夢を売る少女
ブラックな重労働を課せられた少女――マッチ売りは、冬の奇跡すらも忘れ、ただ声を上げる。寒空の下、彼女に救いはあるのか――。
これは、一人の少女の物語。マッチ売りの物語。
あるところに、マッチ売りの少女がいました。マッチを売るからマッチ売りの少女です。彼女にも名前はありますが、とにかく町の人たちからはそう呼ばれているので、彼女はマッチ売りの少女です。ok?
さて、彼女――マッチ売りの少女は、今日も父親に頼まれた通り、手提げのかごいっぱいに入ったマッチをすべて売らなくてはなりません。
かごにマッチが百箱(一箱37本)入るとすると、おおよそ少女の売らなくてはならないマッチの本数はなんと3700本。おぉ、マッチ売りの少女よ、一日の内にこれだけのマッチを手渡しで一本一本売るなど、なんて重労働、なんてブラック親父。常識的に考えて、すべて売ることなど出来るわけがありません。
……あれ、待てよ。そもそも前提からしておかしくないですか? なんでわざわざ一本一本手渡しで売ろうとしたのでしょう? 箱で売れば、売る効率が上がるし、一本で売るよりは町の人達の目にも留まるのでは……。ま、まぁ、マッチ売りの少女には彼女なりの策があったのでしょう、きっと。
で、マッチ売りの少女は考えます。「どうすればマッチが売れるか」と。先程から道行く人に声を掛けていますが、皆誰もが忙しそうに少女の目の前を通り過ぎていきます。働く人は忙しいのです。
困ったものです。どうしましょうか。今、マッチ売りの少女に思いつく策は三つです。
・一つ。『あまりあるマッチを使って、街の複数箇所に火を点ける。そして火事が起きている場所へ野次馬に向かったアホどもの家から金品を盗み出す。マッチも全て消化して、お金もゲット。win-winである』
・二つ。『住民を路地裏に連れ込んで、脅して買わせる。完全に自己責任な上に、警察のお世話になりそう。しかも、恐喝と少女。これほど似合わない組み合わせがあるでしょうか』
・三つ。『目の前でマッチをタワー状に積み立てながら、「あと1850本でギネス……あと1850本でギネス……」と呟いている人にマッチを売りつける。かなりヤバい人のような気がしますが」
「うーん……」
少女は、可愛らしい声で、かなり外道な策を張り巡らせます。どれにしましょうか。……二つにいたっては、倫理観も何もへったくれなのですが。
「……あっ!」
と、そこで目前の男が叫びます。
中途半端に出来上がったマッチタワーを見つめながら、手元にマッチのない男はこう呟きました。
「あと、1850本マッチがあれば……」
最初から用意しとけよ……というか、室内でやれよ、と少女は思いましたが、まずは商売が最優先。さっそく項垂れる男に交渉を持ちかけます。
「あの、マッチは、いりませんか?」
おずおずと(もちろん演技です)話しかけると、男は凄まじい食いつきようで、
「マッチ!? ほんとうか!? あぁ、買う! 1850本くれ!!」
怖いです。もはや狂気でしょう。目が血走っているのは気のせいではないはず。
……それにしても、こうも簡単に半分売れるとは。運がいい、と少女は内心でほくそ笑み、
「えっと……では、マッチ50箱で、925円(税抜)となります」
「あぁ、分かった……あ」
「……どうしました?」
嫌な予感しかしません。こんな冬の屋外で、マッチを積み重ねている人が常識人なわけがなかったのです。
男は、「あー」という顔をして、今さら気づいたかのように言いました。
「俺、今、無一文なんだった」
「へ? ……じゃぁ、どうやってマッチを買うんですか?」
「…………」
おいおいマジかよ、こいつ、と少女は思いました。マッチを積み重ねている上に無一文とは。ホントに一体何なんでしょう。
……しかし、このまま引き下がるわけにはいきません。マッチは手放したいし、お金がなくて厳しいのは事実です。
「うーん、じゃぁ、物々交換はいかがですか? あなたの持っているものと、私のマッチを交換する、というのは」
苦肉の策ですが、仕方ありません。何か金になるモノが手に入るかもしれないですし。
「……わかった。なら俺の……」
俺のーー?
「ズボンをあげよう」
(ん!?)
