敵対
-1-
健太は眠りから覚めたように眼を開けた。しっかり睡眠を取った朝のように清々しかった。
周りを見た。良く見る医療機器が傍らに置かれていて、モニターに波形が表示されている。人工呼吸器が煩わしい。
どうやら自分は、病室のベッドに寝ている重症患者のようだ。そう思った時、糸が紡ぎ出されるように、一つ一つ連綿として記憶が甦って来た。
自分は事故に遭って、病院にいる。幽体離脱していたから意識はなかった。
(あれ、黒豹様のこともドラゴンのことも、みんな覚えているぞ。記憶は消されなかったのか。黒豹様、ミスったな。ラッキー。超能力と異世界の経験。これで俺の人生変わるかな。人間の幸せの為に力を使えって黒豹様に言われたよな。そうしないと罰を受けるぞ。黒豹様は何でもお見通しだってか。何したらいいかゆっくり考えよう)
健太は心の中でつぶやいた。
健太は幽体離脱していた時の記憶が甦り、現実世界に戻り、非現実的な経験や、変わった人生感など、あれこれと考えに耽った。
元来、楽観的な健太は、自分が重症で入院しているとは思ったが、その状況の重大さにまで考えが及ばなかった。心から心配している人がいることに。<KBR>これが、健太を女達のヒステリーパニックに巻き込むことになる。
状態は変わらないと言われても、気になってしまう美紀は健太の顔が見たくなってICUに来て病室を見た。
美紀ははっとして眼をこすった。間違いない。健太が人工呼吸器を外し、眼を開け腕を組んで、何か考え込んでいるように見えた。
美紀は取って返して貴美子と健太の母親の陽子に報告して、看護師を呼んでICUに行き、貴美子達は病室に入ろうとするのを看護師に制止され、医師の診断を外で待った。
医師が病室から出てきた。
「検査をしないと結論は出せませんが、橘高さんは快復されています。信じられない快復力ですよ」
信じられない表情を隠さず医師は歩き去った。
「どうぞ、元気になられた患者さんとお話下さい」
看護師が三人を病室に招じ入れ、出て行った。
健太がベッドに座ってにこやかに三人を迎えた。意識不明の重体だったのが嘘のような、いつもの元気な健太が座っている。
美紀は何故かにこにこしている健太に腹が立って来た。信じられないくらい元気になったのはとても嬉しい。だが、元気だったら、何で意識が戻った時に、すぐに教えてくれなかったのか。健太が死んだら、自分も生きて行けない。普段神など信じないのに、神様、仏様と心から祈った。死ぬ程心配したのに、あっけらかんと笑っている。
こん畜生と怒鳴り付けてやろうと歩み寄った時、貴美子が近付き右手で健太の頬を打った。
事故の後に頭を叩くのはまずいと美紀は思ったが、健太はぽかんとして貴美子を見ている。貴美子は涙を流して健太の肩を両手で掴んで揺すった。
「どれだけ心配したと思ってるの。意識が戻ったらすぐに知らせなさいよ、病室に寝てるって分かったでしょ」
貴美子は涙声でなじるように言った。
「そうよ、この親不孝が。あんたは昔から自己中なのよ」
陽子も大声で責めた。
美紀も二人を見ていて感情が激して来て、涙がこぼれ、涙声で声を荒げた。
「そうよ、人の気も知らないで、健太の大馬鹿野郎」
女三人が感情的になって自分を責めて来る。何で重症患者の自分が元気になって怒られなくちゃならないんだと思いながら、感情的になった女には逆らっちゃ駄目だと誰かに聞いたのを思い出し、頭を下げ謝った。
「心配させてごめんなさい」
「心配させられたことを言ってるんじゃないの」
貴美子は怒りが収まらなかった。
健太は、貴美子の怒りに閉口して言った。
「何を怒ってるのよ。元気になって戻って来たんだからいいじゃん」
「何だって、戻ってきたって。まさか、あの世へ行って来たの」
心霊好きな陽子が言った。臨死体験だけなら面白い話題として話したが、今回は宇宙の神秘だ。話す訳にはいかない。
「まさか。怪我から戻ったってことだよ」
「さっき先生が信じられない快復力って言ってたわよ。あんた、前からそんな体力あったの?」
陽子の疑問に貴美子が答えた。
「母親の陽子が知っていなきゃならないことでしょう。もう、そんなことどうでもいの。元気になってくれたんだから」
どうやら、貴美子は優しい祖母に戻ったようだ。
-2-
健太は退院して学生寮に戻って来た。寮の入口の手前に黒猫が座ってこっちを見ている。黒光りして、しなやかな姿。健太は黒猫と言うより小さくした黒豹に見えた。その瞬間、あの世界の黒豹を思い出し、思わず声を出して呟いた。
「まさか」
黒豹から言葉が来た。
ーそうだ、私だ、驚いたかー
ー何で黒豹様がこの世界にいるんですかー
ーお前の世界に興味が湧いた、直接お前の世界の様々な人間を見て見たくなった、だからお前に記憶を残した、暫くこの世界にいる、お前が私の面倒を見ろー
ー覚えていたのは黒豹様のミスじゃなかったんですかー
ー誰に言っている、私にミスなどないー
ーあちゃ、面倒なことでー
