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幽体離脱

    -1-


 人の往来が多くなって来た夕方の駅前商店街通り。かすかに残った赤い夕日が駅舎の端を照らしている。駅や商店の照明は点灯され、買い物途中の人や、帰宅を急ぎ駅に向かう人で混雑していた。

 そんな通りの歩道にRV車が乗り上げ、電柱に衝突し、バンパーがえぐられたようにへこみ、ボンネットも曲がって半開きになっている。

 運転席に中年の男が座っている。エアバッグの効果か出血もなく、頭に傷を負った気配はなく、事故による外傷が原因ではないようだが、シートベルトに体を支えられ、ぐったりとして気を失っている。

 車の後ろには何人もの男女が、歩道に乗り上げ暴走して来た車にはねられ、顔や頭から血を流し、苦しそうに歩道に倒れている。中には意識もなく倒れている男もいる。

 車の暴走から逃れられ呆然としてその場にへたり込む人。倒れている男女に声を掛け、助け起こそうとする人。携帯電話で救急車を呼ぼうとする人。関わることを避けるように、遠巻きに現場の様子を見る人で現場は騒然としていた。

 意識もなく倒れている男。頭を強く打って意識はないが死んではいない。

 男は歩道を歩いていて、後ろに悲鳴と衝突音を聞いた。咄嗟に後ろを振り向くと、RV車が歩道の人を薙ぎ倒しこちらに向かって来る。車の向きからすると自分は安全だと思ったが、車の進行方向を見ると、小学5年生くらいの子供が二人、じゃれ合って遊んでいて、車が迫っているのに気付いていない。

 男は何も考えずに、考えている時もなく、瞬発で走り、車の前に飛び二人の子供を突き飛ばした。

 男は進行して来た車のフロントに上半身と頭を打ち、跳ね飛ばされた。

 上半身が先に車に当たったことが男を即死から救った。男は意識を失いその場に倒れた。

 男の名前は橘高きったか健太。19歳。

太い眉が意志の強さを窺わせるが、それ程意志は強くない。二重の大きな眼が印象的で、人懐っこさを感じさせる。柔道で鍛えた頑健な身体の筋肉が車との衝突へのクッションになり、頭部への衝撃を和らげた。

 健太は正義感が人一倍強く、弱い者の苦難など放っておけない性格だ。だから子供二人の危険を察知した瞬間、自己保存の本能も働かず、子供への危険を排除したい一心で車の前に飛び込んでいた。

 健太はぼーっとして、倒れている自分の姿を見ていた。倒れている自分と、それを見ている自分。自分が二人いる非現実的な状況が、健太の心に何の違和感もなく受け入れられていた。

(良く聞いた幽体離脱。これが幽体離脱か。倒れているのは俺の体。今の俺は霊体。俺は死んだのか。死んでたまるか。そんな柔な俺じゃない。俺は霊なのに何で体が見えるんだ。そうか、いくら霊だからって体が無かったら、自分がいるのかいないのか、しっくりこないよな。納得)

 そんなことを考えていた時、健太の意識は飛び、幼き頃より祖父母と過ごした、田舎の懐かしい古民家の大きな家の前にいた。家の後ろは小高い山に続き、振り向くと、道路の向こうには黄金色に光る稲田が辺り一帯に広がっている。

(あれ、今は田んぼもないし、家は改装した筈なのに)

 健太の母親はシングルマザーで、地元では好む仕事もなく、東京で働きたいと健太を母に預け東京に出た。そんな事情で健太は祖父母に育てられた。

 祖父は2年前に死んだ。急死だった。健太は祖父が大好きだった。建太の疑問に何でも答えてくれた、物の考え方を教えてくれた、尊敬していた祖父だった。

 友人との自転車旅行中の急死だったので、死に目に会えなかった。最後の別れが言えなかった後悔が、いまだに健太の心の深い所に沈殿していた。

 祖父が死んだ後、再婚していた母親は料理人である再婚相手に自分の店を持たそうとして、祖母と住むことを条件に、有名温泉地に近く立地条件の良い実家を改装し、古民家を売りにしたレストランを始めた。

