構成中
【ある所で…】Date: 2009年9月17日 16:39:19:JST
産婦人科医の声がした。
「処置終わりましたよ、」
「…」
女は天井を見つめたまま…
壁に、黄ばんだカレンダーが掛かっている。『昭和49年8月』
男が、女のいる病室へ入ってきた。
女の連れ?
「あんた、ゴムつけないでやらせろってんだもん、これじゃ毎回余計な出費じゃん、」
女は、いきなり上半身をベッドから起こして、男にくってかかった。
「悪かったよ、でも金のことはなんとかするからさ、いいだろぉ、」
「あんたさ、東大出て、外務省に就職するの決まってるもんね…」
「あぁ、まかせとけ、」
「ねぇ、また遊べる?」
「うん!」
二人のいる柱の陰から、頻賀が顔を出していた。
それは、身長20センチほど。人間そっくりの形をした生き物。
空中に浮いていた。
その頻賀は女のようだ。
頻賀は、見えるものを自分の都合で判断する人間には全く見えなかった。
人間にとって、存在をしている、ということと、それが見えるかどうかは全く別問題である。
頻賀は、空中を舞うように移動すると、処置皿の脇へ舞い降りた。
皿の中に入っているものは、まだ動いていたが、
もうすぐ動かなくなり、ゴミとして処分されるものだった。
頻賀は、悲しそうにそれを眺めて、
そして、切手ほどもない小さな両手のひらをそれの上にかざした。
慈愛をたたえた大いなる空に、一つ、また一つと生命が還っていく。
生と死に架け渡しのできない人の認識へたむける慈みがここにある。
かの地において、人の姿は“素”のままである。
彼の身にまとうものすべてに意味の無いものはない。
かの地では、肉体の束縛を離れたものには、真理の体現が許されるからだ。
あなたは、あなた自身の足下に、彼方へ続く道の出発点があることを確認することができるだろう。
そして同じ真理を歩むべき朋として、彼のことを、あなたがすこしでもいとおしいと感じたのなら、
ここに記された物語を、新たな言葉で語り継ぐことができるだろう。
★☆まさや
頻賀を肩にとまらせた少年が台地の縁を歩いていた。
歳のころは、10才くらい。
彼は、もう4ヶ月以上も一人で旅をしてきた。
身長140センチほどの小さい体躯にも関わらず、顔は精悍そのものだった。
少年の辿ってきた道程は、すでに100キロを越えていた。
10才の子供とは思えない体力だった。
いくつかの集積所や集落で、水や食料、弾薬を仕入れては、ひたすら先を急ぐ。
前から見ると顔が見えなくなるくらいの大きな麦わら帽子、強い日ざしをさけるためのポンチョ、コンパス、地図、小さな躯には不釣り合いに大きいショットガン。
右手首には狩猟用の、それも子供の体格に合わせて小型化された木製のボーガンをつけていた。10センチほどの矢は、一度に十発まで装填でき、30メートル以内の小動物は3/4以上の確立で仕留めることができた。
赤茶けた岩石のむき出しの地面は、照り返しだけで、かなりの熱をもっていた。
空には全く雲が無かった。
太陽が出ていた。
少年は、あの空に輝くものが太陽というものであることは知っていたが、この世界は、ここから10万キロ離れたところでも、今現在立っているところの延長にあり、昼と夜は、この世界独特の摂理によってくり返され、空の太陽もその摂理に従うそれなりのものでしかないということは、あまり知らなかった。
少年は、いくつか前の集積所で手に入れた自動巻きの腕時計をしていたので、時間は把握できていたが、三日間ほど太陽が沈まなかったことや、見ている間に太陽が二つに分裂したこともあった。
そもそもなぜそうなのか、知る暇ができるほど余裕のある生活を少年はしたこともなかったが…
小さな手帳と鉛筆が、今は少年にとって一番大事なものである。
実は、四ヶ月より前の記憶が、少年の中では、あまりはっきりしていないのだ。
平仮名はちゃんと書けるし、漢字だって少しは知ってる。だから、曖昧な記憶の部分を少しでもはっきりさせておこうと、少年はこまめに日記をつけていた。
視界がひらけた。
足下数メートル先から崖が始まっていた。
左手から右手へ向かって、遥か先まで赤ちゃけた起伏の激しい岩石があった。
らるがとの集落を出てから、すでに十数キロは歩いていた。
地図を広げてみた。次ぎのしがつぇは、右手の彼方のはずだった。
遠雷のような音が響いてきた。
「なんだろね、ろーらん…」
「ん~」
頻賀も少年と同じ方向を注視した。そして鼻をひくひくさせた。
遠雷の音源は見えなかったが、音がいきなり大きくなった。
さらに大きくなり、断崖の下から、いきなり巨大な人形が舞い上がった。
「ギャタイだぁっ!」
頻賀が絶叫した。
20センチほどしかない体格のわりには大きな声だった。
少年は口をぽかんとあけたままだった。
20メートル以上の女性型をしたそれは、空気を切り裂く轟音とともに一気に100メートル以上もの高度まで到達するほどの跳躍をし終えて、子供の視界はるか先の凹地に降下していった。
その背中にある殻羽が開き、羽衣を思わせるような光の粒子が吐き出され、降下の物理的なベクトルはゆるゆると減少していった。
機体がゆっくりと地面に接近するにつれて、どこからともなく、心地よい楽の音が響いてきた。
ギャタイが歌っているのだ。
それは、弦と笛の落ち着いた和音だった。
光の粒子はよりいっそう濃く機体にまとわりつくようになり、関節部に布を巻き付けた女性型の巨大な人形はゆっくりと着地した。
「急いで、あのギャタイから、ものすごく良いにおいがする」
頻賀の嗅覚は完璧だった。だから頼りになる。
良いにおいがする、ということはあそこには良いものがある、ということだ。
それは、子供が長い旅で培った体験則そのものだった。
わずかの間、直立のまま、ギャタイは静止していた。
真っ青な空だった。
ギャタイの表面は褐色の木目が浮き出した霊木の強化積層装甲である。
殻羽の上には、機体身長の1/2ほどの長剣が装着されていた。
そのまま、連続動作を続けるように一旦立ち膝になり、機体は前に屈み始め、ついで、腰の後ろにある円筒状の関節部が回転して、上半身がゆっくりと後ろへ曲がり始めた。
子供は走り続けた。
崖の歩けそうなところを直感的にさがし、四足獣のようなすばしこさで飛び下りていく。
小さな相棒は、音もなく子供の進路をトレースするような軌跡で空中を移動した。
頻賀とは、身長5~200センチ程のの人間と同じ姿をした生き物である。
人間と同じように考え、言葉を喋り、人間と同じものを食べ、あくまで人間のような生活を送る。
しかし頻賀は頻賀で人間ではなかった。
人間と同じ大きさの頻賀は、社会生活を行うので、汚い格好はしない。
サイズの小さい頻賀は、乞食みたいな格好をした子供の姿が多いが、眼は邪を見通す澄んだ眼力をもつ。
頻賀が、ある特定の人間の精神の輝きを見つけると、他の時空の驚く程遠くまで、その輝きの軌跡を追う。
特に体の小さい頻賀はたまらなく好奇心を掻き立てられるらしい。
彼らは基本、自由の種族だったから、矢もたてもたまらず身支度をして旅をしてしまうのが、その伝統的本質だった。
ろーらんは女の頻賀だった。
旅が大好きだった。
体のサイズは少年より遥かに小さかったが、年齢は少年よりずっと上だった。
歳のころは25~26、だから、いざと言う時はけじめを通す方である。
5センチほどの彼女のリュックの中には、着替えや化粧品、簡単な炊事道具や、頻賀が行う法力の結界陣が入れてあった。
昼寝を土の中に潜ってするという変な癖があった。
本人いわく、
「大地の気が身体中に漲ってくるんだ」
ということ。
とりあえず女だったもんで、風呂は好きなんだが、こんな変な癖のため、顔などいつも埃だらけで汚かった。
女の頻賀は、タンクトップに木綿の作業ズボンを短く切り裂いたものをはいていた。
寒くなったり雨が降れば、少年と同じようにポンチョを被ったり、菅がさを頭に乗せたりする。
彼女は、小生意気にも頻賀用のサイズのスニーカーを履いていた。
ろーらんは、飛行中も背中に羽根の現れない阿奈族の頻賀だった。
体のサイズが小さいので、少年にしょっちゅうわしづかみにされていたが、少年は、頻賀の経験の長さを尊敬し、慕っている部分もあった。
少年は走った。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、…」
崖を降りて、平地に出る。
視野の中には、めざすものはあったが、結構距離があった。
やっと着いた。
ギャタイは、目の前に躯を二つおりにして聳えていた。
子供は、始めてみるものだった。
“すっげぇ”という感嘆詞だけで、頭の中が埋め尽くされていた。
ギャタイは、静かに歌っていた。
雲ひとつない青空だった。
キャノピーハッチが開いていた。
出てきたのは、息を飲むほど美しい女だった。
澄んだ黒眼がちの瞳は、見つめるだけで、浄化していくものをもっていた。
インカムをつけて、パイロット用のベストをつけてはいたが、髪飾りや羽衣は現世のものではないように見えた。しかし子供が大人の女を見たのはこれが始めてだったから、比較して判断のしようもなかった。
女は、軽やかに少年の方へ歩いてきた。
「ねぇ、お名前…」
女は少年を覗き込むようにして屈んだ。
「まさやくんでしょ?」
「うん」
女はギャタイを指差した。
そして、少し声をひそめ、悪戯っぽい笑顔を浮かべて言った。
「これ、あなたにあげるわ」
「ええ~~~~」
「うわ、うわ~~~~」
子供と小さなな連れは、お互いに抱き締めあって声を出すやら、声にならないやら、訳のわからない悲鳴をあげ続けた。
「あたしはもう帰ります」
「へ?」
女の姿は、軽々と空中に浮いた。
地上10センチくらい?
そして、なんと、足の下のほうから消え始めた!
「きみは字、読めるわよね」
女は、優しく確認するように尋ねた。
ふわっと浮き上がった女は、膝まで霞んで、膝から下があった所に向こう側の地面が見えていた!
