決行
-1-
人間は形の有る物しかイメージ出来ない。強大なエネルギーを持つ宇宙の意識も黒豹の形を取らなければ、具体的存在として人間は認知出来ない。
人間は崇める対象に名前を求める。名前がなくとも姿があれば人間は勝手に名前を付ける。健太は黒豹の姿をしているから、黒豹様と呼ぶ。他の世界の者はそれぞれの言葉で名前を付ける。名前がなければ言葉に出来ない。
黒豹が強大霊魂と呼ぶ、対抗して矮小化させねばならぬとする、使命感の対象である他の宇宙の意識も、同じ理由で姿を持つ。
この宇宙意識との戦いに向け、一体感を持った仲間となった黒豹軍団は行動を開始した。
黒豹の指示は強大霊魂と手下達の分断であった。手下と言っても、利やしがらみによる関係でなく、強烈な恐怖心で支配された人間であるから、スンフウダのように気分を変えさせ、意識の支配から解放すれば、こちら側に取り込める。
手下がいなければ、この世界に引き摺り込んだ生き物を殺せず、霊魂を吸収出来ない。新たに引き摺り込まれた生き物を支配しようとするが、これも阻む。どのように強大霊魂を分裂させるかの話はなかった。
黒豹に手下達のいる場所は分かる。黒豹に引き連れられ、皆はその場所へ向かった。
空間の狭間に作られたこの世界。歪んだ空間に距離や時間の概念は適合しない。
ある地点に達し、黒豹は岩陰に隠れ、強い思念を発しないよう皆に指示した。
二人の男が寝転んでいる。
ートゥシャシュリに気分を変えさせるが、一人ずつでないと出来ない、捕まえて連れて来いー
黒豹が男達に指示した。
健太は手抜きを考えた。
「シンジ、この距離だったら、その凄い力が届くだろ。殴って気絶させろよ」
「体を動かさなくたって、力を使えば疲れるんだよ。楽をすることばっかり考えるな」
「運んで来るのは俺達がやるからさ。頼むよ」
シンジはしぶしぶ力を発した。驚いた表情をして男たちは数発殴られ気絶した。
健太達数人で二人の男を運んで来た。
男達の意識が戻ると、一人ずつトゥシャシュリの前に連れて行き、トゥシャシュリが男を見詰めた。
男達は二人とも同じ反応を示し、死んだような生気のない表情に赤みがさし、見る見る明るい表情になった。トゥシャシュリの力が発揮され二人の精神を正気に戻した。二人は黒豹に接し、スンフウダ達の時と同様に仲間になった。
この一連の手法で確実に手下を取り込んで行く。その為には黒豹が見付けた、異能を持つ二人の存在が不可欠であった。この手法で出来るだけ多くの手下を取り込む。だが、いつまでこの手法が取れるのか、いつ強大霊魂の反撃が始まるのか、先行きは不明だった。
黒豹は強大霊魂が黒豹の存在、意図、行動を把握していると承知していた。黒豹に強大霊魂の意図を把握出来るならば、強大霊魂も黒豹の意図を把握出来る。力は同等であるから。
状況が変われば、手法を変える。その時、健太の戦闘力、精神力が存在価値を増す。
時間の余裕が無いことに危機感を持った黒豹は、余計な手間と時間を省く方法を考え、実行した。
それは、対象者のいる場所に行かずに、遠隔操作のようにトゥシャシュリの力を黒豹経由で対象者に作用させる。黒豹のパワーで力を増幅して送信するから、同時に複数の人間に力を及ぼせる。
対象者の気分を変えてから、黒豹のいる場所に誘導し、黒豹の存在を知らしめ、スンフウダ達の時と同様にして仲間に取り込む。黒豹達の移動もシンジの暴力も必要なくなる。
以後、この方法で手下十二人の取り込みに成功したが、一人だけトゥシャシュリの力が及ばず、抵抗したので止む無く殺した人間がいた。黒豹に対するのと同様に、巨大霊魂への恐怖が畏怖に変わり、帰依する人間もいた。
黒豹の感知する脳波では残り二十一人となった。
この頃から、手下の脳波が捉えにくくなって来た。巨大霊魂の霊力場に隠れてしまったように。新たに引き摺り込まれた人間は一人も現れなかった。
黒豹は反撃の時が近いと感じたが、そんな時、新たな人間の脳波を捕捉した。その脳波から、その人間の元の世界を知り、怯えておらず、強く戸惑っている心の状態から、引き摺り込まれたのではなく、この世界に紛れ込んだ人間だと判断した。
黒豹は手下の時と同様に力を送り、戸惑いを解消させる為に必要な情報も送り、理解させてこの場所に来させた。
しばらくして、男が黒豹達の前に現われた。健太は男を見て眼を見張った。髪が茶で鼻が高く、彫が深い建太と同年代の男だった。見知った欧米の人間に見えた。だが見たことがない服を着ている。
男は黒豹を見て驚いた。強い思いが皆にも伝わる。言葉は黒豹が皆に転送しているので、健太は興味深く言葉を待った。
ーあなたが私の心に語り掛け、いろいろと教えてくれた人か?ー
ーそうだ。私がお前の世界で言う動物に見えるから、私が信じられなくなったかー
ーあなたが教えてくれたこの世界が、私の常識で理解出来ない世界だと分かっている、知らない世界に来て、あなたに万物を超える力を感じ、神に会えると思っていたから、神が動物でも信じるー
ー姿を見るな、私はお前の世界で言う霊に近いイメージだ、姿がないとお前達は私を認識できないから姿を作った、あらゆる世界の中で私が一番美しいと思う姿だー
健太は、黒豹が自分に対する時と同じようなことを言っていると思った。こいつは欧米人なのか期待が膨らんだ。
