逆ハー成立後のライバルキャラの末路
「そなたを国外追放とする」
その言葉を耳にした彼女は、すぐには信じられなかった。
彼女の正面には判決を言い渡した裁判官。目線より高い位置にある裁判官席の下手、右側には複数の男達。そして一人の少女。
うち一人、金色の髪をした青年は彼女の住む国の王子。その手は栗色の髪をか細く揺らす少女の肩へ添えられている。
他にも群青、深緑、常世ではありえぬ髪色を持つ男達。その全ての瞳が鋭く彼女を射抜いている。
そうして、彼女はやっと全てを理解した。
終わったのだ。
「死罪を免れたのは彼女の優しさ故にだ。
感謝せよ」
吐き捨てるように言う王子。彼女にのみ見えるように動く桃色の唇。
『かんぜんくりあ』
その言葉を聞いた者も見た者も、そして意味を理解した者も。この世界では彼女ただ一人だった。
***
安らぎと平穏に満ちたこの世の楽園。
それが彼女の生まれ育った国の別名だ。
四方を平野に囲まれ、気候は温暖。農耕、牧畜が盛んな平和な国。
とだけ書けば諸外国からの侵略を受けそうだが、この国には侵略者を寄せ付けない理由があった。
精霊の乙女。そう呼ばれる存在だ。
大国、と呼ばれる国々は、必ずその称号を冠する少女を抱えている。
人を癒し、国を守り、争いを遠ざける。世界の始まりを作ったとされる古の聖女の力を受け継ぐ存在。
精霊の乙女に愛された国は繁栄し、厭われた国は衰退する。
その力は精霊の乙女が住む国のみならず、周辺諸国にも影響を及ぼす。過去には精霊の乙女を奪い取らんとし、愛する国土を蹂躙された乙女に憎まれ、滅んだ国もあるという。
その為、精霊の乙女は力の顕現した時より、国王とまではいかずとも、公爵家と同等の位を与えられ、大切にされる。
…表向きは。
当然である。妙な力があるだけの少女が公爵と同等の位を得、堂々と王宮を闊歩するのを自尊心の高い貴族が喜ぶ筈もない。
それは宰相の息子しかり、将来有望な魔術師しかり、国王の息子しかり。
しかし彼らは屈託のない少女に魅かれていく。精霊の乙女たらんとする高潔な意思と、聖女の再来とも呼ぶべき優しさに。
というのがこのゲームの設定であり、あらすじである。ありがちといえばありがちであり、一生懸命製作者が頑張って考えたといえばそれはもう一生懸命考えた設定である。
その「ぼくがわたしがかんがえたおとめげーっぽいせかいかん」の端っこで、ナイフとランプを詰め込んだ鞄を背負った、少々不格好な姿の少女が一人。
今からどこに旅に出るの?といった様相だ。問われれば彼女は答えるだろう。国外、と。
聞かれないから答えないのであり、聞かれないのは聞く必要が無いからだ。
この国の首都に住む人間ならば誰でも知っている。
ブルマー公爵家の一人娘、グレートヒェン・フォン・ブルマーが精霊の乙女を害そうとしたのを、第一王子を筆頭とする、将来国の中核を担う青年達が事前に防ぎ、乙女と国を守ったのだ。そして性悪な公爵令嬢は本来ならば死罪となる所、精霊の乙女の優しさによって恩赦を与えられ、国外追放となったのである。
そして国外追放を言い渡されたグレートヒェン嬢こそ、今まさに旅立たんとする彼女であった。
「そこのけそこのけ悪役令嬢様が通る。
おい退けゴットハルト、私はこいつと旅に出る」
「グレートヒェン様、お気を確かに」
こいつ、と彼女が指し示したのはお腰につけたきび…もとい鉄バット。錆の浮いた釘が打ちつけてあるのがチャームポイントだ。
***
彼女…グレートヒェン・フォン・ブルマーには生まれた時から、前世らしき記憶があった。らしき、と言うのは彼女のように前世の記憶を持っているという人間を見たことがなかったし、また死んだ記憶もなかったからだ。ただ漠然と、自分が息をし、泣き叫び、体を動かしている世界が、以前プレイしたゲームなのだということだけは理解していた。タイトルは忘れた。多分だが精霊の乙女という単語が入っている気がする。思い出せないが。とりあえずブルマーって名字変態くさい、とだけ思った。
彼女にはどうでもよかった。