「!?」
「動かし方は書いてあるから」
「ちょ、ちょっと待って!」
腰のあたりまで消えていた。
「bye♡」
首の下まで消えて、遠離っていく。
最後に顔の笑顔だけが残って、それも空気に滲んで見えなくなった。
少年は相棒に振り向いた。
「ろーらん、あれいったい何なの?」
到底、このままでは済まされないものがある。
しかし、自称旅行家の女の頻賀は、背の高い年下の連れの表情など完全に眼中に無い。
含むところがあるような表情をしながら、腕を組んで子供の肩の当たりに浮いていた。
ずっと、消えたあたりを見つめている。
地面に対して、頻賀の姿勢は、擂り粉木のようにゆっくり揺動していた。
「へぇ、あいつ地蔵界の精霊だよ、」
まだ感動さめやらぬらしい。小さな汚い両手で顔をごしごしと擦った。
「おれ、始めて見たわ。」
「いったい何なんだこれは、ええ!?」
子供は、答えの無い疑問が爆発し、肩のあたりに浮いていたこ汚い小さな相棒をわしづかみにして怒鳴った。
「おれには言えん」
頻賀は知っていることを伝えられないもどかしさを感じているようだった。
「おれ、まだ寂しい思いしたくないもん。」
子供は聞き返した
「何でさ?」
「お導きなんだよ、あの精霊は、前世で会った人のメッセージを運んでくれるのさ、」
「…」
頻賀は泣き出した。
よっぽど言ってはいけないことを言ってしまったのかもしれない。
「おれは頻賀だからな、これ以上は言えないんだ、」
「…」
「許してくれよ」
「…」
「ごめん、ほんとに許してくれよ」
頻賀は、浮かんだまま、俯いて涙を流していた。
少年は、少し落ち着いた。
「どうすんだよ、これ、」
いくら頻賀で小さいとはいえ、ろーらんは、自分よりずっと姉さんなんだ…
少年は、何だか悪いことをしたような気分になっていた。
「今日はここで泊まるかぁ?」
「うん」
静止姿勢のギャタイをバックに、少年は火を起こした。
まだ、少年の頭はパニック状態を完全に脱してはいなかった。
「ねえ、ギャタイって、何?」
たき火の火がはぜた。
豆が煮える。
皿に盛りつけ、ろーらんの小さい皿にもひと粒のせてあげる。
旅行家の頻賀が、得意になって口を切り出した。
「ギャタイっていうのはね…」
ギャタイ、と呼ばれるものはかなり昔からあったらしい。
ろーらんが知っている古文書では1500年以上前の物もあった。
人形をしたもの、凧のように空に浮かんで飛行するもの、車輪が付いていて地面を早く走るもの、船のように大きなもの等があり、形は様々だった。
どれも外側の部分は木で出来ていた。木といっても唯の木ではなく、霊木を削り出した合板を何層にも重ねて作る。
古くは、頻賀が天界と呼んでいた阿須ヶ乃宮の宮大工が作り始めたものだったらしい…
モニター類が液晶を使用してあるのも、かなり歴史は古く、そもそもこの世界で始めて液晶が実用化されてすでに300年はたっていた。
液晶以外の内装品で頻賀の工房で作られたものは多い。
ギャタイに搭載されている大容量・高速の電子計算機を識相と呼び、その中心となる演算処理の回路を識相核と呼ぶ。電力によって起動するが、演算処理の過程では、霊力の影響もうけて、その処理結果は大きく変動する。
当然ながら動かすには慣れも必要だった。
「ギャタイとは、漢字でこう書く。」
やおら、ろーらんは舞い上がり、木切れを持って砂地に線を引き始めた。
「羯諦」
「すごいや、ろーらん、ぼく、そんな難しい字書けないよ、いったいどこで覚えたの?」
「どこでって、そりゃ、おまえ…」
ろーらんは、答えに詰まって、ふわふわ浮かんだまま赤くなった。
「ねえ、ろーらん?」
「ん?」
「ぼく、時々、昔のことなのかな…」
頻賀は、注視した。
少年の顔は、たき火に照らされたまま彫りが深くなった。
「何か変なこと思い出すんだよ、夢かもしんないけど…」
「変なことって?」
女の頻賀は、あぐらを組んで浮かんだまま、少年の顔を覗き込んだ。
「何かねえ、うんと背の高い男の人と女の人がいてさ、二人はなんか仲がいいみたいなんだよな…」
「ふ~ん」
「それでさ、二人の間にぼくがいるんだ。」
「へぇ~!」
「でね、三人で、なんだかよくわかんないとこへ行くんだわ。」
「へえ、どんなとこ?」
少年のみたものは、何かの物語そのものだった。
「箱みたいな車輪がついたものに乗っていきなり高くなったり低くなったりするやつとかさ、」
「ふーん、何だろね、それ」
旅行家は興味津々だった。
ろーらんは東京に行ったことはある。
東京は、噂の大都会だった。
主な区は全て行ったし、人間が行く遊園地にも行ったことがある。もしかしたら、そこにある何かかもしれないと、なんとなく思った。
「結構面白いみたいだよ。」
「でも夢なんだろ」
「うん」
ろーらんは、黙って少年の目の前に浮かぶと、両手を組み合わせて華の形を作った。
それを自分の頭上に差し上げる。
何か呟いたみたいだった。
華の形を何度か組みなおした。
それは頻賀が法力を招来する時に結ぶ印だった。
ある特定の法力をうけた言葉は言霊を持つ。
言霊を持った言葉は強く意識されるようになり、強く意識されたその言葉によって、特定の力を呼び起こすことも可能だった。
少年は、破邪の香や、獣除けの香炉を二人の周囲に置いてまわった。
これで寝る準備は整った。
そろそろ寝る。
「あの女の人何者なんだろね、」
ろーらんは、夜空を見上げて考え込んだ。
「わかんねぇ、でも、まさやのこと知ってたもんな」
「うん…」
「くれるってんだから、ありがたくもらっとこうぜ。」
「うん」
たき火はゆっくりと消えていった。
★☆『高麻』
高麻は、東京の西北部に位置する農村地帯だった。
一台の天覧が、街道を北へ走っていた。
天覧は、東京では一般企業の重役以上がよく利用する4ドアセダンだった。
銀色の車体は磨きあげられて、でっぷりと太った男が運転していた。
男は、東京で財産を築いた実業家だった。妻と子供がいて、ともに男の企業経営に携わっている。
街道は、高麻の村の東端の境界線を越えると真西へ進路を変える。
男の運転する車のフロントガラスから望む視界には、遥か前方へ向かって伸びる路面の向こうに、鈍い稜線をもった、早春の山肌をまとった山塊が広がっていた。
☆野菜
☆米、ご飯を食べるシーン
☆漬け物
☆犬の死体
☆診療所/医者
ねずみ/鳥/魚(シーマンもどき、鯉みたいに、いる)
種類を増やして、ポケモン的キャラクターとして扱う。可愛がってやることで返ってくるもの多い。
村の中で、神隠しが頻発していた。
一ヶ月の間に子供12人、大人8人にも達していた。 怪火、 餓鬼、 妖。
天覧が停まった。
背後に山が続き、車の前方に村を見渡すことができる比較的高台だった。
ここからならば、遥か東南の方向に、微かに東京の高層ビル群のシルエットが、米粒ほどの大きさに見える。
男は、腹にたまった脂肪を遠慮することなく披瀝していた。
宇極寛美50才(宇極印刷代表取締役社長)
後部シートには、巨大なソーセージを思わせるバッグが四つ。
バッグの口から髪の毛がはみ出し、かすかに、すーすー、という息がもれていた。
子供の意志でそのようなバッグの中にくるまっているのではないことだけは確かなようだった。
男は、始終、得体の知れない含み笑いをしていた。
「俺は偉大なんだ、オレを見下した奴らの失敗は許さん」
塊退の事務所へ行く途中、小休止もかねて高麻に寄ったところだった。
塊退は、東京に並ぶ大都市である。
但し、一般の市民は行くことができない。
何故なら、塊退は餓鬼の都市だからである。
男は、スーツのポケットから、何かの書き抜きを記したメモを取り出した。
その男にとって、その抜き書きは、今までに男がすすめてきた計画を総轄するものだった。
『森羅万象源泉之経全3巻』第2巻の第5章
讃苦なるものあり、八百五十年前の封印時にこれを記す。
これなる絶、ただならぬ大きさにて、浮き世の因縁事象にまつろわぬ物なり。
人界に仇なし、前世、来世なる縁にもひとかどならぬ悪縁もたらしたり…
14,羯諦 百八つ物語 GYATAI THE GRANDSHELL
★☆“こっち側”
夏の暑い日だった。
身なりのきっちりした男女が、手桶とひしゃく、それに花を持って入ってきた。
きつい日ざしを辛うじて遮ってくれる濃い木々の葉の隙間から、東京タワーが見えていた。
数十個の赤い風車が、無数の水子地蔵の間にさしてあり、ねっとりとした風が吹き込むたびに、一斉にからからと回った。
「今日も暑いね…」
男は、小さな墓石に語りかけた。
「暑かったろうね…」
女は、ひしゃくで、墓石に水をかけた。
「この子が生まれたらさ、三人でディズニーランドへ行こうっていってたよね…」
若い母親になる筈だった女は、男の思い出の言葉に、眼にいっぱいなみだをためて頷いた。
★☆神隠し 百八つ物語 Gatay the grandshell !
☆★変なやつ
高麻の中央部から、北の藍川の支流を越えてさらに北へ伸びる街道があった。
対向車もほとんど無い晴れた日だった。
朝早く、その街道を南へ快走する一台バイクがあった。
街道から二又に別れる道があり、バイクは右へ入った。さっきの街道に比べると、いっきに数百メートルごとのカーブの連続となり、道幅も狭まり、道端の切り通しにのしかかるよぷにして、畑や植え込みが続くようになる。
バイクは、肥料を満載した耕耘機と、地元の主婦の自転車1台とスレ違っただけだった。
道端の日当たりのいい斜面にはマルバスミレの株が点在し、紫色の可憐な花をいくつも開いていた。
そのバイクは、普通の形のバイクではなかった。
水平対向型4気塔のエンジンに、鮹の足のような排気管をくっつけ、大きく上にカーブしたハンドルは、ライダーが万歳をするようにして握る。キャンバスシート製のバッグを後輪両方に下げ、パッセンジャーシートの背もたれの後ろにもトランクがついていた。
燃料タンクの表面や、何か貼れそうな所には、残らず千社札がはりつけてあった。
『一族安泰』
『交通安全』
『合格祈願』
『悪霊退散』
『水子供養』
『世界平和』
『汚職一掃』
『大願成就』
おそらく四字熟語が好きなのだろう…
ライダーは精霊だった。
精霊は頻賀の一種…というか、へそ曲がりに近い連中だった。
頻賀が、法力に興味を持ち、長い間の独自の研究で神足、千里眼、天眼通等の法力を自在に使えるようになったものである。だから、彼らの寿命は少なくとも軽く2百年は超えている。
中には千年以上生きているやつもいた。
精霊は、地上に定住するものや、浮浪者みたいな生活をするもの等様々なタイプがあったが、この武田秀寿楼、通称タケヒデと名乗る男もそんな一人だった。
身長170センチ。
彼は、印を切ると、バイクにまたがったまま瞬間移動できた。
長髪、どくろマーク入り革ジャンパー。そして、黒め、白めの全然わからない線目。
バイクのトランクにエロ本を詰め込んであった。
“人生を極めるためさ…”
とすまして、どうせ小さいバイクのトランクなんだから慰み程度の数しか無いんだろうと思うとさにあらず、枕絵やら、ビニ本やら何十冊もだしてくる。
こ汚いポリバケツがトランクに引っ掛けてあり、釣り道具がトランクのサイドにくくりつけてあった。彼独自の使い方を説明する。
まず、ポリバケツに水を入れる。
場所は問わない。
気分転換でそういう事をやりたくなったら、どこでもかまわない。
そして、釣り糸を垂れる。
山の上だろうが沙漠の中だろうがどこでも魚が釣れる。
物品取り寄せを使用しているらしい。
この男はしょっちゅうへらへらしていたが、精霊仲間では法力水準は最強レベルに属していた。
精霊にとって、大気中の空気と水は、容量無限大の記憶媒体だ。
それは、法力を起動するためのリソースそのもの。
情報の書き込み読み出しをする精霊の能力的な器が重要であることはいうまでもない。
また、もしその情報を書き込んだ者の承認を遠隔操作によって取ることができれば、その当事者が書き込んだ情報そのものも読み出すことができた。この書き込みは、当然ながら意識的な行為であるとは限らない。当事者が死ぬ、というのも書き込み行為にほかならない。
タケヒデの法力招来からみれば、100年以上のタイムラグがあったとしても、その情報に若干のノイズが入るにせよ、遠隔読み出しは、訳の無いことだった。
精霊は、高麻の村役場の前にバイクを止めた。
男はぼそりと呟いた。
「風が俺を呼んでるな…」
まだ3月だった。
風は、かなり冷たい季節だった。
バイクを降りる。
いきなりバイクの後ろに引っ掛けてあったポリバケツを手にとり、近くにあった水道の栓をひねるとじゃーっと水を注いだ。
バケツを地面に置くと、男はしゃがんで覗き込んだ。
バケツの水面の揺らぎが収まるのを待った。
水面に老人の顔が映っている。
老人の顔は、高麻の村長だった。
すっかり憔悴しきった顔だったが、会うべき人物に会えた喜びが、その顔には伺えた。
「良い目をした子供がきましたな」
高麻、村長
「まったくでございます、御精霊さま、500年もの間、お祭り申し上げてきた甲斐もございました。」
“良い目をした子供”は、高麻や近隣町村に伝承される言い伝えの子供のことだった。
空気が『来たれり』と伝えていた。
「あのような子らをお守り申し上げるのも我等が勤めですからね、」
特別な敬称で呼ばれたタケヒデは当たり前のことのように応えた。
「これで、神隠しにあった子の行方もわかりますでしょうか」
「餓鬼がからんでいるとなると、予断はゆるしませんな…」
精霊の男はありのままを伝えた。
彼は、馬車からバイクに乗り換えてすでに百三十年たっていた。
彼は、もともと何かを極めるのが好きだったため、一番始めの機種から徹底的に整備を尽くし乗り継いできた。
それでも今乗っているものですでに4台目だった。
メーカーがパーツの供給をしなくなり、そのメーカー自体が無くなっても彼は乗り続けた。
彼のバイクの中にはアルバムが一冊入っていた。
1台目のバイクを手に入れた時の写真が入っていた。
その写真には彼の姿も写っていた。
着ているものは百三十年の変遷があったが、顔かたちは、今の姿と全く変わっていない。
そして、彼の脇を伴走する者は常に無く、その時も今も彼は常に独りだった。
バイクにまたがったまま後ろを振り向き、トランクから何か取り出した。
汚い大学ノートだった。
実際彼は、東京にある大学は、全て偽学生で単位を取り付くした経歴がある。
すでに四百年以上生きている彼にしてみれば、ほんの座興にしかすぎないのはたしかだった。ただ彼の名誉のために付けくわえておけば、東京にある一番古い大学は、創立600年だから、彼が真面目な学生として大学に通っていた事もあるのも事実である。
武田秀寿楼、という名前も4つか5つめの通り名だった。
法力を極めた者にとって寿命を制御することなど容易い場合もあったが、それがある種の禁忌に触れる危険をおかしているのも事実だった。
村役場の建物を見上げて、大学ノートのページをぱらぱらとめくった。
麦わら帽子をかぶり、ポンチョを羽織った少女の顔の人相書きが書いてある。
それは、鉛筆画きのまんがだった。
革手袋をはめた手を、その人相書きの上にかざして指を何本か曲げて不思議な動きをさせた。
ノートのページが微かに光ったようだ。
人さし指を人相書きの眉間にぐっと近付けた。
「かりょ、か…」
精霊は、轟然とバイクを発進させた。
進路は南だった。
この男が呟いた目的地が、普通の人間では行けない場所であることは注意しておくべきことだった。
★☆ふみな
集積地、というのも便宜的な表現で、かりょ、という名前の人口10万人ほどの交易都市といってもよかった。
インターチェンジから、パーキングエリアのような所へ瑠を歩かせていくと、何機かのギャタイが停まっていた。
四輪系の輸送輸送車輛が多いだけに、どうしても人形の機械は彫像のような雰囲気を醸し出していた。
セルフサービスの四輪用のガソリンの給油施設もあった。
少年にとっては始めてみるたくさんの人だった。
どうしたらいいのか全くわからない。
「ろーらん、どぉしよ~~~~」
少年は、瑠を、空いている駐車スポットに歩かせて入れながら、さらに瑠の目ごしに、きょろきょろしていた。
円盤型の大小様々なテントの下に交易で集まる人々に給する様々なものが揃えられてあった。
ギャタイの完成品。パーツ、武器、弾薬、
ギャタイのマニュアル。ただし、文字を覚えないと読めない。草書の手書き本だったり活字の印刷だったりまちまち。
生活用品。鍋釜、木箱、米、芋、薬草、豆類、香料(破邪、獣よけ等様々)
固体、液体燃料/発火具
蘇(チーズの一種)
畑の作物を売る無人屋台
「おなかすいたよ~」
「そばでも食うかぁ」
「うん」
瑠を立ち膝の姿勢から、完全に駐機姿勢にして、少年は機体から降りた。
降りるやいなや、一人の女の子がとっとっとっとっと走ってきた。
麦わら帽子を目深に被って、ポンチョを羽織っているところは、少年と同じだった。
ポンチョの胸元は少年よりずっと開いていて、胸あてのついた厚手の生地の服が見えた。
日焼けしていた。
女の子はころころした丸い声で喋った。
「あたし、ふみな12才、あなたの用心棒してあげるわ、よろしくね、」
よろしくね、と言うのと同時に小首をかしげるところなんざ、少年にとっては生まれて始めての色仕掛けに近い衝撃があった。
しかし、そんな程度の問題に惑わされてしまわないのは、ろーらんのしつけがよかったからだろう。
まさやは思った。
“あんただって子供だろ”
その少女は、活発な子鹿のように、まさやのギャタイを、臭いを嗅ぎまわるようにして覗いてまわっていた。
“いったい何様のつもり?”