ー邪険にするなー
ー精一杯お世話させていただきます。でも、学生寮はペット禁止でしてー
ー忘れたか、私の姿は見えるだけ、いつでも消え、いつでも現われるー
ーそうでしたね、私の部屋は分りますね、私は行きますので、部屋に現われて下さいー
健太が部屋に入ると、黒豹改め黒猫は部屋にいた。
ー黒豹様、お姿は黒猫のつもりですか? 黒豹を小さくしたようで黒猫とはちょっと違いますよー
ー黒猫に見えればそれで良いー
ーこれから黒猫様とお呼びしますか?ー
ー呼び名など何でも良いー
黒猫と健太の共同生活が始まった。
食事の世話も必要なく、消えたり現われたりして、会話の相手をする以外に、黒猫の世話に面倒は全くなかった。いろんな国に行って、いろんな人種を見ているようだと健太は思っていた。
健太は毎日、美紀を家まで迎えに行き、家の外では一日一緒にいた。合コンを仕切った美紀の先輩に会ってストーカーの情報を得ようとしたり、聞いた大学に行ってみたりしたが、ストーカー捜査ははかばかしくなかった。
美紀の不安がいつまでもなくならない。行き詰った健太は黒猫から授かった力、超能力を使おうと思った。ストーカーを見つけるのは人の幸せの為、美紀の幸せの為、結果的に健太の幸せにつながるだけ。
そう考え力を使おうと思ったが、よく考えたら自分にどんな超能力があるのか分からない。
ネットで超能力の種類を調べてみた。
テレパシーはある。幽体離脱は実体験した。意図して出来るかどうか。サイコメトラー、予知、透視、テレポーテーション、サイコキネシスはシンジの力か。
いろいろあるが、どれが出来るか試してみようと健太は思い、一番手っ取り早いサイコキネシス選んだ。机の上の目覚まし時計を動かしてみようと、集中して時計を見て、動けと念を送ってみた。時計はびくともしない。
これは駄目だと思ったら、突然、黒猫の言葉が来て姿を現した。
ー愚か者め、お前は何も分かっていないなー
ー何がですか?ー
ーお前は私から力を授けられたと思っているようだが、私が授けたのは基礎エネルギー量、パワーだ、お前が言う超能力の種類ではないー
ーじゃあ、予知、透視、テレポーテーションも出来ないのですか、それじゃ、超人じゃないですよー
ーお前が元々持っていた能力が強化された、肉体能力が人より優れていたお前は、肉体的には他の人間と比較にならない力を持つ超人になった、脳の力では、脳波を強く発し、弱い脳波も感知する、だからテレパシーが出来る、死ねば意識が肉体から離脱するから、幽体離脱の能力は誰にでも備わっている、パワーが強化されたお前はいつでも出来る、これだけの力があるお前は超人であるー
ー私の肉体にそんな力があるんですか?ー
ー試してみるが良いー
建太は座ったまま飛び跳ねてみた。何の負荷も無く1メートル以上飛び上がり、天井に頭を打ちそうになった。健太は初めて自分の肉体能力を知った。
ーどの種目でオリンピックに出ても金メダルですねー
ー力の使い方を誤るなー
ー秩序を乱したら力の剥奪ですよね、分かってます、それに、超能力者だったらスマートですけど、超人はハルクみたいでダサくて、知られたいと思いませんよー
ーお前なら正しい使い方が分かるー
ー今はストーカーを見付ける為に使いたいんです。でも、こんな力じゃストーカーを見付けられません、黒猫様ー
健太はすがるような眼で黒猫を見た。
ーお前が苦労しているのは知っているが、私はこの世界に如何なる手段であっても、干渉するのは許されていないー
ー宇宙の秩序ですかー
ー人間は色んな素質を持って生まれる、外見の容姿、体格、能力、優れた物が与えられた人間がいれば、与えられない人間もいる。お前が言う超能力は、今はほとんどの人間がこの能力を与えられても力を発現出来ずに死ぬが、この能力の素質も他の能力と同様で、与えられた人間もいれば、与えられない人間もいる。お前に与えられた素質が一つある、他人の心を自分に同調させる能力だ、あの世界の皆の気持が変わった、自分への欲しかなかった奴らが、他人のことを想い、犠牲になるのを厭わず、他人の喜びを自分の喜びとする、お前は気付いていなかったのだろうが、お前の能力だ、奴らはこれから気持ち良く生きて行けるだろう、お前に心を変えて貰ったお陰でな、お前の力は他人を良い方向へ導く、ストーカーにその力を及ばせば良いー
ーストーカーが何かする前に見付けなければ力を使えないですよー
ーケンタ達と同類の人間がこの世界にいるとはな、どうしたものかー
黒猫の独り言のような言葉が来て、後は自分で何とかしろと言わんばかりに、黒猫は消えた。健太は黒猫が消えた虚空を恨めしそうに睨んだ。
遂にストーカーとの決着の時が来た。
学食で食事をしている時、美紀が不安そうな顔をした。
「けんちゃん、誰かに見られている感じがする」
二人は周りを見た。美紀を見ている者は誰もいなかった。
「いつもそうなの、視線を感じるんだけど、見ても誰もいないの」