ーお前と同じ世界から来た男がここにいる、使う言葉と生きている時代が違うようだがなー
黒豹が健太を見た。
ーこの男はお前と同じ世界から紛れ込んで来た、話してみよー
健太は男を見て脳波を送った。
ー俺は日本人のケンタ、キッタカ、君の国は?ー
黒豹が健太を咎めた。
ー共通語で会話をしろと言っただろう、何で声を出して会話をしないー
ーさっき言われたじゃないですか、使う言葉が違うと、私はその言葉が話せないのです、黒豹様は何でもご存じなんでしょう、意地悪言わないで下さいー
ーお前の世界の共通語を話せとは言っていない、この世界ではお前の言葉が共通語だ、この男にも授けた、それと、名前はケンタだけで良いー
(だったら言って下さいよ)
黒豹の表情は変わらないが、悪戯気分が伝わって来た。
男が言った。
「私はクルト。君は日本人と言ったが、今は国なんかないだろ。何を言ってるんだ」
「君こそ何を言ってるんだ。クルトって名前ならドイツとかその辺の国だろう」
「こんな信じられない世界に来ちゃって、同じ世界から来た人がいて良かったと思ったのに。お前、頭がおかしいだろ」
「何だと、この野郎。頭がおかしいのはてめえだろう」
気の短い健太は、激高してクルトに掴み掛ろうとした。
黒豹の強圧な言葉が健太を押し止めた。
ーやめろ、この短慮者が、ケンタ、クルト、それぞれが正しいことを言っている、ケンタとクルトは生きた時代が、お前達の世界の時間で、130年くらい違うー
二人には信じられなかった。違う時代に生きている二人が今、顔を合わせている。
ー空間の狭間に作られたこの世界、この歪んだ空間は、時空を超えてあらゆる次元、あらゆる時間と接触している、であるからどの世界、どの時間からでもこの世界に転移するのは可能だ、それが偶発的なのか、作為的なのか、クルトは偶発的に紛れ込んでしまった、この世界は作られてから間もないからケンタと差のない時間に此処へ来たー
健太とクルトは信じられない面持ちで立っていた。黒豹の言うことだから真実だ、そう思い込んだ。
ークルト、今のお前の時代と、何が有ったかお前の知っている事実を教えてやれー
クルトは語り始めた。
「100年くらい昔には、国が沢山あって国境とかで仕切られていたと習った。地図も見た。日本は覚えていない。俺はドイツ系と言われたことはある」
「何だと、100年前に国はなくなったのか?」
「地球に巨大な隕石が落ちて、大災害が起きて、人類の半分は死んだ。国の概念は無くなった。世界が一つになった。国も人種も民族も宗教も関係なく、協力して力を合わせなければ、人間は生き残れなかったと歴史で習った。隕石が落ちた日は全世界で盛大に慰霊祭が行われる」
ケンタは悄然として言った。
「30年後の俺は死ぬかも知れないな」
ドゥンヌが冗談っぽく言った。
「ケンタ、元の世界に戻る時は、クルトの時代に行っちゃえばいいんだよ」
建太が真面目に答えた。
「クルトの時代には俺の肉体がない」
-2-
黒豹は巨大霊魂が発するエネルギーの圧が高まって来ているのをひしひしと感じ、直接対決の覚悟をしていた。だが、まだ仲間が足らない。今の状況での対決ではエネルギー量で負ける。仲間を増やしてエネルギーの質を高め、強さで対抗するしかない。
健太達を巨大霊魂の霊力場に侵入させ、手下と戦わせ、手下を捕捉して霊力場の外に出し、トゥシャシュリを使い、黒豹が一連の手法で手下の心を開放し、仲間に取り込む。
巨大霊魂の霊力に覆われた霊力場に入れば、思念の送受信は出来ない。黒豹の言葉を送れないし、健太達の心の把握も出来ない。
何より、手下にさせられた人間達に浴びせられた強烈な恐怖心に健太達が耐えられるかが問題だった。
恐怖心を感じた人間は使えない。手下に逆戻りする。クルトはこの世界に慣れていない。使えるのは三人。健太、ドゥンヌ、シンジ。三人で7倍の二一人を捕捉出来るか。
精神的圧力に、人数の圧力。健太の戦闘能力は抜群。ドゥンヌは戦士。シンジの念動力。戦闘は圧倒的に有利だ。恐怖心に耐えられる方策を見付ければ、手下の取り込みは可能。
トゥシャシュリに再度三人の気分を変えさせ、黒豹のエネルギーを少し注入し、気分を持続させ、強烈な恐怖のイメージの侵入を許さない。完璧ではないが、やらざるを得ない。
黒豹は瞬時に考え、実行に移した。
黒豹は全員に現在の状況と今後について話をした。
これから何をしなくてはならないのか、その目的と理由。実際の行動は全面的に四人にお願いする、そうせざるを得ない理由。これらの説明をして、実行する三人に意志の確認をした。
ーお前達三人に頼む理由、分かってくれたかー
建太が答えた
ー役に立てて光栄ですー
ー作戦は完璧ではない、命の危険もあるー
今度はドゥンヌが顔を紅潮させて答えた。
ー俺達は無敵の戦士、何も恐れる物はない、必ず役目を果たすー
建太とシンジも顔を紅潮させ大きく頷いた。
その後、黒豹は、十九人を残して、健太等四人を引き連れ巨大霊魂のいる場所へ向かった。
周りの殺伐とした光景は変わらないが、空気に重しが加わったような、重苦しい感じがして来た。
巨大霊魂の力が及ばない限界の地点に来て、トゥシャシュリが三人に、一人ずつ力を作用させ、鎧をまとうように、三人に宇宙意識のエネルギーを与え、精神的、肉体的にパワーアップさせた。