頻賀の写真屋がいた。
ヒゲをはやし、小さなまる眼鏡をかけ、紋付袴姿である。
写真機の大きさも頻賀の寸法なので、4センチ四方程の二眼レフだった。
体が小さい分、写真機も小さかったが、見本の写真が並べてある木わくには、頻賀向けの小さいサイズと、人間向けの大きいサイズの商品が両方展示してあった。
通りがかりの脈がありそうな客を見つけると、つい~~、と飛んでいって顔の前に停まり営業をする。
しきりにふみながまとわりついてくる。
写真屋が聞いた。
「お嬢ちゃんの彼氏かね」
「そうよ~~~ん」
「お~~し、始めてかりょに来た旅人には一枚づつさーびすしとる、どうじゃ一枚?」
「わーい」
“何なのさ、いったい…”
「よ~し、お兄さんと彼女、まずはいいかね、いいカップルだからねー、笑顔似合うよ~。」
写真屋は、写真機の脇にふわりと浮かびながら、景気づけの言葉をかけてシャッターのレリーズを押した。
ぱしゃ!
旅館に泊まる。
世話をしてくれる頻賀の家族と出会う。
頻賀の爺さんの話、伝承の書の設定
“モノ”についての伝承を語る。
いろり、テレビ、田楽を食う
「“モノ”じゃな」
「物?」
「物じゃない“モノ”じゃよ、」
全長数十センチから数十キロ。
龍系、凶系ともに現実の人間の前世、あるいは来世とシンクロして成長する。
前世とシンクロするか、来世とシンクロするかは、“モノ”がもつ縁によるな。
凶の“モノ”と前世や来世との縁を強化するのが餓鬼じゃ。
この集落にもな餓鬼は時々来る。
あやつらに対してのけじめは忘れてはならん。あやつらは、忌むべき者じゃからの。
よく心しておくがよいぞ。
龍系が少数派で凶系は圧倒的に多い。
旅を続ける子供達に課せられた潜在的な使命は、この現世とのシンクロを切断して凶系の“モノ”を倒すところにある。
ただし、それは絶望的に困難なことである。
“モノ”が人間と違うのは霊的紀元が自然界のものだった時が異常に長かったということ。
まさや、頻賀のじーさんの伝承に感動して旅の意味を見い出そうとする。
旅館の爺さんがいうところの忌むべき者がいた。
数年ぶりの、ここではあまり歓迎されない珍しい客だった。
男は、数人の男に向かって何か演説していた。
眼鏡、角刈り、無精髭の不細工な若い男だった。
宇極遺蔵。
東京在住の営業マンだった。
表向きは。
2年前、ふみなは東京にいる時に、宇極社長のところでアルバイトをしていた。
10才の子どもにできる仕事といえば、原稿のトラフィックぐらいしか無かったが、ギャタイを乗り回すことができる子ども、ということで重宝がられていた。
その時に社長の一方的なリストラを妨害した。
詳しい状況は別の機会に譲るとしても、勝ち気な冒険少女である彼女が、町中の印刷工場のセクハラ傲慢親父社長の言動に素直にはいはい従うことなど、どだい無理なことではある。
営業マンにして社長の息子であるこの男は、自分の親父の権威を一方的に傷つけた、と逆ギレしそれ以来しつこく追い回していた。
この男の父親は、塊退から出てきた男だった。
餓鬼のインテリである。
遺蔵はふみなの人相書きを持っていた。
いや、逆ギレしたというのも表面的なことだった。
自己の向上のためには、憎悪、マジギレ、逆恨みすら奨励する餓鬼の価値観に照らし合わせれば、この男は、ただ単に素直に生きてきたにすぎない。
遺蔵はふみなに惚れていたのだ。
その男は、おちょぼ口をめいっぱいすぼめて前に突き出しながら、何かを発音しようとしていた。
「こここここここここここここここ、この、ここここの、こここここ、ここここの、ここここの、この、この、こ、この、このお女、ゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆ、ゆるゆるゆるゆるゆるゆるゆるゆるゆるゆるゆるゆるゆるゆるゆる、許さん許さん許さん許さん許さん許さん…許さああん、許さん許さん許さん…許さああん、許さん許さん許さん…さん許さん…許さああん、許さん許さん許さん…許さああん、」
『この女許さん』の台詞を言い終えるのにこの男は、数分かかっていた。
この破壊された言葉の展示会に突き合わされているのは、すべて宇極の部下と近親者達だった。
遺蔵は右手に握りしめた刀の刀身を嘗めて、自分の舌にうっすらと傷をつけた。
滲んだ血を嘗めて、一気にヒートアップした。
「うきゃうきゃうきゃうきゃうきゃうきゃうきゃうきゃっ、」
「…」
私は餓鬼でございます、と看板しょって歩いているような極めて分かりやすい男だった。
趣味は目をつけた女のストーキング。
好きなものは女。
目をつけた少女一人に、金と人手をこれだけ費やせるという恵まれた環境に自分がいるなどとは間違っても気付くことは無かった。
彼ら餓鬼に感謝という言葉はその根本的本質において無縁だった。
性格は、破綻者そのもの。
父親の愛情は、その財力という点において、彼を世間から匿うというという点においてのみ最高に機能していた。
掛け値なしに最低な男であることは間違いなかったが、父親の財力によってうまく塊退の中に囲われていたために、今までは、少なくとも東京の人間に害毒をまき散らすことは無かった。
しかし、それも2年前までのことだった。
今の職業は、実質的には殺し屋だった。
この男に、言葉を介して営業をかけるなど不可能だったから、業務上の問題をかたずけろ、という要求に求められる答えは、それしかなかった。
餓鬼も人間である。
餓鬼といわれている人間と普通の人間の違いは、理性の枷を持っているかどうかだった。
餓鬼には理性の枷がもともと無く、欲求に絡んで暴走した餓鬼は、容易にその身体が変型する。
塊退で生まれた人間はすべて餓鬼である。
また、他の都市から塊退へ移り住んだ人間も餓鬼になってしまう。
一度餓鬼になってしまうと、もとに戻るのはほとんど不可能だといわれていた。
もし、餓鬼に救いがあるとすれば、それは、誰かに惚れることはできる、ということだった…
寺子屋風小学校あり。
金剛猛利の子供がいた。30センチくらい。
頻賀の子供と仲良く遊ぶ
堆肥の臭い。腐って臭う畑の脇に積み重ねられた野菜くず。
お茶の木、
ほうれんそう、
白菜、
しろばんば、
陽の差し込む下生えの整地された雑木林。
「ねぇ~“モノ”って知ってる?」
少女は大声で聞いた。
放置されたままの白菜やほうれん草が、半分腐って、暖かみのある土臭い臭いに変わっていた。
少年は、少女よりもずっと林の切れ目に近い所にいた。
降り注ぐ太陽の光が、暖かい陽炎をつくり出していた。
「何それ?」
「うーんとね、ものすごくおっきいの、」
「どれくらい?」
少年は、わくわくしながら訊ねた。
“モノ”って、あの爺さんがいってたことじゃないのか?
「山を10個くらい続けたくらい、もっとあったかな」
「うそだぁ、」
「ほんとだよ、」
「見たのかよ?」
「うん」
「信じらんない」
「もうっ!」
少年は走る。
少女も走る。
梢から空の見える樹高の低い雑木林が切れると、一面の麦畑になった。
ゆったりと風に波打つ青緑色の海原だった。
二人の背丈より高い麦の畝が、遥か遠方まで続く。
少年は得意になって、ある秘密の話を切り出した。
「ねえ、こんな謎々知ってる?」
「なあに?」
「5才の女の子と70才のお婆さんがいてさ、小さな小川の目の前に立ったんだって」
「ふうん、それで?」
少女は、好奇心たっぷりに少年の顔を覗き込んだ。
「それでね70才のお婆さんは小川を飛び越えたんだけど、5才の女の子は飛び越えられなかったんだって、なーぜだ?」
「わかんない」
「5才の女の子でしょ、だからさ“ま・た・げ(股毛)”無い」
ばしっ
ふみなの平手がまさやのほっぺたに飛んだ。
「さいてぇ~~~~」
「い、痛いなぁ、もぉ」
さっそく涙を浮かべている。
ろーらんは、中腰のまま、覗き込んで右手を口にあてて含み笑いをしていた。
「ふひゃひゃひゃ…」
「ふみなはどうなんだよ」
「…」
恥ずかしいやら悔しいやら情けないやらで、ふみなは拳を握り締めて8.5秒ほど絶句してから、思いっきり怒鳴った。
「んもぉ~~~すけべすけべすけべ、大っ嫌い」
少女にとって、これははじめて聞いた一番ヒワイな言葉だった。
同年令の女の子から思ってもみない平手打ちを食らうなど、心の痛みそのものでしかなかったが、少年はあっさりと気を取り直した。
こうなったら反撃だ。
「股毛ないったら、股毛ない~~~」
畝を横切って逃げる。
少女も、ただではおかない覚悟だ。
「んもぉおおおおっ」
畝を越える。
一つ。
二つ。
三つ…?
その時!
長髪、革ジャンの目が線のように細い男が、夢中になって走る少女の背後に、ふっと現れた。
この“ふっ”というのは、予測しようが無い、という表現である。
いきなり実体化したのだ。
いままでそこにあった空気が…
その男は、決して美男子とよべるようなタイプではなかった。
いい歳をして純粋に子供相手にいたずらがしたかったのだ。この男は…
男は、ふみなを後ろから抱き上げて、いきなり持ち上げた。
顔を寄せて、ふみなのほっぺに息を吹き掛けるようにして尋ねる。
「股毛無いんだって?」
「なんだってこのくそおやじっ!」
少女は逆上して後ろ手に革ジャン男の顔を引っ掻いた。
赤い筋が三本、鮮やかに男の顔に走った。
「痛ぇ…」
少女は、革ジャン男に向かって思いっきりあっかんべーをし、少年と頻賀は、大笑いしながら麦の中を駆け抜けていった。
出発の日になった。
ギャタイを駐機させておく場所には、整備スポットもあり、人間や頻賀の整備員が思い思いに持ち場の仕事に励んでいた。
人間は、外装部分や大きなパーツの補修管理など、頻賀は、人間が入れないところへ時計ドライバーを抱えて入り込み調整を担当する。
ギャタイの整備係の若い頻賀がいた。
少年は、瑠が精霊から直接もらったことを話す。
「そいつはすげえ、」
「何かあったら、俺のとこへ連絡しな、力になれるぜ、」
頻賀は背中の羽をぱたぱたさせながら、
「うーん、しかし、一度ばらしていじりてえな」
少女は、少年に親し気に訊ねた。
「ねえ、まさやって、お父さんとお母さん、いる?」
「…」
少女のいきなりの質問に少年は固まってしまった。
お父さんって何?
お母さんって何?
どうやって答えたらいいわけ?
だめだ!
わからない…
泣き出してしまった。
「なんで泣くのよ」
「だって…わからないんだもん。」
少年は大粒の涙をあとからあとから流しながら応えた。
少年にだってプライドというものはある。
しかし、それにしたって、この答えようの無い質問にはどうすりゃいいんだ?