他人の視線を感じると言う人も、感じないと言う人もいる。健太は感じない。美紀は感じる超能力を持っているのかも知れないと健太は思った。
「あっ、又」
建太は美紀を見た。そして美紀の背後に見える、ガラス越しに学食の外から美紀を見詰める若い男が眼に入った。ストーカーが現われたかと健太は思ったが、良く見ると、自分を見ているような気がする。
そう思った時、思念が来た。健太は男からだと直感した。
ーおい、ケンター
健太は驚いて男を凝視した。黒猫の言葉を思い出した。ケンタ達と同類の人間がこの世界にいる。距離があるので男の細かな表情までは見えない。健太も思念を返した。
ーお前が俺と同類の男か、お前も別の世界から戻ったのかー
ー俺はお前が大嫌いだ、だからお前を潰す、外に出て来いー
ーお前と闘う理由はない、聞いたことに答えろー
ーお前になくても、俺にあるー
ー会ったことのないお前が何故俺を嫌うー
ー会わなくたってお前への憎しみは俺に染みついているんだよー
話がまともじゃない。精神異常者だ、関わらない方が良いと健太は思った。
ーお前ともう話すつもりはない、とっとと消えろー
建太が黙り込んで、険しい顔をして自分の後ろを見ている。美紀は訝しく思い振り返ると、若い男が立っていた。あの合コンの男が。ストーカーが。
美紀は健太に言った。
「けんちゃん、あそこに立ってる男がストーカーよ。細川亮」
健太は頷いた。
ーやっぱりお前がストーカーだったんだな、そうだったら話が別だ、今からそっちに行く、話を付けようー
「これからあの男と話を付けて来る。ここで待ってて」
「けんちゃん、大丈夫?」
「心配いらない」
健太は学食を出て男に近寄った。男が先に口で言った。
「美紀を守る為に闘うか」
「何度も言わすな、お前と闘う理由がない」
「好きな女を守るのがお前の闘う理由だ」
「証拠がある、俺が証人だ。警察に告発する」
「その前に美紀がどうなるかな」
「美紀に指一本でも触れたら俺が許さない」
「そうなる前に守れよ」
叩きのめしたい程憎んでいるのだったら、隙を衝いて不意打ちを食らわせれば良いのに、何で正々堂々と騎士の決闘のような闘いを望むのか。何で憎まれているのか。健太は何も分からなかった。
建太は思い出した。美紀が言ったお告げ。男が美紀にテレパシーで告げたのだろう。テレパシーなど知らぬ美紀はお告げと思う。健太と美紀の関係をどうして知ったのか。
この男なら幽体離脱して何処にでも侵入出来る。ストーカーの振りをして美紀に恐怖を与え、建太が美紀と親密になるきっかけを作り、美紀を守る為に戦わざるを得ない状況にした。
得体の知れない恐ろしい男だと健太は思った。健太に選択の余地はなかった。理由も分からず闘う。異常者に取り憑かれてしまったから。
「俺が勝ったら俺を憎む理由を言えよ」
「それは有り得ない。お前は死ぬからな」
亮は自信有り気に言った。健太は亮のたたずまいから厳しい闘いを覚悟した。
「此処は人目に付く。こっちへ来い」
二人は建物の裏に消えた。二人を心配そうに見ていた美紀は慌てて二人を追ったが見失った。
キャンパスは広い。奥の林の中に入りお互い戦闘態勢を取った。
建太がじりじりと亮に接近しようとした。亮は悠然として立っている。健太が亮に接触出来る距離に来た時、眼に見えぬ力の塊のような物で顔を殴られ、健太はその場に転倒した。
その塊が第二打、第三打と執拗に襲い掛かって来る。健太は必死に攻撃を避けようとしたが見えない打撃を避け切れず、当たった瞬間に、力の方向に衝撃を和らげるように体を引き、ダメージは減らすのが精一杯だった。この対応は超人の肉体能力が為せるわざだ。
この能力が、連続攻撃を受ける中で、眼に見えぬ力が微かに発する風圧のような力波を感じさせ、当たる瞬間に打撃をかわしたり、腕でブロック出来るようになった。だが、不利な状況は変わらない。
建太は抜かった。亮がシンジの能力を持っている可能性を考えなかった。黒猫は建太達と言った。達ならシンジもいる。それとなく情報を知らされたのに、健太は聞き流してしまった。知っていたら、余計なダメージを受けずにすんだのに。
防御しながら、建太は頭をフル回転させて考えた。浅はかな自分に気が付いた。後悔しても遅い。反撃の機を窺う。シンジが言っていた。筋肉を使わなくても精神が疲労すると。
同時に複数の打撃を受けた。顔への打撃はブロック出来るが、体への打撃は耐えるしかない。時間は余りない。打撃のパターンが読めて来た。力の塊から受ける衝撃が弱まったように感じた。好機到来。
殴られた部位のダメージは残っているが、超人の快復力が反撃可能にした。
右の連続フック、次は左フック。健太は左フックをかわし、猛ダッシュで男の体に抱き付いた。亮は建太の突進をかわそうと左に動いたが、健太のスピードが勝り、長い腕に掴まれ、勢いで仰向けに倒れ、健太が亮に馬乗りになった。
