幼馴染
橘高健太は幼少時から群馬の田舎で育った。家は少し離れていたが、隣の家に同い年の女の子がいた。くりっとした眼の愛らしい子だった。
名前は玉村美紀。けんちゃん、みきちゃんと呼び合い、一日中真っ黒になって遊び合う仲良しだった。
小学校低学年までは、幼少時と同じ仲良しであったが、高学年になり、美紀が異性を意識し始めて、二人の関係はぎくしゃくし出した。
美紀は、祖父母と同居していた親の転勤で、中学入学と同時に都会へ引っ越して行った。引っ越しの日、美紀が健太に会いに来て、恥ずかしそうに俯いて、
「元気でね、さようなら」
それだけ言って、ちらっと健太の眼を見て走り去った。
健太はそれ以後、美紀に会うこともなかったし、消息も知らなかった。
建太は横浜の大学の受験に合格した。母親の再婚相手の義理の父親に経済的に頼るのは嫌だった。私立大学ではアルバイトをしても無理だと思い、必死に勉強して何とか国立大学に合格出来た。
アルバイトをして自活しようと思い、家賃の安い学生寮を申し込み、入居を許可された。
入学して2カ月程経過したある日の昼過ぎ、建太は毎日昼食を取っている学食に来て、懐かしい面影がある女子学生に眼が止まった。
あれから6年2カ月。色白でふくよかな顔は美人タイプとは言い難いが、大きな二重の愛くるしい眼が子供の頃の面影を残す、可愛い魅力的な女性に成長していた。
玉村美紀。まさか同じ大学に入学していたとは。そして偶然の再会。健太は因縁めいた物を感じた。
建太は余り社交的でないので、一緒に食事をするような友人はまだ出来ていなかったが、美紀は友達と思しき三人の女の娘と楽しそうに食事をしていた。
建太は少し照れ臭かったが、声を掛けようと美紀に近付き視界に入った。だが、話に夢中になっている美紀は、すぐには健太に気が付かない。
建太が声を掛けようと更に近付いた時、健太の視線を感じたのか美紀が顔を上げ健太と視線が合った。一瞬ぽかんとした顔をして、驚きと、嬉しさと、懐かしさの連続的な表情の変化を見せて立ち上がり、健太に走り寄った。
「けんちゃん、けんちゃんでしょう?」
美紀は両手で健太の手を掴み、手を揺すって喜びを表現した。
「久し振りだな」
健太は懐かしそうに言った。
「けんちゃんもここに入ったの」
「そうだよ。みきちゃんと同じ大学だなんて、びっくりだよ」
「中学進学の時以来だから、え~と、6年振り? 運命的再会だね。私もびっくり」
座って二人を見ていた恵が口を挟んだ。
「美紀、知り合いなの。紹介してよ」
背が高くて、どちらかと言えばイケメンの部類に入る健太に、他の女達は興味津々だった。
美紀が健太と、友達をそれぞれ紹介した。
もう一人のお喋り、彩乃が言った。
「6年振りの再会? 小学校が一緒だったの? そう言えば私もちょっと前に、偶然小学校の同級生に会った。男っぽくなってた。懐かしくてお茶しちゃった。偶然の再会って良くあるよね」
他の二人に同意を求めた。
「あるある、私も小学校の同級生に再会した。あっ、ごめん、同窓会だった。てへっ」
恵がてへぺろをして可愛っ子ぶった。健太はどう反応して良いか分からず、固まった。一瞬その場の空気も固まったが、恵の立ち直りは早い。
「偶然の再会より、運命の出会い。もしかしたら、私達が運命的出会いかもね、橘高さん?」
恵が答え、三人が同時に健太を見た。
それなりに可愛い三人から見詰められ、男子校で女に免疫のない建太はどぎまぎした。
健太を気に入った三人の意思表示だった。美紀は建太の態度が気に入らなかったが、三人の態度はもっと不愉快だった。同じサークルだから親しくしていたが、もう友達はやめようと思った。気を遣う必要はない。その程度の関係だ。
美紀の思いを知らない三人からすれば、美紀の彼氏でも何でもない、6年振りに再会しただけの建太にアピールするのに、美紀に何の遠慮も必要なかった。
美紀の表情から不快感を感じ取った健太が、気を利かせた。
「みきちゃん、俺これから講義があるから。連絡くれる?」
建太がノートに携帯電話番号を走り書きして破り、美紀に渡した。
「昼食じゃないんですか?」
恵が聞いた。
「いや、急に思い出したんで」
建太は美紀に目配せして学食を出て行った。
三人はあからさまに建太から避けられたと思った。美紀は健太のあからさまな行動を好ましく思った。美紀と三人の対決ムードが漂ったが、バトルは起きず、その後美紀と三人が一緒に行動することはなかった。