「ふ~ん」
少女はそっけなくつぶやいた。
「…」
ろーらんは、二人の会話を黙って聞いていた。
ろーらんは、少年の質問には何だって答えてくれたし、ろーらんが少年に質問する時は、少年が答えられない質問はほとんどしてこなかった。
彼女は、口を差し挟むつもりなどまるで無かったが、この少年が、この世界の理を理解するまでとことんつき合うつもりだったから、あまり深くは考えなかった。
ふみなは、東京の養父母のところへ帰るところだった。
「あたしたちは、旅の子供なのよ」
少年には、その『旅の子供』という言葉が、何か特別なことを意味しているのはわかった。
ろーらんに聞いてみたいと思った。
しかしどうやって聞いたらいいのか見当もつかなかった。
わからないことだらけだった。
しがつぇ、から東京までは一直線だった。
ここから、しがつぇまで約35キロ、しがつぇから東京までは、約20キロだった。
「ねえ、あのすけべ野郎、なんでついて来るのよ、」
「知らないよ、村長さんに聞いてみれば」
「うーん、もう出発の時間だしな、どうしよ…」
そのすけべ野郎はすました顔でヘルメットを被り、バイクにまたがっていた。
左の頬には、三本の赤い筋がそのまま…
勒は、ふみなが、ここ3年間乗り回している二足歩行バイク型のギャタイだった。
褐色の機体外皮は、漆塗りの表面にかなり傷がついていたが、一度もエンストしたこともなく、元気よく動いていた。
竜の目の形をしたヘッドランプから、ハンドルが生えて、シートがあり、シートの直後は荷物スペースになって、最後部は、動力循環機器が装着されている。
鋪装された路面では、両脚と首の下にあるタイヤを下ろして走行する。
勒は折り畳んだ翼を持っていた。
翼は後退角20度、+1度から−3度までの捩り下げのついた翼断面形で、龍の口から吸い込んだ空気を首すじから後方へ噴射するジェットを使って飛行可能だった。
一般にギャタイは、この世界の空間に充満するエネルギーを直接取り出して使用する。
バイク型等の小型ギャタイでは、その使用感は、電動駆動に近いものがあった。
隷は、ふみなが、勒の後尾に有線で繋げて無人操縦をしているホバートラックだった。
二本の脚の、接地面外側には片方3個のタイヤがあり、勒と同じく、鋪装面ではタイヤ走行に切り替える。
ふみなは、隷に生活用品すべてを積んで移動していた。
すけべ野郎がバイクのエンジンをスタートさせた。
アクセルの空吹かしを景気づけにやった。
ふみなが、勒をスタートさせた。
シートベルトを絞めて、入力面に、ふみな、を現わす印をなぞると駆動系に緊張が走り、機体は車輪走行姿勢で起き上がった。
次いで隷を起動する。
きしゅん、くーん、ききき、きしゅん、…隷が二本足で立ち上がった。
タイヤは接地させたままである。
びーん、びーん、びーん、びーびーびー、びー…駆動音が定常値まであがった。
まさやが、瑠を起動させた。
~メートルの人形が立ち上がり、ふみなとタケヒデの上に陰を作った。
☆★追撃
ふみなの勒のシートの後で陣をたてていたろーらんがけわしい顔をした。
何度も卦を読む。
納得がいかない、という顔をしていたが、これは納得がいかない問題ではないと悟ると、ジャンプするように結界陣の前から舞い上がった。
いきなりふみなの右耳をつねって引っ張った。
「いたたたた」
「ふみな、あんた何をした!」
「何って?」
「餓鬼があんた追い掛けてるんだよっ、大変だよ、わかってんの、この事態?」
「ん~~」
少女は額に指をあてて考え込んだ。
ろーらんは、結界陣をまた覗いた。
頻賀は、気というものに伝承される口伝が恐ろしいほどある。
気の変動を色や音で感知する頻賀もいたくらいだから、ろーらんの焦りはただ事ではなかった。
「すっげえ嫌なもんまき散らしてんだよぉ、この餓鬼は!」
タケヒデが、バイクで脇を伴走しながら声をかけた。
「もしかしてその餓鬼、殺し屋さんかな?」
ふみな、にっこりして
「ぴんぽ~ん…きっとあいつだわ。」
少年は、瑠のコクピットで、操舵輪を握ったまま泣きわめいた。
「嫌だー、殺し屋さんなんて恐い~~~、嫌だ~~~~」
見たところ、おまえがいちばん強そうなんだが。
ろーらんは、陣を覗いたままほとんど訳が分からなくなりかけていた。
タケヒデは、いきなりバイクを止めると、紙細工を始めた。
あっという間に白い紙の人形を3つ作る。
精霊は、道ばたのハコベやオオイヌノフグリが咲いている中に置いて、印を切った。
「逃げるぞ」
あんなものでごまかせるとは思えないがな…
追撃隊に追い付かれる/法力/発火攻撃、中和結界
こいつらも峨と勒を使っている。馬もあり。
一人は偵察係 オートジャイロが高度100メートル前後を飛行していた。
「遺蔵さん、子供が二人いる。旅の子供だ。それから変な野郎がくっ付いてる。」
オートジャイロの男は、通信機で地上部隊の頭に伝えた。
わかってんだかそうでないんだか、破壊された音の羅列が通信機に響いてきた。
「おおおおおおおおおっっおお、はぁ、おおおおおおおおおおおおおおお、おっっおお、んなおんな女女女女女女」
訳がわからない。
「はぁ…」
「おれおれれおれおれおれ、おれおれれおれおれおれ、おれおれ」
“遺蔵さんは女に注目しているんだ”ということで偵察係はとりあえず納得した。
霧が出た。
どんどん濃くなる。
「ふみなちゃん、付いて来てる?」
「うん!」
牛の乳を空気の中にいきなり流し込んだような途方も無くまとわりつく霧だった。
まさや、ふみなを逃がすために盾になる。
やられなかった。
しかし、
地震が起きた。
半端な揺れではない。
瑠は自動的に中腰になり、さらに一度立ちひざになって、とうとう機体の両手をついてしまった。
「ふみなちゃん、動いちゃだめっ!」
「わかんない、まさや、どこ?」
霧で視界が効かない。
崖ぎわまで追い詰められる。
「ぼくがひきつける、早く行け!」
絶崖が現れた。
向こうが見えない。
道路はどこ?
首を上げて、真上まで見ても崖だった。
崖の上がわからない。
見た目だけでも高さ数百メートルはあるかもしれない。
このままでは進めない。
さっきまで地面だったところから絶崖が立ち上がっている部分にまさやはいた。
ふみなのいる部分との間に亀裂が走った。
まさやのいる部分が沈下を始めた。
それは恐ろしい光景だった。
信じ難く、信じるには相当な認識の超越が必要かもしれなかった。
少年が立っている地面が沈下して、70~80メートルは、沈下に取り残された周りの地盤が上方へせりあがっていくのが見えた。ところが、それをすぎると、いきなり地盤の下に空が広がったのである。
視界一面が空に変貌するや、取り残された地盤は影も形も無くなった。
ふみな
「いやぁ~~~~~~っ!」
ふみな、勒に乗り、泣きながら反撃しつつ逃げる。
たけひで、遺蔵以外の下っ端をひきつけて、わざと自爆してみせる。
「餓鬼ども、おらおら、こっちだっ!」
★☆絶崖
少年が、何時間も汗だくになったまま凝視している液晶画面には、機体がその両脚を着地できそうな地面は現れてこなかった。
地面の連続性そのものが消失していた。
さっきまでのなだらかな丘陵地帯はどこへ行った?
「んぐ…」
少年は、唾を飲み込んだ。
「ここどこ?」
「絶崖だぁ絶崖、絶崖絶崖っ」
小さな連れは、両手を固く組み合わせ瞳をうるうるさせながら、知識としてしか無かった場所を直接見ることができた感動で感極まっていた。
「うるさい、絶崖絶崖って!」
「わー、すげえな~」
逆推力がわりに噴射していた瑠の光衣は最大推力まだパワーアップしたにも関わらず、4時間以上にもわたって落下は止まらなかった。
「オレ、こんなすごい旅したの始めて♡」
「冗談じゃないよ、なんとかしろよっ」
この信じ難い崖は傾斜角60度以上の勾配を果てしなく広げていた。
最も急な所では、オーバーハングしている所もあった。
ここは、崖、というよりは、垂直にそびえ立つ平面世界、とでもいうべきところだった。
崖の中から湧き出しているのか、無数の大小の滝があり、下方から吹き上げる風によって、滝のしぶきが霧になって激しく飛散する。
まさやが操る瑠は、すでに、いくつこの飛散する激しい霧を抜けたか思い出せないほどだった。
また霧を抜けた。
霧というよりは、四方八方から叩き付ける雨のようだった。
瑠の直下に、かすかに地面らしきものが見えてきた。
「あれ地面かな」
「わかんない。」
瑠には『音響探査』というものがあることを思い出した。
画面の前にある鍵盤からその鍵を叩いた。
ピン!
反応なし…
崖に生えている植物は、シダやこけ類がほとんどだった。
岩の間に巣を作っている鳥もいたようだ。
ピン!
二回目反応なし…
三回目
ピン…
画面に反響有りの印が出た。
「地面だ。」
「よしいけ、まさやっ!」
瑠は、両手で機体を抱きかかえるような姿勢をとった。
光衣は爆発的に大きくなり、光球状になった。
着地した。
ずおんんん………………
なだらかな勾配のある平原のようだった。
着地の瞬間は、10トン爆弾の破裂のようだった。
瑠が垂直に着地した時のエネルギーは、直径20メートル、深さ10メートル程のクレーターを作った。
風の音が微かに響いていた。
街道沿いの小さな集落だった。
戦車砲らしき砲声がひっきりなしに響く。
どおーん
近くに弾着があった。
風に乗って微かに、歩兵の鬨の声が聞こえてきた。
ぬかるんだ道に面した雑貨屋の軒先きが振動でゆれる。
何十年も前のものらしい下卑た清涼飲料の広告やら、立看板がひっくり返った。
視界中央には尾根がそびえていた。
絶崖は、ほとんど消えていた。
さっきまで天空遼か彼方までそびえて太陽光さえ遮っていた崖は、本来のこの地域の地形である起伏のある尾根に戻っていた。
街道は、尾根を登り峰の向こうへ消えていた。
どんよりとした曇り空だった。
空気の湿度は高そうだったが、暗く陰鬱な感じが一面に立ちこめていた。
弾着二発目、そして三発目がきた。
瑠が振動した。
「いやだ~~~」
少年は操舵輪を握り締めて思いっきり泣きわめいた。
歩兵が突進してきた。
一個大隊にも及ぶかというカーキグリーンの軍服に抜刀した連中が、瑠のまわりを雪崩れのように突進していく。
不思議に、瑠の姿に気を取られる兵士はいなかった。
「すげえ、絶崖であれだけ落っこちたら、ここは絶対餓鬼界だぜ。」
頻賀の女旅行家は完璧に舞い上がって、画面に映る外の気色に無我夢中だった。
「おれ、餓鬼界は始めてだぁ、ここらへん、血土か崩田かな…すげえなぁ…」
血土も崩田も地名だった。
旅行家は、いつのまにか、鳴りものを取り出して、画面の前に浮かびながら、しゃんしゃん、しゃかしゃかと踊り狂っている。
少年が呻いた。
「ろーらん、」
「なあに?」
「ぼく、こわい…」
少年は意識が空白になる寸前だった。
もはや、流れる涙も無かった…
★☆『麻地汰』
麻地汰は、東京の南西部に広がる商工業都市だった。
彼は、阿須ヶ乃宮大内裏情報局所属の隠密の調査官だった。
現住所は、麻地汰市七つ輪。
近所では「齎藤さん」「齎藤のおじさん」と呼ばれて親しまれていた。
彼のマンションの駐車場には、彼の愛車であるオフロードバイクが数台とめてシートをかけてあった。
調査官は、ソファに寛ぎ、茶を飲みながら、携帯端末に入力を続けていた。
ここ数日のレポートである。
それの形は、板に筆で署名をするようなものだった。
男が手に持つ筆は、その穂先が、画面に接触することで電気抵抗を微妙に変化させ続ける電子回路の集合体だった。穂先の信号の変化は、筆の軸にある処理回路を経て携帯端末本体へ飛ばされる。
気になることがあった。
北(相対距離注意)の村で、異常な事件が頻発している。
レポートをまとめている。
男はヘルメットを取り、ライダースーツに着替えて、階下の駐車場へ向かった。
バイクを発進させた。
★☆市場の天使
地番表示、
東京郊外の農村の市場だった。
赤ん坊がいた。
一才か。
二才にはなっていないだろう。
お尻を固い地面にぺたんとつけ、手を振り回して、自分と回りの空気の味を確かめてみるかように動かす。
「だぁ、んまぁ~~…」
午前11時過ぎだった。
南天に差しかかろうとしている太陽は、赤ん坊のまわりに、明るい光の逆光を作っていた。
赤、緑、紫、紺等の極彩色の羽をまとった鳥が何百羽も、赤ん坊のまわりにとまっている。一羽たりとも一声も鳴かない。
そして、弦や笛の幽玄な和音が響いていた。
通りがかりの人は、子供を使った新手の大道芸かといぶかる人も多かったが、少し注意すれば、大道芸そのものをしかけている人間がどこにもいないことは一目瞭然だった。
旅の子供。
それは、昔から親子の縁の無い不思議な子として現れていた。
生きた人間であることは間違いなかったが、ある程度人として生きていけるだけの記憶を持ったまま、いきなり現れる。
いつ、どこに現れるかは、全く不明だった。
人間の数億倍の速さで計算することのできる電子計算機をつくることができる技術力がある反面、日常的な生活環境の中で妖が飛び回り、当たり前のように物が消えたりあらわれたりする。
不思議な現象を演出する濃い空気は、いたるところにあり、それを当たり前のこととして受け入れている意識は、人の有り様として、むしろ普通のことだった。
若い夫婦がいた。
最近子供を亡くしたばかりだった。
男がしゃがみ込んで赤ん坊を覗き込んだ。
赤ん坊は笑顔で応えた。
「この子は旅の子供だね、」
「うん、そうね、」
回りの群集も、若い夫婦の気付きが広まるようにして回りに集まってきた。
「おーい、旅の子供が現れたぞ」
「どれどれ」
「あ、ほんとだ」
「おまえ、」
「…」
若い女は、この子を抱き上げ、ほお擦りをしていた。