建太は格闘技のマウントポジションの体制から亮を殴り始め、健太の拳が亮の顔を打つ鈍い音がした。亮はたまらず、腕で健太の腕を掴み防御して、見えぬ腕で健太の胸を打った。打たれた健太は後ろに仰向けに倒れた。
胸を押さえながら建太は立ち上がった。亮も顔をさすりながら立ち上がった。
胸を打たれたダメージはあったが、自分の手が届く接近戦しか勝ち目がないと思う健太は、間を置かず亮に殴り掛かった。亮も反撃して殴り返し壮絶な殴り合いが始まった。
同類で同様な意識エネルギーを持つ二人のパワーは同等だ。見えない腕を持つ亮が圧倒的に有利だった。
それをくつがえしたのが、マウントで亮が受けたダメージと建太の力。健太は、生まれながらに持つ肉体能力のポテンシャルが亮より圧倒的に高かった。それにプラスされる、キックボクシング学生チャンピオン候補の実力。
亮は見えぬ腕で反撃したが、次第に健太が亮を圧倒し始めた。
腕を見えぬ腕への防御に使い、打撃が当たっても衝撃力は弱まっていて受けるダメージは小さかった。キックを攻撃に使う。足へローキック、顔へのハイキック。
見えぬ腕の打撃はブロックされ、当たっても余り痛手は与えられず、腕はハイキックへのブロックで、亮は余りパンチを出せない。亮に格闘技経験はあり、キックも打てたが、キックボクシングでは健太の敵ではない。
健太の高速ハイキックが亮の顔面に当たり始めノックアウトまでもう少しと思った時、亮が突然座り込んだ。キックのダメージで座ったのではない。土下座をして謝るのかと思ったが、素振りも見せない。
何か武器でも出すのではないかと警戒した建太は後ずさって言った。
「どうした」
亮が不敵な笑みを浮かべて言った。
「お前は俺より強い。それは俺が全ての力を使っていないからだ。だからもう一つの力を使う。もうお前は俺を殴れない。俺はお前を殴れる。これでお前は終わりだ。俺の憎しみは消える」
「何を訳の分からないことを言っている」
「俺は男らしくお前と闘う。だから俺のもう一つの力を見せてやる」
いきなり見えない力の圧を顔に感じ、ヘッドスリップでかわして、亮に近付いた。
「話の途中で、いきなり何をするんだ」
建太は反撃の蹴りを入れた。足が見えぬ何かにぶつかって、弾き返された。
「何だ」
健太は瞬時にシンジの言ったことを思い出した。透明な箱が自分を守った。力は使えた。
「バリアーか。何が男らしく闘うだ。自分は箱の中に隠れて。卑怯者が」
「これが俺の力だ。強い男は強い力を持つ。それが男だ。卑怯もへったくれもない」
健太は最悪の結果を覚悟した。亮の体力が戻って、自分が攻撃出来なかったら殺される。逃げるのが最大の防御。
健太は体を反転させ脱兎の如く逃げた。動物最速のチーターを超えるようなスピードで。
いきなりの逃走に慌てた亮は、自らも走りながら建太を攻撃した。健太との距離が広がる。どのくらいの距離まで力を及ぼせるか分からない。健太の姿が小さくなって建物の陰に消えた。走り続けパワーを放射し続けたが健太を斃せず、精神的、肉体的にスタミナ切れした亮はその場にへたり込んだ。
健太に何発か打撃が当たったが、遠ざかるスピードが衝撃を和らげ大したダメージを受けなかった。
捕捉を避ける為にジグザグに走り、建物の陰に隠れて進み、力の圧が感じられなくなって停止した。
健太は建物の端まで戻り、そっと走って来た方を見た。遠くに亮が寝転がっているのが見えた。
健太は美紀からかなり離れてしまった。美紀が心配だ。健太は美紀の携帯に電話をして、要点だけを話し、男に見付からぬよう人が多くいる正門から出て、横浜駅に来るよう指示をした。
横浜駅で美紀に会って、ストーカーと闘ったが強すぎて逃げるしかないと話した。美紀は健太の傷を見て警察に訴えようと言う。現行犯でもない傷害罪に警察がすぐ動くとも思えなかった。以前に警察に相談に行った時のことを話し、納得させた。
健太に勝ち目はない。攻撃が出来ない闘いで勝てる訳がない。黒猫に頼る以外に助かる道はない。健太はそう思った。
黒猫に拒絶されたら潔く死ぬだけだと腹を括った。寂しいが、冥途に行くだけだ。自分が死ねば、奴は美紀に何もしないだろう。
そう覚悟を決め、美紀を連れて学生寮に戻った。
美紀は健太の部屋に来たのは初めてだった。美紀は少し浮き浮きした。健太はそんな美紀を見て、今そんな気分になるかと思ったが、乙女心を可愛いとも思った。
黒猫はいなかった。現われてくれと心より願った。
黒猫は建太が泣き付いて来るのを待っていた。そして焦らした。黒猫は当然のこととして全てを把握している。ストーカーが誰で持つ能力も分かっていた。健太が窮地に陥ることも。黒猫にはいつも建太が見えている。危急の時の対応も考えていた。
この世界に干渉することは宇宙の秩序を乱すこと。秩序を乱そうとする行為があった時は、厳然としてこれを排除しなければならない。排除する為の干渉は秩序を守ることで、決して乱すことではない。
干渉の重みを感じさせる為、身に染みて感じるさせる為に黒猫は半日過ぎてから現われた。美紀は眠気の気分を送られ、眠っている。