美紀はすぐに連絡して健太に会った。金のない健太は、大学近くの安い定食屋を指定した。二人は再会を喜び合い、思い出話に花が咲き、気持ちは六年前に戻っていた。
「みきちゃんが別れの挨拶に来てくれた時は寂しかったよ」
「私はけんちゃんより、もっと寂しかったと思う。だって別れを言う方がずっと辛いから」
美紀の初恋だった。淡い恋心は美紀の心から消えず、無意識に小さな炎を灯し続けて来ていた。偶然の再会で美紀は消えずに残っていた小さな炎に気付いた。そしてその炎が大きくなるのを感じていた。
熱く見詰める美紀に戸惑った健太は、ゆっくりと視線を外し、コップの水を口に含んだ。
「でも、横浜に住んでいたとはね。やっぱ群馬の田舎とは大違いだよ。都会に出たつもりでも高崎だもんね。やっぱ横浜は大都会だよ。みきちゃん、えらい恰好良くなっちゃって、都会の女。凄いよ」
健太は美紀が好きだった。だから美紀との別れは辛かった。冷たい性格ではないのだが、美紀の存在は健太の心で段々薄くなって、数カ月後にはきっかけがないと思い出さない程度の存在になっていた。
世間で言う所の、友達以上恋人未満の気持で、それは再会した今も変わっていない。
思いをぶつけてみて、はぐらかされた美紀は、彼女がいるのかと思って少し沈んだ。
「けんちゃんもこれから都会暮らしだよ。でも、横浜と群馬とじゃ彼女と遠距離になっちゃうね」
「何言ってんだよ。俺男子校だったから、彼女なんていないよ」
「えっ、そうなの」
ちょっと弾んだ美紀は、冗談っぽく言ってみた。
「だったら私と付き合っちゃう? 知らない仲じゃないし」
建太が困った表情を見せた。美紀は又、少し沈んだ。
「冗談、冗談。本気にしないで」
「いや、俺、小学生の頃のみきちゃんしか知らないし。今のみきちゃんは綺麗な女の人になっちゃったし。又、一緒に楽しく遊びたいけど、俺の中に二人の美紀ちゃんがいて、俺、どっちと付き合うんだかよく分からなくて」
「もう、昔の私が今の私になっただけ。見た目は変わっても、私は私。中身は同じなんだから」
「頭では分かるんだけどさ」
「今の私が嫌いってことね。分かった。ただのお友達でいましょう」
美紀は純な建太を突き放す言い方をした。女は意識しなくとも男を操る術を知っている。
「嫌いな訳ないだろう。今のみきちゃんは可愛過ぎて、昔のみきちゃんと、どうしてもくっつかないんだよ」
美紀は心の中でにんまりとして、止めの意地悪を言った。
「昔の私はぶすだったってこと?」
「そんなこと言ってないよ。小学生のみきちゃんも可愛かったよ。今のみきちゃんは俺に取ってすげえいい女なんだよ。そんな娘と俺、前みたいな気持ちで、気楽に付き合えるかなって」
主導権は完全に美紀に握られた。所詮男は女にかなわない。優しい美紀は少し言い過ぎたと思い、健太の男を立てるように言った。
「付き合うって決めなくてもいいの。これからたくさん会って、今の私を良く知ってね。今日ね、不思議なことがあったの。朝、お告げがあって、お昼にこの学食に来れば頼れる人に会えるって。気のせいかなって思ったんだけど、来てみたらけんちゃんに会えた」
美紀は嬉しそうに笑った。
「いつもそんなこと有るの?」
「お告げみたいのは初めてだけど、私って、結構勘の鋭い方だから。頼れる人が重要なの。けんちゃは小さい頃から、ずうっと私を守ってくれたでしょ。だから、再会した時、けんちゃんが私の頼れる人なんだ、彼氏になって私を守ってくれたらたらいいなって思ったの。実はね、私、変な男にストーカーされてるの」
美紀は最近、大学のサークル仲間に誘われてサークル関係の合コンに参加した。彼氏が欲しい訳ではなく、誘われて断れずに参加した。
参加した他の大学の男と話が弾んだ。話題も豊富で面白く、物腰も柔らかで、見た目もジャニーズ系のレベルで、他の参加した女達の狙い目になっていた。
美紀は特にその男が気に入った訳でも無く、女たちは皆先輩なので、気を遣ってその男とは一回話しただけだった。だがその一回話した時に、安直に携帯メールアドレスを交換してしまった。男の名前は細川亮。年齢は二つ上の二十一歳。
これが、苦痛の始まりだった。
数日後、亮から、楽しかったお礼と食事の誘いのメールが来た。美紀も楽しかったお礼と、食事の誘いには丁重な文章で断りのメールを返信した。