この一人ぽっちの子には、この地を100年捜し回ったところで、親はいないのだ。
旅の子供だから。
「まうまう、きゃははは、」
赤ん坊は、女の頬の暖かみに感じたかのように喜びの声を上げた。
涙があとから後から溢れ出していた。
二人は、いつか旅に出てしまうだろうという確信的な予感を感じていた。
旅の子供とはそういうものだからである。
この赤ん坊を暖かく保護しようという気持ちは、凍えた旅人が暖炉に手をかざす時の安心感のようなものだった。
回りの群集の中の一人が夫婦に声をかけた。
「ちょっと失礼ですが、」
「はい?」
「大井田区の役場に届けられたらどうですか。」
「そうですね、旅の子供として届けます。」
「おまえ、そうしようよ、」
「ええ、あなた…」
出生が人界でなくとも、役所は当然のように受け付けてくれた。
「みつるって、名前つけちゃだめ?」
「うん、いつか、別れる時が来ることを忘れないようにね…」
「うん…」
★☆別れ
あるアパート。
一階の二号室。
若い母親と2才の男の子が住んでいた。
電気もガスも止まっていた。
部屋の中に親子はいたが、部屋の中の温度は、外の気温と変わらなかった。
ふとんにくるまった母子、もう一週間以上何も食べてない。
子供の体は枯れ木のように痩せ細っていた。
母親は一年以上前に職を失い、貯金で食いつないできた。
職を探すために何度も足を棒のようにして探しまわったが、結果は思わしくなかった。
貯金で食いつなぐ期間が長くなればなるほど食生活を切り詰めざるをえず、四ヶ月ほど前からは、一日一食だった。
それも二十日前には全て使い果たしてしまい、今、食べ物を買う手持ちのお金は一銭も無かった。
子供が、目の落ち窪んだ顔を力なく母親へ向けて、呟くように言った。
「おかあさん…ごはん…」
「…う、うぅ…」
それが子供の最後の言葉だった。
母は子供に、何もこたえてやれなかった。
子供は、その言葉を最後に母のもとから去っていった。
それから一日以上、ゆっくりと冷えていく子供の体を、母は、いとおしく暖め続けた。
風の冷たい12月だった。
母は、子のためにかなり長い間、涙を流すことができたようだった…
塀の上に白い猫がいた。
母親は、暗く寒い部屋で、布団にくるまって冷たくなって枯れ木のように痩せ細った子供を抱き締めて涙を流し続けていた。
猫は、塀の上からじっと母親の顔を見つめていた。
★☆東京へ
ふみな一路東京へ
“遺蔵”は追撃のプロだった。
諦めていなかった。
ふみな、泣きながら走る。
まさやのことが大好きになってた自分に気が付いた。
所々に穴のあいた鋪装道路に出た。
地番表示がある。
『東京都大手舞区下砧3丁目』
野菜の無人売店がいくつかあった。
少女が必死で操作する、二足バイクと、ケーブルでつながれたホバートラックは坂を登った。
道の両側に桜の樹が並んでいた。
花が満開で、道の上は薄桃色のトンネルだった。
花のトンネルの隙間から、かすかに太陽が見えた。
太陽は高度を変えずに照らし続けた。
太陽は、少女を照らしながら、二つに分裂し始めていた。
ふみなは、タケヒデから、小型の電子計算機をもらっていた。
気持ち悪いむっつりすけべだと思ったが、そいつが自分にくれた、こんな小さな電子計算機の魅力にはすっかり虜になっていた。
タケヒデのくれた電子計算機には、いくつかの方術式が入っていた。
もっと触りたかったが、まさやのことで、自分を見失ってしまいそうになる不安の方が滅茶苦茶大きかった。
遺蔵が牙を剥いた。
「おおおおおおおおおおおおお、、おお、お、おおんおんおんおんおんおんおんおんおんおんおんおんな、おんな、お、女女女女女女女女女女女女、つつつつつつつ、つか、つか、つかまえ…」
峨のアクセルを捻った。
「ここここここここここここここ、こ、ここ、ここここ、ここここの、この、この、このこの、このこの、このこの、この女この、この女この、この女、さささささささささささささささんさんさんさん讃苦、讃苦、讃苦讃苦のののの、いけいけいけ生け贄…」
分かりやすい奴だった。
商店街があるところまで、
《警部、こちら移動11》
「あら文ちゃん」
《下砧2丁目の商店街を餓鬼の装甲バイクが爆走中ぅ》
「なにぃ?」
《追っ払う?》
「うん、お願いっ、すぐ行くわ」
《了解》
「そこの峨、停まりなさい。」
40キロ規制のところを100キロ出していた。
峨は、車線が増えて車がいなくなる所を見つけると、滑空翼を広げ、竜のしっぽを持ち上げて滑空を始めた。
昼間の商店街で非常識極まりないやつだ。
しっぽの付け根に空気ジェットの噴射口がある。
警部は一気に120キロまで加速すると同時に催涙弾をぶっ放した。
遺蔵、あっさりつかまる。
「そそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそ、そこの、そこの、そこの、そこの、おん、女ぁ、」
「え?」
「そそそそそそそそそ、そこの、そこの、そこの、そこの、おん、女ぁおん、女ぁ、おん、女ぁ、おん、女ぁ、おん、女ぁ、」
「何ぃ?」
「いいいいいいいいいいいいいいいいいいい、いいおんなぁぁぁぁぁぁぁぁ…」
「はいはい、わかったから事情は署で聞きましょうね」
「あ~~~~~~~~~~~~さん、さん、さん、さんさん、さんさん、さんさん、さんさん、さんく、さんく、さんくぅ…」
「何だってぇ?」
…
へなへなのふみな、目の前に東京が開けていた。
くたくたに疲れていた。
その日はそのままそこで寝る。
☆★ただいま
東京、12の区からなる人口520万人ほどのオアシス都市だった。
ビルの間を縫って三層の高架道路が走っていた。
ビル名称設定注意。
ここは、天界出身の人間、餓鬼界出身の人間、頻賀、精霊、龍等が、好き勝手にそれなりに秩序を保ちながら住む街だった。
それぞれの区で、物語りの展開と変化注意。
お金、言葉、習慣
環状線、放射線(通勤線)
交通違反の取り締まりをやっている白バイがいたが、実は餓鬼だった。
違反者、スクーターにのった女子大生。
白バイ、切符を切るのと引き換えに関係を強要。
大形のバイクが一台通りかかる。
御家人という名称の1000ccクラス大形車だった。
法律事務所を経営している竜人(龍樹韻)。
龍人、にこやかに白バイ警官の手を握る。
「お勤め御苦労様です。」
「お、おぉ、」
白バイの手が白煙をあげ出した。
「お、おおおおお、」
白バイ、顔が崩れかけたので、慌てて俯いて両手をあてる。
こいつはこの時のことをかなり根にもったらしい。
白バイ
「ぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつ…」
身長2メートル近い細みの涼やかな面立ちである。
3つ揃えのスーツの上ライダージャケットを着込んでいた。
ヘルメットを脱ぐ。
オールバックで胸元まで届く長髪である。
道路脇の公園で遊んでいた頻賀が何人(匹?)か飛んできて、物珍しそうに野次馬になっていた。
竜人には頻賀の助手がいた。
サイドカー(?)よろしくハンドルの上にその助手用の席があった。
一般に頻賀はすべて空を飛べるが、主人につきあってバイクに乗るときはヘルメットをかぶる。
交通事故にあって意識不明の重体になった頻賀もいるのだ。
安全に対する備えは大切である。
助手はヘルメットをつけたまま舞い上がり、
「はい、見せ物じゃありませんよ、はい、あっち行って、しっしっしっしっ…」
竜人は、事情が飲み込めない女子大生に優しい言葉をかけた。
「気をつけていきなさいね、」
「は、あぁ、はい、ありがとうございます」
女子大生、白バイが餓鬼だとは気が着かないまま。
ふみな、町並みを横切って、養父母の家に行く。
「ただいま、お父さん」
「お、お母さん、ふみなだ、ふみなが帰ってきた」
「ただいま、お母さん」
「おお、ふみなや、元気でよく帰ってきたねえ…」
老母は、少女を抱き上げてほお擦りをした。
☆★定食、大岩屋
☆★子ども達
ふみな、小学校の帰りに買い物にいった。
その途中…
神区と中山区の間あたりに商店街あり、みつるを保護した夫婦とふみな、ばったり出会う。
みつると予感が引き合う。
「こんにちは」
「まあ」
「子守りさせてください」
「まあ、たすかるわ、お給金はどうしようかしら、」
「」
☆★木村文巡査部長と澄眠佐和子警部
東京都都島区、都島中央署署長室。
署長が電話をうけていた。
『うまくいきそうですぜ、それからうちの息子の免許、どうか傷がつかないように』
「ええ、わかってますよ」
電話の主は宇極だった。
今月は、都内の交通事故撲滅強化月間だった。
今朝も、交通安全の新しくポスターが刷り上がって、関連事業所に届けたばかりだったが、その印刷屋の親父が、自分の道楽息子の尻拭いで交通違反の揉み消し祈願である。
しかし、宇極にとって、それは別にどうということはない、気さくな知り合いに頼む程度のことでしかなかった。
署長の体臭は、ニコチンと腐った汗の臭いだった。
バーコード風のヘアスタイルに整髪油が、ネオンのように輝いている。
いかにもセクハラなら任せろ、といわんばかりの下卑た体臭おやじだった。
宇極からの電話をとるやいなや、その臭いは部屋中に広がった。
それは、普通の人間だったら、鼻を押さえずにはいられないほどの悪臭だった。
受話器を置くと、署長は舌を出した。
宇極の台詞に舌を出したのではなく、今朝食べたものが歯についていたので、掃除をしようとしていたらしい。
ひとしきりぐにゅぐにゅぐにゅっと動かしたあと、外へ出した。
驚くほど長く、ネクタイの結び目の下まで届き、さらに先が数本に別れミミズのようにくねくねと動いていた。
普通の人間ではなかった…
餓鬼だった。
署長室が、完全に独りきりになれるプライベートルームだからできる痴態だった。
署長はソファから立ち上がり、鏡の前でネクタイを直した。
窓を開けた。
自分の体臭の事は当然知っているから、秘書が入ってきた時等のためのそれなりの配慮である。
署長、朝礼に立つ。
「えー、昨今の都市部犯罪の増加にかんがみ~」
木村と澄眠の二人、とんでもない所へ来ちゃったなぁ…
二人レポートをまとめている。
通りへうどんを食いに出かける。
通り、江戸前風、通
オネアミスの下町風
「あ~あ、あのおっさん、餓鬼だよ。」
「ばればれね、あれじゃ…ねえ、お腹すいたからおうどん食べにいこ♡」
「うん」
『都うどん』住所地番表示注意
かけうどん80円 天ぷらうどん150円 おにぎり各種20円 だんご10円 あんこ付き15円
「いらっしゃいませー」
明るい声が飛んできた。
真っ白い割烹着を身につけ、白足袋姿の身長12センチくらいの女の子が、注文を聞きにきた。
当然、空中を飛んで、である。
背中の羽根が、蓮の花の形に開く華族の子である。
二人の目の前に浮かび木製のクリップボードと筆を持っている。
にこにこしながら、再度尋ねた。
「いらっしゃいませ、御注文何にしましょう。」
「わぁ、びっくりした、あなた華族の子ね、」
「ええ、珍しいっていわれるんですけどね、ここらへんじゃ、」
店の女主人が出てきた。
白割烹着の子は、二人の目の前で、ふわー、ふわー、と浮いていた。
「あら、木村さん、澄眠さんいらっしゃい」
「どうもぉ」
女主人が浮いている給仕の女の子に二人を紹介した。
「こちら、都島中央署にお勤めの木村さんと澄眠さん。」
「はっじめましてー、すみれで~~~すっ」
頻賀の少女は、気取って敬礼で応えた。
女主人は、お昼時にはつき合いの長い警部の出身を確認するように聞いた。
「阿須ヶ乃宮から出向でしたっけ、」
「ええ、」
「あたしは榊宮で~す。」
木村巡査部長が応えた。
二人の出身は違う。
阿須ヶ乃宮は
榊宮は
東京の人間は、阿須ヶ乃宮や、榊宮を普通、天界という。
天上界、という意味か、と聞かれれば、それに対するはっきりした答えは無い。
二人が神様か、といわれればそんなことはないただの人間であり、警察の職についている職業人である。阿須ヶ乃宮や榊宮も東京と全く変わらない町並みが広がる都市であり、同じような産業構造と生活がそこにはある。そもそも向こうにも警察機構があるため、東京と連係行動を行うわけであるが、その目的は、また別の機会に語られるべきであろう。
では、何をもって天界とよぶのか、といえば、波動の質の違いだった。
阿須ヶ乃宮や榊宮のある場所の波動は東京よりも遥かに澄んで清純なものだった。
それは、東京と、餓鬼の都市である塊退との違いにもいえるもっとも大きな共通点である。
その波動の違いこそ絶対的なものであり、東京の人間が誰でも彼でも天界に行けない、という現実がある。
行き来のできる人間は、むしろ少数派なのである…
「あたしはてんぷらうどん、もらおうかしら、たまご入れてね。」
「あたしもそうする。あとおにぎり、おかかとしゃけね、」
「そうか、じゃ、あたしはしゃけとたらこね。」
「はい、ありがとうございますぅ」
給仕の頻賀は、彼女専用の小さい筆で、さらさらさらと伝票に書き込んだ。
そして、
「御注文くり返させていただきま~す、木村さま、てんぷらうどん、たまご入り、おにぎりおかかとしゃけ、200円です。」
「はい」
「澄眠さま、てんぷらうどん、たまご入り、おにぎりたらことしゃけ、200円です。」
「はい」
頻賀の女の子は、くるっと向きを変えると、厨房へすっ飛んでいった。
☆★大内裏
BMW水平対向型、メイントランク、サブトランク(サイド)あり。結界弾ランチャー、フロント、サイド照明 GPS(便宜上の呼称_霊界位置測距識位相芯)ありロールバー。シャフトドライブ、片もちアーム駆動
調査官はバイクを降り、書類ケースをもって玉砂利に設置された飛び石を進んだ。