麗しき婚約者である第一王子も、ツンデレ次期宰相も、お色気魔術師も、実直近衛騎士も。スチルを埋める為に何度もリスタートをかけ、ボタン連打で自分を磨き、ルート分岐を全て丸暗記した彼等を。かつて乙女心を擽られ、諭吉さんと幾度も別れる羽目になった彼等を。
心底どうでも良いと思っていた。
なぜなら。
彼等は三次元へと堕ちてしまったのだ。
グレートヒェンが、否、グレートヒェンと呼ばれる前の彼女が愛したのは二次元の彼等であり、プログラムによって喜怒哀楽を左右され、録音された言葉をのみ話す彼等なのである。
だからこそ、自分がライバルキャラと呼ばれる立ち位置に生まれてきたと知っても、何の感慨も抱かず、ただ面倒臭いという感想をのみ抱いた。二次元が三次元になるなんて、がっかりだよ!と彼女は心底思った。
がっかりなのはお前の頭だ、と突っ込んでくれる人はいなかった。当然だ。何しろ外見だけは完ぺきな公爵令嬢だったもので。
そしてグレートヒェンは更に思った。
これはゲームなのだから、クリアすれば終わる。一旦クリアすれば、きっとコントローラーを握った自分に戻れる筈。そのためには最短ルートでゲームクリアしてもらおう。ヒロインに一縷の望みをかけた。それが自分が国外追放されるエンディングであっても。
三次元に成り下がった二次元に捕われ続けるよりはマシである。
ルート選択を暗記しているグレートヒェンにとっては朝飯前、むしろ選択を間違えそうになるヒロインの軌道修正が大変だった。
そうして迎えたエンディング。
攻略対象者と呼ばれる男達に支えられる精霊の乙女。絶望の表情を浮かべるライバル…グレートヒェン。完璧な最短エンディングだった。やり込みゲーマーの面目躍如である。
そして彼女は気付いた。
エンディングを迎えようとも、現実からのお迎えが来ない事に。これこそが現実だということに。
絶望した。
彼女の大事な二次元は二次元へと戻ることはなく、三次元であり続けるのだ。
こんな理不尽ってあるかよ、と思った。
二次元でなければこんな戦争も世紀末もモンスターもダンジョンない国、全く用はない。牧場や畑はあるが、それだけでは物足りない。彼女はマルチゲーマーでもあるのだ。
そうして思いついた。せっかくのファンタジックな世界なのだから、追放ついでに旅をしようじゃないか、と。
ついでの前提がおかしい、と突っ込んでくれる優しい人はやっぱりいなかった。
グレートヒェンはそれはそれは美しい少女だった。両親も、兄も、弟も美しかった。弟は養子なので血は繋がっていないが、それでも美しかった。ちなみに彼女の兄と弟は逆ハー要員である。
そんな美しい家族の中で、グレートヒェンだけが異質だった。前世的なものが理由で。内面から湧き上がる何か的な理由で。
しかし彼女は彼女なりに今生(?)の家族を愛してはいたので、娘一人国外追放されようとも問題ないよう根回しをした。
顔以外に大きな取り柄の無い父は、毒にも薬にもならず敵が少ない。そのためお家取り潰しよりも、下手な貴族の台頭への抑止力として機能する、といった錯覚を社交界へ広めた。母はやや権高いものの、実家は隣国の王家に繋がる血筋である。無理なからぬこと、と許容範囲に収まる程度。むしろグレートヒェンが散々虐めてきた弟を、継母ながらよく庇い、育て上げた誇り高き賢母として評判高い。
弟もそんな義理の母を慕い、また同じように分け隔てなく接してくれる兄を尊敬している。
その兄も、家と妹と、愛する少女の板挟みぬなりながらも、愛のみならず国への影響を鑑みた上で正しい判断を下せる清廉潔白を絵に描いたような男だ。次期公爵家当主として申し分ない。
ならばグレートヒェンを邪魔する者は何も無い。本来はグレートヒェンこそがお邪魔キャラなのだが、もはやゲームシナリオは終了したのだ。
だからグレートヒェンは自由に生きる。面倒な貴族としての教育も、イベント消化ともおさらばなのだ。なのに。
「グレートヒェン様が国を出るのであれば、私もお供致します」
にこりと微笑むゴットハルト(29)。グレートヒェンが生まれた頃からの側付きであり、義弟の実兄である。ややこしいことに。
