第83話 要塞の巨人
悪魔の要塞落としは、凄まじかった。敵に一つの慈悲も見せず、その命を奪って行く。正に悪魔の所業だった。悪魔は敵の攻撃を躱し、それから自身の攻撃を出して、自分に立ちはだかる敵を一人、また一人と倒して行った。「全く、こんなのが要塞だなんて。呆れるよ。少しは、『歯応えがある』と思ったのに。とんだ期待外れだ」
魔物達は、その言葉に苛立った。その意味する所の挑発にも苛立った。彼等は目の前の悪魔を倒すべく、ある者は槍を、またある者は弓を引いたが、そのどれもが空振りに終わって、挙げ句は悪魔の反撃を受けてしまった。「くっ、うっ、このっ! そんな! こんな事って」
有り得ない。そう思う気持ちも分かるが、それが紛う事なき現実だった。この悪魔を前にしては、どんな力も跳ね返されてしまう。今までに様々な冒険者達を追い払って来た彼等だが、今回ばかりは負けを、文字通りの死を思ってしまった。彼等は仲間達の死に震えつつも、「自分達の役目を果たさなければ」と思って、その命を次々と散らし行った。「い、嫌だ! 死にたくない。ぐっ」
そう言い掛けた瞬間に襲って来る、三叉槍。三叉槍は魔物達の胸や腹を貫いて、それらの身体を粉々に砕いてしまった。それから魔物達の部隊長らしき魔物も貫いたが、それよりも上らしい階級の者には(栄介の手加減だが)避けられたようで、栄介がその相手に視線を向けると、相手も彼の方に視線を移した。彼等は周りの魔物達が見詰める中、真剣な顔で互いの動きをじっと窺い始めた。「黒い槍、十四歳くらいの少年。お前が」
魔物の司令官は、少年の姿に目を細めた。それが「相手への威嚇」と言わんばかりに。「魔王様の仰有っていた少年か?」
今度は、栄介が目を見開いた。自分の事はどうやら、(ある意味で当然だが)魔物達にはもう知られているらしい。ずっと前に見逃したアーティファクトの少女か、あるいは、蜘蛛に化けられる少女か。兎に角何らかの経路で、魔王に自分の存在を知られたようである。
が、そんな事はどうでも良い。魔王に自分に存在を知られようが、自分の勝利は揺るがないのだから。自分が「知られているか、知られていないか」の差など、本当に微々たるモノである。自分には、絶対の神が付いているのだから。絶対神が自分の味方である以上、その敗北もまた有り得ない。栄介はそう考えて、目の前の司令官に「ニヤリ」と笑った。「そうですか。それは……まあ、『光栄です』と言うべき」
司令官は、その言葉を遮った。彼としては、その続きはどうでも良いらしい。栄介が彼の制止に眉を寄せた時も、一瞬の不快感を見せただけで、それ以上の表情は何も見せなかった。彼は自分の得物である長槍を構えて、栄介の目をじっと睨み始めた。
「ここの責任者はまだ、要塞の中に引っ込んでいるが。現場の責任者として」
「何です?」
「ここは一丁、引いてくれないか? お前さんの為にも」
「僕の為にも? それは」
只の誤魔化しだ。この要塞から自分を引かせる為の嘘、魔族側が生き残る為の手段である。自分達にとって、好都合な状態を作り出す手段。そんな姑息な手に乗る必要はない。自分側に風が拭いている以上、それに従うのが定石だった。栄介は敵の提案(と言う名の卑怯技)を無視して、その目の前に槍先を向けた。
「冗談言っちゃ行けません。ここで引いても、僕に得は無い。貴方達に只、時間を与えるだけです。体勢を立て直すまでの時間」
「じゃないんだ、本当に」
「なら、何の時間なんです? 僕の事を引かせてまで」
「……それは」
そこで言い淀む、司令官。どうやら、相当に言い辛い理由があるらしい。彼の浮かべる表情から考えても、それが余程に嫌な事で、また面倒な事も分かった。司令官は地面の上に長槍を立てて、今度は目の前の栄介に頭を下げた。