呼び鈴がわりの銅鑼を鳴らす。
「大山臣尊さま、御在宅でしょうか、」
「おお、おお、御苦労じゃのう、遠路はるばる…」
調査官は、書類の入ったケースを出した。
「ありがとうございます」
「東京はどうじゃな?」
「荒んでますな、バイク飛ばしてみて回るぶんには面白いですけどね、」
調査官は声なく笑った。
「うぉっほっ…なるほどの」
「東京西部での餓鬼の住民登録数、この二ヶ月で4倍に増えてますよ、それと未解決の誘拐がどうも増えているような、」
「どう見る、お主は?」
「餓鬼にインタビューしてまわりますか。」
調査官は、唇の端だけをゆがめて笑った。
これは、彼なりのユーモアだった。
「もとより餓鬼は、話の通じる相手ではないからのぅ。死をもって示す以外に奴らの心に訴える術などありはせん…」
「そういうものなんですかね」
調査官は尊の言葉を追認するように言葉を発した。
「だから餓鬼なんじゃよ」
「…」
「餓鬼とはな、餓鬼という名の姿であり有り様そのものなんじゃ。」
☆★変化
ふみなは、みつるをおぶって中山区中央恩賜公園へやってきた。
小学校は、無断欠席してきた。
(別に今日が始めてではなかったけど)
先生が嫌だったから。
口を開けば、たかが小学生相手に、
「有名大学へ行くんだ、そうでなければ生きてる意味が無いんだ!」
と執拗にくり返す。
長期欠席ばかりしているふみなにしてみれば、
「あんな落ちこぼれになってはいけません。」
などと、あからさまに言われているのも彼女は知っていた。
同じクラスの大くん(かなり餓鬼大将っぽい)なんかは、
「あの先公、きっと餓鬼だぜ…」
なんていってくれてるくらいだし、ふみなもその確信はもっていた。
だったら、みつるの子守りでこの子にいろんなものを見せてあげる方がよっぽどいいな、と思っていた。
ま、だからといって無断欠席を推奨するわけではないが、うざったい餓鬼
大人の顔を一日中見るくらいなら外をあっちこっち見て歩いた方がよっぽどいい。
大きな公園の標識が見えた。
住所は、中山区下中山郭1ー2ー3。
地下鉄の神中央線の公園前下車で徒歩5分ほど。明神街道と上立線の交差点を目安にして進むと恩賜公園入り口が見つけやすい。
もうすぐ正午になろうとする時間帯である。
たくさんの人が寛いでいた。
キャラバンが公園の駐車場で小休止していた。
“外”の交易から帰ってくる集団のバザー開催地も兼ねるので、一般的に公園はどこも広大な敷地を誇っていた。役所もそれを目的とした整備計画を実施するわけである。
ふみな達とは違うパーティだったが、知り合いもいた。
貨物コンテナや、キャンバスシートで包んだ荷物を多数くくりつけたギャタイが何機もいる。
パーティの機体編成内訳。
阿が1機。
推奨出力値: 臨海出力値: 全高8.7メートル 全備重量 最大歩行速度 パイロット ペイロード 識層核 識層核演算臨界定数 輸送型にカスタマイズした士が4機。
士の背部には長く伸びた貨物室があるが、貨物室の屋根にも小型のクレーンやら何やら取り付けてあった。
ホバートラックの隷が4機。
これは、ふみなも使ってるものだった。
航空機型の覇が1機。
覇は、垂直上昇も可能であり、阿の飛行運搬機としても可能である。
単独であれば遷音速まで加速できる。
推奨出力値: 臨海出力値: 全高 全長 全幅 全備重量 巡航速度 パイロット ペイロード 識層核 識層核演算臨界定数
ギャタイの中には、低速空中移動の出来るものが多かったので、都内の信号器機は、空中移動の交通機関に対する標識機能も備えていた。
パーティの総勢は12人ほど。少年8人に少女4人だった。
ふみなのような気楽なひとり旅ではなく、何がしかの交易収入も考えているようである。
キャラバンに近寄ってくる一人の男がいた。
異常に太って背骨が曲がっている。
上前歯が欠けて、無精髭だらけだった。
眼鏡をかけて、堅く張り付いた笑顔を浮かべていた。
妙な体臭があった。
リーダー格の少年が男を見た。手が自分の腕に装着してあるボーガンに伸びた。
「えへ」
男は、少し鼻に抜けた下品な含み笑いを浮かべて、手を伸ばした。
「こいつ、餓鬼だ、散れっ、」
少年が怒鳴った。
少年達は、追い散らされた野良猫のように、あっと言う間に散会した。
次々にショットガンを構えるもの。ボーガンを構えるもの。
正体を見破られた男は、へらへら笑いながら、顔が崩れだした。
数日前、大岩屋で、レバニラを食いながら、ネコ鍋を悔い損ねたあの方術策定士である。
彼は、電子計算機上で独りで行う遊びを作っていた。
餓鬼と呼ばれる連中は、定義上は立派な人間である。
犯罪や、反社会的行動を取らなければ、彼らは普通に一般市民として東京に住むことができる。役所も、彼らが塊退から出稼ぎに来ている、等の理由で差別することは無いが、本性が餓鬼であることは、明確に区別されるべきことだった。
彼らは、自己中心的な快楽波動をなによりも好み、彼らの肉体はこの波動を受けて容易に変形する…
その上前歯が欠けた男は、片目が流れ出すようにしてわずかにずり落ち、元の大きさの三倍ほどまで腫れ上がったかとおもうと、いきなり両手を伸ばして襲い掛かってきた。
異様な体臭は、腐敗した生ゴミにニコチンをぶち込んだような凄まじい悪臭に変わっていた。
変化を始めたこの男に気付いた近くのベンチで寝ていた男の何人かが、起き上がって近寄ってきた。
「すかした連中だぁ~」
労務者風の脂肪だぶだぶの男や浮浪者風の男がいたが、かん高い声で、聞き取れない声で喋る老婆もいた。
「お仕置き必要だろう、なー、躾けがなってない子供はお仕置きが必要だぁ~…」
「親がいねえ子はしょうがねえなぁ、ったく、」
「すかしてる、すかしてるぞ~」
と怒鳴り散らしていた労務者風の男は、逃げおくれた少年の一人に、いきなり殴りかかってきた。
この男も餓鬼だった。
少年は、一度は身を躱したが、次には男に羽交い締めにされてしまった。
3機のホバートラックには旋回機銃が装備してあった。
その内の1機に少女が飛び乗り、片腕で機銃を操りながら、トラックを横ばいさせ、男に向かって威嚇射撃を続けた。
少女は、労務者の足下数十センチの距離で、正確に跳弾させている。
労務者が少年を放すのと、リーダーが、労務者の腕にボーガンを打ち込むのがほとんど同じだった。
「うおおおお…」
男の悲鳴は、東京の人間のそれではなかった。
低周波の獣の叫び声を、さらに機械的に何かとミキシングしたような、音だった。
羽交い締めにされていた少年が、すかさずすり抜けて、自分の機体に駆け寄った。
「べ~」
少年は、ボーガンを打ち込まれた餓鬼に舌を出した。
パーティの全少年少女は、すべて、持ち場に付いていた。
リーダーの少年が合図をした。
「撤収するぞ」
「おう」
すかしてる、気に入らない、等の因縁つけ、しかし、
アウトローを殺しても免責になることが多いのを知っての狼藉だった。
「」
水子達、リーダーの手馴れた指揮で、あっと言う間に餓鬼達をノシて立ち去る。
報道、警察後手後手、
ふみな、木の陰に身を寄せて、みつるを抱き締めて一部始終を見ていた。
「んだぁ~、まぁぶぅ」
「うふふ、面白いの?」
「んまう、まあああ!」
「おやつ、たべまちょうね~」
ふみなは、みつるの養父母から渡されている飴玉をむいて、みつるの口に入れてあげた。
「あむぅ、む~む~、むだぁ…」
キャラバンのギャタイは、次々に駆動系を起動させて、移動を始めた。
隊列を組んで、駐車場の入り口から車道へ出る。
士が、1機、ふみなの脇を通り過ぎる時に、貨物室の上のクレーン操作デッキに乗って指揮をしていた少年が、ふみなに気付いた。
ふみなも、軽く会釈を返した。
テレビ報道
「公園で暴動がありました」
☆★“モノ”
23話,餓鬼婆婆亜
残業も無く、そのくたびれたサラリーマン二人は、仕事のストレスを酒を飲んで晴らす、といういつも通りの日課を終えて、すっかり足下もおぼつかなくなり、地下鉄の駅への近道を歩いていた。
「うい~~、おれのかーちゃんはおこりんぼ、とくら、」
「え~~~、ひっ、く、課長のかーちゃんはおこりんぼなんすか、ひっく、うげ~~~~」
連れは、からもうとしてそのままさっきまで食べたものを吐き出し、道にぶちまけてしまった。
雨が少し強くなったようだ。
狂言町6丁目5番地。
ここは、表通りの客引きの凄まじい声も遠吠え程度にしか聞こえなかった。
空気の色が変わった。
どさっ
「げははははははははぎゃは、ぎゃは、ぎゃはははははぎゃはははは、ぎゃはははぎゃははははははははは…」
どさっどさ
「げはははははははは…」
どさっ
何かが目の前に落ちてきた。
それは巨大な顔だった。
「げはははははぎゃは、ぎゃは、ぎゃはは、ぎゃはははぎゃははははははははは…」
というより…顔だけだった。
二人の目の前に、上目がちに目を向いてばか笑いを続ける巨大な顔があった。
金髪のセミロングヘアなのだが、顔の横幅だけで3メートルはあった。しかし首から下は無く、髪の毛を雨の中にぶちまけて、ばか笑いしながらもぞもぞと動くだけだった。
顔は、まっくろに日焼けした肌に目もとと唇を紫で抜いてある。
「うわー」
部下は腰が抜けてただ後じさるだけ。
課長は、雨に濡れた鞄を両手でかき回し、こういう時にいちばん効くものを取り出した。
雨が一気に強くなり、バケツの底を抜いたようになった。
取り出したのはグロ除けのお札だった。
このばか笑いを続ける巨大な顔の妖をグロという。
お札は、縦長の半紙に墨で、真言と結界図形を大書したものだった。
しかし、課長の頭は、まだアルコールの影響を脱していなかった。
それ以前に、こんなでかい妖を見るのも始めてだった、という情状酌量の余地はあったともいえる。
凄まじい雨の中に、半紙をむき出しのままさらせばどうなるかまで判断は及ばなかった。
護符は、雨をたっぷりと染み込ませ、もろもろっと千切れてしまった。
「ぎゃはははははっげはははははははは…」
「ひ」
「げははははははははげははははははははげははははははははげはははははははは…」
「伏せて」
ぱしゅっ
銃声が響いた。
「危ないっ、伏せて、」
ぱしゅっ
ぱしゅっぱしゅっ
「お怪我ありませんか。」
雨合羽を着た二人の婦警の手馴れた作業で、“モノ”は仕留められた。
グロが一匹に、グロの小型版であるしろ抜きが6匹もいた。
白抜きは、大きいもので1メートルくらい。日焼けした顔はグロと同じだったが、おでこの髪の生え際あたりから手が生えていた。
“モノ”は、まだ7.7mm結界弾の赤い弾子をおでこやほっぺたに突き刺したまま唸っていたが、あと数分ですべて消滅するだろう。
「最近よく出ますね、警部、」
「そうね、」
「お怪我はありませんか」
「はあ、まあ」
「こいつらは完全に祓っときましたから、あなた方に障りをなすことはありません。あ、それから、グロ除けのお札は、こういう日は、ビニール袋へ入れてかざした方がいいですね」
「ど、どうも、御親切に、ありがとうございます。」
課長も部下もずぶ濡れで、すっかり傘を広げるのも忘れたままだった。
二人とも、ほっとした表情を隠しようがなかった。
木村巡査部長がスクーターのサドル下からタオルを出して二人に渡す。
「ちょっと臭いかもしれませんけど、お使いください。」
「す、すいません…」
どしゃぶりの雨が小降りになった。
かすかに香の匂いがたちこめ、下卑た客引きの声がまるで音量が絞られるようにして聞こえなくなった。
浄められた空気は、その様子を例えるなら、深山幽谷の峻厳な空気のそれに近い。
不浄な妖のもつねっとりとして腐臭をはなつそれとは、全く別のものである。
一人の男が傘を差して歩いてきた。
ビニールシートで包まれた画板をもっている。
穏やかな表情をした男は、婦警二人もよく知っている人物だった。
一つ重要なことは、彼は人間ではなかった、ということ。
「東京の“モノ”は下等な連中が増えてるような気がするなぁ…。」
男は、ため息まじりに呟いた。
悉有とは、龍神系の“モノ”だった。
人の姿をかりて、人との交わりの中に東京の結界を護持する。
彼らが、人の姿の変化を解除すると、その身長はなんと1000メートルを超えると言われていた。東京の人間にとって、変化をするものは比較的身近なものだったが、それでも1000メートルの変化をみることなど一生に一回も無いだろう。
人の姿に変化して結界を護持する“モノ”は、数は少ない。悉有族の数ともなれば、東京都内では10人もいないはずだった。
それでも、そういった変化が身近に存在し、機会あれば、言葉をかわすこともできる…これが東京の生活だった。
御岳精充朗氏、悉有族の油絵画家だった。
絵画教室の講師を終えて帰る途中だったらしい。
変化を解くと1000メートルを超える姿形になる、などとは想像すらできない、穏やかな顔だちの30代の男性だった。
紺色の厚手の上着にTシャツ、ジーパン姿だった。
警察のネットには、都内全域に居を構える龍人の氏名住所連絡先はすべて登録されてあった。
男は、二人に声をかけた。
「私の知り合いに、祈りによって、“向こう”が見えるものがいますが、」
「それって、前世とか、来世とか、」
木村巡査部長が、おそるおそる聞いた。
「そう、前世や来世と縁を結びたがる餓鬼が、最近、凄まじい勢いで、増えているようですよ…」
「何でですかねえ。」
警部が自嘲ぎみに尋ねた。
木村は、どちらかといえば、夢見る少女を内面に持つタイプであり、澄眠は徹底した現実主義者だった。
「私とて、この世の縁に縛られる存在ですから詳しくはわかりませんが、その知り合いによればこの東京に出てくるよりも遥かに我欲を満たすことができるのだとか…」
「あいつら、足る、ということを知らねえからな…」
