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彼の過去のお話。現実離れし過ぎて、聴きながらキャパオーバー気味でしたが、メイド服さんが吸血鬼さんだということは分かりました。。


「僕はどこで誰から生まれたのか知らない。


 けどこれは、村人としては普通のことなんだ。

村人には家族という考え方はない。血の改良のために子供を誰々と作れとかそんな優生学みたいなしきたりは、たくさんあるし、実際の僕たちをしばっているけれど、どういう過程(しきたり)からにせよ産まれた子供は、全員親から切り離されて、保育所と呼ばれる特殊施設に送られる。古代ギリシャのスパルタっぽいね。


 この保育所で村人の子供たちは、世界史的な文明から隔離されて、18歳になるまで育つ。

世界史的な文明という言葉は、ちょっと分かりづらいけれど、この表現が一番適(いちばんかな)っていると思う。保育所は、人の住む里からとても隔離されている、山あいの集落にあってね。


この集落は日本の地図には載っていないんだ。地図の上では国有林扱いされている。つまり存在しない集落(むら)なんだよね。でもまあ、神社も、蕎麦畑も、公民館も、何故か古民家の住宅地も、一応あるにはあるんだ。畑や登山道のまわりはあぜ道だけど、それ以外は、ちゃんとコンクリートで舗装もされているし、整備も無駄にされている。


無駄というのはさ、どこもまるっきりの無人なんだ。


保育所以外はね。で、子供たちが育つ保育所では、ちゃんと発電もされるしそのための設備も整っているから、電化製品も一通り使える。こういう意味では文明的な場所と言えなくも無い。


けれどね。ここでは、というより村では、人生とか社会に対する考え方が、世界と全く違うんだ。ガラパゴス的というのかな。世の中の思想的な進化と完全に切り離された場所が、この保育所でさ。


孔子の仁愛とか、キリストの愛とか、啓蒙思想とか、奴隷解放とか、そういう流れの果ての世界人権宣言とかそんな一切が、全く関係ないんだよね。


愛やいたわりに代表される善意は追求されない。そもそも善も悪もない。あるのは、闘争と流血と死だけでさ。


つまり村で育つ僕たちは、物心ついた時には殺しあっている。そしてその事を誰も、特に不幸には思わない。


 でも理由なく殺しあっているわけじゃないんだ。保育所では、尊厳は強さと教えられる。


この場合の強さというのは、我慢強さとか優しさではなくて、純粋に速やかに相手を殺害する器量なんだよね。


だからこの施設は、保育所とかいう優しい名前だけれど、蟲毒(こどく)を作る壷みたいなものでさ。


蟲毒というのは、壷の中に毒虫をたくさん入れて、共食いをさせて、最後に残った(むし)で毒を作るというあれだよ。


村の子供たちは、大体は因果を持て余すからね。それは殺戮の衝動につながりやすい。


 あ、因果というのは、僕が人に見えないみたいな、生まれ持った祝福と呪いの事を言うんだ。


例えばほら、メイド服の彼女。


名前は狂濡奇(くぬき)っていうんだけど、彼女は僕と同い年なんだ。


うん、保育所の幼馴染だね。


彼女の因果は逆歯(さかば)といってね、別に歯が逆に生えているわけじゃない。


人とは逆の歳のとり方をするんだ。

逆歯の人は、まあ人によるけど、平均86歳の老人の顔をして産まれる。それから1年に2歳分ずつ、外見というか顔面が、若返りながら体が成長する。ファンタジーっぽいけどね。


でもファンタジーってほど気楽でも素敵でもないんだ。彼女が10歳の時は66歳の顔で、18歳でやっと50歳の顔だった。周りは若さを春みたいに歌っているのに、彼女だけが壮絶に老けている。でも中身は女の子だからね、そりゃ心にも傷がつく。


だから狂濡奇は、今が一番楽しいのかもしれない。33年かけてやっと、86歳から二十歳(はたち)になれたんだからね。ちなみに彼女の寿命の残りは4、5年だ。逆歯は、見た目が12歳、まあ()っても10歳まで、若返ったら死ぬ。


