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ヒトではない者たちに愛される。それが彼女の力だからね。

 サイレンや悲鳴が近づいてきたので、僕は滅道さんの到着が近いことが分かった。


 御歳120を越える滅道さんの因果(ちから)は今も健在である。

 だから、彼を見る人は気を張っていないと、すぐに頭の中で血管が破裂してしまう。

 つまり、この街の夜空に響くサイレンも悲鳴も、あの人の因果ちから)にその生を詰まれた人たちへの、(はなむけ)の祝砲なのだ。


「……けど、迷惑だよ、なあ」


 夜空は雲ひとつないけれど、地上の明かりに精彩を欠いている。

 僕は紺色の夜空を見上げながら、そうつぶやく。

 と、唇の隙間から白い息が上空に昇り消えていった。


 寒い。

 風がない夜だけど、その分底冷えがする。

 こんな寒い夜に、村の助役の滅道さんは新生児(うつわさま)を麻の布にくるんで走ってくる。


 それがしきたりだから仕方ないと言えば仕方ないけれど、もう少し現代化しても良い気がする。


 だって、生まれたてほやほやで外気に当たらないといけない新生児(うつわさま)が可哀想だ。

 滅道さんを見て死ぬ人たちも救われない。


 僕だって可哀想だ。

 いつ着くかわからないあの人に備えて気をはり続けるのは、やたらと疲れるのだ。

 けれど、気を抜いた時に到着されたら即死である。

 これは避けないといけない。

 でも疲れる。


「おめでたいことなんだけどなあ」


 僕はそうつぶやいて、山科産婦人科と黒く書かれた大理石の看板に視線を落とした。

 こちらは立派な大病院ですよ と全力アピールしている立派な大理石である。

 でもここで産まれる子供たちが、立派な人になるかは分からない。

 本人次第なのだ。

 多くは平凡に生きてささやかに死んでいくのだろう。

 今現在、滅道さんの腕の中に在る彼女は、どういう生を歩むのだろうか?

 そして僕は彼女にババ様が降りる時、何を思うのだろうか?

 全然分からない。

 予想もつかない。


 「早羅君。こんばんは」

 滅道さんが、夜空を覆い隠すように立っていた。


 僕のちょうど後ろだ。

 新生児とおそろいの黒染めの麻布をまとってフードを被っている。

 この人の体は大きい。

 2mを軽く越す。

 シワだらけのモアイ像みたいな鼻と口が、フードの陰から浮かぶのはいつもどおりだ。

 目を包帯が覆っているのも。


 今晩はこの包帯が湿っているけれど、この理由は察しがつく。

 けれど、確認するわけにはいかない。

 なんせ滅道さんの本当の因果(ちから)は直死の魔眼なので、見た瞬間即死だ。

 気をはるとかそんな根性論は全く意味をなさない。

 さすがは村の助役さんである。

 ちなみに彼の目を見て生きている人はいないけれど、うわさによると、目は一つしかないらしい。

 さすがは村の助役さんらしい、お化けっぽさだ。


 村は神話の末裔がひっそりと集う組織である。

 ちなみに、僕のご先祖様は座敷童だ。


「こんばんは。予定の時間よりはやいですね」

 滅道さんに向き直って見上げながらそう言うと、モアイな唇の端が柔らかく上がった。


「ああ。すまないね。年が寄ると足腰も弱くなってね。時間に間に合わないかと急いてしまった」

 僕は助役さんのしわがれた声に合わせて微笑む。


「病院、入りますか?」

「いや、君と違ってわたしは目立つからね。それに、入ったら大惨事になってしまうよ」

「わかりました。器様を。こちらに」

 そう言って、両手を滅道さんに向かって伸ばすと、助役さんは、

「よろしく、頼むよ」

 と、言って、僕の腕にその子を受け渡した。

 その声はしわがれているけれど、新郎に娘を渡す花嫁のパパみたいな優しい声だった。


「承服いたしました」

 僕はそう応えて腕の中にその子を抱く。

 とたん、ひどく泣きたいような、懐かしいような、兎追いしかの山とかそんな故郷みたいな謡でも似合いそうな、不思議な気持ちが、覚悟してた以上に胸にこみ上げてきて、沸き上がって、溢れて、とてもびっくりした。


「滅道さん」

「ん?」

「お猿さんみたいですね。この器様」

「産まれたてだからね。……さて、ちょうど時間だ。千骸君によろしくと伝えておくれ」

「ふぁい」

 はい、ではなく、ふぁいと言ったのは、目じりから涙が、鼻の穴から鼻水が溢れて、感情が胸に詰まって、どうしようもなかったからだ。

 僕をこういう状態にするのが、これが器様の因果(ちから)であると分かっている。

 けれど、とても抗いにくい。

 そんな、温かな感情の濁流。

 

 しかしこの状態でも気をはりつづけないと、即死である。

 村人というのは難儀であることこの上ない。

 それにしても……。


 ― 村人(ひといがいのもの)たちに愛される因果、かぁ。器様(かのじょ)の特性とは聞いてたけれど、すごい、なあ。―


 すごいのである。

 滅道さんの魔眼を覆う包帯が湿っているのは、助役さんも泣いているからだ。

 助役さんでこうなのだから、僕なんかは、やっぱり号泣の衝動に抗いようがない。

 のみならず、滅道さんの因果すら効かせないという、恐るべきすごさなのである。



「あ、滅道さん」

 肩のすぐ下の力こぶで涙と鼻水をぬぐって、呼吸を回復してから助役さんの背中に呼びかける。


「ん?」

「境間君は元気でしたよ。因果も抑えが利くようになってました。あと、僕の脇ポケットに贈り物あります。取ってってください」

 肩越しに振り返る滅道さんに一気にまくし立てると、助役さんは僕の方に戻ってきた。

 それから、

「そうかい」

 と言って、開いた脇ポケットに指を突っ込んで、中をまさぐって取り出す。

 この人の指は、シャーロックホームズのパイプみたいに太い。

 モアイさんは首をかしげる。


「これは?」

「カイロです。帰りの道は寒いでしょうから、それでお腹を温めてください」

 僕がそう答えると、助役さんはシワシワの唇でくすっと笑って、

「ありがとう。君を防人に選んで良かったよ」

 と言ってきびすを返す。

 そのまま闇に溶けるように消えてしまった。

 

「……だといいけど、さ」

 脳裏に2%という数字が浮かぶ。


 暗い気持ちになりながら、滅道さんのいなくなった闇にそうつぶやいてから、やっとこさ気を全身から抜いた。


 こった首をこきこきする。

 それから、山科産婦人科の通用門に向かって歩き出す。

 腕の中では麻布に包まれた器様が、猿みたいに真っ赤な顔をして、苦痛をぎゅっと我慢するみたいに、まぶたを閉じている。

 全然可愛くない。

 けれど、油断するとまた涙がこみあげてきそうなほど、愛おしい。


「……まあ、よろしくお願いします、よ。器様」

 僕はそう言って、通用門に歩く速度を速めた。

 千骸さんを待たせている。

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