三人のいる場所から、都島区の官庁街が見えていた。
すすき野が、雨合羽を被ったまま、二人の婦警の前を、猛スピードですっ飛んでいった。
もうすぐ、民放、霞テレビ夜11:00放映の『あなたの町の有名人』が始まる。
10話★触れない…☆
☆★塊退
ここ一万年ほどの間に餓鬼界の都市が拡張していた。
もともと餓鬼の蠢くこの世界には、都市そのものが存在していなかった。
餓鬼は、忌むべき存在として認知されていたが、その存在自体が、畏れ、そのものであったともいえる。
ひたすら楽的刺激を求め、求め続けることに執着し、執着し続けることにおいて他を否定し、己の基盤をも否定する。餓鬼同士が交わす会話こそ、音声を仲介した会話としては最低まで退化したものだった。それでも猿や獣にならないのは、言葉をあやつれる肉体をもっていたからにほかならない。
汚辱のカオスともいうべきこの世界に都市が自然発生してきたのは、欲を増幅させるシステムとして都市が効果的だったからである。
餓鬼の世界観に他者というものは存在しない。
自己を中心とした世界観の構築以外に意味を見いだせない次元に存在するのが、餓鬼である。
餓鬼は、自己の痛みには関心があるが、他者の痛みには一切関心が無い。
他者に関心があるのは、他者の行動が自己の利益に影響を与える可能性のある時だけだった。自己と他者との調和と安定も存在しえないものであったし、当然ながら餓鬼の都市は、この世界観の具現化においてのみ存在していた。
餓鬼にとっての正義は、おのれに利益をもたらすことを保証する真実の体系だった。
餓鬼にとって基本的人権こそ至上の宝と考えられている根拠もそこにあった。
餓鬼にとって、この体系を学ぶことはインテリになることであり、社会的ステイタスの保証と富の獲得を意味していた。
政治家や、軍人、いわゆる塊退の指導者達がうまれてきた背景がここにある。正義を主張する他者が存在する場合、まずその他者の存在を否定するところに彼等は知的向上心をみせる。
遡って過去120年ほどの間に、塊退では20以上の基本的人権と、その尊厳を保証する法律に施行と改定がくり返されてきた。
餓鬼にとって、自己利益を否定する創造性はすべて悪だった。
悪は徹底的に断罪され、その行程は、あますところなく享楽に給される。
塊退の中心区である中塊退の交通の起点である獄門(地名)は、東京から南南西に向かって43.7115キロの位置にあった。
この数字は、阿須ヶ乃宮が常時飛ばしている警戒機の測距によるものである。餓鬼の領空から正式な数値を調べる手立ては、餓鬼の領域内にあるすべての波動の影響を免れることができず、実質的には存在しない。
☆★夢の話
少女は、養父母に頼まれた買い物を済ませるために、みつるをおぶったまま。コンビニエンスストアに寄った。
『イズミヤ』の看板を出していた。
コンビニ(今風万屋のイメージ)がある。数多い。コンビニで、精算を待たずに貪り食う餓鬼
「ただいまー」
「あら、みつるちゃん、御機嫌ね~」
「だぁ、んまぁまぶ…」
みつるは、少女といっしょにいると決して泣かなかった。
少女は、老夫婦に夢の話をはじめた。
「あのねえ、あたしねえ、最近よく夢見るの」
「へえ、眠れないの?」
「そんなんことないよ、夢の中にねぇ、女の大人の人が出てくるんだよ。でね、あたし、何か怒ってるの。」
「ふーん」
「でね、でね、あたし、その女の人にいっちゃうんだ。『あたしって、何で生まれなかったんだろうね?』って。」
「…」
「でね、そうするとね、その女の人はね、顔を覆って泣いちゃうの」
「あらまあ」
「ものすごく変な言葉でしょ、あたしって、こうして生きてるのにね」
「不思議な言葉だね。」
老母は、養女の言葉の一つ一つを楽しく受け止めていった。
「あたし、なんだかものすごく悪いことしたような気になっちゃってさぁ、その女の人に謝っちゃうんだ。」
「ふーん、ふみなはそんな歳になったんだ」
「?」
「いい夢だね」
「うん、ごめんねって謝るとね、その女の人は顔をあげて、あたしを抱き締めて優しくしてくれるの」
少女の顔は、愛らしく、活き活きとしていた。
「またその夢見たい?」
「うん、見たい!」
「でも夢だからなあ」
少女は嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「見れるかもしれないじゃない…」
少女にとって、夢は、新しい旅立ちの予感だった。
少女は、夢が語る豊なものを感じ、それを確かめるために旅に出る。
その時は、それほど遠くなかった。
☆★梅花老
齎藤は珍しい客を迎えていた。
梅花老、頻賀の工房都市、千穴の評議衆の一人で銘族の頻賀の女性である。
身長は、そう、13~14センチというところか。
紺色の絣の作務衣を着ていた。
御歳、二百歳近くには行っているはずだが、本人も忘れたといってはとぼけているし、まわりもそんな高齢だからといって特別扱いはしない。
僅かに腰が曲がっている程度で、言葉使いや動きも矍鑠としたもんである。
銘族の頻賀は、飛ぶ時に背中に羽根のかわりに、灯明のような形の光が現れる。
歳をとると、その光はだんだん弱くなる、とも言われていたが、梅花老の光は僅かに紫がかったもので、若い銘族とくらべてもなんら見劣りしないものだった。
「おばば、まずは新茶を」
「おお、すまんのう」
頻賀のお婆は、縦横30センチの緋毛氈の敷物の上に座布団を布き、ちょこんと正座をしている。
茶菓子は、頻賀のサイズに合わせた海苔せんべい。
すこし格式のある銘菓店に行けば、贈答品として揃うものである。
齎藤は、阿須ヶ乃宮大内裏直属の調査官としての隠された身分上、秘められた会談のための気づかいも欠かせなかった。
「わしもそろそろ若いもんに跡目を譲ろうと思うてな、」
「ほお、そりゃまた」
老いた頻賀は含むものがある笑みを浮かべた。
「わしの名前にもあるがのう、ここの梅はきれいじゃて、ひさしぶりに観にきたわけじゃよ」
「おばばさまは、まだ隠居の身分じゃありませんぜ。」
齎藤、お婆の空豆ほどの大きさの湯のみに、二杯目を注いだ。
溢れないようにするのがコツだった。
おばばは、細工を施した腕時計を見た。
齎藤から見れば、おばばの湯のみより小さなものだったから、回転している針を見極めるのも困難なものだったが、おばばにとっては気にいったものだった。
「あの子は、ほんとうに一人で行くつもりなんでしょうかねえ、」
「本人がそういっとるんじゃ、仕方あるまい」
話題の子供を二人して迎えにいくところだった。
「そろそろ来るころじゃのう」
「行きますか」
「うむ」
お婆は、座布団からふわっと舞い上がった。
明日香多急行線は、東京から南東に向かって伸びる複線電化の通勤路線だった。
電車が止まる。
二人が話題にしていた少女がおりてきた。
「東麻地汰、東麻地汰、御乗車はお早めに~~」
少女の背中の方から、駅員のアナウンスが響いてきた。
お婆は、種族の違いを超え、愛おしい孫を見つめるかのように、目を細めて、少女の顔の前にふわっと浮いた。
「ゆうきか、いくつになった?」
「13」
『ゆうき』と呼ばれた少女は、つぶらな瞳をしばたいて応えた。
「そうか…大きゅうなったのう…」
少女は、もう一歩も動けなかった。
ここへ座り込んで、もう何日たっただろうか。
昼間になれば40度以上になる日ざしを避けて、この半壊したコンクリートの講堂らしき建物へ逃げ込んでから、20日以上動いていなかったような気がした。
もう立ち上がる気力も無く、柱に身を寄せて、垂れ流しをするだけだった。
目がかすんでいたが、まだ見えていたのが、何か、不思議で平安な気持ちを呼び込んでいた。
お父さんもお母さんも何ヶ月も前に殺されてしまった。
殺したのは、あたし達とは違ってよくわからない言葉を話す肌の白い男たちだった。
何で、機関銃で虫を殺すように簡単に殺されたのか彼女にはまるで分からなかったが、あたしももうすぐお父さんやお母さんに会えるのかなと思った。
そう思うこと以外に楽しみを見いだせなかった。
彼女は時間の感覚が意味を為す人生を辞めようとしていたから、日付けにこだわる気もなかった。
左斜め前には一週間以上前に息を引き取った彼女の弟がいた。
まだ4才だった。
あっという間に腐って崩れていく弟の体を見ながら、人は死ぬとああなるのか、と感心しながらみていた記憶はある。
人の形を崩していく弟の形を確認するために、首を動かしたのも、3日前だった。
10日前、親切な大人が、彼女のお椀にお粥をわけてくれた。
弟といっしょに食べなさい、とか言ってくれたような気がした。
弟も、彼女も、慢性栄養失調のために食欲が無かった。
彼女は、何度となく口をつけようとしたが、やめてしまった。
今となっては、腐敗して、凄まじい臭いを発していた。
9才になったばかりの彼女には、飢餓の記憶しかなかった。
いつもお腹いっぱい食べたい、という思いしかなかった。
毎日毎日、逃げるように生きてきた。
楽しかった勉強も、学校の友だちも、少し辛かったけど、お父さんやお母さんの畑仕事の手伝いも、みんな無くなってしまった。
戦闘ヘリの爆音が機銃掃射の音とかぶさって、通りを嘗めていった。
かすかな人の悲鳴があったような気がした。
鎖の切れた十字架が少女の右手に握られていた。
右手の甲には何匹もの蠅がたかっていた。
“イエス様は、きっとお救いくださるんだ、信じて祈ろうね…”
お父さんは、村の教会に熱心に行っては、主イエス様への祈りを分かりやすい言葉で娘に話していた。
そのお父さんもお母さんも死んでしまった。
救いなんてどこにあるの。
崩れて穴の開いたコンクリートの天井から、真っ青な空が見えていた。
空は、汚いものが何も無くていいな。
あたしは、きっと、今のこの瞬間を忘れないと思う…
髪を肩口で短く切りそろえた、色のあさ黒い少女の胸元には、十字架の飾りがキラキラ光っていた。
目深に被った麦わら帽子の陰で、十字架の輝きがひときわ目立った。
「信じ合わないと成り立たんもんがあるじゃろう」
頻賀の老婆は、優しさと峻厳さを合わせた視線を少女に注いだ。
「うん」
「信じ合っていかなければ壊れてしまうもんは、」
「…」
「形の無い、目に見えないもののの方が多いもんじゃのう…」
賢く、思慮深い少女であることがわかっているから、言葉を深く選んでいく。
「うん」
「お父さんとお母さんの所へ行ってきたんじゃろ」
少女は、言葉には応えず、黙って頷いた。
ゆうきの養父母は、東麻地汰から五つ東京よりにある経陶に住んでいた。
梅花老は、少女が臨んできた既知の状況を暖かく解きほぐすように言葉を選んだ。
「頭が堅くてな、信じる努力をしようとしなくなった大人はな、たとえ餓鬼でなくとも毎日が諍いの虜となってしまうわな」
「あたし…そんなの、嫌…」
旅姿の少女は、頻賀の老婆の顔を見つめて、みるみる瞳を潤ませた…
「そうじゃろう、そうじゃろう…」
少女は口を引き結んで必死に堪えていたが、
「うわぁあ~~~~」
腰をぺたんとついて、大声で泣きだしてしまった。
旅の子供は、旅を終えて東京に還ると、しばらくは養父母の世話になる。
どの子がどの養父母に世話になるかは、すべて天のひき合わせだったが、幸せな引き合わせが全ての子供に訪れるとは限らなかった。
おばばは、ゆっくりと空中を移動し、うずくまって泣きじゃくるゆうきの頬に手をまわした。
「お主らみたいな旅を続ける子供らにな、託すわけじゃよ、」
「…」
頻賀の老人の表情は、限り無く深く優しかった。
「幸せに生きるための祈りをな…」
「…うん…」
4輛編成の車輛の出発のアナウンスが響いた。
「次は麻地汰中央、麻地汰中央、西麻地汰行きはお乗り換えです…」
齎藤はゆうきを抱き上げて右肩の上に乗せた。
少女は両足を揃え、左手を齋藤の左肩にまわした。
少し嬉しそうだった。
「塊退は危ないところだぞ。」
齎藤は、少女に念を押すように言った。
「わかってるよ。」
「…」
「でも、一度、見てみたい」
「そうか。」
少女は言葉少なに応えた。
少ない言葉とはうらはらに、表情は、元の精悍な旅の子供に戻っていた。
彼女は、前世の記憶を丸ごともっていた、数少ない子供だった。
前世の記憶が全く失われずに持っている、ということは、いくつかの超感覚をもっていることの証明でもあった。
大内裏は、そのような人材は年齢に関わらずマークしていた。
餓鬼の勢力を押さえることができる戦力になるからである。その戦略的展望は大内裏の審議官と齎藤の胸の内にだけ存在するものだった。
「ねえ、齎藤のおじさん、讃苦って知ってる?」
「知らん。」
実は知っていた。
しかし、このような会話で答えるべきではないのは基本中の基本であろう。
「ふーん」
「なんか見えてるのか?」
「うん、なんかものすごくおっきいものなんだよね、」
「…」
世の中には理というものがあり、その理にそった対処法というものがある。
少女もその理を学びつつある立場である、という点で、少女が見たものを、そのまま無批判に受容すべきではなかった。
「塊退へ行けば、その何かは、はっきりするんじゃろう?」
「うん」
お婆は、少女の肩のあたりを漂いながら、質問した。
「それとね“はるかな者”になれる子がいるよ、」
「なに!」
「うーんとね、かりょ、の集積地にちょっといたみたい。」
遥かな者とは、徳にあふれ、偉大な指導者になる資質をもった子供のことである。
あまり聞き慣れない言葉であるのは、もともと頻賀の伝承や口伝で使用されてきた言葉だからだ。
「でもそこから先はわかんないんだ…」
アパートの路地裏に白バイがいた。
あの女子大生にからんだ餓鬼の白バイだった。
☆★手掛かり
齎藤は、東京の南西に向かって伸びる九本樹街道に入った。