しびれを切らして待っていた建太は、やっと現れた黒猫を恨めし気に見た。
ー黒猫様、何処に行かれていたんですか。私の気持が届きませんでしたか?ー
ー分かっているー
ー黒猫様、助けて下さい、お願いします、聞いていただけなければ私は死ぬことになりますー
ー皆まで言うな、分かっている、現われるのが遅れたのは熟考していたからだ、お前が闘う男は、有る存在に支配されている、それはお前も知っている存在だ、私への意趣返しなのだろう、宇宙意識同士は何も出来ない、その男とお前を使って思いを晴らそうとしたのだろうー
ー私が知っている宇宙意識。ドラゴンですかー
ーお前が呼ぶ、ドラゴンだー
ー意趣返しって、神のような存在なのに心が狭いですねー
ー何度も言わせるな、我々はお前が神と呼ぶ存在ではない、小さな存在だー
ーまあ、いいですけど、何も出来ないって、ドラゴンを追っ払ったんでしょー
ー本来の状態に戻しただけだー
ー分かっていると言ってくださいましたが、助けて下さいますのでしょうか、私を助けることは、黒猫様の大きな使命に反することは分かっています、無理は言いません、駄目なら諦めます、死は覚悟していますー
ー良く考えた、この世界に干渉してはならない、だがお前を死なす訳にもいかない、ドラゴンは明らかにこの世界に干渉している、秩序を乱すこの行為は排除しなければならない、方法を考えたが、私が干渉しなければ排除出来ない、排除する為の干渉は許されると結論した、よってお前を助けるー
建太と同等の意識エネルギーを持つ人間がこの世界に生じたと認識した時に、黒猫は事態を理解していた。
窮地に陥って、自分に勝る力を知り、自分の持つ力の有り様を知る。黒猫ですら熟慮していると思い、力の行使の重さ、秩序の重さを知る。黒猫は健太に修行の場を与えた。
ードラゴンとの決着の場を作る、人間に見られると面倒だ、お前の田舎がいいな、明日の昼までに移動しろー
健太は美紀の家に行き,美紀の両親にストーカーとのいきさつを話し、健太の実家に避難する了解を取った。健太が小学校以来の再会であったが、健太を良く知る両親は健太に感謝し、避難を了解した。
時間も遅かったので、車を借りて健太の実家に移動した。
翌日の午後、健太の実家からさほど遠くない、山の中腹にある小さな池のほとりの岩に座って、黒猫と健太はドラゴンと亮が来るのを待っていた。美紀は健太の実家で眠らされている。
学生寮で健太に指示をした時、黒猫はドラゴンに意識コンタクトをした。ドラゴンは拒否しなかった。
お互いの意識の、お互いが許容する部分が融合して、独り言を言い合うような、心の中の二人の自分が話し合うような、イメージも共有する、許容する範囲に於いて嘘も誤解もない完璧な意識一体型コミュニケーションであった。
お互い多くを語らず、この日、この時間、この場所のイメージを共有してコンタクトを切った。
まず、亮が現われた。次にあのおぞましいドラゴンが現われるかと思ったが、何とも言えない、眼を見張るような美女が、たおやかに歩いて現われた。
「誰だ。凄い良い女。ドラゴンは?」
建太は思わず声に出して言った。
ーお前が言うドラゴンだー
黒猫の声が来た。
ーえ~、姿を変えたんですか、何かに目覚めたんですかね、それにしてもギャップが有り過ぎる、これからは美女と呼ばなければなりませんねー
ー私をどう呼ぼうとお前の勝手だが、此処がお前の最期の場所になるー
ー俺のミレイ様に何を言っているー
亮の思念が来た。
ーミレイって言うのか、名前まで美人だなー
ー呼び捨てにするなー
亮が自分のことのように憤った。
黒猫が美麗に、建太達にも伝わるように言葉でコンタクトした。
ーもっともらしい名前で、女の姿で現れるとはな、その若い男を誘惑する為か、お前がこの世界に来たのは分からなかったが、その男の意識エネルギーを感知して、その男の意識からお前の存在と意図を知った、お前は私に知れるように仕組んだ、私の眼の前でケンタを殺してお前の気が晴れるのかー
美麗も黒猫に同調して言葉を送った。
ーリョウ、私への思いを言ってみなさいー
ーミレイ様の美しさは半端なくて、ミレイ様の何も彼にもが好きで、ミレイ様の心の力も凄くて、俺に力も与えてくれました、ミレイ様は私の女神ですー
美麗は黒豹に負け敗走した時、どうしてもその現実が納得出来なかった。美麗が黒豹の力を持ち、思いを果たす筈であった。
エネルギーを増大させた自分が同格であった黒豹に劣る訳がない。何故黒豹のエネルギーが自分より増して増大したのか。理由を探ろうと黒豹の動向を窺っていた。
黒豹は健太に目を掛け地球に居座った。美麗は健太の意識から全てを知った。美麗の大いなる目的を阻んだ元凶が些細な存在の人間の建太。この皮肉な事実に美麗はただ慨嘆するしかなかった。だが宇宙意識である美麗の切り替えは早い。健太と黒豹にきっちりけじめを付けてやると決めた。
