋の中からすっと出て、家の外にゆっくりと出た。家の外は、暗かった。屋敷の連中が寝静まる時間を選んだので、家の窓からもちろん、通りにも明りが見えない。只、頭上の月明かりだけが見えていた。
少年は「それ」に微笑んで、暗い道路を歩き始めた。だが、そこに一人。彼の良く知る人物が現われた。コーガは彼と同じような荷物を持っていたが、本心ではあまり乗り気ではないようで、少年が彼の登場に喜んでも尚、それに「静かにしろ」と言って、彼の興奮を「抑えよう」としていた。少年は、その制止に従わなかった。相手も自分と同じ状態である以上、「その忠告にも従わなくて良い」と思ったらしい。「何だよ? 結局来たんじゃないか?」
コーガは、その反応に困った。喜ばれるのは嬉しいが、それに「うん」とは頷けない。本音では、「今すぐに帰りたい」と思っていた。コーガは相手の興奮を宥めて、通りの先に視線を移した。通りの先には、例の場所に繋がる道が伸びている。「もしもの為だよ。あそこはやっぱり、危ないからね。お前一人だけで、行かせる訳には行かない。俺は、お前の制止役なんだから」
少年は、その言い訳に吹き出した。言っている事は立派でも、その顔は「行きたい」と言っている。自分の無謀に格好付けて、この浪漫を「味わいたい」と言っていた。少年は「それ」に微笑んで、彼と一緒に夜の通りを歩き出した。コーガも、その隣を歩き始めた。二人は普段の自分達と同じ、年相応の元気と興奮を持って、夜の道を歩き続けた。夜の道は、例の場所で途切れた。神々の侵入を阻む為に結界が張られているからである。
二人は結界の前に暫く立ち続けたが、やがて結界の抜け道を通り始めた。抜け道がいつ出来たのかは分からないが、少年がそれに気付いた時にはもう、結界の端に出来ていたのである。二人は周りの様子を確かめた上で、結界の内側に入った。結界の内側は、街が広がっていた。人間の古代史に出て来そうな街、それが無限に広がっていたのである。
二人は街の様子に息を飲んだが、本来の目的を直ぐに思い出すと、少年から順に街の中を歩き始めた。「『古の都』って感じだな? 人間の歴史で言う、古代ローマ風の街だけど。建物の材料には、神域の物が使われている。コーガが今見ている議事堂も、周りの建物と同じ材料らしい。議事堂の表面は灰色だけど、その中は石英か何かで出来ている。あれは、人間が喜びそうな内容だ」
コーガは、その言葉に応えなかった。彼の興奮も分かるが、それ以上に怖い。この不気味な、異様な街が怖かった。少年が自分に「少し休もう」と言った時も、それに「ああ」と応えただけで、彼のように「はしゃごう」とはしなかった。引き返せる場面があれば、その場面で直ぐに引き返したい。コーガは彼の隣に腰掛けて、鞄の中から水筒を取り出した。「嫌な街だな? 何かこう、文明の終わりを見ているみたいで?」
少年は、その感性に微笑んだ。「表面の正確は違う」とは言え、その感想がとても嬉しかったようである。少年は鞄の中から携帯食料を出して、それを「モグモグ」と頬張った。「それが良いのさ。豪華絢爛な街なんて詰まらない。偉い人は、『そっちの方が好き』と思うけど。冒険の好きな連中には、それが余計なお節介になる。冒険の場所は、汚れた所の方が良い」
コーガは、その言葉に眉を寄せた。彼の趣味を否める積もりはない。でも、素直には頷けなかった。汚い場所を選ぶ精神も、「美しい場所を知っているから」としか思えない。コーガは水筒の蓋を閉じて、自分の足下に目を落とした。
「アバン」
「うん?」
「やっぱり、帰ろう?」
アバンは、その言葉に目を見開いた。ここまでついて来たのにまさか、そんな事を言うなんて。予想も付かなかったからである。アバンは親友の頭を叩いて、その目をじっと見詰めた。親友の目は、自分をじっと見返している。