黒豹は三人の戦闘能力に不安はなかったが、巨大霊魂の心理的攻撃にいつまで耐えられるかに一抹の不安を持った。一時しのぎ的な対応は否めない事実であった。素早く任務を完了させるのが重要なポイント。その為に十二分に力を発揮させる。
ー目的が成し遂げられるか否かはお前達の働きに掛かっている。力を出し切れば必ず成功する。命の危険も厭わぬ大いなる戦士達、頼むぞー
黒豹の言葉が三人の闘志を掻き立てた。
三人の気分は高揚している。恐れも躊躇もなかった。ずんずんと巨大霊魂の支配圏に侵入して行った。
左右に殺気をはらんだ攻撃的な気分を感じた。三人は間を縮め固まって、意識を集中させ、前後左右を警戒して進んだ。
後方に強い気を感じ振り返ると、突然、後方左右合わせて六人が岩陰から飛び出し、石を投げ付けて来た。そのスピードは健太が以前投げ付けられた時の比ではない高速だった。優に160キロを超えている。それも、連続的に一人が数個投げて来た。
相手との距離が30メートル程あったので、三人は辛うじて石をかわした。相手の次の攻撃の機先を制するように三人が後方の六人に向けて疾走し始めた時、今度はその走る後方から強い気を感じ停止して振り向いた瞬間、投げ付けられた石がドゥンヌの肩に当たった。
瞬間、健太はドゥンヌとシンジの身をかがめさせ、投石を避け、一番近い右の岩に走り寄って隠れ、岩を後ろにして防御態勢を取った。
飛び道具にはかなわない。健太は接近戦に持ち込もうと考えた。石を投げた男たちは岩に隠れ、手下達全員で三人を包囲し、少しずつ包囲を狭めて来ている。
健太はドゥンヌの肩を見た。赤く腫れていたが、痛みはあまりないようだ。惚れ惚れするような上半身だった。筋肉を鎧にしたような、これぞ正しく戦士の肉体。ちょっとやそっとで壊れない。健太はそう思った。
「ドゥンヌ、怪我が酷くなくて良かった。石のスピード凄かったな、前にワスレから投げられたことがあったが、それよりずっと速い」
「ワスレより力のある奴が投げたんだろう。俺だってあのくらい投げられる」
「そうかな」
シンジが言った。
「あいつら隠れているが、じわじわ近寄って来ているな。姿が見えたら一人ずつ俺が殴り倒してやる。さっきは逃げるのが先だったが、あの距離くらいなら殴れる」
「そうだよ。シンジが頼りだよ。あいつらが側に来るまでみんなやっつけちゃってくれ」
「馬鹿野郎、そんなに何人も体が持たないよ」
「冗談だよ。俺も早くやっつけたいんだ」
岩を背にすれば後方を気にせず闘える。それで一人ずつ倒す。冗談を言えるような余裕の三人だった。
手下達はシンジの力を発揮できない戦法を取った。数の論理。多勢に無勢。力に余程の差がなければ、多勢が勝つ。当たり前の戦法。この戦法の要諦。一人に七人が同時に攻撃する。
手下たちが突然姿を現し、喊声を発して突進して来た。悠然と構えていた三人は驚き、迎撃に身構えた。
手下達は、七人が同時に一人を攻撃する態勢を取り、激しく攻め立てた。
七人同時と言っても後方は岩であるから、足、手を振り回す戦闘では、同時に攻撃出来るのは前と左右の三人が精一杯だった。健太の作戦が功を奏し二人を救った。パワーアップした二人でも同時に七人との戦闘では負ける。
健太とドゥンヌは以前手下と対戦している。二人は手下の戦闘能力が数倍高いと感じ、相手の力を侮っていた驕りを捨て、全力で闘った。
パワーアップして全力で闘う二人は強かった。パワーアップレベルは同時に三人と闘って敵を圧倒するレベル。同時に打ち込まれる石の武器や、拳、蹴りを的確に防御して、一瞬の隙を捉えて敵を打つ。人間業とは思えないスピードだった。だが、逆にこのスピードが打撃を軽くし敵に決定的なダメージを与えられないでいた。
悲惨だったのはシンジだった。シンジの念動力は思念を向ける一人にしか及ぼせない。シンジの胴の長い山羊体形が、同時に七人の敵の攻撃を可能にした。
前から攻撃して来る敵はシンジの見えぬ手で殴り倒す。パワーアップしているからその力も強く一発で気絶させる。だがその間に他の敵に胴、尻、頭を殴られシンジはその場にへたり込んだ。
幸いに石の武器を持った敵はいなかったので、決定的なダメージは受けなかったが、顔まで殴られ痛みに耐えながら、顔を殴る敵を倒した。だがまだ五人いて、今度は集中的に頭を殴って来た。このままでは意識を失うと、絶望的な気持ちになったシンジは心の中で叫んだ。
(俺を守ってくれ)
その瞬間、自分の身体の周りに膜のようなものが出来、敵の打撃が止んだ。
シンジがバリアーを張った。パワーアップがシンジに新たなる力を授けた。
手下達は突然殴れなくなって戸惑った。殴っても目に見えぬ壁のような物に弾き返される。五人は気味が悪くなって後ずさった。
手下達を倒すチャンスであったが、シンジは痛みに気力を削がれ、呆然としていた。
健太達の攻防は続いていたが、意気軒高な健太達に対して、手下達には疲れが見え始め、劣勢になって来ていた。
そんな時、手下達は突然攻撃をやめ、シンジに対していた者は倒れた者を背負い、身を翻して逃げ去った。あたかも退却命令が発せられたように。
二人は事態の急変に唖然として逃げ去る手下達を見ていた。
この逃走は巨大霊魂の指示であった。黒豹に会う前の三人の所在も能力も把握していた。今回の三人の侵入に対する戦術も巨大霊魂によるものだった。
ドゥンヌが健太に聞いた。
「何で逃げたんだ」
