第1話 始まり ヨークの場合-1
協議歴六十八年、今年のインシュール王国の夏はとにかく猛烈に暑い。
日本の夏に比べれば、湿度の高くない、カラッとした気候なのでじっとりした息苦しさはないものの、こう気温が高くては干からびてしまいそうだ。
しかし、そんなクソ暑い中、私は王城近くの広場で汗だくになって運動中である。なぜ、そんな奇特なことをしているのかというと、カイカ王女の私兵団の合同訓練が行われているからである。
本当はバックレて、どこか涼しいところで昼寝でもしていたかったのだが、家を抜け出そうとドアを開けた瞬間、「サボりはいけません。さぁ、一緒に行きましょう」とインジに引きずられてここまで連れてこられたのだ。こっちの考えなどお見通しらしい。
復讐を遂げたあの事件からおよそ半年の間、私は辺境の地にて、髪が伸びるのを待ちがてら、ほとぼりを冷まし、さてっこれからどうしようか、また旅劇団に戻ろうかしら、でも今劇団はどこら辺にいるだろうか、今回の事件に際して劇団から一度離脱したから、彼らがどこにいるのかよくわからない。なんてことを思っているとカイカ王女から、「私の私兵団に入らないか」とお誘いいただいた。
そうだなぁ、お金もあまり無いことだしと、取りあえず腰掛のつもりで厄介になっている。
まぁ、王女のあの不敵な笑みを見るに、なんらかの思惑がありそうだが。
それにしても、こんな暑いのに訓練なんて昭和の高校球児かよ。
熱中症にでもなりかねない、労働基準法違反だ、労働争議を主張すると、心の中で王女の誘いに乗ったことを今更ながら後悔していた。
「もう、おしまいですか」
インジがこちらを見下ろす。機械で動いているのかと疑いたくなるほど、涼しげな表情。くそっ、あの事件の時には、もう一回くらい会ってみたいなんて思ったのは気の迷いだな。
「まだまだ、もう一回」
木剣を握り直し、インジに向かって構える。
軽く右手を引き、左足で地面を蹴り、飛び跳ねる様に距離を詰めるのと同時に相手の喉に向かって思い切り突く。
インジは少ない動きで体をずらしそれを躱す。
躱された方に向け右手を薙ぐ。
しかし、そこにはもうインジは居ず、下から木剣による突き、後ろに反るように躱し、そのまま後転し距離をとるが、既に直前まで詰められている。
右からの袈裟切りを木剣で受け、「はっ!」と思い切り押し返しつつ、返す刀で切り上げる。
バックステップで躱され、私の一撃は空を斬る。
これで決めようと力を込めたため、前につんのめるようになったところ、剣道の小手のように叩かれ、木剣を取り落とした。
「大分、お疲れのようですね。動きが雑になってますよ」
分かってるよ。
「だって、暑いんだもん。手も汗で滑っちゃうよ」
と軽く言い訳してみる。
「実戦ではそんな言い訳通用しませんよ、あなたも解ってるでしょう。まぁ、でも確かに今日は、大分暑いですね。ちょっと休憩にでもしますか」
インジはそういうと日陰に移動する。よかった、ロボットじゃないらしい。
「フーッ」と一息つく。
それにしても、ここの兵士たちはみな強者揃いである。カイカ王女の兵団には三千人ほどの兵士が所属しているらしく、武術の腕もピンからキリまでだと言うが。しかし、これまで手合わせした何人かの兵士はもれなく強い、木剣一本での戦いじゃあ、なかなか歯が立たない。
私の真骨頂であるナイフや銃を使えれば、もうちょっと何とかなるかもしれないが、訓練なのでまぁ、それはしょうがない。銃をそう簡単に使うわけにもいかないしな。
「はいっ、これをどうぞ」
インジが飲み物を手渡してくれた。
「ありがとう。インジ」
それを受け取りつつ、インジの顔を窺うと妙にうれしそうである。
どうやらインジは、普段あまり訓練には参加しないらしい、兵団は基本的に男所帯である。
インジはそこら辺の兵士には簡単には負けないだろうが、やはり男に混じって思い切り訓練するのは憚れるようで、私と一緒に訓練出来るのが楽しいらしい。
まぁ、ただし他の女性兵士がいないわけではない。これだけの大きな組織になると、仕事は戦いだけでなくお金や人の管理、その他諸々の雑務も多く、それらの仕事は武術の心得のある女性が従事することが多い。それらの指導もインジがするらしいが、やはりそれだけでは腕がなまるというところだろうか。
「ではっ、再開しましょうか」
グイッと手に持ったカップを空にすると、私の手を引いて広場に出る。
「えー、もうー」
不満たらたらな感じでついていく。
「はいっ」
満面の笑みでインジが木剣を投げて寄越す、それを手に取り、
「しょうがないなぁ」
嫌々ながらも、木剣を構えてインジを見据える。多少、休憩で体力も回復したことだし、いっちょやってやるかっ。
覚悟を決めて、インジに打ち掛かる。
結局、その日は夕暮れ近くまで訓練所で汗まみれになった。
途中でインジは「仕事があるので、ごめんなさい」と抜けてしまった。そのまま私も姿をくらまして、サボってしまってもよかったのだが、ついにインジから一本も取れなかったのが妙に悔しく、若手の兵士たちを中心に模擬試合を行ったのである。
女の兵士と手合わせするのが珍しかったのだろう、みな我先にと立候補してくれた。五試合ほど行い、三本の勝ちをもぎ取り。「女に敗けた」と悔しがる兵士の顔を見て、
「はっはっはっ」と心の中で高笑いをし、多少気が済んだところで「もう一本、手合わせを」とせがむ兵たちに断りを入れ、その日の訓練を終えた。
訓練所を後にし、大通りを南に下る。だいぶ日が落ちてきた。通りの店にも灯が入り、がやがやとにわかに活気づいている。
この後はどうしようか。
そうだっ、夕飯を食べに行こう。この時間なら、まだアイリが働いているはずだ。
あの事件が終わり、まだ私たち四人が辺境の地に隠れ住んでいた時の事。
私がカイカ王女の兵団に入り、王都で働くことを話すと、アイリは当初、難色を示した。
まぁ、兵士になるってことは、そのうち戦いの最前線に赴くことになるかもしれないし、アイリは私が心配だったのだろう。まぁ、危ないことをしでかした直後だったこともあるけど。
でも、王女やインジに恩がないこともないし、いまんところ割と平和な世の中だ、そうそう危ないこともないさと言うと、じゃあ、私も王都で働くと『流民の宿』のマスターと話をつけて、大通りに面した食堂の仕事を見つけてきた。
最初は『流民の宿』で働かせてくださいと頼んだらしいがマスターが若い女の子をこんなところで働かせる事は出来ないと斡旋してくれたのだ。良識あるマスターに感謝。
まったく、我が妹ながらはバイタリティー溢れるやつだな。勇敢というか蛮勇というべきか。
そんなこんなを考えつつ、大通りを歩いていくと、『オーバン食堂』の看板、ここでアイリは働いている。
店の中は徐々に人が増えつつある、地元の人に割と人気の食堂らしく、毎日「忙しくて大変なんだから」と文句を言いつつもキラキラとした笑顔を見せながら働きに出かけている。忙しいほど燃えてくるらしい。
そんな性格だから店のおかみさんにも可愛がられているようだ。良かった。
扉を押し、混雑し始めている店の中に入る。