竜頭の旅人・レオ
「今日は麓の宿を借りよう」
空は夕暮れに染まり、端が夜に侵食され始めている。
頬を撫でる風も冷たくなってきて、丁度山の麓に町あかりを見つけられた事が幸いだ。
ライは少しずつ高度を低くしながら、街の近くまで低空飛行を続ける。
「ここいらで降りよう」
街が小さな村のようにビルが無いことが確認できた所で、ライに着地するように指示する。
砂を引き摺りながらゆっくりと振動を殺す様に着地した。
「はぁ……もうヘロヘロ……」
「お疲れ様。あとは肩で休んどいて」
俺がライから降りるや否や、ライはすぐに身を縮め、ぐったりと最後の力で俺の肩に飛び乗った。
「いい宿がいいなぁ」
「俺は寝れればいいかな」
「美味しいご飯が食べたいんだよ」
────────
街は廃れてもいず、かと言って近代化の見られる街では無かった。
家は全て木造で、だけど人口の多さが夕方の市から確認出来た。
賑わう道を人とぶつかりながらも抜け出して、大きすぎず、小さすぎずの宿に足を踏み入れる。
「おや、旅人さんかね?」
「えぇ。部屋は空いてますか?」
出迎えてくれたのは80代ぐらいの老婆。
白髪を綺麗に束ねた『おばあさん』という感じの人だった。
「あぁ、丁度空いてるよ。此処は先に代金を支払って貰うんだけど、何日間だい?」
「二日程お借りしたいです。代金はいくらになりますか」
俺はショルダーバッグから巾着を取り出し、中身を確認する。と言っても、実は中身に困りはない。仕事が仕事だし、金貨をいくらか持ち合わせている程余裕はある。
「朝はご飯が付くけど、お昼と夜は自分で補ってもらうけど大丈夫かい?」
おばあさんは使い古したような日焼けた紙を出して『料金表』と書かれているところを指さした。
「朝ご飯が食べれるのなら、とても有難いぐらいです。」
俺は巾着から銀貨3枚と銅貨5枚を渡して、言われた部屋に向かった。
二階建ての宿の二階角部屋。好きな位置だ。
階段は程良く年季が感じられる様に軋み、同時に侵入者にはすぐ気が付けそうだと思った。
古びた木のドアを押すと、ギギギッとまた軋む音がする。
「いい感じの古さだ」
「ふぁ〜ぁ、古すぎない?」
「ヴィンテージ風って言っておこう」
部屋の中には、清楚な白いシーツと毛布がかけられたベッドに、小さなテーブル。
今まで借りてきた宿の中では中の上と言ったところか。
荷物をベッドに降ろし、木枠の窓を開く。
地上ということもあり、さっきより風は冷たく感じられない。
空の時間は人間とは違うように、もうすっかり夜空に侵食されていた。街のオレンジ色の光も見下ろせた。
「明日はもう山に入るの?」
「いいや、せめて午後かな。午前は情報調達だ」
木枠に掴まるライはまた眠たそうに欠伸をした。
本当にこの部屋で良かった。
街明かりの反対側を見ると、光も何も無い山が見える。
あそこに、目的の竜がいるんだ。
「さて、一度街に降りよう。お腹が空いてきた」
「野いちごの乾燥させたやつあるかな?」
「この街は肉とか魚寄りではないからね。期待しよう」
もう一度ショルダーバッグを肩からかけて、ライも肩に乗せる。
軋む廊下や階段を過ぎると、カウンターにはおばあさんが少し眠たそうにしていた。
「おばあさん、少し出てきます。」
「…あぁ、寝てしまいそうだった……。気をつけてね」
少しぼんやりとしたおばあさんは、にこっと笑ってくれた。
その返事を聞いた俺達は宿から出た。
────────
「おじさん、その干し肉2つ。それとささみ肉を4つ。」
「あいよ。丁度ね」
市はまだまだ賑わっており、いつもより大きな声で喋らなければならなかった。
最初に肉屋を見つけ、そこで少しお腹に貯まるものを買う。銅貨6枚を渡して、紙に包まれた肉を受け取った。
「野いちごは?」
「今から野菜のある所に行くから」
ライだって竜なのに、肉より野いちごが待ち遠しいとは、可愛らしいばかりで威厳も何も無い。
人混みに流されないように上手くかわしながら少し進むと、野菜が並んだ店が見えた。
「おねえさん、野いちごの乾燥させたのって、置いてる?」
店の中で少し退屈そうにしていた50代の女性が、俺の言葉を聞いて顔を明るくした。
「おねえさんだなんて、そんなっ!!野いちごね、あるわよ」
『おねえさん』って言葉は魔法のコトバと聞いたけど、本当に失敗しない言葉だ。
今まで『おばさん』とは呼びにくい世代の女性達に使ってきたけど、大抵みんな喜ぶし。
それに、偶にまけて貰えたりするし。
「どれぐらい必要だい?」
「200グラムを1袋程」
「じゃあ少し盛ったげる!」
秤の針が250の目盛りを刺すまで、おねえさんは野いちごを袋に入れてくれた。
「ありがとうございます」
「またいらっしゃい」
終始ニコニコしているおねえさんと別れ、また人混みを歩く。
銅貨2枚でこれを買えたなら安いほうだ。
さて、次は水を買わなくては。
そろそろ人混みが薄くなってきた。という事は、出ている店の端まで来たと言うことだ。
「お、あった」
薄い水筒を露店に並べ、後ろに水瓶を置いた一人のおじいさんの店だった。
白髪の髭はおじいさんの歳を表したように長く、どこか孤独さを感じさせる顔持ちだった。
「すみません、水筒二つに水を入れてください」
「……。」
おじいさんは俺に視線だけ向けて、無言で手前の水筒に水を入れている。
しかし、濡れた水筒をタオルで拭いたり、水が漏れでないかと確認したりする様子から、仕事はきちんとやる人だと分かった。
「ありがとう」
受け取った二つの水筒をショルダーバッグに入れてお礼を言う。
それでもおじいさんは黙ったままだ。
「……おじいさん、もっと笑った方がいいよ」
「……余計なお世話だ……」
初めて聞いた声はとても訝しげで、渋く低い声だった。
視線がまた俺を睨むように見上げた。
「笑って何になる……」
「…………笑わないとさ────」
「竜だって簡単に首をくれないよ」
「お前さんは……首狩りか」
一瞬目を見開いたおじいさんは、また違う眼差しでそう言った。
「俺は、竜頭の旅人だよ」
おじいさんはまた黙って、もう一つ小さな水筒に水を入れて、さっきみたいに俺に渡してくれた。