「負けそうになって、やばいと思ったんだろう。気になるのは、一斉に逃げたことだ」
「そうだよな。あの中の誰かが逃げろって命令したのか?」
「強い思念を発したら俺達にも伝わるだろう」
「命令がなければ一遍に全員が逃げないぞ」
「逃げる合図を決めていたか。それとも巨大霊魂」
「考えても仕方がない。追うか」
ドゥンヌは戦闘能力に優れる戦士だが、頭を使う指揮官ではないなと、健太は思った。
「巨大霊魂が俺達を誘っているような気がする。直接対決してみるか。怖そうだけどな」
「望む所だ」
建太はうずくまっているシンジに声を掛けた。
「シンジ、大丈夫か」
「あいつら、頭ばかり殴りやがった」
「急所だからだろう。痛むか」
「ガンガンするけど俺の頭はお前等より硬いから大丈夫だ。それより、聞いてくれよ。俺、新しい技を覚えたんだよ」
「何だ」
「俺、死にそうになって守ってくれって強く思ったんだ。そうしたら透明な箱に入ったみたいになって、奴らは頭を殴れなくなった。もう誰も俺を攻撃出来ない」
「シンジの力も使えなくなっちゃうんじゃないのか?」
「試してみたら、使えたな。これで俺は無敵だ。奴らを追うんだろ。行くか」
「急に元気になりやがって」
健太は巨大霊魂への恐れを抱えながら、覚悟を決め前へ進んだ。
三人は山裾の道なき道から、左右が広く、奥に深い平坦な広場のような場所に出た。思念は伝わって来ない。
先に進もうとすると、百メートル程先から手下達が横並びになってこちらに進んで来るのが見えた。三人が眼を見張ったのは手下達の後ろに続く大きな物体であった。近付くのに連れて姿がはっきりと見えて来る。
巨大な動物。動物と言うより恐竜。羽が生えているから恐竜と言うより、映画で良く見たドラゴンに似ていると健太は思った。実在しない伝説上、想像上の生物。この世界にそれと似た生物がいる。大昔の人間がこの世界に来て、この生物を見て戻った。健太はそう思った。
この緊迫した状況で、意識は高揚し、アドレナリンが分泌され、肉体は戦闘態勢に入った中で、もう一人の冷静な健太がいた。これが健太の格闘技に強い理由の一つであった。
映画のドラゴンより顔は凶悪でおぞましい。見ただけで震えが来る程だ。
健太はドゥンヌを見て言った。
「何だあれは。俺の世界のドラゴンに似ている」
「お前の世界にあんな恐ろしい生き物がいるのか」
「想像上の生物だけどな」
「俺、あんなのと闘えないよ。ぶるって来た」
「お前らしくないな。誇り高き戦士だろ」
「分かってるよ」
近付いて来て更に大きく見えるドラゴンを、三人は不気味そうに見上げていた。
ーケンタ、お前の世界のドラゴンは私の模倣だー
黒豹と遭遇した時と同じようにな感覚で言葉が来た。
ドラゴンが手下達の前に出て来た。
「何で俺の名前を知っている? あんたが強大霊魂か」
健太は二人にも伝わるように声に出して言った。このドラゴンが強大霊魂だ。黒豹と同じように自分が思う事は全て知られる。思念など送らなくて良いと健太は思った。
ー私には全てが分かる、お前達は物体である人間の意識として存在する宿命を負っている下等意識だ、そう創られた、物体の世界にいるお前達は何にでも名前を付けないと理解出来ない、お前達と関わり、意識を通じようとすれば、姿が必要、名前も必要、巨大霊魂でも何とでも呼べー
「これからはドラゴンと呼ばせて貰う」
ーケンタ、お前の心を見た、他の人間より大分優秀なようだ、使えそうだ、殺して私の一部にするのは惜しい、私の手伝いをしないか? 私の思うようになったら元の世界に帰してやる、私より下級の黒豹の手伝いをしたって帰れないぞー
「黒豹様は皆を元の世界に帰すと言って下さった。黒豹様の言葉に嘘はない」
ー私も黒豹も、お前達に取って絶対的存在、お前の世界の言葉で言う神だ、だが、我々は神ではない、お前達より遥かに上の高等意識、格は違うが同じ意識、だからお前達と同様に欲を持つ、お前達は生きる為に欲が必要、本能の欲、食欲、性欲、より良く生きる為に欲が必要、向上欲、物欲、そして我欲が人間を醜くする。我々の欲に我欲はない、だから我々の欲はお前が考える正義になる、だから黒豹も正義、お前達を利用して嘘を言ってもなー
「あんたが嘘を言っている。人間の霊魂を吸い取って、自分が大きくなろうなんて、それこそ我欲でしょう。あんたは悪魔だ」
ー黒豹が神で私が悪魔か、もう良い、お前も私の一部にしてやる、喜べ、人間の肉体を渡り歩く宿命から解放されるー
突然、手下達が我先に後方へ走り去った。すると、天候がにわかに変化して厚い雲に覆われるように、ドラゴンが発する強烈な恐怖のイメージが三人の周囲に充満し、恐怖が濃厚な液体になったように、三人の心に染み込んで行く。
三人はその場に立っていられず、身体をぶるぶると震わせ頭を抱えてしゃがみ込んだ。シンジのバリアーは何の役にも立たなかった。
ドラゴンの増大したパワーは黒豹の想像していたレベルを超えていた。黒豹の思惑が大きく外れた。
ドラゴンは手下達を呼び戻した。三人の戦闘能力は零になっていた。シンジのバリアーが解けていなければシンジだけは助かる。
ドラゴンはまず健太を殺せと手下に命じた。手下が石の武器を持って健太に近付き、殴り殺そうとした。
手下が健太の頭に石を振り下ろした。健太の頭が割れると見えた瞬間、シンジが健太と手下の間に飛び込み、石は弾き返され手下の手を離れドゥンヌの頭に当たった。
