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第76話 禁足地

 神域の侵攻を企てるのは良い。だが、それが出来るかどうかは別問題だ。人間が神の領域に這入って、その全てを奪う行為。文字通りの侵略だが、その内容については殆ど白紙だった。神の領域にどう攻めるか、その手段が分からない。仮に「攻められた」としても、邪神のそれと戦えるかが分からない。人間は不可能な事に可能性を抱き、神聖な物に邪念を抱けるが、それが実際の形になるかどうかは、地上の誰にも分からなかった。


 分からない物には、分からないなりの対処がある。得体の知れない物に対しては、あらゆる知恵が集まる。人間は未知なる物に挑んだ結果として、その文明をゆっくりと、だが確実に造っていった。だがそれでも、敵わない物はある。人間の叡智ではどうにもならない物が、この世にはある。

 

 邪神達が住まう神域は、正に人間の叡智を超えた世界だった。自然の原理が捨てられ、独自の決まりが配する世界。「昼」と「夜」、「時」と「空間」が曖昧になった世界。そんな世界に生きる邪神達も、その原理に従う存在だった。


 彼等は自分の気分に任せて、ある時には神域の中を旅し、またある時には自分の仲間と遊んで、その無限に等しい時間を過ごしていた。殆どの人間が羨む、極楽のような時間を。だが、そんな中でも不満は生まれる。

 

 人間は自分の現状に不満を抱くように、彼等もまた(個人差はあるが)その内心で不満を抱いていた。あらゆる快感が満たされる世界は、同時に何も満たされない世界。新しい刺激が満たされない世界である。そんな世界から別の世界に渡って、己が栄養源たる対象の欲望を満たしても、それで自分の栄養が満たされなければ、その渇き切った心が爆ぜてしまうのだ。


 まるで幼い子供が「ワンワン」と泣き叫ぶように、自身の欲望に苦しめられてしまうのである。いつもの川辺で佇んでいた彼等もまた、そんな渇きに嘆く少年達だった。彼等は川の水面に石を投げて、その波紋が広がって行く様を眺め始めた。


「詰まらないな、本当に詰まらない。毎日こう、やる事がないと。退屈で死にそうになる」


「確かにそうだけど。だったらお前も、別の世界に行ってみたら良いんじゃない? 自分の腹を満たす為にもさ? ここの飯は、俺達にはちょっと上品過ぎる。異世界の餌は、良い感じに粗悪」


「なのは、分かっているよ? でも、そうじゃないんだよな。俺が欲しいのは、相手の欲望じゃない。自分自身の欲望なんだ。自分の心が満たされる、自分だけの欲望。それがこう、俺には足りていないんだよ」


「ふうん」


「って、おい! それだけかよ? 俺は、真剣に悩んでいるのに?」


「ああいや、別に呆れている訳じゃないよ。お前の気持ちも、何となくは分かるし。俺も正直、ここの生活には飽き飽きしている。周りの奴等は、そうでもないけどさ? でも」


「はぁ」


 少年は頭上の空を見上げて、その雲をぼうっと眺め始めた。空の雲は、彼の頭上をふわふわと浮かんでいる。「どっかに楽しい所はないかね?」


 もう一人の少年は、その言葉に押し黙った。その言葉に不快感を抱いた訳ではないが、彼も彼なりに思う所があったらしい。彼は正面の風景に向き直ったが、その風景自体を見ようとはしなかった。


「それならさ?」


「うん?」


()()()()()()()()()()()()?」


「冒険?」


 それは彼の、少年の好奇心を煽ったらしい。今までは心の奥底で眠っていた好奇心が、その一言で目を開け始めたのである。彼は自身の好奇心に打ち震えながらも、真面目腐った顔で相手の目をじっと見始めた。相手の目も、こちらの目を見返している。


「何処に? 神域の果てにでも行くの?」


「それも、面白そうだけどさ? それだと何だかありきたりじゃない? 神域の果てを目指す冒険は、ずっと昔からやっているからさ。昔の連中と、同じ事はしたくない」

「じゃあ、何処に行くの? 神域の中じゃなかったら?」


()()()


