研究するということ
卒業論文、というものをご存知でしょうか。私の経験の問題から特に理系に限った話になりますが、卒業論文とは大学四年生になった時に教授陣が持っているそれぞれの研究室に所属し、その年の終わりまでに自分の研究の経緯や成果等をまとめて発表する資料のことを言います。これの提出と発表が行えなければ例え単位が卒業に足りていても卒業することはできず、また一年大学四年生として過ごす羽目になります。加えてその研究室の教授の方針にもよりますが、前年と全く同じ論文をそのまま提出することは許されないため、まーた資料の作り直し等をしなくてはならなくなります。
さて、大学生といえば何だか高校生よりも凄い一杯凄いことをしていそうだ、というイメージを持っている方もいらっしゃいますかもしれませんが、勉強に限っては別にそのようなことはありません。医大生だとか東大の凄いエリートだとかは違うのかもしれませんが、少なくとも私が通った旧帝大の医学部を除いた理系では、多少実験などは行いますが高校の授業からそれ程離れたものではありませんでした。
大学三年までは自分で選択した授業を受け、期末テストに向けて友人とともに過去問を先輩から融通してもらったり、卒業単位は本当に足りているのかと互いに確認しあったりとするだけで論文といえるようなものを書くことはありません。もちろん、自主的にそういった活動をしているのであれば話は別でしょうが。
そして問題の大学四年生、ひいては卒業論文に関してなのですが、例にもれず私も多大に苦労することとなりました。ストレスにより胃の動きが止まること三回、まともに家に戻れず研究室で暮らすこと三週間、発表の時に他の研究室の教授たちにボコボコにされて大学院に行かないことを決意すること一回、とまあ散々な目に遭いました。
何故ここまで苦労することになったのか? それはひとえに『研究とは何なのか、研究のやり方はどういったものなのかを知らなかった』という点に尽きます。以前書いた『勉強とは何なのか』という問題と同じです。正しく認識しないと何をやっても効率的ではなく『何だかよくわからないけど実験しろって言われたから実験した』となります。
それも当然の話で、大学三年生になってもそのような活動を行うことも調べることもなく、やり方を懇切丁寧に誰かが教えてくれるわけでもないからです。『はじめて取り掛かる問題を天才以外が最適解で解けるわけがない』という話ですね。
そのため何度教授に話をしてもダメ出しを貰うこととなり、何をしてよいかわからなくなり、余計に視野狭窄に陥ることになり、その場合最悪鬱にでもなるのではないでしょうか。実際当時は私も自殺を考えて『でも今自殺したら卒業出来ないし荷物の処分も出来ない』とかいうよくわからない理由で思いとどまっていました。
閑話休題。
本題に入りましょう。研究室にもよりますが、卒業論文、特に実験をしろと何度も教授から念押しされるような場合はどのような心構え、目的意識でいればよいのでしょうか。答えは『まず実験を行い、そこで生じた問題を洗い出し、それを改善するよう考えた実験を行うということを問題が生じなくなるまで行う』ことを意識するということです。卒業論文ではどのような実験を行い、どのような問題が生じ、それを改善すべく何を行ったのか、そうやって問題なく得られたデータで何を行ったのかを書けばよいのです。
さて、ここで話しておくべきことがあります。これは私が所属した研究室の教授のスタンスなので普遍的なことではありませんが、『何か目標を達成するために実験をする』のではなく『実験から得られたデータを使ったら何か目標が達成できた』という考えも意識しておくべきです。具体的に言うと『私は画期的な発明を行うためにこの実験をした』ではなく『この実験をして得られたデータをあるやり方で処理したら画期的な発明が出来た』というスタンスです。実際に卒業論文を書く段階になった時は前者の言い分を用いますが、作成前の段階では後者を意識しておくべきです。つまり実験を行っている段階では『発明』ではなく、実験によって得られるデータのみに意識を向けるべきということです。
ただ漫然とよくわからないままに実験や論文作成を行うのと、研究とはそういうものなのだ、私は次に何をすればよいのか、ということがわかっている状態で実験や論文作成を行うのとでは作業効率とストレスに大きな違いがあります。
結局は勉強と同じ話ですね。『研究という問題を解く時にはどういうやり方でやればいいのかを知らなければ研究という問題は解けない』ということです。教授からは『未知の分野を手探りでやるのが研究の面白いところ』だとしきりに言われましたが、その『手探りする方法』つまりは『研究のやり方』を教えてもらえなければ生徒は一歩も動けないのです。研究室の先輩からは『論文を書く時の書体の整え方』だとか『参考文献の探し方、載せ方』などは教えてもらいましたが、土台となる『研究のやり方』を教えてもらうことはありませんでした。
その経験からもしかして大部分の生徒はこれを知らない、または違うように捉えているのではないかと思いこのエッセイを書いたのですが、どこかで苦しむ大学四年生の手助けになれば幸いです。
もちろん、依然として問題はあります。『まず実験を行う』という事が実は難しいのです。大学三年生までは先生から言われたみんなと同じ実験をみんなで行いますので、『自分がやり方を考えて自分だけで実験を行う』ことのやり方がわからないのです。
そもそも自分が何のデータを得たいのかがわからない。何かのデータを得たい時にはどういう実験を行えばいいのかわからない。問題点の改善はどうやって考えればいいのかわからない。そもそも問題点が問題であるとどうやって知ればいいのかわからない。などなど、経験がない故に様々な問題が生じます。特に最初の二つの問題などは割と致命的ではないでしょうか。私はそこで行き詰りました。
こういったところこそ初めの一歩くらいは経験豊富な教授に教えていただきたいところだったのですが、『実験のやり方がわからない』と相談したところ『そんなサムい事を言うな』と一喝されました。まあその時は『研究のやり方』を知らなかったので質問が悪かった、ということもありますが、それはそれで『研究のやり方』を教えてほしかったです。
私たちは凡才です。初めの一歩の歩き方がわからないのです。だから、何歩も先にいる人たちには『歩き方』を教えて貰うべきです。
先輩に実験のやり方を相談する時には、単に『実験の方法』を教えてもらうのではなく、『何故そんな実験内容にしようと考えたのか』というプロセスを教えてもらうように頼んでみてはいかがでしょうか。それで問題が解決するかもしれませんし、別の問題により解決しないかもしれません。その時はまたその問題を解決する別の質問を考えるということで……。