シンジは恐怖心に苛まれていたが、建太が殺されそうなのを見て、渾身の力を振り絞って、自分の危険を顧みず、身を挺して健太の前に飛んだ。バリアーが解けていないのが幸いだった。
頭に石が当たったドゥンヌは、その強烈な痛みと、痛みを与えられた憤怒の力が恐怖のイメージを飛散させ、戦闘能力を百に戻した。
元来、脳天気なドゥンヌと、気難しくて人の影響を受けにくいシンジの性格が、ドラゴンからの精神的攻撃によるダメージを健太より小さくするのに、意外な効果をもたらしていた。
ドゥンヌは頭に当たった石を右手に取り、左手で石の当たった頭をさすり、威圧するように悠然と手下達に近付いた。
一転、素早い動きで目の前にいる手下に襲い掛かり、相手に防御の暇も与えず打ち倒した。次々と襲い掛かるドゥンヌの思わぬ反撃に手下達は混乱に陥り、凄まじい攻撃をかわすのに精いっぱいになっていた。
ー馬鹿者共が、たった一人に何をしている、数の戦法を忘れたか、同時に攻撃しろ、周りを囲んで殺せー
混乱を見ていたドラゴンから一喝が飛んだ。多人間種の手下への多言語が飛び、使ったばかりの、建太用の日本語も含まれてしまっていた。
ドラゴンは手下達を呼び戻した時、手下達に影響を及ぼさない程度に恐怖のイメージの照射を弱めていた。ダメージを受けている三人にはその程度で十分だった。
ドラゴンが一喝した時、照射は止んだ。ドラゴンの一喝の強い刺激が恐怖で麻痺していた健太の精神を目覚めさせた。
ドゥンヌの思わぬ反抗が手下達に混乱を生じさせ、ドラゴンのあせりを生み、照射を止めさせ、建太を甦らせた。ドラゴンが予想だにしない展開であった。
健太は意識を覆ったベールが少しずつ剥がされて行くのを感じた。
虚ろな眼で周りを見た。手下達が集団で何かに攻撃している。体が重なり合って良く見えない。だが健太は直感した。ドゥンヌが攻撃されていると。ドゥンヌが危ない、この切迫した危機感が健太を完全に覚醒させた。
健太は飛び起きると、集団に掴み掛った。後ろから手下たちの頭を殴り、一人ずつ剥ぎ取るように集団の中心に向かった。
ドゥンヌが見えて来た。手下達の拳や石の殴打に抵抗はしているが、その力は弱く、辛うじて致命傷を防いでいる程度だったが、遂に力尽き石の打撃を顔に受け、その場に倒れた。
健太は怒鳴り声を上げて中心に飛び込み、回し蹴りを何度も繰り出し、攻撃を加えている手下達を薙ぎ倒しドゥンヌを抱き起こした。顔は傷だらけだった。
「大丈夫か、しっかりしろ」
ドゥンヌが細く眼を開けた。気を失ってはいない。
「このくらいじゃ死にはしない。俺は負けを知らぬ戦士だ。ケンタには負けたけどな」
ドゥンヌはニヤッと弱々しく笑った。
「俺がここから助け出す」
健太は手下達を睨み付けた。
陽炎のように赤く揺らめいて見えるような、健太の発する他を圧する闘争心の気に、手下達はたじろぎ、後ずさった。
二人を囲む輪が少し大きくなった時、シンジが健太を守った場所から力を及ぼし、ドラゴンの反対側に立つ手下数人を倒し、輪に逃げ口を作った。
健太はドゥンヌを背負い、気を発したまま囲みから出て、手下達の方に体を向け、ゆっくりと後ろ歩きをしてこの場から逃れようとした。
ドラゴンは見ているしかなかった。恐怖のイメージの照射は手下達の戦闘能力も奪う。戦闘を命じても今の健太のパワーでは数の減った手下が全滅してしまう可能性が高い。そうしたら黒豹に手下を全員奪われる。
ある程度距離を取ってから、健太達は疾走してドラゴンの霊力場から脱し、黒豹の下へ戻った。
-3-
黒豹は健太達がドラゴンの力が及ばない所に達した時、建太達の心から全てを把握した。ドラゴンの力が予想を超え増大していたことに驚いた。有り得ないことだった。
何が有ったのか。黒豹の力を以ってしても知り得ぬ物があるのか。ドラゴンをこれ以上大きくしてはならない。今はドラゴンの方が力は上。直接対決しても負ける。仲間は増やせない。使命を果たせない。
黒豹は手詰まり状態であった。
黒豹の下へ戻った時、三人は黒豹に不首尾の報告をした。黒豹は三人をねぎらった。
ー皆良くやってくれた、感謝する、皆が命の危険に陥ったのは私の責任だ、ドゥンヌには怪我をさせてしまった、すまないー
ドゥンヌが力なく答えた。
ー俺の力がなかったから、あんたの責任ではないー
健太が聞いた。
ーこれからどうしますかー
ー考えているー
厳しい状況であることは三人にも分かっていた。
ドゥンヌの怪我の快復は、はかばかしくなかった。快復と言うよりは、日々悪化している状態だった。皆は心配していたが、最期の日が迫って来ていると感じ、別れを覚悟した。
そんな日に、黒豹が皆を呼び寄せ、苦しげに横たわるドゥンヌに近付いた。
遠くても会話は出来るが、重大な話をする時は顔を見合う方が良い。
ードゥンヌに苦しい思いをさせてしまった、すまない、だがもう少しの辛抱だ、もう少しで楽になるー
ドゥンヌは死にたくない筈だ。死んだら楽になる、何を言っているのかと、皆は非難の眼を黒豹に向けた。だが言葉に出して言う者はいない。黒豹には言うも言わぬも同じなのだが。
黒豹は皆の思念を意に介さず続けた。