 健太の見る原風景。幼い頃の記憶が蘇り、心は懐かしさに満たされ、募る祖父への想い。

 そんな時、玄関の引き戸が開き祖父が現われた。祖父はにこやかな顔で、おいでおいでをしている。

 健太は懐かしさで、引き寄せられるように一歩前に出た。だが健太の冷静な部分が歩みを押し止めた。

(何で死んだおじいちゃんがいるんだ。待てよ、そうか、忘れていた。俺は幽体離脱しているんだ。花畑じゃないけど、懐かしいこの風景。死んだおじいちゃんがいる。俺は今、臨死体験をしているんだ。と言うことは、俺はまだ死んでいない。臨死体験なら生き返れる。おじいちゃんの所に行っちゃ駄目だ。死んだ人の誘いに乗らずに、戻ったら生き返ったって聞いたことはあるけど、そう言えば何処に戻ったって聞いたことがないな)

 健太に、自分の体に戻ると言う発想は浮かばなかった。健太は四方を見回した。本能的に死の世界の反対だと思った健太は、稲田の中に走り入った。

 そこで又、健太の意識は飛んだ。意識が戻り周りを見ると、そこは、自分が戻れると思っていた所、事故現場ではなく、見たこともない、異様な空間だった。

 大きな洞窟の中にいるような圧迫感を感じるが、天を見ると上には遮るものは無く、空だと思える。だが自分が見ていた空とは違う。昼の青、夜の黒。それらのどちらでもない。薄ぼやけた、灰色のような、藍色のような。

 四方を見渡すと、木も緑もなく、周りに岩肌の低い山が連なり、先はおぼろげで何があるのか分からない。

 その前にまず、今が昼なのか夜なのか判然としない。明るくも無く、暗くも無く、太陽もなく、街灯もなく、光源もはっきりしない。

 何もはっきりしない、訳が分からない異様な空間だと健太は思った。

(異様な空間。空間、そうだ此処は異次元の世界だ。死んだ人間が行く所、冥途。さっきの場所が入口。どっちも異次元の世界なんだ。俺は生き返ろうとして、変な所に迷い込んじゃったんだ。どうしよう)

 健太は頭を抱えてしゃがみ込んだ。健太の思考は停止した。

 暫くして健太は立ち上がり、かっと眼を見開いた。

(泣いていたって何にも変わらない。畜生、俺は絶対此処から出て、生き返ってやるぞ。此処はきっと、あの世とこの世との間の透き間なんだ。透き間って言ったって、異次元だから狭くないんだろうけど、入口があるってことは出口も必ずある。絶対探し出してやる)

 意志は強くないが、若者らしい前向きな行動力は十分に持っている。健太は行動を開始した。

 今いる場所は間違いなく入口だと思った健太は、場所を示す目印として、手に持てる大きさの石を積んで塔のようにした。健太に知識はなかったが、それはあたかも賽の河原の石積みのようであった。


    -2-


 健太は出口を求め何の手段も考えず、ひたすら歩いた。景色はあまり変わらない。健太は歩くことが目的になってしまっている自分に気付き、歩を止め自分の頭を小突いた。

(何やってんだよ。歩くだけじゃ出口なんて見付からないぞ)

 だが、健太には有効な方法など思い浮かばい。

 そんな時、大きな岩の陰から人と思しき物体が飛び出し、健太に飛び掛かって来た。健太は物体に気付くのが遅れ、物体を避けようとして、もんどりを打って倒れた。

 健太は突然の事態に動揺したが、長年の柔道の鍛錬が、身体を無意識に動かし、素早く防御の体制を取らせた。

 物体は間髪を容れず、健太に再度飛び掛かり、鋭利な刃物のような爪で頭を薙ぎ払い、鋭い歯で健太の喉に噛み付こうとした。

 打撃格闘技が好きな健太は、高校に入ってからキックボクシングも始め、今は学生チャンピオン候補だ。

 健太は後退りして手の攻撃をかわし、強烈なハイキックを飛び掛かって来る物体の顔面に打ち込んだ。物体は横に吹っ飛び昏倒した。

 健太はその物体をしげしげと見た。身長191センチの大柄な健太と比較すると、身長はとても低い。150センチくらい。歳は20代か。よく自分に襲い掛かって来たもんだと、健太は変な感心をした。

(間違いなく人間だ。すげー歯だな。噛まれてたらやばかったな)

 顔が大きく、額が出ていて彫が深い。眼も大きく、それだけで言えばイケメンだが、下顎が張り出していて、鋭い犬歯が口の中に見え、顔の上半分と下半分がアンバランスだった。 