すぐに返信が来た。丁重な文章に感銘を受けた、そんな教養のある女性と語り合いたいと、再度誘って来た。
頭の良い男だと美紀は思った。新手の誘い方。こんな誘い方をされたら心が動く。美紀は誘いを受けようと思った。文章を書くのが好きな美紀は、書いた文章を褒められたら嬉しい。だが美紀は思い止まった。美紀の直感が言った。何かうさん臭い奴だと。断った理由など関係なく、相手の自惚れをくすぐって来る。自分の教養を匂わす。直感であるから、これらの事柄を美紀は認知していないが、鋭い頭脳の持ち主である。
美紀は曖昧な態度が逆に相手に迷惑を掛けると思い、丁重に、今度はきっぱりと断りのメールを返信した。
暫くは何事もなかったが、ある時、女の勘がざわめいた。誰かの視線を感じる。振り向いて辺りを見るが美紀を見ている人はいない。暫くそんな感覚が続き、ある日知らないフリーメールアドレスからメールが来た。サークルの仲間からと思い、メールを見た。
君ってものぐさなんだね。君らしくない。起きたらベッドはぐちゃぐちゃのまま。着替えた服くらい、たたもうよ。
亮だ、美紀は直観した。亮に見られていたのだ。美紀はぞっとした。面倒くさがりの美紀はベッドも直さないし、着替えたパジャマもそのまま。後は母親任せ。
部屋の中まで見られていたのかと思うと恐くなり、親に相談し、すぐに業者に依頼し盗聴や盗撮がされていないか調べてもらった。
結果は何も仕掛けられていなかった。誰もいない時に家に侵入されたのか。親も気味悪がり、警察に相談に行き名前を言ったが、相手が特定出来ない、警官にパトロールさせると言われ、自衛を考えるしかなくなった。
その後も、夜更かしは体に悪いとか、見られているとしか思えない数通のメールが来て、姿を見せない亮への恐怖を感じ始めている時の、健太との再会だった。
「その男の住所は分かるの? 俺が会ってきっちり話を付けてやる」
「先輩がナンパされた人との合コンで、先輩もそれっきりだったから、学校は分かるけど、それ以外は分からないみたい」
「そんな訳の分からない奴らと、良く合コンなんかするよな」
「ごめんなさい」
「みきちゃんに言ったんじゃないよ。よし、安心して。大学も同じだし、その男を探してなんとかなるまで、俺が一緒にいる」
「けんちゃん、ありがとう。嬉しい」
美紀は思わず、テーブルに置かれた料理越しに健太の手を取って、かがんで自分の頬を押し付けた。健太はこそばゆい顔をした。
毎日がデート状態で数日経ったある日、事故は起きた。
美紀を家まで送り、夕食のもてなしを毎日受けていたので、さすがの図太い健太も、図々しさをを感じ、夕食を辞退して帰る時に事故に遭遇した。
建太は意識不明のまま病院に搬送され、治療を受けたが意識は戻らなかった。
翌日、美紀は午前中に授業があるので、9時に健太が迎えに来る約束だった。だが時間になっても来ないので携帯に電話をした。電話に出たのは女性の声だった。発信履歴から電話をしているので間違えるはずがないと思ったが、念の為聞いてみた。
「あの、健太さんの携帯ですか?」
「そうです。健太の祖母ですが、あなたはどなた?」
「親しくさせていただいてる、玉村美紀と言います」
[あぁ、美紀さんね。健太からお名前はお伺いしています。私は祖母の貴美子と申します。お電話貰ったんですけど、建太出れないんですよ。実はね]
言葉が詰まって、嗚咽する声が小さく聞こえた。
「どうなされたんですか? 大丈夫ですか?」
美紀は何か不吉な予感がして聞いた。貴美子が心を落ち着けるのに数秒が掛かった。
「ごめんなさい。病院から連絡が来て、健太が交通事故に遭って、意識不明の重体だって。今、病院に来ているんですけど、建太、眠ったままで、どうしよう」
「おばあさん、しっかりして下さい。今すぐに病院に行きます。病院名を教えて下さい」
貴美子の手前、冷静を装っていたが、美紀の心臓は早鐘を打っていた。頭はパニック寸前だった。けんちゃんが意識不明。
病院は家の近くだった。美紀は必死に理性を保って病院に駆け付けた。
貴美子から聞いた病室に着いた。健太はICUに入院していた。祖母と思われる初老の女性と、中年の女性がICUの外の椅子に、消沈した様子で座っていた。
美紀は二人に挨拶をして、ICUの窓から病室を見た。健太が頭に包帯をして、人工呼吸器を装着させられて寝ていた。
美紀の眼から止めどなく涙が流れた。