ー良く理解して欲しい、死は肉体の消滅、だが霊魂としての意識は残る、そうなったら苦痛も何もない、その霊魂は何処へ行くか、この世界にいるお前達には、元の世界にもう一つの、主が不在で生きている肉体がある、元の世界へ戻れればその肉体へ意識は戻り復活出来る、だが霊魂だけの世界へ行く者もいる、その時元の世界の肉体は消滅する、元の世界へ戻れるのか、別の世界へ行くのか、決め方は知らないー
ここで黒豹は言葉を切り、理解しているか確認するように皆を見回した。必死に考える皆の思念が伝わって来る。
ー私は皆を元の世界へ帰すと約束した、ほとんどの者が元の世界に帰れると思い私に付いて来てくれているのは承知している、私に従ってくれれば確実に元の世界へ皆を戻す、もうすぐ肉体の死を迎えるドゥンヌに頼みたい、もう一度力を貸して欲しいー
ー俺の出来ることなら何でもするー
ー死ぬ前に一度、自分は私と一つになると強く思ってくれ、それだけ良いー
ーそうしようー
健太が言葉を発した。
ーそれって、ドゥンヌの意識を取り込むってことですか? ドラゴンのやっていることと同じじゃないんですか?ー
ードラゴンは殺して強引に意識を取り込む、取り込まれた意識はドラゴンの一部になる、宇宙では意識の消滅は絶対許されないから、意識は決してドラゴンと融合せず存在するが、意志を失い永遠にドラゴンの一部の存在でしかない、私と共に闘う意志を持って、自ら私と一つになろうとするのは、一体になるのは同じだが結果が違う、強い意志がエネルギーを強め、ドラゴンと闘う力になる、ドラゴンに勝つ為に皆の力が必要だ、そして、勝利した時に私と一体になった皆は分離して、元の世界で人間として生きるー
健太は黒豹がこれまで指示した行動の意図を理解した。
ー仲間を増やすのは、その為だったのですねー
ーそうだー
ー我々も一体になるのですねー
ー大いなる目的の為に力を貸して欲しいー
ドラゴンの手下で、引き摺り込んだ人間を多く殺した経験を持つ男が、黒豹を無視して呟くように皆に言った。筋肉が発達した、手足が長い敏捷そうな男だった。
「俺はドラゴンが恐ろしくて、食われたくなくて、随分人を殺した。だからドラゴンに気に入られていた。恐ろしい気持ちが消えて、人殺しなんかしたくない、早く元の世界に帰りたいと思って黒豹に従った。今分かった。ドラゴンが俺に言っていた。目的が思い通りになったら、お前は元の世界に帰してやるって。その時信用させる為なのか、こうも言ったんだ。お前等は無理やりこの世界に引き摺り込んだ。自分に取り込まなかったお前は、この世界を消した時、お前は死んで元の世界に戻るって。この世界が消えたら俺は死ぬ。死んだら元の世界に帰れる」
他の元手下が聞いた。
「本当か?」
「嘘なんか言うか」
今度は皆からの不審の眼が黒豹に向けられた。
ー元の世界へ戻れるのか、別の世界へ行くのか、決め方は知らないと言った、ドラゴンも知らないー
発言した男が黒豹への畏れも見せず口で言った。
「ドラゴンはあんたのより強いんだろ。負けて帰って来て何も出来ないんだから。弱いあんたに、強いドラゴンのことが分かる筈がない」
男は自信有り気に言った。言外に自分はドラゴンを良く知っていると言う思いが感じ取れた。
健太は、この無礼な奴め、と憤慨して声を荒げて言った。
「おい、お前。ギュ、名前忘れた」
健太は男を眼光鋭く睨み付けた。
「なんだよ、いきなり。ギュオウディダだ」
「お前、誰に向かって物言ってんだ。弱いあんただと。お前、黒豹様を馬鹿にしてるのか。許さねえぞ」
「俺が黒豹をどう思おうと俺の勝手だろ」
今にも掴みかからんばかりの健太の勢いに、ギュオウディダも身構えた。
ーよせ、ケンタ、そいつの言う通りだ、仲間割れしてどうするー
黒豹にたしなめられたが、怒りの治まらない健太はまくし立てた。
「こいつは仲間なんかじゃありませよ。ドラゴンから救ってやった恩も感じず、元の世界に帰ることしか考えていない、黒豹様の大きな使命も分からない、阿保ったれだ。おい、ギュ何とか。強いドラゴンが好きなら、ドラゴンの所にとっとと行きやがれ」
「お前の指図は受けないよ。なあ、みんな。黒豹はドラゴンより弱くて勝てないから、俺達をドゥンヌと同じように自分に取り込んで、パワーアップしようとしてるんだ。大きな使命の為とか言ってるが、やることはドラゴンと同じだ。ドラゴンが言ってた。この宇宙を変革するってな。ドラゴンにも大きな使命があるんだよ」
ギュオウディダは挑発に乗らず皆を手なずけて自分に従わせようとした。健太のような過激な奴に対抗するには味方が必要だと思った。単純な健太より一枚上手だった。
「てめえ、いい加減にしないと叩き出すぞ」
建太が怒鳴った。
ギュオウディダは健太の怒気を軽く受け流して続けた。
「なあ、みんな。黒豹が信用出来るか? 俺の印象じゃドラゴンより黒豹の方が遥かに信用できる。だがな、良く考えてみろ。信用出来るよりどっちが勝つかだ。ドラゴンの方が強いだろう。黒豹が負けたら一体になった俺達はどうなる。黒豹と一緒にドラゴンに食われる。さっき黒豹がいっていたように、生きてるんだか、死んでるんだか分からないで永遠にドラゴンの一部だ。いいか、良く聞けよ。さっき言ったように、この世界が消えたら元の世界に帰れるんだよ。万が一、黒豹が勝ってもこの世界は消える。そして元の世界に帰れる。どっちが勝っても同じだ。わざわざ黒豹に取り込まれて、危ない橋を渡る馬鹿が何処にいる。俺達は、偉い奴らが殺し合うのを見物していればいいんだよ。みんな、そう思うだろ」