「きん、そく、ち」


 そこは、文字通りの禁足地。邪神達が決して、足を踏み入れてはならない場所。そんな場所にもし、自分達が行ったら? 少年は、その想像に思わず震えてしまった。


「馬鹿野郎! 他の場所に行くならまだしも、その場所に行こうなんて。あそこに行ったら、二度と帰って来られないんだぞ?」


「分かっている。分かっているから、行くんだ。二度と帰って来られないからこそ」


 少年は、その言葉に溜息をついた。それは、彼の望んでいない冒険である。二度と帰って来られない冒険なんて。彼の望んでいる冒険は、人間の子供が「今日から夏休みだし。今日は、普段は行けない遠くの町に行ってみよう」と考える、そんな程度の冒険だった。少年は親友の顔を睨んだが、当の本人は「それ」に全く怯まなかった。


「却下だ、却下。俺が行きたいのは、そう言う場所じゃない」


「ふうん。なら、どんな場所に行きたいの?」


「それは……」


 分からない。分からないが、そこには行きたくない。この世界がたとえ、「滅んだ」としても。その場所だけは、どうしても行きたくなかった。少年は今までの興奮を忘れて、川の水面に視線を移してしまった。川の水面には風が当たっているのか、その上に波紋が出来ている。


「人間の世界は?」


「却下。人間の世界は、沢山ある。文明の進んだ世界はもちろん、文明の無い世界も。俺は、人間の世界があまり好きじゃない。あいつ等の欲望を貰う分には、楽しいけどね? あいつ等は、俺達のお返しに滅茶苦茶喜ぶ。それが見ていて、面白い」


「それは俺も、否めないけど」


「まあ、不満な事には変わりない。人間の欲望は、薄っぺらいからね。どんなに悪い奴でも、そこに入っているのは薄めた果実酒だ。深みも何も無い。そこら辺に売っているジュースの方が、ずっとマシだよ」


 少年はまた、親友の言葉に押し黙った。普段は(「どちらか」と言えば)大人しい部類に入る親友だが、こう言う部分には意外と辛辣らしい。言葉の端々にも、棘が見られた。少年は何処か呆れ顔で、親友の横顔を見詰めた。親友の横顔は真顔、それも真面目一直線である。


「俺は正直、そう思うね。奴等と遊んでも、詰まらない」


「そう、だな。だからこそ、その禁足地に行く。遙か昔から禁じられた場所に俺達だけで行く。周りの連中にはたぶん、呆れられるだろうが。俺としては、『真面目に行きたい』と思っているんだ。そこに行けばきっと、この退屈な日々も」


「変わるだろうけど。俺はあまり、気乗りしないね。あそこには、俺達の禁忌が封じられているらしいから。それを解き放つのは、気が引ける。正直、ここで駄弁っている方がずっとマシだね?」


 親友の少年は、その言葉に眉を寄せた。それに苛立ったのか、それとも、別の感情を抱いたのか? その内面は全く分からないが、彼が頭上の空を見上げたり、自分の頬を掻いたりする動きからは、彼の複雑な心境、「消化不良」とも言える気持ちが窺えた。少年は手元の石ころを拾って、遠くの空にそれを投げた。


「詰まらない」


 そう、本当に詰まらない。こんなに満ち足りた世界は。


「苦しくて、倒れそうだよ」


 少年は「ニコッ」と笑って、自分の足下に目を落とした。彼の足下には、彼の嫌う世界が広がっている。



 そんな二人の会話を知らない邪神達は、それぞれに自分の相棒を活かしていた。ホヌスは悪魔の相棒を、そして、ヘウスは魔術師の相棒を。彼等は魔王の相方を除いて、相方の欲望を満たし続けていた。特に悪魔の相棒であるホヌス、彼女のそれは二人よりもずっと強かった。「たった一人で要塞落としに挑む」と言う栄介の欲望を叶え、彼の仲間であるサフェリィーも守って、その終わり無い旅を続けていた。ホヌスは後ろのサフェリィーに振り返って、栄介の背中にまた向き直った。「楽しそうね?」


