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彼はほんわかした座敷童さんなのです。それは、今も昔も変わりません。

「まあ、殺したといっても、潰し合って、結果として僕が競り勝っただけなんだけどね。


 僕が噛月に勝てたのは、…そうだなあ、(かなめ)と言える原因(もと)は大きく二つある。

 一つは、友達に猿がいたこと。


 僕の少年時代は山にいることが多かったから、自然と猿の群れとも顔見知るようになったんだ。

けれど、村人は、生き物としてそこら辺の獣より全然強いし、彼らは敏感だから、基本的に恐れられる。


まあ、因果として、動物を扱える人もいるけどね。後で話すんだけど、境間(さかいま)君とかは、そういう人だ。ということで、山に入り浸っても、遠目から眺められるだけでね、一定の距離という溝は絶対に埋まらないものだと思っていたんだけどさ。


 ある日、あれは夏だったんだけど、いつもの通り山に入ったんだ。当たり前だけど、山というのはいくつかの凹凸がうねりを作りながら頂上に向かっている。雨水が大地を削るのが山だからね。東山にも、そういう、うねりというか谷と言えるものがあって、その一つを歩いてたんだ。



 猿を見かけた。

 葉むらを透かす陽の下、磁気嵐みたいな音に合わせて黒い布を長い手足で振り回して、踊っているように見えた。

けどすぐに、蜂の群れに襲われているのが分かった。磁気嵐は羽ばたきで、黒い布が蜂の群れでね。うっかり巣に手を出してしまったんだろう。

 僕はお腹がすいていたから、猿の所まで木々の間を弾むように駆けて行ってね、落ちていた枝を取って、群れをの蜂を全部叩き落とした。

蜂は針さえ除けば、普通に食べれるんだよ。落とした蜂を包みにくるんで、保育所に持って帰って揚げ物にしよう、噛月にもあげよう、と思ったら視線を感じた。


 猿だった。

 普通は逃げるんだけどね。話したとおり、猿にとっては、村人は怖いから。けど彼は逃げなかった。僕はちょっと面白く思って、包みの蜂を一掴みあげた。


彼は受け取って、僕たちは友達になった。


 友達に名前が無いのも不便だからね、僕は彼のことを、猿太郎さん、と呼ぶことにした。


 彼はちょっと間抜けだけど穏やかな雄の日本猿でね。外見は、猿そのまんまの赤ら顔にどんぐりみたいな形の深い色をした瞳がうまってて、顔全体がエスキモーのコートみたいに逆立った白っぽい毛に覆われていて、喧嘩で負けたんだろうな、左の小指の先が欠けていた。けれど、梢の上を飛び回るのに不都合は無かったし、逆に、僕に樹の上の世界の移動法を教えてくれたした。


 お返しに僕は、猿太郎さんに保育所のバナナとか食料をあげたり、相変わらず蜂に襲われている所を助けてあげたり、毛をつくろってあげたり、一緒に川湯に入ったりした。


まあ、毛にくっつくと離れない特殊なトゲトゲだらけの蔓の群生に叩き落したりとか、悪戯もしたんだけどね。

あれはしゃれにならなかった。猿太郎さんはめちゃくちゃ怒ったけれど、次の日にバナナを持っていったら許してくれた。


 彼は日本猿の社会で、ちょっと馴染めない感じだったのかもな。僕も、弱虫の臆病者と、保育所の大多数には軽蔑されていたから、似た者同士だったのかもしれない。


夏も冬も、彼と楽しく山林を巡っていたらね、とても爽快で、このままもう猿として生きていっても良いかな、とか思ったりた。


 でも僕には噛月がいた。狂濡奇も。

 だから猿にはなれなかった。特に噛月は、防人になろうと、彼の力を懸命にふるって戦っていたからね。友人として見届けたいと思っていた。


 彼の戦いには二つの方向があった。


 一つは保育所の競合者(ライバル)達との激しい戦い。もう一つは、内なる因果(おおかみ)相手の、死にもぐるいの戦い。


どちらも大変そうだったけれど、特に因果(おおかみ)相手は、彼には本能と言うか別人格との戦いだったからね。


僕は、幸いなことに、14歳になるまで、どちらの彼とも、戦うことがなかった。


 ……友人だったからね。

噛月とは。


つまりこれが、僕が彼を(ほふ)れた二番目の理由さ。


僕は彼の戦い方をずっと見てきた。そして、僕の戦い方を誰にも見せなかった。そもそも戦おうとすらしてなかったのは、話したとおりだ。


 一度、噛月に訊かれたことがあるんだ。

『君は僕と戦いたくないのか? 』てね。


 その質問をされた夜は半月でね。

 彼が狼男になる危険は無かったから、僕は完全にくつろいでいた。

 部屋で寝ていたんだけれど、お腹が空いて目が覚めたから、食堂から何かくすねようと思ってね。寝ぼけながら部屋から出て、通路に出て、角を曲がろうとしたら、噛月が戦闘をしてたんだ。


相手は、苛麟(かりん)と言って、とても脚の速い女の子だった。

 戦闘はまだ始まったばかりで、(にら)み合い状態だったんだけどね、すぐに苛麟が移動を始めた。


彼女の脚はとても強いから、分子の自由運動みたいに、通路の天井やら床やら窓枠やらを、恐ろしい速さで踏み抜きながら飛び回ってね。窓が幾つも揺れて、しまいには、次々に粉々に割れていった。