建太は、理にかない、説得力のあるギュオウディダの話を苦々しく聞いていた。これで黒豹と一体になる者はいなくなると思った。だが何か言わないと気が治まらない。
「もし、ドラゴンが勝ったら裏切り者のお前を放っておくか。それで、お前はドラゴンに食われる」
「お前が阿保ったれだな。偉い黒豹様を食えて、腹一杯で、俺みたいなちっぽけな人間をわざわざ食いたいと思うか」
口が減らない奴だが間違ったことは言っていない。後はもう皆の心に訴えるしかないと健太は思った。
「お前にあるのは欲だけか。大義はないのか」
「大儀だ? 宇宙の秩序が俺達末端の人間に何の関係がある。自分が生きて行く方が大切だろ」
「黒豹様がいなかったら、いまでも怖い思いをして、ドラゴンの操り人形だったんだぞ。お前は恩知らずか」
健太は問うように皆の眼を見た。眼を合わせる者は少なかった。
「恩は受けたが、命を懸ける程の物ではない」
健太は、もうどうしようもないと思い、黒豹を見た。
ギュオウディダが皆をあおるように言った。
「俺はケンタに叩き出される前に此処を離れる。此処にいると黒豹に巻き込まれるぞ。酷い目に合いたくない奴は俺に付いて来い」
ギュオウディダが皆を待つ様子もなく、ドラゴンから離れる方向へ歩き始めた。
ギュオウディダに同調した者達は後に続き、考えを決め兼ねていた者は少し躊躇したが、このタイミングを逃すと離脱しにくくなると思い、考える時間を与えられずに、慌てて後を追った。
「お前等、見捨てるのか」
健太は怒鳴った。振り返る者はいなかった。この場に残ったのは七人。去ったのは十六人。
建太、ドゥンヌ、ワスレ、トゥシャシュリ、スンフウダ、シンジ、クルト
皆、建太との関りが深かった者達だった。人間は欲より絆。健太はそう思いたかった。それは逆に黒豹の為に残ったのではないと言うこと。黒豹の信奉者は建太とドゥンヌとワスレだけ。
絶対的存在である黒豹が、ドラゴンのように圧倒的な力で心を支配すれば去る者はいなかった。だがそれではドラゴンと同類になる。黒豹はそれを良しとしない。
全てに於いて圧倒的に優れている宇宙意識が、劣位にある人間意識を支配するのは至極当然と考えるドラゴン。黒豹は優れた存在が劣る者を教え導くのは至極当然と考えていた。これがドラゴンとの違い。相手の意志を束縛するのではなく、相手が自らの意志で従う。建太のように。その為に心の交わりも持ち、より近い存在になる。
威圧をしないと畏れを持たぬのが人間の性。甘さを見せると相手を侮るのが人間の性。
黒豹が知る、肉体を持つ人間意識の中には、建太のような人間はいなかった。黒豹が思う、怖れと欲で従うのではなく、忠誠の心で従う人間を初めて見た。
建太に感化されて、そうなる者もいた。健太の世界が見てみたいと黒豹は思った。
建太は去り行く者たちを憎々し気に睨んだ。
ー黒姫様の霊力パワーで、恩知らずの奴等に罰を与えてやって下さいー
ー私に皆の心を動かす力がなかったのだ、あいつ等を憎むなー
ー自分が良ければ後はどうでも良いのかー
ー人間とはそう言う物だろうー
ー心外ですよ、黒豹様の言葉とも思えない、黒豹様の力になりたくて、残った奴がいるんですよー
ーそうだな、言い過ぎた、悪かったー
皆は建太と共にいたいから残ったと、黒豹は言わなかった。
ーこれからどうなされます?ー
ー考えているが、難しいー
ー黒豹様でも難しいことがあるんですね。黒豹様よりもっと偉い霊に力を貸して貰えないんですか?ー
ーその存在は有るようでなく、ないようで有る、私程度の意識には認識すら出来ないー
建太には理解不能だった。
ー私などが提案するのはおこがましいのですが、黒豹様はご存知と思いますが、私の世界には死んだら冥途に行くと言う考えがありまして、わたしは信じてなんかいなかったんですが、今回、臨死体験をしてここに紛れ込んで来たんで、冥途が有るのを確信しました、他の世界は分りませんが、私の世界の人間が、死んだら私が体験した場所を通って冥途に行くとしたら、物凄い数の人間がそこを通る訳で、そいつ等を説得して黒豹様の力にしたら、ドラゴンに勝つのは簡単ですよ、みんなで説得しますからー
ー肉体を離脱した人間の意識が存在する世界はある。その世界は不可侵で自由な出入りなど許されないー
ー黒豹様なら許されるんじゃないですか?ー
ー可能だが、それは宇宙の秩序を乱すことだー
ー偉そうなことを言ってすみませんが、私が臨死体験をした場所は死んだ人間が冥途に行く通過点でしょ、だったら、まだ冥途の世界に入っていないから、秩序を乱さないんじゃないですかー
ー私も考えたが、それは尊い決め事の曖昧な部分を衝いて正当化しようとするもので、正しくないと結論したー
ー黒豹様は固すぎますよー
ー私に意見するのかー
ーとんでもございません、私などが畏れ多い、でも、私の率直な気持ちを言わせていただきます、私達はどうなのですか? 私達が今いるのは、ドラゴンが作った仮の世界で、誰も本当の世界にいない、黒豹様はその私達と一体になろうとされている、これは私が提案したことと同じじゃないんですか?ー
黒豹は建太が言う前に健太の思いを全て理解した。確かに自分は固い。だが固くなくては秩序は保てない。健太の考えは黒豹が持たぬ発想だった。