なんということでしょう。この男、マッチ1850本とズボンを交換しようと言ってきました。頭おかしいです。常識的に考えても間違ってますし、こんな冬空の下、この人はパンツ一丁でタワー作成に熱中するのでしょうか。正気とは思えません。
……しかし、少女は悩みます。
(あのズボン、案外高級そうなのよね。こんな変人のズボンを貰うのは癪だけど、売れば儲かるかも……)
悩んで、唸ったあと、とうとう少女は折れて、
「分かりました。ではそれにします」
言ったあと、やっぱり失敗かな、と思いましたが、男は歓喜に満ちた顔で、
「おぉ、本当か! ありがとう、マッチ売りの少女よ!」
喜ばれるのはいいのですが、もう既に彼女はマッチ『売り』ではない気がしました。
さっきまで男のはいていたズボンを手にした少女は、再び街を歩き始めます。
……にしてもあの男、ホントなんだったのでしょう。ギネスがどうたら、とか言っていましたが、何を目的にマッチ積みなんかを? そんなことを考えながら、少女は服を買い取ってくれる店へと向かいます。このズボンを売れば、1000円ほどにはなるでしょう。
期待を胸にホクホク顔で歩いていると、レンガで出来た家々の並ぶ隅っこで、三角座りをしている人が視界の端に入りました。
豪奢な服にたくさんのネックレス等の装飾品。どう見ても貴族です。少女とは住んでいる世界が違う、一流セレブ。――しかし、彼には一つ、変なところがありました。
……ズボンを履いていないのです。冬空の下、パンツ一丁なのです。
「……うへぇ」
嫌なものを見てしまったな。そう思った少女は、すぐさまその場を離れようとして……
地獄から響いてくるような、おぞましい声を耳にしました。
「……ズボォッオォン……ズボォォォン……カチカチカチカチ」
セレブが怨嗟の声を上げています。
しかし、少女は幻聴だと自分に言い聞かせて……
「……ズボォォォン……ズボォォォン……カチカチカチカチ」
げんちょ……
「……ズボォォォン……ズボォォォン!!」
…………
「…………あの、どうしました?」
「ズ、ズボンだけを強盗にとられて…………財布と鍵も一緒に持ってかれてしまったんだ。家に帰りたくても入れないし、鍵屋に行こうにも、足が寒くて動けないんだ」
なんでズボンだけ。この街は変人の巣窟なのか? と思いましたが、無一文の人に「このズボンはいりませんか?」なんて、血も涙もないことは言えないので、(本当は、ズボンをあげて、鍵屋まで行ってもらって、家に入れるようになってから払ってもらえばよかった話なのですが)
「……このズボン、あげます」
渡してしまいました。
お返しや、感謝の言葉をもらうのは恥ずかしかったので、すぐさま少女はそこを飛び出してしまいました。
そして――
「はぁ、何やってんだろ、私」
少女は思わずため息をつきます。せっかくマッチと交換したズボンを、みすみす手放すなんて大馬鹿ものです。
「……はぁ」
気落ちしてとぼとぼ歩いていると、突然あることを思いつきました。それは――マッチを売るのではなく、マッチを使って何か金儲けは出来ないか、というものでした。
「マッチが売れないなら、マッチを使ってしまえばいいじゃない」。どこかのお偉いさんもそう言っていました。……確か。
そう考えると、あれほど捨てたかったマッチが、今ではたった一つの生命線に見えてきます。どのみち、マッチが売れないなら、あと売ることができるのは、この質素な服と身体だけなんですから……
「えぇい、狼狽えるな、私!」
弱気になる自分をなんとか奮い立たせてから、少女は再び歩きます。
マッチで何が出来るでしょう。大道芸? ライター代わり? 火種? どれもよくありません。マッチって使用用途が限られ過ぎです。
――あっ、そういえば、言い忘れていましたが、彼女――マッチ売りの少女は、所謂『異世界転生者』です。前世の記憶はありませんが、この世界で自分がどんな死に方をするのかだけは分かっています。だから、少女は抗うのです。決められた未来をこの手で切り開くために……
と、まぁ、そんな説明は置いといて、彼女はマッチを見つめて考えます。
……いっそのこと、この『夢見るマッチ』で……
「……ん?」
夢、見るマッチ? この銘柄には聞き覚えがあります。たしか、擦ると思い描いた夢が見れるという――
箱から取り出して、一本試しに擦ってみます。すると――
次々と思い出の風景が浮かんでいきます。
楽しかった、おばぁちゃんとの日々。
再婚する前の父の優しい笑顔。
以前までは通っていた小学校の友達と過ごした休み時間。
どれもこれもが、愛しい思い出でした。
それを、このマッチは思い出させてくれた。これなら――
少女はすぐに街の中心に向かい出します。
策の思いついた少女は全力で走ります。その足取りは、さっきまでとはかけ離れていました。楽しかった過去が彼女を奮い立たせてくれたのです。
皆の行き交う通路へ戻ってくると、少女はもう一度その記憶を思い出して、決意を決めます。そして――大声をあげました。
「マッチはいりませんか! マッチはいりませんか! 素敵な夢が見れるマッチは如何ですか! きっと辛いことも忘れられます! どうか、一本でもいりませんか!!」
少女は叫びます。
生きたいと。必死に、ただ叫びます。
過去の記憶に負けないぐらい、今を生きたいと思ったから。
その必死な少女の声に心を動かされた人たちが、少しずつ彼女の元へと集まったいきます。
「夢が見られるって本当かい?」
「はい! ぜひお試しください!」
そう言ってすぐにマッチを手渡し……
「……すごい。すごいよ、これは! ……買った! 二箱くれ!」
「そんなに良いなら私も!」
次々とお客さんが現われ、あんなにマッチがいっぱい入っていたかごが、どんどん軽くなっていきます。
少女はそれだけで心が温かくなり、今まで熱を放ち続けていた一本のマッチを見つめ――
――そっと、炎を吹き消しました。
「…………」
視界が明滅します。
気付けば少女は、冷たい冬空の下、雪積る通路に倒れ伏していました。
――あぁ、私、死ぬんだな。
少女はぼんやりとした思考の中、自分の呼吸が薄れていくのを理解します。
――最後に、もう一度だけでもマッチを。あの暖かい夢を……
そう思って伸ばした手は、虚しく空を切り……
「おいっ、しっかりしろ! おい!」
誰かの声が聞こえます。
少女を導いてくれる神様の声でしょうか。
「…………」
目を開くと、そこには、先程会った、マッチを積み立てていた人がいました。その隣には貴族の人が。
「頑張れ、マッチ売りの少女!」
「すぐに私の家に連れて行くから、それまで我慢してくれよ!」
少女に対して必死に掛けられる声と、誰かが自分を持ち上げてくれる感触。
こんな自分に。たった一度、話しただけなのに。
――温かいなぁ。
はらりと涙が零れていくのを感じながら、少女は、そっと意識を手放しました。
あるところに、マッチ売りの少女、と呼ばれる少女がいました。マッチを売っているから、彼女は、マッチ売りの少女です。
今日も、彼女の明るい声が街に響き渡ります。
――マッチはいりませんかー!
――マッチはいりませんかー!
彼女は今日も、夢を配っているようです。