美麗は、建太が事故に遭う前の地球に現われ、念動力の素質を持つ細川亮を見付け出した。女好きな亮の好みを凝縮した女の姿で現れ、亮を自分の虜にして操り人形にした。それからエネルギーを与え能力を発現させた。次に、健太を亮と闘わざるを得なくする枷として玉村美紀を選んだ。
ーこの世界で言う、恋の奴隷か、完璧に洗脳したなー
ー洗脳ではない、亮が自分でそう思ったー
ーお前の意趣返しにケンタを使うのはよせー
ーお前はたった一回私を思い通りにしただけで、私より格上になったと思っていないか、それが堪らず不快だー
ーお前と違って私は格になど興味がないから上も下もない、使命を果たしただけだー
ー使命を果たすことだけが正義か、正義は我に有りと言うような思い上がりが不愉快だ、虫唾が走るー
ー美しい女神のミレイさんが怒ったら駄目ですよー
建太が機嫌を取るように言った。健太の心からドラゴンの姿は消えていた。美麗を見ていたら心がとろけて来た。単純馬鹿な男だ。健太は美女への阿諛で言い、美麗は宇宙意識として答えた。
ー女神ではない。これは義憤だー
黒猫は建太と美麗のやり取りを無視した。
ー正義など振りかざしていない、元より何が正義であるのか決まってなどいない、関りを持つもの全てに良い結果を与えるのが正義であり、悪い結果を与えるのが悪だー
ーお前は自らが為すことは全て正しいと思っている、違うかー
ー少なくとも間違ったことはしていないー
ーお前に協調した人間に力を与え元の世界に戻した、私が意図したリョウの攻撃からケンタを助けようとしている、これがお前の使命に照らして間違っていないことか、間違っていないと言うのなら、私の行為も間違っていないと認めろー
ー私に取って使命は絶対だが、私は頑迷ではない、さっきも言ったように、良い結果を与えるのが正義である、力を与えたこと、ケンタを助けることは良い結果を作る、お前のやっていることは、リョウを操り、闘争させ、殺し合うと言う悪い結果を与える悪である、よってお前をこの世界から排除しなければならないー
ーこれぞ正しく大いなる詭弁である、自分の行為の、お前の言葉を受けているこいつらへの正当化か、こいつらの世界では死は悪だ、だが宇宙意識のお前が知らぬ筈がない、死は人間意識の格を上げるステップだと、正しいことを言えー
ー皆がそうなれる訳ではない、挫折する者もいるー
ー又詭弁か、だが私が言ったことは認めるのだな、よろしい、私の行為は本質的には正義である、私はお前の独善の為に、大きな目的を果たそうとして積み重ね、作り上げた物を無にされた、お前は表面的にしか物を見ず、私を悪と見なした、それは、高大な宇宙意識らしからぬ、使命を果たすことに凝り固まった愚行であるー
ーお前の大きな目的とは何だ、悪行を正当化する誤魔化しであろうー
ーお前は良く知っているだろう、人間意識は欲に支配され苦しんでいるのを、人間意識はこの欲を克服して高度な意識へステップアップするように創られた、それは悠久の時の流れを必要とする、少しでも早くそうしてあげたいー
ーそれで悪行を正当化するか、それに、それは創造主の範疇のことだー
ーその固陋さが問題なのだー
ーお前にどうこう言われる筋合はないー
ー私はケンタが大嫌い、殺したいくらい、リョウと私は一心同体、だからリョウもケンタが大嫌い、殺したいくらい、リョウは正義の人、あなたと同じ、だから正々堂々と闘う、あなたは正しい宇宙意識だから狡いことなど絶対しないのよね、あっ、狡いことしていなかったっけ、ケンタを作ったあなたが正義で、リョウを作った私が悪なのよね、同じことをしているのにおかしいわよね、リョウはケンタより強いの、知ってるでしょう? ケンタは死ぬわー
美麗が急に外見に相応な女言葉を使った。黒猫は美麗の意図を推測し、間違いはないだろうと思った。お前との議論は無意味、お前とは人間の女の感情論で十分だと。
―お前の独善がケンタを殺す、思い知れ、殺された方がケンタに取っていいことだがな、話はもう終わった、戦闘開始だー
建太VS亮の生死を掛けた戦いが始まろうとしていた。助けると言ったが、黒猫から起死回生の何の策ももたらされなかった。
健太は死を覚悟した。その時背後で足音がして、シンジとドゥンヌがあらわれた。健太は驚愕の表情で二人を見た。
「助けに来たぞ建太」
ドゥンヌがにやっと笑って言った。
「建太が危うい。俺と同じ力を持つ男がいるから俺が必要と、黒豹に頼まれて此処に来た」
「今は黒猫様だ」
そう言って健太は黒猫を見た。
「この世界に二人の肉体はないのではないですか?」
ーあの世界と同じようにしただけだ、二人に頼んで幽体離脱させて、この世界に引っ張り、肉体化出来るエネルギーを与えたー
「二人にはもう会えないと思っていた。有難う」
「再会の挨拶は後だ。敵は一人、楽勝だ」
ドゥンヌが意気揚々と言った。
美麗は少し前に二人の意識エネルギーが発生したのを感知していたが深く探れないでいた。黒猫が何か仕掛けたのかと思ったが、まさかこの二人だとは。黒猫がここまでするのは想定外だった。