健太は黒豹の矛盾を衝いて来た。大きな目的の為なら多少の逸脱なら許される、許すべきだと健太は思う。
黒豹は引き摺り込まれた者は既成事実として、紛れ込んだ者は単なる偶然として、それらを言い訳にしてその者達を黒豹に勝つ手段にしようとした。健太の提案と同じだ。
黒豹は目的の為、許されると判断する範囲で、尊い決め事を逸脱してみようと決めた。
下等意識に説得されるようになっても構わない。それで皆がやる気になれば。元々、面子とかプライドとかの、ちっぽけな感情など持たぬ意識であるから。
黒豹は結論の決まった議論に付き合うことにした。
ーそれはドラゴンが引き摺り込んだ者だから既に秩序が乱されているー
ー私と、クルトはどうなんですー
ー偶然にこの世界に紛れ込んだから秩序を乱さないー
ー曖昧な部分があると言うのは、はっきりと決まっていない、いや決めていない部分を残したのだから、決め事から少し外れてもいい部分ってことじゃないんですか?ー
ーそれは、お前の世界が得意な、解釈の問題だ。私はそう思わないー
クルトが聞いた。
ー秩序が乱れたらどうなるのですか?ー
ーお前達の世界で秩序が乱れたらどうなる、考えてみろー
健太はクルトが良い事を聞いてくれたと思った。
ー私の世界には秩序が乱れ切った所があります、その為に不幸になる人間が沢山います、秩序を取り戻そうといろいろなことをしていますが上手く行きません、秩序の乱れは人間を不幸にします、それは宇宙でも同じでしょう、だから絶対許してはいけません、この大きな目的を果たすために、曖昧な部分が残されているんじゃないんですか?ー
皆の同意する思念が伝わって来る。論理は少し強引だが、結論を出しても良いタイミングだと黒豹は思った。
ー分かった、そうしようー
ー有難うございますー
黒豹は健太達全員を、肉体を離脱した意識の世界、健太の言う冥途の入口、現世との境界へ赴かせ、死んだばかりで不安定な状態の霊魂に瞬時に伝わるメッセージのイメージを皆に与え、賛同者を募った。端的に言うと求人活動だ。
黒豹は、霊魂が死んでここにいる現在の状況、これからの先行き、お願いすることとその意味を、言葉ではなく優しく温かいイメージにしてパッケージ化し、相手に伝わった瞬間にほどけ、心に染み渡るように作り、そのパッケージを皆に与えた。黒豹であるから作成可能な、高度なコンピュータープログラムのような物だった。
健太達は、霊魂が現われ眼が合った瞬間にイメージパッケージを送った。このイメージに触れたほとんどの霊魂が安らかな気持ちになり、協力する意思表示をした。黒豹はその中から善良な霊魂を選び協力者にした。
冥途への通過点にある霊魂と一体になるのは、重要な利点があった。霊魂は肉体を持たない。今見えているだけの姿もいずれ消える。であるから肉体の消滅である死を必要としない。一体化する霊魂の意志と、迎え入れる黒豹の意志が有れば良い。<KBR>一体化は人数が多くても一瞬で終わる。
黒豹は皆に、ドラゴンに勝利するのに十二分の霊魂を得た、皆に死んで貰わなくても良くなったと、その理由も付け加えて話した。
霊魂が残り黒豹と一体化すると理性で理解していても、死と言う物のイメージは辛く悲しく暗い。感情的には好ましくない。黒豹の話を聞き、皆は無意識に安堵の表情を浮かべた。
ドゥンヌはしばらく小康状態にあったが、急変し死の時が訪れようとしていた。
黒豹はドゥンヌをこのまま元の世界に戻し、人間として生き、寿命を全うさせてやろうと思った。その時はこの世界の記憶を消す。
ードゥンヌ、私の話を聞いただろう、お前は私と一体化する必要はなくなった。約束通り元の世界に帰してやる、この世界の記憶はなくなるから何も気にしなくて良い、苦労を掛けた、感謝するー
死期を覚ったドゥンヌの顔に生気はなかった。
ー俺はどうせ死ぬ、最後にあんたの役に立ちたい、戦士の誇りを持ってこの世界を去りたいー
ー分かった、皆に何か言いたいことはあるか?ー
ドゥンヌはか細い声で言った。
「最期は口で言いたい」
皆はドゥンヌの側に近寄った
「みんな、いろいろと有難う。この世界でみんなに会えて楽しかった。この世界の記憶がなくなって、みんなを忘れてしまうのがとても辛い。もとの世界に帰っても元気で。さようなら」
死と同じように二度と会えない、ドゥンヌとの永遠の別れに涙が溢れ、皆の頬を涙が伝った。
ドゥンヌの手を握った建の眼から涙がぽたぽたと落ちた。
「ドゥンヌ、必ず又会おうな。二度とお前に会えないなんて辛すぎる。そうだ、再会した時にお互いを忘れていたら困る。黒豹様にお願いしよう」
建太は手を合わせた。
ー黒豹様、お願いです、なんとかここにいるみんなだけでも記憶に残してもらえませんでしょうかー
ー私は神ではない、祈るような真似はよせー
建太は黒豹の言うように合掌をやめた。
ーよろしい、皆には世話になった、名前と面影は残してやろう、だがお前達の再会は有り得ないからなー
ー有難うございますー
建太は深々と頭を下げた。
ドゥンヌが死んだ。健太はドゥンヌの魂が黒豹に吸い込まれたような気がした。
黒豹は境界の場で、多くの協力者の霊魂と瞬時に一体化した。気のせいか、健太には黒豹が大きくなったように見えた。
ドラゴンとの決戦の時が迫った。黒豹がどのように闘うのか健太には想像も付かなかった。