第6話 道程 心配性の王子様-1
執務室での会談の翌日、部屋の外がやっと白み始めた頃、部屋の扉を激しく叩く音で起こされることになった。
寝ぼけた頭で重々しく扉を開けると、いつもの姉上からの使者が無表情な顔をのぞかせる。昨夜、姉上が言った通り朝早くから呼び出されるらしいが、それにしても早すぎるのではないか。まだ街は寝静まっている。
「もう時間なのか、ちょっと早すぎるんじゃないかな」
扉の前の男に愚痴るが、
「そう言われましても、私はカイカ様の伝言をお伝えするだけですので」
眉一つ動かさずに答える。
「そうか…… まぁ、とにかく準備を整えるよ。でっ、これからどこに行けばよいのかな」
着替えながら尋ねる。
「はい。皆様、南の王都大門にお集まりになっているようです」
もう集まっているのか。姉上が緊急事態と言っているのは本当らしいな。
「皆集まっているというが、私が最後なのか?」
と聞くと、
「いえ、そうではないようですが。しかし、カイカ様はもうお待ちになっています」
それを早く言って欲しかった。とにかく急がなくては。手早く着替え終えて、取りあえず必要そうなものを揃えると、部屋を飛び出し階段を駆け下りた。
大通りを進み、大門に近づく。そこには二十名程の大きな一団が出来つつあった。その中心から声が響く。
「こらっ! セイ遅いぞ。一体何をしてたんだ」
ニヤニヤと笑いながらこちらを責める。がしかし、
「遅いも何も。呼び出しから大急ぎで来ましたよ、私は。ここまで朝早くからとは聞いていなかったので」
と反論。まったく昨日の時点で何も聞かされていないのに、これ以上早く来ようがないではないか。
「言い訳はいい。そろそろ全員揃う、こちらに来なさい」
言われた通りに近づいていく。
そういえば彼女は来ているのだろうか、周りを見渡してみると一団の端の方にヨークがいるのが見える。いかにも、朝早くから眠い、面倒くさいという心持が顔に現れているのが見て取れる。やはり皆、眠そうだ。未だに眠気ではっきりしない頭のまま辺りを見回していると、
「皆、朝早くからご苦労。しかし、今回は一刻を争う事態だ、眠いなどとは言ってられない。これから私たちは、和平交渉の会談のためにナガレ公国の首都に向かう。いいかっ、インシュールの平和は我々に懸っている、急がねばならん。早速、出立するぞ」
姉上が馬上から兵たちに語り掛ける。その姿は威風堂々たるものであり、威厳に満ちていた。すると、「おうっ」と兵たちの短い答えが返ってくるが、皆の顔に先程までは見られなかった凛々しさが宿っている。やはり、彼女の言葉には私では敵わない力が秘められているようだ。
その姉上の号令によって、進み出した一団は大門を潜ると一路東を目指す。今回は皆、馬に乗っての旅だ、それだけ急がなければならないということだろう。ナガレ公国は元々インシュール王国の一部であったため、王都から国境が最も近い国である。皆が騎乗して急げば、明日の夜中には国境にたどり着けるのではないだろうか。
しかしそれにしても、姉上はどうするつもりだろうか。何度考えてもどうするのか読めない、策はあると言っていたが、ナガレ公国の出す条件を、多少こちらが不利であろうとも、飲むしかないような気もするが。
ハナハンナ姉さんがあちらの手にあるのだから、我が王家の状況を考慮するにいかんともしがたいものがある。一体何を考えているのだろうか。不安だ、私を急に連れて行こうとすることも不自然であるし、なによりあの娘の存在が私の心の中で警鐘を鳴らす。
その不安の元凶をちらりと盗み見ると、まだまだ眠そうな表情のまま馬の首に寄りかかる様に乗っかっている。馬もそんな乗り方をされてやりにくそうだ。
そんなことを思いながら見つめていると、ふと目が合う。叱られた子供のような、ばつの悪いといったような顔をしたかと思うと『ぷいっ』とそっぽを向いて鞍に座り直す。本当に幼い子のようだ。
その彼女は何故か、大量の荷物を背負い、馬に載せている。そんな光景を見るとまた自分の知らないところで新たな事態が動いている気がしてならない。
モヤモヤとした不安を抱えつつ、ひたすら東に向かって馬を走らせる、大分暗くなってきたが一行はその速度を落とさず進む。このまま夜を徹して進み続けるのだろうか。周りを見渡すが、姉の部下たちの顔にはまったく疲れの色が見えない、さすがによく鍛えられている。そんなことを思っていると、
「眠い、疲れた、荷物が重い、休憩したいよぅ」
と後方から聞こえてくる。ヨークが隣にいる姉の部下の一人インジに愚痴をこぼしているのが静かな森に響く。皆が皆鍛えられているわけではないようだな。
「まったく、だから言ったでしょう。最低限、必要な物だけにしてもっと身軽になりなさいと。そんな重装備ではいざという時、動けずに困りますよ」
インジがヨークを叱る。その様子は、親子か姉妹のようだ。
「だってぇ、これでも一応精査したんだもん。全部必要だし、行けるって思ったんだもん」
頬を膨らましながら幼稚なことを言い返している。
「だもんじゃありませんよ、まったく。そんな可愛い顔しても駄目です」
と言いながらも、インジは頬を緩ませニヤニヤとだらしない顔になっている。何やってんだか、まったく。前に向き直り、少し進むと森の中の少し開けた場所に出た。
ヨークの願いがかなったのか、そこで小休止を取ることになった。朝からほぼ休みなしで馬に乗り続けていたので馬も休ませねばならないからだろう。近くの水場まで馬を引いていくと、やはり疲れていたのだろう、必死に口を伸ばし水を飲んでいる。
「済まなかったな。疲れただろう」
馬の背を撫でながら、、独り言をつぶやいていると、
「ぷっ」
背後から押し殺したような笑い声。後ろを振り向くと、私と同様に馬を引いてきたのだろうヨークがお腹を押さえながら声を出さずに笑っている。
「王子様、魔法ってのは馬とも話せるのかい?」
肩を震わせながら尋ねてくる。
「そっ、そんなことあるわけないだろう」
顔が熱くなっているのが分かる。まずいところを見られたようだ。
「ははっ、もう駄目だ。王子、メルヘン過ぎっ。はははっ」
何がそんなにおかしいのかという程、大声で笑いだす。不機嫌そうだったり、愉快そうだったり忙しい顔だ。
「そんなに笑うことじゃないだろう、独り言だよ。独り言っ。まったく、なんで姉上は君を連れてきたんだ。君はこういった交渉事には向かない気がするが」
「あれっ、王子様知らないの? 私は王女様の策ってやつのために呼ばれたみたいだけど。まぁ、私も詳しくは知らされてないけどね」
やはりか。ただ交渉するわけではないのだな。彼女がいるということは、また何か悪巧みを企てているのだろうか。そんな事を思っていると、
「ちょうど揃っているな。お前たちに話がある」
呼びかける声。声の方に目をやると暗い森の中に赤い髪が浮かび上がる、顔には不敵な笑みをたたえて。
やはり、姉上からの呼び出しは嫌なことの前触れらしい。