駒は亮だけ。一転して不利な状況になったが、闘わせるしかない。
亮は突然現われた、見たことがない人種の男と山羊を見て、戸惑い美麗を見た。
ー男と山羊は異世界の生物、お前と同じ人間だ。山羊はお前と同じ能力を持つ。男はケンタと同じ能力ー
建太の能力が二人に自分の能力が一人。とても勝てないと亮は思った。自分の全てを棒げる美麗様の為に死ねるなら本望だと、亮は殉教者の心境になっていた。
闘いは始まった。だがそれは戦闘とは言えぬ静寂な対峙であった。
建太とドゥンヌがシンジに寄り添い、バリアーを張り、亮の出方を窺った。亮もバリアーを張り、全く動かない。
建太達は挑発するように少しずつ前進したり、健太がバリアーから出たりしたが、亮はじっと座って反応しなかった。
双方、体力勝負の持久戦だと思った。バリアーを張る体力がいつ尽きるか。亮がドゥンヌより大分若い。亮が有利。
膠着状態で黒猫が動いた。美麗の美しさに、母性が持つ優しさと温かさ漂わせる女が亮の前に現われた。亮は幼い頃に母親を亡くしていた。黒猫は亮の心に残る母親の面影に似せて女の姿を創った。
母親の面影を感じさせる美しい女に、亮は心を奪われた。健太達は新たなる人間の出現に、状態の変化を直感したが、この美女が黒猫だとは思いもよらなかった。
ー私のリョウ、そんな膜など取って私の所へ来てー
母親は女神よりも強し。女好きで、母親を求めていた亮の心はこの女に占有された。
美麗は意表を突いた黒猫の行動を読めなかった。亮を黒猫に支配されると思った美麗は対抗手段を取った。三人が経験して裸同然にされた、強烈な恐怖のイメージを三人に浴びせた。建太以外にはこの記憶はなかったが、潜在意識に染みついた恐怖感覚が、じわじわと締め上げるように密度を高めて、再度三人を戦闘不能にした。
美麗はバリアーを張るシンジへ重点的に精神的攻撃をして、シンジは失神しバリアーは解けた。
一方、亮もバリアーを解き、黒猫に近付いた。肉体はないので、黒猫は手で顔を愛撫されているような感覚を亮に持たせた。猫が飼い主に気持ち良さそうに撫でられるように、亮は愉悦に恍惚としていた。亮は戦闘意識を完全に失っていた。
黒猫の側に美麗が立っていた。激しく敵対する者同士。人間では有り得ない立ち位置だった。
それぞれ人間の戦意を奪ったが、止めを刺す人間がいない。こんな結果は分かり切っていた。二つの宇宙意識は美しい顔で苦笑いをした。
ー人間意識なんてたわいない存在だなー
黒猫が言葉を送った。今は意識一体型コミュニケーションをする気分ではなかったし、建太に、今回の二度とし得ない体験や、美麗とのやり取りを全て知らしめて置きたかった。
美麗も意識一体型コミュニケーションをする気分ではなかった。
ー我々の力からすれば当然のことだった、お前と対抗しようと思い過ぎた、私にも愚かさがあったのだなー
ー私の愚かさでもある、人間意識はたわいなく、未熟で、ひたすらで、だから可愛い、そして宇宙の重大な要素だ、であるから私は人間意識を守るー
ー同感だ、違うことばかり主張し合ったが、案外基本的な考えは同じだったのではないのかー
ーそうかも知れないー
ー私は、人間意識を守ると言うより、否応なしに持たされる欲から早く解放してやりたいのだ、我々の格まで引き上げてやればそうなれる、少しずつで良い、そうしてやりたい、その為に自分の格を上げて、思いを実現出来る力が欲しかったー
ー焦るな、我々には深い洞察眼がある、お前のような存在がきっと宇宙の秩序を変えるー
ー手を貸してくれないかー
ーお前の理想が分かった、手は貸せないが邪魔はしないー
建太もドゥンヌもシンジも意識は正常に戻った。
亮は美麗が強いイメージで意識操作して、健太の憎しみを消し、闘争の記憶を交友のイメージで上書きした。
美麗の記憶は黒猫の女との関りの記憶に塗り替え、夢のイメージにして目覚めさせた。亮は夢で見た黒猫の女の姿を思い浮べてボーッとしていた。
やることをやり、美麗は黒猫と意識の握手を交わして去った。
家族がいないドゥンヌとシンジは自分の世界に未練がないからこの世界にいたいと望んだが、肉体を移動させる訳にもいかず、肉体の移動方法を黒猫が考えると約束して帰って行った。
又、黒猫と健太の共同生活が始まった。健太は女の姿でいて欲しいと望んだが、部屋に戻った時には黒猫の姿に戻っていた。
あんな魅力的な女が一緒に住んでいて、手も触れられなかったら気が狂うと思い、建太は逆に黒猫に感謝した。
黒猫は健太の部屋を拠点として他の世界、宇宙と忙しく活動していた。以前は宇宙全体が住み処だったが、落ち着く拠点があるのが気に入った。
黒猫が部屋に戻った時、健太が黒猫に聞いた。
ー黒猫様が与えて下さったこの力を、どのように使ったら良いか考えましたー
ー何に使うー