「頼むよ、お前さん。お前さんの力は、折り紙付きだ。ここ以外の要塞も、余裕で攻め落とせる。だから」
「『ここに拘る必要はない』と?」
栄介は「ハッ!」と笑って、敵の長槍を弾いた。まるでそう、相手の言葉が「馬鹿らしい」と言う風に。「それで、僕が引くとでも? 冗談じゃない。ここ以外も潰せるのなら、ここも当然に潰すでしょう? そう言う力がある以上は、その機会を逃す筈がない。この世界を救いたい、一人の冒険者としても。この機会を絶対に逃す筈が」
司令官は、その言葉に眉を寄せた。今度は、彼の主張に頭を痛める感じで。その眉に皺を寄せたのである。彼は自分の後ろに部下達を引かせて、それから自身の両腕を広げた。「俺の首を取れ?」
それに思わず、「は?」と驚いてしまった栄介。周りの部下達も、彼の言葉に驚いている。彼等は司令官の事を暫く観ていたが、司令官が栄介にまた「俺がお前の生贄になる」と言うと、それにまた「生贄?」と驚いて、彼の顔をまじまじと見てしまった。栄介は彼の前に一歩、近付いた。彼の意図をそっと探るように。「それは、どう言う意味ですか?」
司令官は、その言葉に微笑んだ。それが「自分の答えだ」と言うように。「言葉通りの意味だよ。俺の首を取って良いから、その代わりに……。この要塞だけは、見逃してくれないか?」
栄介は、その言葉に眉を震わせた。そんな望みなど、通る訳がない。「自分の命で、この要塞を見逃して欲しい」だのと。魔族と敵対している栄介には決して、聞き入れられない望みだった。
栄介は侮蔑混じりの顔で、相手の顔を睨み返した。「情けないですね? 魔族の階級は、分かりませんが。それでも偉いのは、貴方が相当の位にあるのは分かります。少なくても、現場の指揮を任せられるくらいには。そんな人がまさか、僕に命乞いするなんて」
司令官は、その言葉に苦笑いした。「彼の指摘は、尤もだ」と、そう内心で思ったようである。彼は自分の不甲斐なさに呆れたようだが、それでも自分の主張を曲げようとはしなかった。「そう、だな。でも、頼む。これだけは、どうしても!」
その答えは勿論、「出来る訳ないでしょう?」だった。「僕の側には、何の利益も無いだから。不利益な要求を態々呑む必要はない。貴方達は、僕の槍に狩られる運命なんだ」
栄介は「ニヤリ」と笑って、司令官の身体に斬り掛かろうとしたが……。それに合わせて、物凄い音が聞こえて来た。まるで空間のそれを歪ませるような、そんな轟音が突如として響いたのである。栄介は「それ」に驚いて、その轟音に振り返った。「今の音は?」
どうやら、要塞の中から聞こえたらしい。正確な場所は分からないが、目の前の司令官が「それ」に唸っていたし、周りの魔物達も「それ」に狼狽えていた。栄介は彼等の反応に首を傾げながらも、「一応は、音の正体を知らなければ」と思って、魔物の要塞に目をやった。
魔物の要塞は、揺れていた。その原因は全く分からないが、要塞の中で何かかが動いているらしく、それが大きな唸り声を上げると、それに合わせて要塞も「グラグラ」と揺れていたのである。
栄介は、その光景に眉を上げた。それを受けて、索敵のスキルを使っても。それで分かるのは、何かの生物が動いている事だけ。それが要塞の中を動いて、その内壁(と思われる)にぶつかっている事だけだった。
栄介はまた、その情報に眉を上げた。その情報は、明らかにおかしい。ここからでは確かめられないが、ホヌス達も彼と同じような表情を浮かべていた。栄介は、要塞の方をじっと見続けた。あそこには多分、何かが居る。現場の司令官が、栄介に「引いて欲しい」と頼む程の敵が。周りの狼狽に紛れて、確実に潜んでいた。
栄介は、その敵に「ニヤリ」とした。こんなに面白そうな敵を見逃す理由がない。目の前の司令官がたとえ、その光景に「勘弁してくれ」と呟いていても。最強設定の栄介には、それが只のオマケステージにしか思えなかった。