そのゴットハルトが通せんぼをして来たのは、準備万端のグレートヒェンが王国の兵士達が引く馬車へ向かっている最中であった。
元々はグレートヒェンの兄の乳母兄弟であり、ゴットハルトの両親が弟を産んで後、すぐに亡くなってからはグレートヒェンの両親が養育してきた。その恩義を感じ、我が子として引き取るとのブルマー家の申し出を断り、弟のみをブルマー家の一員として、ゴットハルト自身は我が儘なお嬢様のお守りを一手に担った。というのがゴットハルトの設定だ。
グレートヒェンとしてはゲームは終わったのだから、我が儘なお嬢様に振り回される事もなく、人生を楽しんで欲しいというのが本音だ。
ゴットハルトは頭が良い。グレートヒェンの様々な悪事も彼に先読みされ潰されてきた。それは元々そういったイベントだからよいのだが、その頭の良さを父や兄の補佐として活用してくれろ、と思う。
勉強だって好きだった筈だ。グレートヒェンの世話や後始末に時間を取られていたが、夜、皆が寝静まる頃にひっそりと暖炉の残り火で本を読んでいる姿を知っている。
今からは、これからは、そのような事をせずとも大手を振って自分の為に時間を使えるというのに、悪逆非道な令嬢の為に才能をどぶに捨てると言うのだ。顔も良いのに。馬鹿な真似をするなと言いたい。
「別に見張らんでも、精霊の乙女に復讐なんぞせんぞ?」
する理由もないし。思いついた考えを言葉にすれば、ゴットハルト(29)は緩く頭を振った。
「私がグレートヒェン様のお側にいたいのです。
どうぞ、同道をお許し下さい」
しかしそれでも納得出来ないらしいゴットハルトに、グレートヒェンは諦めた。そのうちグレートヒェンを見限るだろう。
そう思い、同行を許可した。既にブルマー公爵家の人間ではないグレートヒェンにとっては使用人ではないので、護送する兵士たちの隊長へ伺えば、罪人とはいえ流石に公爵家の娘を一人ほっぽりだすのも憚られたのであろう。是が返ってきた。
それに粛々と頷いたゴットハルトは、良かった、と呟いた。
「グレートヒェン様の国外旅行の知らせを聞いたと同時に、お暇を頂いた甲斐がありました。
これで連れて行って頂けなかったら、職なし宿無し嫁なしの三重苦でした」
「国外追放だ」
グレートヒェンは訂正する。大前提を間違えないで欲しい。
周囲には罪人を国外へ護送すると張り切っている、気の毒な兵士達がいるのだ。
「それと、いつもながら行動が早いのは感心するが、今回に限っては迅速な行動のベクトルが間違っとるぞ?兄上の側近候補として目されていたくせに。
まあ、職も嫁もお前ならすぐに見つかるだろう。母上も隣国から嫁に来たんだ、良い娘さんを見つけて連れ帰るのも好しだ」
「ヘルムート様は私がおらずともご立派に勤めを果たせるお方です。それにイザーク様が私に代わり、いえ、私以上に立派にお支えするでしょう。
職も…力仕事はそれなりですが、奥様方のお陰で文字を書く事が出来ますので、そう困ることはない筈です。嫁を連れて帰るにしても、別の土地に居つくにしても、苦労はさせませんよ」
「ならばよし。
国境までは兵士が送ってくれるそうだ」
「それは心強いですね。
楽しみですね、旅行」
「こ・く・が・い・つ・い・ほ・う」
体よく国外旅行の護衛として使われる兵士たちが気の毒で、彼女は再度訂正する。
両親と、兄弟との別れは執事への伝言で済ませた。国外追放される娘の顔など見たくもなかろうという思いと、お人よしの父が下手な事を口走って罪人とされない為の配慮である。
「乗れ、罪人グレートヒェン」
眉を吊り上げた護送団の隊長が二人を促す。
グレートヒェンははいすいませんねどっこいしょ、と馬車の固い椅子に座り、ゴットハルトがそれに続く。
馬車の外からがちゃりと錠が下され、ゆっくりと動き出す。
「ゴットハルト、クッキー食べるかい?」
「頂きます。
まるでピクニックですね」
「国外追放だ」
和やかな罪人たちを乗せ、馬車はがたごと進んでいく。
グレートヒェンが終わったと思っている物語こそ、「グレートヒェン”の”」物語の始まりであると知らず。
馬車の中にココアの匂いを充満させながら、彼女は溢した水筒の中身を一生懸命ふき取っていた。