ー地球は30年後に隕石が落ちて大災害に見舞われるとクルトに教えられました、いくら黒猫様でも未来は変えられないと思うので、被害がなるべく小さくなるような対策に力を使いたいと思いますー
ーお前の力は、以前にも言ったが肉体の力が主で、その他の力も対策に役立たないー
ー肉体の力です、脳も肉体です、研究者になります、この頃記憶力とか頭が良くなった気がしていますー
ーそれはコンピューターのような能力で、考えるのは意識だ、変わらない、お前が出来るのは、そういう能力を持った人間を育てることだ、近いうちにドゥンヌとシンジをこの世界に移動させる、三人の能力が揃えば、環境、資金、教育、何でも出来るだろうー
建太はやるべきことが見付かったと思った。
大学の正門を出た所で健太は男に声を掛けられた。
高級そうな紺のスーツを着た、一流会社のビジネスマンを思わせるような男だった。年齢は40歳前後。頭の良さそうな顔をしている。
「橘高さんですね。ちょっとよろしいですか。突然に済みません。私、高山と申します」
男は名刺を差し出して言った。
日本サイキック研究所 理事 高松 伸太郎
「少しお話をお伺いしたいんですが、よろしいでしょうか」
「サイキックって超能力のことでしょ。僕、そんな能力ないですよ」
建太は警戒した。自分の力は誰にも知られていないはずだ。
「ある方から、あなたの能力をお聞きしまして。ちょっとお付き合いいただけますか」
ある方が誰か。もし知られているならば黒猫に報告しなければならない。
黒塗りのベンツに乗せられ、東京駅近くのビルの駐車場に車は入り、そのビルの最上階の事務所の応接室に案内された。
暫く待っていると高山に伴われ、ある方と思しき男が入って来た。
「あっ」
健太は思わず声を出した。入って来たのは細川亮。
「建太、俺達の力を活かす時が来たんだよ」
又会うとは思ってもいなかった。健太は事後処理について何も聞いていない。闘った男が友達のような笑顔で話し掛けて来る。
「何、黙ってるんだよ。此処ね、大企業の創業者が作った立派な研究所なんだよ。怪しい所じゃないから安心して。せっかく持った力じゃん。活かさないとね。色々考えて気付いたんだ。ヒーローだよ。スーパーマンやバットマンみたいに、この世の悪を斃すヒーロー。かっこいいよな。テロリストなんか俺等の力が有れば簡単にやっつけられるよ。そこで見付けたのが此処。活動するには色々と金が掛かるし、只働きは嫌だろう。全面的にバックアップしてくれることになった。俺と一緒にやろうよ」
「力を見せたのか?」
「当たり前だろ。俺の能力みせたら、びっくらこいてたよ。ねえ高山さん」
「はい。こんな凄い力を持つ人がいるなんて、信じられませんでした。今までに会った超能力者は、隠した字が読める程度でしたからね。橘高さんも同じような力をお持ちなんですか?」
「建太は肉体能力。凄いスピードで走れるんだ。ボルトも真っ青。オリンピック出たら全種目で金間違いなし。戦闘ゲームみたいのをやって、力の見せっこをしたよ」
黒猫の言うことに全部反している。一大事だ。黒猫に報告せねばと建太は思った。
「少し考えさせて下さい」
「何も考えることないじゃん。ヒーローになれるんだよ」
健太は確答をせずに事務所を出た。
健太は学生寮の部屋に帰った。黒猫はいなかった。一大事だ、戻って下さいと強く念じた。
ー取り込めー
いきなり声と伴に黒猫があらわれた。報告しなくても、黒猫は全て承知している。
ーリョウのエネルギーを元に戻さないとは、あいつも大雑把な奴だ、あるいは、人間意識の格を上げる手段かも知れぬー
ーおっしゃってることが良く分かりませんー
ーリョウはお前より単純だ、他は普通の人間だ、お前がその組織に入り込み、お前の持つ同調の能力で奴らの気持を取り込め、力の存在を世間に知らしめるヒーローになることなどやめさせろ、浅はかだー
ー私にそんな強い力があるでしょうかー
ー自分を信じろ、一つ付け加える、お前達の力が人知れず秘かに行使されても、私の関知する所ではないー
亮がヒーロー活動をしても、秘密裏であれば関知しない。黒猫は逃げ道を作ってやった。
ー有難うございますー
ー以前にも言ったが、人間は何らかの、お前の言う超能力の素質を持っている、人間意識のエネルギーレベルで能力を発現している者がいる可能性もある、お前達には感知能力がある、これまでのように調査を続けろー
健太の歩く道が決まった。これで張り合いの有る、充実した毎日を送って生きて行けるだろう。
19歳の建太。普通の人の健太が引き込まれた非日常、時空を超えた束の間の大冒険。この体験が建太を超人にした。
この体験は何かの意志による必然なのか、あるいは単なる偶然なのか、黒猫にも分からない。健太は与えられた人生を精一杯生きるだけ。その先など分からなくて良い。
意識エネルギーのレベルが格を決める。そのレベルを上げるには。黒猫は少し知りたくなった。
黒猫も美麗も想いは同じ。格の高い宇宙意識として、人間意識をより良い位置に導きたい。ただそれだけ。