栄介は司令官の肩に触れて、自分の後ろに彼を退けた。「アレに脅える理由は、分かりませんが。大丈夫です。僕は決して、負けませんから。貴方達からどんなに止められても、最後には必ず」
司令官は、その続きを遮った。「そう言う事ではない!」と言う風に。彼は不安げな顔で、栄介の前にまた進み出た。「アレが目覚めるのは、俺達としても不味いんだ。あの要塞を守る、俺達としても」
栄介は、その言葉に戸惑った。が、魔王には「それ」も計算の内だったらしい。栄介達がどんな風に戦っているかは分からないが、その様子を何となく察して、目の前の邪神にも「クスッ」と笑っていたのである。魔王は自分の部屋に邪神を入れて、彼に御自慢のお茶を振る舞っていた。
「我が要塞は、堅いが。それでも、万能ではない。時の定めがあれば」
「簡単に落ちる。それが世の常ではあるけど」
「うん?」
「君は、良いのかい? 自分の要塞が落とされて。要塞を作るのは決して、容易な事ではないだろう? そこを任せる配下達も」
魔王は、その質問に笑みを浮かべた。「そんな事なのは、問題ではない」と言う風に。「古いモノを保つのは、難しい。要塞は確かに重要だが、それに拘るのは危険だ。目先の欲だけに拘る、そんな小者になってしまう。大きな勝利を得る為には、多少の損切りも必要なんだ」
ラビスは、その言葉に「クスッ」とした。それを聞いて、彼も「成程ね」と思ったらしい。彼女からすすめられたお茶を飲んだ時も、それに「流石、魔王様だ」と呟いていた。彼はテーブルの上にカップを置いて、魔王の目をまた見返した。「損得の境目を良く分かっている。大抵の人は、その境目を見誤るのに。君は、実務に置いても優秀な人だ」
それに「ニコッ」と笑ったのは、魔王なりの感謝なのか? 彼女は自分のお茶を啜ると、テーブルの上にカップを置いて、ラビスの目をじっと見返した。
「要塞の中には」
「うん?」
「普通の要塞とは違う、特殊な要塞もある。要塞のそれ自体に特殊な仕掛けが施された、そう言う要塞がいくつかあるんだ」
彼女はテーブルの上にチェス盤を置いて、その真ん中に「クイーン」を置いた。「守護者」を意味する、真っ白なクイーンを。「実際は、男だけどね。要塞の中には、こう言う駒も置かれている。普段は要塞の奥で眠っているが、何かの問題が起こると、それが起き出して」
ラビスは、その言葉を聞き流した。それよりも、盤上のクイーンが気になったからである。「暴れるのかい?」
その答えは、「いいや」だった。「それは、凡人の思考。アイツは、壊す。自分の仲間も巻き込んで、己が力を膨らます。アイツは、要塞の奥に居る巨人なんだ」
「ほう」
そう笑うラビスに重なってか? 要塞の方も、グラグラと動き始めた。要塞はそれに属する魔族達は勿論、その司令官や栄介達も巻き込んで、その異常な動きを見せ続けた。司令官は、その光景に膝を突いた。それに脅える訳でも、また悲しむ訳でもなく。只、絶望の表情を浮かべ続けた。
司令官は自分の頭を掻いて、周りの部下達に「逃げろ!」と叫んだ。「お前達では、アレに抗えない。少しでも、余裕のある者は!」
部下達は、その言葉に走り出した。それを聞いて「逃げなければ」と思ったのか? それとも、既に諦めているのか? その正確な理由は分からなかったが、兎に角「分かりました!」と逃げ出したのは確かだった。彼等は要塞の前から「少しでも離れよう」と努めたが、その努力も徒労に終わってしまった。「ひぇっ!」
司令官は、その悲鳴に目を閉じた。それを発した意味が分かっていたからである。彼は自分の周りに結界(と言って良いだろう)を張ると、悲しげな顔で自分の部下達を見渡した。彼の部下達は思った通り、地面の上に倒れている。彼の周りに立っていた部下達は勿論、栄介の周りを囲っていた部下達も、要塞から聞こえた轟音に合わせて、地面の上に次々と倒れていた。司令官は、その光景に首を振った。「お仕舞いだ」