「ふざけんなよ。折角、ここまで来たんだ。何の秘密も分かっていないのに?」
「だから、だよ? 俺達は、何も知れない。だからこそ、ここが引き返せるポイントなんだ。ここの世界を知ったら……多分、元の生活には戻れない。きっと大変な事が起こる。俺達の思い付かないような」
アバンは、その続きを遮った。彼の不安も分かるが、今は自分の浪漫を重んじたい。天の神々から「禁足地」と呼ばれた場所を調べて、その秘密を解き明かしたかった。アバンは親友の横顔を見て、それから「分かったよ」と微笑んだ。「お前は、戻れ。ここから先は、俺一人だけで行く。その方が、お前としても」
今度は、コーガが遮った。彼が求めるのは、二人で帰る事。こんな場所から、さっさと立ち去る事だ。親友の彼が居なければ、あそこに帰る意味もない。彼は詰まらなくも楽しい、「あの退屈な場所に戻りたい」と思った。「冗談じゃないよ、俺だけが帰るなんて。俺は……」
アバンは、その意見に俯いた。親友の意見は、尤も。自分にもしもがあれば、それを絶対に悔やむだろう。「自分の所為で、アイツは死んだ」と思うに違いない。普段は自分の娯楽に付き合ってくれる親友だが、「そう言う部分は、本当に凄い」と思った。
でも、それでも、帰りたくない。あの退屈な、嘘の家に戻りたくない。「親でもない神」を「親」と言って、その馴れ合いに戻りたくなかった。アバンは親友の頭を叩いて、彼に作り笑いを見せた。「お前の気持ちは、嬉しいよ。嬉しいけどさ? それでも」
俺は、行きたい。彼はそう、親友に言った。自分の我侭を詫びるように。「ここの秘密を解き明かしたい。昔の連中がどうして、『ここに入るな』と言うのか? その意味を説き明かしたんだ。お前がたとえ、『元の場所に戻った』としても。俺は、自分の浪漫を貫きたい」
コーガは、その言葉に溜め息を付いた。これはもう、何を言っても無駄である。自分がどんなに頑張ろうが、「彼の説得は不可能」と思った。向こうの世界に戻れないなら、地の果てまで彼について行くしかない。コーガは呆れたような顔で、親友の動きに倣った。
「分かったよ」
「え?」
「お前が居なきゃ詰まらないし、俺も家族が居ないからさ。どうせ死ぬなら、お前と一緒の方が良い」
アバンは、その返事に喜んだ。それは最上の、最高の言葉だったから。親友の肩も、思わず殴ってしまった。アバンは親友の足を促して、禁足地の中をまた歩き出した。禁足地の中は、静かだった。二人の足音がはっきり聞こえる程に静まり返っている。建物の瓦礫が上から落ちて来た時も、その風圧が聞こえる程だった。
二人は瓦礫の横を通って、自分の正面にまた向き直った。だが、その瞬間に一つ。妙な感覚を覚えた。周りの音は変わらないが、その中に嫌な気配を感じたのである。二人は互いの顔を見合って、その場にゆっくりと立ち止まった。「敵さんが出て来たようだな?」
親友の言葉にコーガも「らしいね」とうなずいた。コーガは愛用の弓を構えて、自分の周りを見渡した。「見た感じは、普通だけど。でも、気は抜けない。相手は多分、こう言う状況にも応じられる筈だ。禁足地の中に居る辺り、その守護者に違いない。守護者は大概、普通の化け物よりも強い筈だ」
アバンは、その言葉に「ニヤリ」とした。「コイツを連れて来たのは、正しかった」と思ったらしい。状況判断に優れる彼を連れて行けば、「こう言う状況でも安心だ」と思った。
アバンは愛用の剣を構えて、自分も周りの様子を確かめた。彼の周りには、何も見られない。ただ、廃墟と化した街しか見られなかった。アバンは「それ」に呆れて、鞘の中に剣を戻そうとした……。それは彼の、「早計」と言う物だった。建物の裏から続々と出て来る、守護者達。守護者達は禁足地の科学(あるいは、魔法)で造られているのか、栄介達が見たアーティファクトよりも現代的で、そのボディーにも見られない金属が使われていた。