実年齢的な寿命は平均37歳だね。早死は逆歯の呪いだ。でもそれ自体は、変わっているけれど、惨めではないんだ。人生の順番が(さか)さなだけだからね。


 問題は、彼女が抱えている、もう一つの因果でさ。彼女は、狂魅(くるみ)って村では呼ばれている、夜に人の生き血を吸う魔物、俗で言われる吸血鬼なんだよね。だから狂濡奇(くぬき)は、激烈なアレルギーが全ての食べ物に出てしまう体質のために、ヒトと同じ物は食べれない。何とか口に出来るというより、舐めて渇きをしのげるのは、年代物の赤ワインくらいでさ。トマトジュースも無理だ。あれは漫画の空想だね。栄養として吸収できるのは、経口摂取したヒトの血液だけなんだ。血液の主成分のヘモグロビンは鉄分が豊富なはずなのに、()れるものがヒトの血液だけだから、万年貧血だ。これが狂魅の因果だね。


けれど彼女は恐ろしく強い。

僕の同年代では最強じゃないかな。対抗できたのは、噛月(かみつき)って男の子くらいだったと思う。


まあ、彼の話はおいておいて。

狂濡奇の身に宿す狂魅の因果の祝福は、恍惚の魔眼でね。

情緒が不安定になると、瞳が砂漠の太陽みたいな白金(ぷらちな)に輝くんだ。そしてその瞳を直視した者は、漏れなく恍惚にショックを起こして、麻薬を致死量分頚動脈に一気に打たれたみたいになって、死ぬ。


今は制御ができているけれど、保育所の頃は抑えが利かなくてね。たくさんの子供たちが、彼女の因果に(ほふ)られた。


でも彼女の芯は優しいから、無闇に他の子たちを殺さないように、砂漠のミイラみたいに顔に包帯をぐるぐるに巻いて、片目だけ出して生活していた。包帯があれば、相手の攻撃を警戒しながら、いつでも眼を隠せるからね。


まあ、皮膚から水分が消え去ったお婆さんみたいな見た目も、隠したかったのかもしれない。何にせよ彼女は保育所の最強だった。最強ということは、一番尊ばれる。そして優遇される。だれもが、いや、誰もっていうのは違うな。僕と噛月(かみつき)以外は全員彼女を(おそ)れていた。


 噛月は優等生でね。とても気持ちのいい性格の男の子だった。言葉も行動もはきはきしている子でね。


潰しあいの中でやさぐれている子たちも、彼には毒気を抜かれた。

見た目も爽やかでさ。ほら、アメリカンコミックスのヒーロー、青いスーツに赤マントでガッツポーズしながら空を飛ぶ、クラーク・ケント。あれよりケントっぽかったんだ。まあ、ケントみたいに空は飛べなかったけれど、強さが他の子より遥かに優れていてね。


基本的な身体能力が、村人の到達できる所を遥かに超えていた。普通そういう才能(もの)に恵まれるとそれにあぐらをかくものだけど、彼は全然思い上らないんだ。

謙虚さも努力に励む才能も、村人の到達できる所を、遥かに超えていた。彼は、誰よりも努力して才能を磨き、誰よりも正々堂々と戦う。保育所のだれもが、保育士たちも含めて、彼が防人になると思っていた。


 当時の保育所には、実は栄誉というか皆の憧れることが、最強であること以外にも1つあったんだ。


それが防人に選ばれることだった。

器様の誕生は予言されていた。器様を守り抜くという仕事は、村の最重要任務でね。全てが最上に限りなく近い戦士にしか、その任務は託されないと、誰もが信じていた。


 で、ここが噛月の気持ちいい所なんだけど、彼は、謙遜とかいう卑屈に(おちい)らないで、ひたむきに防人を目指していた。


その為には、因果の暴走を制御しないといけなかったんだけどね。苦労していたなあ。


なんせ彼は、戌憑いぬつきっていう、狼男だったからね。

月に一度夜空に満月が来てさ、不幸なことに雲で隠れてなかったら、次の朝には、必ず一人は噛み殺されているんだ。

そして噛月は布団から出てこない。

部屋からは、奥歯を食いしばるみたいな男泣きが、漏れるんだよね。噛月も随分まいってたんだと思う。


だってさ、防人になりたくても、どんなに最上の戦士でも、満月の度にヒトを襲うようじゃ、無理だからね。保育所ならともかく器様が暮らすのは世界史的な文明社会だから、狼男なんか、下手したら器様ごと、駆除されてしまう。