 栄介は、その言葉に「ニヤリ」とした。その言葉は、今の彼が一番に聞きたい言葉である。「今の旅を楽しんでいる」と言う言葉は。栄介は背中の鞄を背負い直して、最後尾のホヌスに振り返った。ホヌスは、彼の視線に喜んでいる。


「まあね。『自分が絶対に負けない』と分かっている以上は、どんな冒険でも楽しい。それがたとえ、甘々設定の旅でも。それに浪漫を感じるなら」


 その続きが止まったのはたぶん、彼の前に魔物が現われたからだろう。魔物は栄介の力に気付いていないのか、その口から涎を垂らして、目の前の獲物に飛び掛かろうとした。だが、そんな攻撃など無意味。最強の悪魔である栄介には、「攻撃」の「こ」すらない攻撃だった。栄介はお得意の槍は使わず、腰の鞘から抜いた剣を使って、自分に襲い掛かって来た魔物の身体を切り裂いた。「ふんっ」


 魔物は、その言葉を無視した。それを「聞こう」とする意識、それ自体が殺されてしまったからである。魔物は自分の身に何が起こったのかも分からないまま、不思議そうな顔で地面の上に倒れてしまった。「う、ううう」


 その唸り声からすぐ、地面の上に現われた結晶体。「それ」を倒した証になる、クリスタル。クリスタルは陽の光を返して、その表面に美しい輝きを見せていた。栄介は地面のクリスタルを拾って、意識の中にそれを仕舞い入れた。「ふん、こんな奴を倒しても」


 大した利益にはならない。そう考えたのは栄介だけではなかったが、周りの茂みから魔物達が次々と現われた所為で、その思考をすぐに遮られてしまった。栄介はそのお祭りに興奮を覚えて、周りの敵達をじっくりと見始めた。周りの敵達は、どう見ても怒っている。自分達の仲間を殺されて、その視線に殺気を宿していた。


 栄介は彼等の殺気を受けても動じず、逆に楽しげな顔で後ろの仲間達を振り返った。後ろの仲間達は無言、真ん中のサフェリィーはじっとし、最後尾のホヌスは「ニコニコ」と笑っている。


「まあ、一体だけじゃ詰まらないし。これは、丁度良い暇潰しだ」


「そうね」と応えたのは、最後尾のホヌスである。「私も丁度、退屈だったから。これは、私にとっても丁度良いわ」


 ホヌスは「クスッ」と笑って、サフェリィーの事を守り始めた。「貴女は、大丈夫。絶対に死なないから」と言わんばかりに。「殺りましょう? 彼等はどうも、自分の愚かさが分かっていないようだし。愚か者には、罰を与えなきゃ」


 栄介は、その言葉に頷いた。それを否める気持ちは、一つも無い。ただ、彼女の言葉に「ニヤリ」と笑い返すだけだ。愛用の剣をまた構え直した時も、その笑みをずっと保っただけ。栄介は右手の剣をくるくると回して、周りの敵達に殺気を飛ばし始めた。「さあ?」


 いつでも掛かって来い。自分はもう、準備万端だ。お前達が自分の所に襲い掛かっても、自分はその対抗手段がある。お前達の命を奪い取るような、それだけの事が出来る手段が。この身体、この魂に宿っているのである。栄介は右手の剣を下ろして、彼等の前にゆっくりと歩き出した。「ほらほら、どうした? 僕はこうして、自分の武器を下ろしたんだぞ? お前達への刃を下ろして。それなのに?」


 魔物達は、その言葉を無視した。言葉の意味が分からなかった事もあるが、それ以上に彼の態度が許せなかったからである。彼等は(本能の面から)彼の力が分かっていた筈だが、その態度に苛立ち過ぎて、本来の警戒心をすっかり忘れてしまった。