アバンは、その姿に目を細めた。守護者の体がそう言う風に出来ている以上、そこには何らかの意思が感じられるからである。アバンは敵の行動規範から推して、「ここは、特別の文明がある世界だ」と感じだ。「そうだとしても。まあ、やる事は一つ。敵の守りをぶっ飛ばす事だ」
そうすれば、禁足地の秘密にも近付ける。神域の連中がずっと隠していた、その偉大なる秘密に。だからこそ、こんな所で止る訳には行かなかった。
アバンは敵の一体に走り寄って、その体に剣を振り落とした。だが、その剣が通らない。剣の素材は決して悪くなかったが、相手の装甲がそれ以上に硬かった。彼の援護に加わったコーガも、自分の矢が弾かれた事に驚いていたし。それからアバンの背中に回った時も、守護者達の攻撃に体勢を崩されてしまった。アバンは相棒の身を案じて、背中の相棒に話し掛けた。
「おい、おい、しっかりしてくれよ? こっちは、自分の武器が弾かれて」
「驚いているのは、お前だけじゃない。俺だって、驚いているんだ。この矢は、龍の体も貫くのに。それが、全く通じないなんて。怖がらない方がおかしいよ? アイツ等は、俺等の想像を超えて強い」
アバンは、その言葉に溜め息をついた。親友の弱音は聞きたくなかったが、それが真実なのだから仕方ない。どんなに苛立っても、それを受け入れるしかなかった。アバンは「ニヤリ」と笑って、周りの敵達を見渡した。周りの敵達はじっと、彼の事を見返している。「参ったね。『こんな雑魚には、通常武器で充分』と思ったのに。まさか、普通に戦わなきゃならないなんて。本当に予想外だよ」
これが、禁足地の力か。何人も寄せ付けない、聖域。そこを守る戦士達は、神域の武器を遙かに超えているようだった。アバンはその事実に覚えて、地面の上に剣を突き刺した。
「コーガ」
「うん?」
「神術を使うぞ?」
「え?」
こんな場所で? それは、俺達の切り札だぞ? 「こんな連中に取って置きを使うなんて?」
アバンは、その続きを遮った。彼の気持ちも分かるが、今はそんな事を言っていられない。神術を使わなければ、やられるのは自分達なのだ。禁足地の中に入ったばかりで、死ぬ訳には行かない。自分にはまだ、やりたい事があるのである。アバンは親友の不安を宥めて、彼に「これからの事を考えても、だ」と言った。「神術を使うのは、悪くない。奴等は、只の雑魚じゃないからな? 特別な雑魚には、特別な技を使わないと?」
コーガは「それ」に戸惑ったが、やがて「分かったよ」と頷いた。気持ちの不安は消えていないものの、「ここは、彼の意見に従おう」と思ったらしい。自分達の武器が通じない以上は、その切り札にどうしても頼らざるを得なかった。コーガは自分の背中に弓を戻して、今度は両手の指を合わせた。それが神術を使う為の動作だったからである。「やるか?」
アバンも、それにうなずいた。アバンは左手で右手の手首を掴むと、目の前の敵達に視線を移して、それ等全てに「フフッ」と微笑んだ。「お前等、幸運だな? 邪神の技なんて、そうそう見られないぞ? こんなに恐ろしい技は」
守護者達は、その声に怯まなかった。声の意味が分からなかったからではない。相手の殺気に怯んで、その動きを止めたからでもない。彼等は機械兵器の宿命として、己の使命に忠実なだけだった。「侵入者ハ、追放。侵入者ハ、追放」
アバンは、その声を無視した。コーガも、その態度を倣った。二人は互いの目を見合うと、それぞれに呪文を唱えて、機械兵器達に自分の神術を放った。「木っ端微塵に吹っ飛べ!」