 僕は、彼と親しかったもんだから、そういう朝には気を使って、前もって文明社会から取り寄せておいたドッグフードの缶詰の中身を皿に盛って、彼の部屋に運んだ。



ノックをすると、くまの酷い顔で出てくるから、彼を見上げながらね、できるだけ軽く、

『大変だね』

 と言うと

『こんな僕ですまない』

 て涙で真っ赤な眼を、さらに真っ赤にされるんだよね。


 その真っ赤加減を見る度に、本当に大変そうだなあ、と思ってたんだ。思いっきり他人事でね。


 だって、その頃の僕は、防人になろうなんて蜜蜂の針先ほども思ってなかったからさ」

 わたしは、体の重心が腰を落ち着けた椅子から勢いよくずれそうになるのを、肘に力をいれてこらえながら、早羅さんの話に集中を続けた。


「僕は集落の景色を愛していた。

 脈打つみたいに細長く連なる山々の隙間に、たまたま出来た泡みたいな小さな土地に過ぎない里だけれど、その美しさにとても大きな価値を認めていた。

 この里は大まかに東西南北の4つの山に囲まれている。名前も方向にちなんでつけられている。東なら東山とかね。


僕が特に気に入っていた場所は、この東山のいただきでね。この山は四つの山の中では一番高いから、ここは里では一番空に近い場所で、岩場になっている。てっぺんのすぐそばには、鏡餅に乗った蜜柑みかんみたいな姿の小岩がある。


 この小岩に座ると里全体がくっきりと見える。


南西の公民館や、図書館、体育館の一帯から道が、一本北に伸びて古民家たちに脇を固められながら、この山の中腹から湧き出た泉を源とする川と出会う。


川は、東から西に流れて、里を2つに分けて、夕陽を探すように、また西山をはじめとする山々に吸い込まれていく。


蛇の腹をまたぐみたいに道は橋になり、その先に広がる蕎麦畑を光線みたいに綺麗に半分に分かつ。


畑は、季節によって、緑や淡い白に変わる。波が湖を渡るように風が畑を渡る。北山の(すそ)に至る手前で、道は東にうなだれる。その先に保育所がある。


頂きから眺めたあそこはとても人工的で、図体だけやたらと大きくて、なんというか醜悪でね。


巨大化してしまった白いダニが大地にへばりついているような異物感を、僕は嫌悪していた。


地平線に向かって波打つ山々も、無人の家々もとても美しいのに、どうして保育所だけが、こんなに醜悪なのか。僕は毎日頂きに登って、里の全体を眺め続ける。


四季に変化する世界には彩りがある。


僕はその美に、幸福と価値を認める。


けれど視線は保育所に集約される。吹き出物が気になるみたいにね。そして不快を感じる。

そんな僕に向かって、風は、蒼空の果てから、山々の頂きを越えて吹き付けてくる。その声は、天候による強弱はあっても、いつも同じことを問いかけてくるんだ。


『どうして、お前は保育所(あれ)を醜いと思うんだ? 』

てね。僕は分からない。だから考え続ける。何年も何年も、幼い頃から、僕はそんなことに思考を没頭させながら、東山に登り続けた。


 ある冬の日、ふとした弾みで、答えが出たんだ。


 僕はいつもどおり、小岩(みかん)の上に座って、寒いから、毛布に穴を開けて作ったポンチョを何枚もはおって、マフラーを顔にぐるぐる巻いて狂濡奇(くぬき)みたいになって、膝を抱えて、雪に白く覆われた里を渡る風を、見るともなしに見ていた。


畑は、純白の雪原になっていてね、ケーキに塗りたくられた生クリームみたいな緩い丘がいくつもできて、そこを粉雪が渡るんだ。


風は西から来るから、僕の頬も切ってきて、僕ができるのは、白い蒸気(いき)を吐きながら、ミイラみたいに巻いたマフラーの隙間から、眼を細めることくらいだった。


 文明社会ではクリスマスソングが流れていた頃だったけれど、僕の耳の奥には、違う歌がループしていた。


それは欧米のカリスマな歌手の、随分とセンチメンタルな歌でね。当時は、東南アジアで戦争が続いていてね。


アメリカが長いこと戦ってたんだけれど、絵に描いたような泥沼でさ。


その歌の旋律や歌詞には、『戦争なんかもう嫌だ! 平和な世界を想像してみよう。そっちの方がいいよね』というメッセージが溢れていた。


いい大人が何を甘えた事を言ってるんだと、初めてその歌を聴いた時は、呆れたんだ。


だって戦争だろう? 殺しの中でも一番楽な部類だ。戦争はさ、国家の運命を背負った集団戦で、武力を使った国家間の争いに過ぎない。国家という(おおき)な物の末端として、殺し殺される。殺しというのはさ、動機というか、屋台骨がしっかりしているほど、ちゃんとできるし、後腐れもないんだよね。