もう速すぎて、僕には見えない。噛月の姿も見えない。


彼は優しいから、彼女に合わせてあげていた。つまり、速さに速さを重ねて戦っていた。


 僕は一度あくびをしてから、角に戻って、ガラスの飛んでこない場所を確保してから、通路に座り込んで、膝を抱きながら、うつらうつらを始めたんだ。


 で、熟睡の手前で起こされた。噛月にね。


『何をしてるんだい? 』

 と訊かれたから、彼を見上げて、君の戦闘が終わるのを待っていたんだ、食堂に行きたいから、と答えた。


彼は不思議な顔をした。


『ここは近すぎるだろう。戦闘に巻き込まれたらどうしたんだい? 』

 僕は座敷童だからね、どこが危ないかくらいは、分かるさ、と答えた。

顔が自慢気だったんだろうな。


その自慢気が鼻についたからかな、

 『君は僕と戦いたくないのか? 』と訊かれた。


 僕は、絶対嫌だ、と答えた。すると彼は、とても不思議な顔をして、言ったんだ。


『実を言うとね、僕を倒すのは君だと思うんだ』

 僕は猿太郎さんがよく取っている4足歩行のポーズをして、彼に尻を向けた。


『君を屠るくらいなら、僕は今すぐ猿になるよ』

 噛月は、困ったみたいに笑ってから、指をなめた。

 指というか、手指全体には、鮮血が赤くきらめいていた。


不完全な月が、ワインをすくった後みたいに滑らかにきらめくその液体と、それも含めた彼の全体を、照らしていた。



 この会話の後で、彼は苛麟の遺体を、彼女は彼に心臓を()かれていたんだけどね、抱え上げて、保育士たちのもとに運んでいった。


埋葬のためにね。保育所で死んだ子供たちは共同墓地に埋葬されるから。


で、僕はというと、その後ろ姿を眺めてから、もう一度あくびをして、食堂に向かった。後で噛月にも何か届けてやろうと思ったりした。



 こんな感じで、僕は、折に触れては、噛月に戦いたくないと告げていたし、保育所でも、戦う価値すらない弱虫との評判を全力で保っていたからね。


14歳の秋に、彼に戦闘を予告された時は、とてもがっかりした。



 彼は、半月の真夜中に、僕の部屋を訪ねてきて、堂々と、こう言ったんだ。


『次の満月に、僕は君を襲うだろう』

 穏やかだけど力強い眉毛の上で切りそろえられた前髪には、闇の中でも清潔感があって、僕は、彼の変わらなさをちょっと意外に思いながら、すかさずこう言った。

『嫌だよ。君が戦いたくても僕は逃げる』

『僕は追うよ。そして君と戦う』

 彼もすかさずそう言った。


 しばらくの沈黙があった。付き合いたての恋人たちのする喧嘩みたいな気まずさだった。


 沈黙を破ったのは彼だった。


『僕の中の狼が、もう君を襲うのを我慢できないんだ。ずっと我慢してきたんだ。君は友達だからね。だけど、狼は君を襲いたい。だから僕は説得してきた。早羅君の他にも、強い子はいる。そちらを先に噛み裂いてから、彼を襲おう、てね。

 ……ずっと、そうやってしのいできた。けれど、強い子は全員潰してしまった。もう、強く見える子しか残っていない。境間君は強くなるだろうけれど、まだ屠るには弱い。君しか残っていないんだ』

『噛月』

『なんだい?』

『僕たちの友情はどこにいったんだ。そんな犬みたいな考え方で、防人になるつもりか』


 彼は輪郭のくっきりとしたまつ毛を落として、ため息をついた。ため息なんか、彼らしくなかった。


『次の満月に、僕は君を屠る。狼の奴は嬉しいだろう。けれど、僕は最悪だ。長年の友を、屠るのだから。その気持ちが、防人になるのに必要なんだと思う。つまり、君の死という後悔は、もっとも強い戒めになるだろう。僕はこの後悔で、今度こそ、狼に首輪をつけることができる』

『つまり僕は、君が防人になるための、犠牲の羊なんだね』

 噛月は伏せていた瞼を開いて、真っ直ぐに僕を見た。強い意志を感じた。

『羊よりは自由だ。君は僕を倒せるかもしれない。むしろ倒してほしいくらいだ。そうすれば、僕は友を殺さずに済む』


 僕は肩をすくめた。すくめるしかなかった。


 だって、そんな事を言われても、とても困る。


友達を殺したくないし、殺されたくない。

そもそも噛月は、ただでさえ強すぎるのに、狼男だから、満月では、全ての身体能力が3倍以上に跳ね上がる。


火事場の馬鹿力を催すアドレナリンとか、そういう脳内物質が、無制限解放状態だからね。勝ち目なんて、全く無い。


なのに彼は本気で、僕がひょっとしたら彼を返り討ちするかもしれない、と思っている。


 僕は首を横に振ろうとしたんだけど、それを止めるように、大きく握った(こぶし)を差し出された。


 視線が自然に集中した。

 彼は拳を開いた。

 まるで大地のような手のひらの上で、月光を精錬したような十字架が、闇の中でうっすらと輝いていた。

 僕は彼を見上げた。


『これは? 』

『銀のロザリオだよ。狂濡奇がね、ふざけて、ずっと前にくれたんだ。ロザリオをかざして挑んできた馬鹿がいたから、潰して奪ったってね。これは銀だから、僕も殺せる』

『……欲しくない』

『君は受け取る。そして、次の満月に、僕と戦う』


 彼が差し出したロザリオは、猫が鼠をいたぶるみたいな、強者の余裕ではなかった。屠られる覚悟を銀に込めた、戦いの誓いだった。そこに偽りはない。だからこそ、僕は結局このロザリオを受け取った。



 時間というのは、意味に重みがあるほど速く過ぎるもので。

 噛月と戦う準備、精一杯のあがきを色々しているうちに、つまりあっという間に、満月の夜を迎えた」


 わたしは唾を飲み込んだ。早羅さんの独白は続く。

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