 見たことがない服装だが、ギリシャとかの古代人かと健太は思った。

(この世界に俺以外の人間がいるのか、古代人が。そうか、きっと遥か昔に、俺みたいにこの世界に迷い込んだに違いない。同じ人間だ。大昔だって冥途はあっただろう。だが、そうすると、この世界では年を取らないのか。そうとしか考えられない。そう言えば、全然腹が減らないな。一日何も食っていないのに。そりゃそうだろう。俺は霊体だ。腹が減る筈がない。何かおかしいな。霊体って体が見えるだけって思っていたけれど、さっき石が持てた。ハイキックがこいつに当たった。俺は霊体じゃなくなったのか。冥途の入口に来られるのは霊体だけだろ。だからこの透き間空間に紛れ込んで来るのは霊体だけだ。違うか。だけど、こいつはどう見ても肉体のある人間だ。こいつを蹴った感触もある。蹴った俺も霊体じゃなくなったのか)

「一体、どうなっているんだ」

 健太は大声で叫んだ。

 深く物を考える方ではない健太だったが、今の状況を理解しようと必死に考えた。だが、異次元空間に来てしまった異常事態は健太の思考許容範囲を越えた。

 健太の大声に反応したように、健太の思うところの古代人みたいな人間が眼を開き、立ち上がって健太を見詰めた。健太は考えるのに必死で、古代人風人間の動きに気付いていない。 

ーお前、入って来た、出ていけー

 ラジオが電波を受信して音声に変換するように、健太の脳がイメージ情報の脳波を受信して言語に変換する感覚で、健太の脳に言葉が響いた。

 言葉は耳で聞くか、眼で字を見るかして、脳で意味を理解する。音もなく、字もなく、脳に言葉が生じた。物を考える時のような脈絡もなく突然に。

 突然、頭に言葉が浮かんだ。初めての経験だった。言葉が聞こえた訳ではないのに幻聴だと思った。

(まいったな。考え過ぎて頭がおかしくなって来たのかよ)

「ウォァー」

 原始人風人間が吠えた。

(気が付いたか)

健太は身構えた。原始人風人間はまばたきもせず健太をじっと見詰めている。

ーお前、俺、脳の言葉、分かるか?ー

 又、言葉が浮かんだ。

(こいつが言っているのか。何だ、テレパシーって奴か。この世界ならありそうだな)

 健太の柔軟な思考が異変を受け入れ、興味を持った。

「お前のテレパシー感じたよ」

ーお前、言葉、俺、分からない、お前、言葉、お前の脳の中、画像、強く、思う、見る、俺ー

 勘の良い健太は、片言言葉の意味を理解した。

(こいつを見て、言いたいことをイメージして、こいつに送るって思うのか。ボディランゲージも使ってイメージして。やってみよう)

 健太は自分の姿を浮かべ、自分を指差し、健太と自分の名前を思った。次に原始人風人間の姿を思い浮かべ、指差した。

ー来た、お前、言葉、俺、ドゥンヌー

「ドゥンヌ」

 原始人風人間は声に出して言った。健太にはドゥンヌと聞こえた。くぐもった発音で、正確には違うのかも知れないが、声に出して会話する訳ではない。ドゥンヌと呼ぼうと思った。

 健太も自分を指差して声に出して言った。

「健太」

ーお前、ケンタ、俺、脳の言葉、分かる、此処、俺の場所、出て行けー

 出て行けの言葉から、同時に怒りの感情のイメージを感じた。気持ちを伝えるには、感情を強く思えば良いと思った。

 次に、健太は頭に浮かぶ片言言葉に助詞を付けることを思い付いた。助詞は日本語独特だ。簡単な英語しか知らないが、英語を直訳すれば片言言葉になると思っていて、日本語の細やかさを凄いと思っていた。

I went to the store to buy a book

私 行った その店へ 買うため 本

 同じようなものだと思った。

 変換仕直した。

ーお前はケンタ、俺の脳の言葉分かるな、此処は俺の場所、出ていけー

(これで日本語らしくなった)

 健太は自分の対応能力に満足して、にんまりとほくそ笑んだ。健太は自分の工夫に夢中になり、束の間、ドゥンヌを忘れた。会話の途中でそっぽを向かれたようなものだ。

 無視されたと思ったドゥンヌは表情を険しくして、少し健太に近付いた。

ーお前、俺の言葉に答えろー

 健太の俊敏な頭脳の変換能力は高い。ドゥンヌの怒りの感情パワーが格段と強まっている。

 健太は優しい気持ちを強く思い、言葉をイメージに変え送った。

ー怒らないで、俺がドゥンヌの場所に入って来たのは喧嘩する為じゃない、俺は別の世界の人間だ。眼を開けたら此処にいた、何処に行っていいか分からない、助けてくれ、俺はドゥンヌと友達になりたいー