ご近所さんとか、家族同士で殺しあうのとは訳が違う。そう、幼い僕らが保育所(あそこ)で日常的にしてる殺人の方が、成熟した大人たちが東南アジアの密林でわめき合いながらする殺人より、重いんだ。なのにアメリカの大人たちは、平和な世界とかいう、甘ったるい事を考えて、歌にまでして、挙句の果てに、保育所の僕まで届き、結局僕は思い知らされた。



 ……世界は甘さに溢れている。


保育所は、子供たちの血に溢れている。この二つの事実は矛盾しない。


何故なら、保育所は、世界から切り離されているからだ。この世界というくくりは、ヒト以外の世界も含む。哺乳類の子供たちは殺しあわない。


蟲なら殺しあう。つまり、村の施設である保育所で、教育システム的に、僕らは蟲と同じ部類になっている。哺乳類なのに、蟲だ。


 ……その不自然に、僕は醜さを覚えるんだ。

 僕は、風に向かって、甘ったるい歌を口ずさんでみた。旋律は大気の怒涛に、かき消された。それはかき消されながら、かき消されるという形をとって、世界に溶けた。世界と、甘ったるい旋律は、どうやら友達らしい、と思ってしまうくらい、僕はひねくれた子供だった。


 そもそもこんな事は、強い子なら考えないのさ。

僕はただの座敷童だからね。狂濡奇みたいな魔眼もないし、噛月みたいに全方位的に卓越している訳じゃない。


特性と言えば、鏡に映らないくらい、影が薄いこと。弱いヒトには、僕は見えないけれど、保育所の子たちは強いから、見える。


だから僕は因果の衝動に駆られて誰かを襲うという事がなかったし、襲われてもすぐに逃げ出した。


挑発にも乗らない。殺気を感じた時点で、窓から飛び降りて、山に逃げる。ついでに登山したり、猿と遊んだりする。


 そんな事を続けているうちに、誰からも相手にされなくなった。あ、噛月と狂濡奇は別だよ。


 影が薄いことしか取り柄の無い、臆病の弱虫と蔑まれる僕と、どこが気があったのかは、謎だけどさ。お互い全然違うから、友達になれたのかもしれないね

 

保育所の教育システムは、人間愛とかいう幸福な理想主義とはかけ離れていたけれど、質は高かったと思う。


昼は自由選択制の講義が行われていた。暗殺術から、失敗しない料理教室から、線形代数みたいな高等数学まで、内容は幅広かった。


 僕はやる気の欠落した生徒だったから、保育所の不自然さを悟るまでは、授業なんて全く出なかったんだけどね。


蟲壷にいる事を自覚したとき、『何故僕らは蟲なのか? 』という疑問が生まれて、その答えはさすがに小岩(みかん)の上では出ないから、民俗学の講義には出席するようになった。


 蟲には蟲である理由がある。村という共同体を成すのは、村人だ。


では、村人はどのように生まれて、ヒトと別れて、村を作ったのか? この組織の起源は謎だけど、類例から推察はできる、と僕は思った。


 ちなみにこの講義は当時、恐ろしく人気が無くてね。みんな、すぐそこにある死を回避するべく、近接戦闘術とかに夢中でね。保育所を出た後に目を向けていた子たちも、キャリアのために、簿記とか、建築工学とか、大学的な教養を選んでいた。


こんな風だから、この講義に出席していたのは、うん、そのとおり。僕と、噛月と、狂濡奇(くぬき)だけだった。


まあ、出席の理由もそれぞれ違ったけどね。


噛月はこの講義に限らず、保育所の知識の全てを網羅するつもりで、実際にしていた。狂濡奇は単純に人が多い場所が嫌いだったから、人気の無いこれを選んだ。もう一つ理由があったけれど、それに気づくのは後の話だ。僕は、長々と話したとおり、疑問の解明のためだった。


 講義は、疑問の解決にはならなかったけれど、中々興味深かったよ。神話の偉大な存在たちが、どのように暴れ、どのように倒されたのか。


何に卓越して何に溺れたのか、から始まって、世界中の妖怪たちの分類。弱点の共通点。これは実際的な知識だと思った。例えば、狂濡奇は十字架とニンニクが苦手だ。戦闘でかざせば、一瞬の撹乱(かくらん)はできる。その間に逃げればいい。


 僕のやる気のない所は、優位に立てる情報に触れ続けていたのに、戦闘で使おうとは思わなかったことだ。逃げることしか頭になかった。


 講義に出続けて良かったことは、友人が増えたことだね。

噛月とは部屋が近かったから、以前から親しかったけれど、狂濡奇とはそれまで接点が無くてね。これにでるようになってから、自然と言葉を交わすようになった。まあ、話しかけるのは、主に僕だったけどね。


