君とラストワルツを
今から思えばまるで彼女はその瞬間を最初から狙っていたようだ。
「私は………」
それは曲の終盤になって彼女から発された言葉。その言葉にようやく俺は彼女を正面から見つめた。
「何だよ?リィ」
改めて見た彼女はこの場にいる誰よりも美しくかった。そして同時に薄い青色のドレスに身を包み、共にステップを踏む彼女は悲しげだった。彼女にはいつも笑っていて欲しいなのに。それが無理なら自分と踊っている間ぐらい笑って欲しい。でもそんな細やかな願いすら自分には叶えられない。焦るあまり口から出たのは不機嫌そうにも聞こえる言葉。自分が彼女に本当に言いたかったのは別の言葉。でもそれに彼女は目を見開いて今にも泣き出しそうに笑う。
「リィ」
再度、促すように自分だけが呼ぶ愛称で久しぶりに呼ぶとようやく彼女がいつもと同じように笑う。それは一国の王女ではなく彼女らしい笑顔。その笑顔にほっと息を吐き出す。
「リィ」
重ねて言葉を絞り出すと彼女が今までに見たこともないほど美しく笑う。その笑顔に言葉を失っていると彼女が自分に一度、力任せにしがみついてくる。
「リィ」
その行動に彼女を抱きしめ返そうとした瞬間。耳に言葉が届く。
ー同時に最後の一音が場に響き渡るー
「秘密よ」
今にも消えそうなほど小さな吐息と共に届いたその言葉に瞠目する。はっと顔を上げれば彼女が自分を見て今までに見たこともない笑顔で笑う。
「その先は秘密なの」
そう呟くと彼女が素早く身を離していく。
「リィ」
最後の一音が消えるまでは彼女は自分のもの。音が消える前にと慌ててそんな彼女の白い手袋に覆われた手を掴もうとするもその手はそれよりも早く抜き取られた。そして真っ正面から軽く淑女の礼が自分に向けられる。それは相手からの踊りの断りを示す。その礼をされたら更にと踊りに誘うことは出来ない。
ーそれは彼女と言葉を交わすことの出来る時間の終わりを示すー
「リィ、まっ………」
ー時間切れー
そんな言葉が脳裏をよぎるも俺はあの日と同じように手を伸ばす。あの日と背丈と立場は変わっても彼女に抱く想いは変わらない。だが、その自分の行動に目を見開いた彼女は今にも泣き出しそうな笑顔でふるふると首を振る。そして吐息だけで“ダメ”と呟いた。それは彼女の精一杯の強がり。その言葉に伸ばした手がピタリと止まる。自分に言葉が届いたと察した彼女が今まで以上に泣き出しそうに笑った。
「ありがとう。嬉しかったわ。でも、貴方と踊るワルツはこれが最後よ。最後に踊ってくれてありがとう」
「リィ………」
「じゃあね」
その言葉を最後に彼女が目の前から立ち去っていく。その事に想像していた以上に痛みを感じた俺がやはり未練がましく手を掴もうとするのを鋭い声が遮る。
「それ以上は彼女の迷惑だ。やめなさい」
その声に伸ばした手が止まる。声に従って顔を上げればこの国の王であり、自分の養い親が切なげに微笑みを称えながら立っている。
「親父………」
その顔にいつも相手を呼ぶ言葉が口をつく。その言葉に相手が“仕方ないな”と嘆息するのが聞こえる。公の場で養い親をそう呼んだことはなかった。
「彼女への餞別になればと思ったけど……悪かったね」
自分の頭に伸びた手がくしゃりと自分の頭を子供の時のようになぜる。いつもなら“子供扱いすんな!”と叫ぶのに今日はその行動が自分が子供なのだと突き付ける。
「なんで……なんでもっと早く教えてくれなかったんだよ!」
思わず口から漏れたのは絶望的な虚無。本当なら最後にこの場を作ってくれたことに感謝しなくてはならないと分かっていたのに。親に対する甘えが言葉になる。拳を握って顔を歪め、唇噛みしめる。珍しく取り乱した様子で叫ぶと養い子でしかない自分を息子として慈しんでくれた父親が嘆息して、緩く首を振る。
「あの日、彼女を諦めると決めたのは君だよ。なら彼女の決断を責めてはいけない。王女として彼女は国を背負うことにした。そんな彼女をこれ以上を求めたら駄目だよ」
その言葉にカッと血が頭に上る。
「呼んだのは親父だろ!」
思わず、場を忘れて零れた言葉と殺気を込めた視線にそれよりも冷たい視線と言葉が浴びせられる。
「慎みなさい。今は夜会の最中だ」
その言葉とハッと息を呑んで、顔を伏せる。力がないのは自分。それを父親に八つ当たりしたら本当に子供だ。自分はあの日から本当に変わらない。激情から零れそうになる言葉を必死に制する。
「取り乱しまして申し訳ありませんでした」
辛うじてそう頭を下げる。そうすると父親が自分の肩に手を置く。
「分かればいい。今日はもう疲れただろう部屋に帰って休めばいい」
「………はい」
たっぷりの間を置いて父親からの指摘に綺麗に磨かれた床を見つめて想いを飲み込んだ。
ー届いたのはただひとつの言葉ー
「彼女が結婚する」
その言葉を目にした時、甦った想いを俺は今日言葉に出来なかった。君が好きだと無邪気に言葉に出来る時期はもう過ぎた。
足早に会場を後にしながらも思い出されるのは
彼女の今にも泣き出しそうな笑顔だった。
いつもお読み頂きましてありがとうございます。誤字・脱字がありましたら申し訳ありません。少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
「貴方とラストワルツ」をの彼視点になります