ーケンタも違う世界の人間か、俺も違う世界から来たー 

ードゥンヌも霊かー

ー何だ、透き通ってフワフワ浮かんでいる俺はー

 健太は自分の思う霊のイメージを送ったが、ドゥンヌには理解出来なかった。霊の概念も言葉もない。伝わらないと思った健太は、死と幽体離脱をイメージした。

ー人間は死に、霊が体から離れるー

ー眠っているケンタがいて、起き上がったケンタがいる、何だー

 理解出来ない感情のイメージを感じた。死生観が根本的に違うと健太は思った。

 健太は親の臨終の瞬間、葬式、火葬の映像のイメージを送った。

ーケンタの世界の死かー

 次に、霊のイメージはせず、火葬された親が、死後の世界、冥途に入るイメージを送った。冥途は健太も未知の世界、健太の想像だ。

ーケンタの世界は焼かれて骨になって、元に戻るのかー

 霊の概念をイメージで理解させるのは諦め、健太は肯定のイメージを送り、別の世界で暮らすイメージを送った。

ー俺の世界では、死んだら無くなるー

ードゥンヌは生きたままこの世界に来たのか?ー

ー敵との戦闘で負けて気を失って眼が覚めたら此処にいたー

ードゥンヌの世界は戦争するのか?ー

ー俺は戦士だー

ー俺を襲ったように噛み付くのか?ー

ー武器がなかったからだー

ーこの場所から何で追い払うのか?ー

ーケンタを殺せなかったからだ、敵が側にいたら安心出来ないー

ーこの世界にいる人間はみんな敵なのか、数は多いのか?ー

ーみんな敵だ、いろんな世界の人間がたくさんいる、何度も襲われた、生き残る為に相手を殺すー

ー俺はドゥンヌと殺し合いたくない、仲間になろうー

ー信用出来ないー

ー二人の方が強いー

 少し間が空いて脳波が来た。

ーいいだろうー

ードゥンヌの世界の会話はテレパシー?ー

健太はドゥンヌと脳で直接会話をしている状況を画像イメージして、テレパシーの語の発音を心に思い、ドゥンヌの世界の会話をイメージした。

ーテレパシー、ケンタの世界の言葉か、テレパシーではなく、俺の世界の言葉で話すー

ーどうしてテレパシーが出来るようになった?ー

ーこの世界に来て、初めて襲われたときに、俺を攻撃するイメージが頭に広がった、それで俺は相手に気付き、攻撃を逃れて、相手を殺した、次に合った奴が女で、殺さないで、哀願のメッセージを送って来た、そいつからテレパシーを教わったー

ーその女はどうした?ー

ー助けた、しばらく一緒に暮らした、俺が寝ている時に、岩で俺を殴り殺そうとした、噛み殺した、頭に殺す気持ちが浮かんで目が覚めた、殺す時は相手を見るな、気持ちが伝わるー

ーテレパシーの先生がそんなこと知らなかったのかー

ー俺が寝ていたからだろう、俺は戦士、寝て危険を知る練習をしているー

ー侍みたいだなー

ー誰だ、この男は?ー

 健太は侍の姿をイメージしてしまったが、ドゥンヌに伝わる筈はない。

ー俺の世界の戦士だー

ー弱いなー

ー相手を見たら気持ちはみんな伝わるのか? ドゥンヌの思うイメージは来るけど、気持は来ないー

ーイメージも気持ちも強く思わなければ伝わらない、相手を殺す気持ちはとても強い、だから思わなくても伝わるー

ー相手を見なければ何も伝わらないのか?ー

ー相手をイメージして送ると強く思えば、見なくても、遠くでも伝わる、相手の反応も伝わって来るー

 健太はほっとした。強く思うのが声を出すこと。自分の心の中が丸見えにならなくて良かったと安心した。

ードゥンヌは自分の世界に帰りたいだろ、俺も帰りたい、出口を探そうー

ー出口が有るのか?ー

ー入口が有れば、出口が有るー

ー何処に有る?ー

ー分からないから探すー

 生き抜くことしか考えられなかったドゥンヌは、希望を得たように眼が輝いた。


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