 あ、そうそう。彼女が民俗学を取っていたもう一つの理由。これが分かったのは、出始めてから二ヶ月くらい、かな。


 その日の講義の前に、僕は食堂からバナナをくすねてきた。山の猿にあげようと思って、机の中にしまっておいて、講義が終わると綺麗に忘れてしまっていた。


山に行く途中で思い出して、講堂に戻ったら、狂濡奇が床に這いつくばっていた。


僕は驚いたけれど、驚くのも失礼かなと思って、できるだけ平静を装って声を出した。


『どうしたんだい? 』てね。

 彼女は包帯でぐるぐる巻きな顔面をあげて、答えた。

『ヘアピンを落とし…』

 彼女が言い終わる前に、僕は講壇横に落ちているヘアピンをつまみあげた。

『…たの』

 彼女は言い終わった。

 僕は座敷童だからね、累計滞在時間が24時間を越えた場所は、何がどこでどうなっているのか、完璧に把握できる。


ヘアピン一本見つけることなんて、たやす過ぎて退屈なくらいだ。

 けれど、僕は彼女に、自慢げに、指先のヘアピンをちょっとゆらゆらさせて、言った。

『よく見れば可愛らしいね、これ』

 見つけたという親切に、ヘアピンの価値を認めることで共感も重ねたかった。まあ、実際可愛らしいヘアピンだったからね。黒のピンに、目をこらさないと分からない、桜色の花柄模様が散りばめられていた。夜桜みたいにね。


 僕は彼女に歩いて、ピンを差し出した。

『ありがとう』

 と彼女が言って、それを受け取ろうとしたとき、頭部の包帯が下にずれてね。


老婆な彼女の頬。何年間も砂漠の陽で干し上げたような、水分の代わりに無数の皺が走った頬を、見てしまった。僕のポケットには、ニンニクも十字架も無かった。


だから僕は、ああ僕は死んだ、と思ったんだ。


だって、彼女は同輩たちを殺さないために包帯で顔を隠していたからさ。顔を見たものは、魔眼で殺すに決まってる。でも、本気の瞳を見れるのは嬉しかった。だって、砂漠の陽のような白い輝きとか、絶対美しいだろう? 僕は美しいものに、心惹かれる。


『わたしは醜い? 』

 彼女はいきなり訊いてきた。

『23年後は美しくなると思う。狂濡奇さんは顔立ちが良いから』

 こう答えてから、さあ来い恍惚の魔眼、と胸の奥で叫んだんだけれど、彼女はうつむいて、包帯を巻きなおしただけだった。

『嘘を感じたら殺してたのに。早羅君って性格良過ぎ』

 と言ってくれたから、僕は、

『褒めてくれて、ありがとう』

 と返したんだ。


彼女は、どういたしましても言わずに、講堂の出口に向かって、それから手前で振り返った。


『ヘアピン、見つけてくれて本当にありがとう。噛月君がくれた物だから、どうしても見つけたかったの』

 呆気(あっけ)に取られる僕をおいて、彼女はさっさとドアの向こうに消えてしまった。


そして僕は、いくつもの間を置いてから、えーっ! とか、あー! とかを叫んだ。それから山に向かおうとして、バナナを取りにきた事を思い出した。


 狂濡奇はね、顔面を見た僕を見逃してくれただけじゃなく、秘密も教えてくれたんだ。


彼女がこの講義を取る理由は、噛月への恋心だった。噛月も噛月で、彼女に花柄のヘアピンなんかを贈っていた。彼は硬派だから、軽々しく女の子に贈り物とかする奴じゃない。

ということは、彼にとっても、彼女は特別ということだ。


 つまり二人は両想いだった。

 僕は、山の澄み切った森特有の匂いの中で、意外な事実に一通りくらくらしてから、友達の猿に、

『でも微笑ましいカップルだよなあ』

 と言った。


 実際お似合いだったからね。二人は保育所最強だったし、噛月は人格者だし、狂濡奇は僕を見逃してくれるくらい、優しい。


 僕は、神父の資格があるなら、いやむしろ神父の資格を取って、二人に永遠の愛を誓わせてあげたい、と思ったんだ。

 ……まあ、実際は、僕は彼らのために、何もできなかった。

 それから何年も後に、噛月は殺された。殺したのは、僕、だ」

 早羅さんは、そこで一旦言葉を切って、痛める心にその眉を歪め、長いまつげを伏せた。


 ランプの炎が揺らめいた。天井の北極星から注ぐ光は、相変わらず、彼を銀色に祝福している。

 彼は瞼を開いて、独白を再開した。


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