栄介は、その言葉に眉を上げた。言葉の意味が分からなかった事もあるが、「お仕舞い」から続く「もう、何もかも」の意味も分からなかったからである。栄介は「敵の司令官」とは言え、「その意味を知ろう」と思い、彼の前に歩み寄ろうとしたが……。
そうしようとした瞬間に要塞の屋根が吹き飛んで、その光景に思わず立ち止まってしまった。栄介は今の状況が分からないまま、司令官が要塞の異変に「勘弁してくれ」と呟いた前で、要塞の崩壊をじっと見続けた。「何だ? 何か?」
要塞の中から出て来たぞ? 建物の壁を壊して、その中から大きな人間(あるいは、怪物)が現われた。怪物は自分の周りを見渡したが、「自分とは違う気配」を察して、それがする方に視線を向けた。視線の先には一人、黒い槍を持った少年が立っている。「獲物だ」
栄介は、その声に目を見開いた。声の発音は勿論だが、その口調も鮮明。言葉の抑揚がハッキリとしている。容姿の方はかなり醜かったが、その眼光からは(ある種の)知性や理性、そして、攻撃性が感じられた。
栄介はそれらに目を奪われる一方で、近くの司令官にも「アレは一体、何なんです?」と話し掛けていた。「魔族には、違いないだろうけど。あんなに大きな魔族は、今まで見た事がない」
司令官はまた、彼の言葉に項垂れた。今度は、何もかもを諦めたかのような顔で。「巨人だよ、見た通りにね。アイツは、文字通りの化け物だ。俺達の命を吸って、その力を見せる化け物。アレは、『要塞の切り札である』と同時に」
栄介は、その続きを察した。詰まりは、「脅威」である事。敵にも有効だが、味方にも「脅威」となる武器だ。それが今、目覚めてしまったのなら。様々な意味で、諦めるしかない。要塞の防衛も含めて、その場から逃げるしかなかった。
栄介はそんな思考を働かせたが、それもすぐに止めてしまった。あの怪物が何であれ、自分が倒す事に変わりはない。この槍を振り回して、あの怪物を倒す事に変わりはなかった。栄介はそう考えて、巨人の方に槍先を向けた。「面白いね」
司令官は、その言葉に眉を上げた。「面白い」と呟ける、彼の精神に。そして、今も「ニヤリ」と笑える余裕に。心の底から「ゾッ」としてしまったのである。彼は少年の構える槍に生唾を飲んで、その槍先をじっと見始めた。「悪魔だ」
魔族の常識を破る、本物の悪魔。自分は今、その悪魔を見ているのである。
「お前さんが強いのは、分かる。だが、アイツは手強いぞ? 要塞の中に封じる際は、多くの魔物が犠牲になった。アイツは馬鹿強い力の代償として、自身の仲間達からも」
「怖がられている、でしょうね? でも、『それ』が何です? どんなに大きくなって、魔王よりは強くないだろうし。魔王よりも弱い敵が相手なら、それにやられる理由もまたありません」
司令官は、その言葉に呆れた。呆れた上に「馬鹿だ」とも思った。彼は悪魔の勝利を何となく察しながらも、それを起させるだけの余裕、そして力に「やれやれ」と思ってしまった。「強い奴の頭はやっぱり、いかれている。魔王様の文句は、言いたくないが。強者の思考はどいつも、ぶっ飛んでいるよ」
栄介は、その言葉に「ニヤリ」とした。まるでそう、彼の言葉を喜ぶかのように。
「冒険は、ぶっ飛んでいる方が面白い。傍から見れば、地味に見える冒険でも。本人が楽しければ、良いんです。自分がそれに気持ちよくなれれば、全ての困難が快楽になる。『冒険』とは、自分の快楽を満たす道具なんです」
「自分の快楽を満たす、道具? それは」
「そうです。それこそ、悪魔になる事!」
栄介は地面の上を蹴って、巨人の方に走り出した。それが自身の、「欲望を満たす行為だ」と知って。