 その結果、彼の剣に斬られる。剣の刃に負けて、身体の何処かを斬られる。彼の死角(と思わしき場所)から彼に襲い掛かった魔物も、その身体に爪を振り下ろす所か、それを意図も簡単に躱されて、挙げ句には自分の身体を切り刻まれてしまった。魔物達は、相手の力に震え上がった。「う、ううう」


 栄介は、その声に目を細めた。その声にまるで、ある種の憎悪を覚えるように。「今更悔やんだって、仕方ないよ。勝てない相手には、どう足掻いても勝てない。君達は、戦う相手を間違えたんだ」


 魔物達は、その言葉に押し黙った。いや、押し黙るしかなかった。「自分の攻撃が相手に通じない」と分かった以上、「この抵抗も無意味だ」と思ったからである。魔物達は彼の前からすぐに逃げようとしたが、悪魔の彼が「それ」を許す訳もなく、彼の前に居た一匹はもちろん、彼から最も離れていた一匹も、その餌食になってしまった。


 栄介は、剣の血を払った。魔物のそれらしい、不気味な色の血を。栄介は地面の結晶体を一つ一つ拾って、意識の中にそれらを仕舞い入れた。「さて?」


 これ以上は、流石に出ないだろう。探索のスキルを使っても、敵の姿は全く見られないし。「暇潰し」に丁度良い相手である雑魚も、そう何度も出て来られるのは流石に嫌だった。栄介は腰の鞘に剣を戻して、仲間達の方を振り返った。


「行こうか? 魔物の気配も、感じられないし。このまま進めば、何処かしらには着くでしょう?」


「は、はい!」と応えたのは、彼の前に出たサフェリィーである。「行きましょう! 森の景色も素晴らしいですが、人間の町もそろそろ見たいです!」


 サフェリィーは後ろの邪神に振り返って、その表情をじっと見始めた。邪神の表情はもちろん、彼女の言葉に微笑んでいる。邪神もまた、彼女の言葉に同意見だった。「エイスケ様!」


 栄介は、その言葉に微笑んだ。それは、彼の一番見たい笑顔だったからである。栄介は二人の少女を連れて、森の中をまた歩き始めた。だが、何の気配だろう? 最初は全く気付かなかったが、索敵のスキルが何かを捕らえて、今までの空気を壊してしまった。栄介は後ろの二人に目配せして、彼女達に「少し待って」と言った。「何かが来る」


 二人の少女は、その言葉に固まった。特にサフェリィーは「それ」がかなり怖かったらしく、ホヌスの腕にしがみついて、自分の周りを何度も見渡した。少女達は、栄介の背中に向き直った。栄介は意識の中から槍を取り出して、自分の周りに殺気を飛ばし始めた。


「まあ、何が来ようと」


 別に怖くはない。相手はたぶん、自分よりもずっと弱いのだ。自分よりもずっと弱い相手に脅えるのは、どう考えても愚かな事である。栄介は余裕の笑みを見せて、それが現われるのをじっと待ち始めた。それが現われたのは、栄介が周りの空気に違和感を覚えた時だった。栄介は気配の方に視線を向けて、それが何者であるかを確かめた。


 それは一体の、()()()()()()()()()()だった。彼が今まで見た事のない、人間のような生き物。背丈のそれが、栄介と殆ど変わらない生物。生物は栄介の存在に驚いたようだが、彼が「自分の敵だ」と考えると、無感動な顔で栄介の所に走り始めた。


「滅べ」


 人の言葉は話せる、らしい。


「お前、邪魔」


 自分の両手に持っている、その槍も使えるらしい。


「滅べ」


 生物は自分の槍を構えて、自分の敵である栄介に襲い掛かった。それを迎え撃つ栄介もまた、生物と同じように動いた。相手が自分と同じ槍使いなら、この勝負にも白黒付けなければならない。彼等は互いの得意技を使って、相手の事をねじ伏せとした。


 だが、それに不審を抱く者が一人。ホヌスだけは、その勝負に胸騒ぎを覚えていた。ホヌスは不安げな顔で、生物の事をじっと見始めた。「あの生き物、普通の魔物とは違う。私達が今まで戦って来た、魔物とは」

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