「つけてやがる、あの野郎…」
齎藤は、バックミラーに映る白バイの姿にある確信をもった。
前方に車の影が無くなったので、一気に加速した。
60キロ、70キロ、80キロ、100キロ、120キロ…
間隔が開かない。
今まで、2台置いて付いてきたのが一台置きになった。
あと数キロで摩川大橋を渡る。
車線が減って慢性的な渋滞がおこっている場所だった。
摩川大橋を越えてさらに南西へ進む。
九本樹街道も摩川大橋より西へ進むと、人家はかなりまばらになってきた。
麻地汰の西端を越えた。
カーブの続く街道沿いには、一面に栗の花の匂いが立ちこめていた。それは生臭く決して香気のあるものではなかったが、街道沿いの風物としては、今の時期無くてはならないものだった。
齎藤のバイクは、信号待ちで、少年が運転するホバートラックと並んだ。
少年は、トラックの運転台からバイクの齋藤に声をかけた。
「おじさん、ねぇ、齋藤のおじさんでしょ?」
「おう」
齋藤は、旅の子供には知られた顔だった。
「つけられてるね」
「わかるか」
「うん、あの白バイでしょ?」
「らしいな、」
「やっつけてやろうか?」
「おいおい、気持ちだけもらっとくよ、」
少年の申し出がはったりでない証拠に、少年のホバートラックには、満載した荷物を守るかのように二ケ所の機銃座があり、二人の少女が張り付いていた。
おそらく携帯n火器のごっついやつも持っているんだろう。
舗装の轍ができて、波打った路面。
危ない
酒、たばこ、お休み処の看板を出した店。緑色の太い芋虫のように広がるお茶畑。コンクリートで固められた橋を渡る一瞬に見える清流。
時折見える看板
『タイヤ交換します』『あんま1時間3000円』
齋藤は、道路脇に
加速した。
一気に160キロ
見えない空気の壁を突破し、バイザーの内側が水蒸気で曇った。
齎藤は、手で曇りをとった。
これで、人界と巡礼地との結界壁を越えた。
この空気の壁は、別に160キロで現れるというわけではなく、それより早くても遅くても現れた。
そして一度でも現れると、景色が一変する。
土地の波動が変わるのである。
その土地と縁を持つことのできる人間でなければ、経験することのできないことだった。
温帯の広葉樹林帯が一気に、乾燥地帯の岩石砂漠風になる。
湿度が激減した、というわけではなく、風化し損ねた岩石が猛烈に増えて、空気に暖かみが無くなってくる。
遥か遠方に、さっきまで雨をふらせていた雲の残片が、かなり大きな塊のまま浮いていた。
太陽は、ちょうどその雲の背後に隠れ、光の筋が雲の千切れた隙間や縁から幾筋も地上へ降り注いでいた。
地平線彼方まで続く岩石の丘陵地帯には、わずかな人家と、それをとりまくみすぼらしい屋敷森が点在するのみだった。
人の営みに対して、空気や大地が要求を突き付けてくる場所だった。
「」
「」
白バイが接近してきた。
カーブから齎藤を突き落とすつもりだ。
齎藤は減速する。
バックミラーごしに、一瞬、餓鬼のライダーの顔が見えた。
恍惚とした表情だった。
ヘルメットの顎のあたりから、流れ出すようによだれがしぶきを作っていた。
「お巡りの分際で気安く外道に堕ちやがって」
餓鬼も減速してきた。
餓鬼のライダーは、齋藤よりもひとまわり大柄だった。そして今は、興奮状態で変化が始まっている。体力勝負で退けられる相手ではないのは明白だった。
そして、かりょ、の集積地までは、まだ40キロあるのだ。
齋藤は、都島中央署の組織ぐるみの汚職に関してかなりのw情報お掴んでいたが、その口封じにこの白バイが出てきたのだとすれば、かなりとろい黒幕だと断定してもよかったと思っていた。
「千穴か、遠いな…」
調査官は、新たな闘志を滾らせてバイクを発進させた。
一日10時走り続けて4日かかる距離だった…
☆★『千穴』
藍川 大河である。
川幅は、五百メートルから、広いところでは優に数キロを越えていた。
緩やかな弧を描いて蛇行して流れていく様を確認するには、少なくとも高度二百メートル以上の上空から眺めなければだめだったろう。
遥か西部に連なる山脈のどれかに源流を発し、南東部に向かって無数の支流を集めて東京の市街を横切って海へ注ぐ。
この世界で、この大河を上流から下流まですべて見てきた人間は、ほとんどいないはずだった。
青い空に、僅かに青みがかかった濃緑色の川面に、南風が作る細波が時々思い出したように不思議な波紋を作る。
川岸には、人間世界との縁の薄い、親しみのある異世界が、色濃く残っていた。
森は暗く恐ろしいところだった。
森が暗く、畏れの場で有り続ける限り、妖と魔性が蠢くところだった。
森が明るくなり、木が切られて、空が簡単に見えるようになるほど、人が畏れを失い、人は自らの不安定な心に手綱をつけることができなくなる。
東京の町中に出没する妖精の生態について記した頻賀の紀行博物学者もいると聞く。
人ではない世界に踏み入れて観察する手立てのある連中の仕事であっても、おそらく、この森の中を一度見ることは、何がしかの価値を見い出すことにつながるだろう。
ブナや樫の落葉樹の原生林が果てしなく広がっている。
不思議なことに、単なるよく見知った木々であるはずなのだが、樹高は100メートルから300メートルを越えていた。
そして、奥へ足を踏み込めば踏み込むほど、樹高は数値を増し、やがては1000メートルに届くようになる。
300メートル以上の樹高を持つ木は、もはや、人間の日常の感覚で押しはかれる形をしていない。
それは樹皮をまとった山だった。
そして、その平均樹高200メートルを超える原生林の中を街道が走っていた。
街道幅およそ50メートル、上り下りそれぞれ2車線で、それぞれ外側が牛車、馬車、二足歩行機械等の車線、内側が2~4輪用の車線だった。
極めて堅い木を敷き詰めて鋪装し、植物性樹脂で隙間をくまなく塞いだ木製の高架街道である。
本道が、目の前に向かってのびていた。
太陽の光は、梢に遮られて僅かしか路面まで届いていなかったが、しっとりと濡れた空気の色を視界の中に描き出していた。
案内板があった。
それの大きさは縦10メートル、横20メートルくらいはあった。
『ようこそ千穴へ』
人口101.045人 妙界6年7月1日現在
特産品:時計/卓上電子計算機/識相核/識相周辺制御機器
ガラス工芸品/液晶、微細制御機器/木の実加工食品/漬け物
地酒:松酒『千碧』/ウリ酒『赤仙』
食品・酒類加工業者組合へのお問合せは:3440112222
評議衆第821代総代 樹州
評議衆へのお問合せは:3449031120
少年は落葉樹の切れ目に立ち、遥かに千穴を見渡した。
少年は、絶崖に差し挟まれて餓鬼界へ落ちたあと、餓鬼の町をいくつか抜け、頻賀の小さな工房の手伝いをしたり、集落地で農作業をやったりした。
ものすごく美人の女の人が隊長をやってる通商隊の用心棒を瑠の性能を見込まれてやったこともあった。
胸が大きく、威勢がよくて、この瑠をくれた精霊の女の人とはタイプの違った物凄い美人だった。
歳もあの時の精霊と同じくらいだった。
そして、少年は思ってもみない問題に直面した。
足の間が元気になって困るのである。
どうしよう…うまく歩けない…
とうとう思いあまってろーらんに相談した。
「そういう時はな、まさや、手でしごいてな、抜くんだ。」
ろーらんは、今にも笑いだしそうな顔を引き攣らせて答えてくれた。
「抜く?何を?」
こんな要領を得ない答えでは納得がいかない。
「ふひゃはははははははははははははははは…」
あとは笑って何も答えてくれなかった。
ちきしょぉ、これはきっと大人の秘密というやつなんだ…いつかきっと何を抜くのか突き止めてやる…少年は堅く決意した。
そしてその決意もすでに数カ月前のものとなりつつあった。
この時点で少年は、14才になっていた。
「ねえ、まさやって、今幾つだっけ。」
「えーとさ、ろーらんと始めて会ってからもう4年たってるよ」
「早えよなぁ」
女旅行家は、腕を組んで胡座を組んだまま、少年の顎の下にふわふわ浮かび、にっこりしながら少年に応えた。
「あそこか…」
まさや
「ねえ、ちょっと?」
「ここ、千穴だろ、オレ取次いでもらってくるわ」
ろーらんは少年の不安も顧みず、あっと言う間にすっ飛んでいった。
樹太郎は、一ヶ月程前に工房付きになった若い頻賀だった。
気合いは十分だった。
しかし年齢はまだ15才だったから、プロの職人技を誇るには、若すぎた、ともいえる。
短く切りそろえた髪を整髪油をべっちゃりつけたあとに櫛でビンビンに立て、はっぴを着て、帯をびしっと締める。
空中に浮かび、鏡の前で二三ポーズをとってみた。
「う~む、決まったな、」
ろーらんが、接待館の住所を聞いて回っていた。
樹太郎がその姿を見つけた。
“へえ、阿奈族の女の子だ♡”
千穴は人口10万のほとんどを、羽根が2対の阿汰族、3~6対の阿鋳族、羽根が灯明のような光の形で現れる銘族を占めていた。
羽根の見えない阿奈族は、交易商人か出稼ぎくらいしかいなかったはずである。
「お願いしまーす、すいませーん」
阿奈族の彼女は、お目当ての場所の名前を書いた板をもって、中腰のまま、あっちへつつーっと飛び、こっちへつつーっと飛び、しては聞き込みをくり返していた。
ここは、東京の文字と言葉がそのまま通じる。
樹太郎は羽根4対の阿汰族だった。
阿奈族の彼女にここは道を教えて男を上げるべきだと、彼はきっぱりと決断した。
「ねぇ、ちょっと、そこの彼女、」
「おれ?」
ろーらんは自分を指差してこちらを振り向いた。
うあ、結構いい女じゃん。
ロングヘアを4本の三つ編みにして垂らしてるところなんか異国情緒満点だ。
おまけにへそ出しルックに千穴じゃちょっとみかけない白のスニーカーである。
樹太郎の血圧は一気に上昇した。
瑠に無数の鳥がとまっていた。
瑠が、鳥のさえずりに合わせて歌っていた。
遥か上方の梢の間に煌めくように木もれ日があった。
まさやは、都市山門をくぐり抜けそのまま進んだ。
市場、
人間との交易を考えて作られた建物がいくつかあった。
頻賀にすれば、6階建ての建物が人間でいうところの1階建てである。
そこは、何十本もの柱が藁葺きの合掌作りの巨大な屋根を支える交易寄合所だった。
千穴は独自の工房をもっており、ギャタイのライセンスを行っていた。
ギャタイの主生産工房は、阿須ヶ乃宮であり、東京にあるいくつかのメーカーとここ千穴がライセンスを行っている。
ギャタイの外皮の特徴である霊木強化積層のノウハウの90%は公開されていたが、残りの非公開の部分において、阿須ヶ乃宮の機体が他をよせつけないところがあった。
千穴で生産されているギャタイをマ・ギャタイとよぶ。
マ・ギャタイの外皮はそのほとんどが石でできていた。
幾種類かの霊石の鉱脈が千穴の直下を走っており、2ケ所の露天掘りの鉱床から原石が供給されていた。
マ・ギャタイの霊石装甲は重量がかさむという弱点はあったが、加工された霊石は、れそれ自体が波動の蓄圧システムとなり、起動から10分以内の推力重量比曲線を比べれば、天界のギャタイを遥かに上回った
寄合所の応接の間は、頻賀と人間の話し合いを考慮して作られたところだった。
出てきたのは梅花老だった。
「おう、これはこれは、よう来なすった」
おばばは、まさやの顔を笑みを浮かべて空中をふわふわ舞いながら覗き込んだ。
「“遥かな者”じゃな、おぬし」
「なんですかそれ?」
「わはははは、まぁ、よいよい」
御老は、長生きはしてみるもんじゃわい、と内心御満悦だった…
原生林の中に、直径百メートルほどの巨大な穴が開いていた。
そこは、人やそれに類するものの居住地からは、どの方角からも少なくとも50キロは離れていた。
穴の底は見えない。
漆黒の墨を流しこんだ丸い池のようだった。
おそらく、この穴を掘った連中が設置したらしい探照灯が、僅かに穴の縁から数十メートルまでを照らしているだけだった。
穴の底から、きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…という音が聞こえてきた。
音の大きさがどんどん大きくなる。
女の絶叫のような爆音を響かせて加速した。
衝撃波で、落葉樹の梢がざわっと揺らめいた。
いきなり四つの巨大なものが、吐き出されるように飛び出した。
巨大な太鼓を叩き続ける時のような低周波の振動が回りに広がった。
それは大きな触覚を生やした甲虫のような形をしていた。
全高5メートルほど、頭部とおぼしきところから折れ曲がった長さ4メートルほどの触覚が2本生えている。
牙が生えた顔のような所を起点として、しめ縄がはり巡らされており、巨大な得体の知れない文字(おそらく餓鬼の呪だろう)を書き込んだ札がぶら下げてあった。
それは、穴から飛び出すと、4機とも低空飛行で、樹林帯の中を抜けるコースをとった。
衝撃波で枝の先が砕けるように吹き飛ばされていく。
ろーらんと逢い引きを終えて、次に会う約束をした樹太郎は輪番で物見役についていた。
千穴の主な市街は、ほとんどが原生林の樹海の中にあり、市街の半分ほどは樹海に隠れて見えなかった。しかしその中にあって、物見台は樹海の最高部からさらに数十メートル突出しており、監視台、遠方との光暗号通信、航空標識の役割をもっていた。
常勤の物見役が二人、樹太郎が非常勤だった。
遠眼鏡で確認。
「千造さん、あれ何だろね」
「何だ樹太郎」
「ちょっとこれ見てくださいよ」
遠眼鏡の中の交叉する距離円環の中に異様な飛行物体が舞い踊った。
千造は、ダイヤルを“測距”に合わせた。
この飛行物体は時速450キロ以上の速度でこちらへ向かってくる。
「何っ!」
千造は凍りついた。
いくぶん薄くなりかけた髪の生え際に、みるみる大粒の汗が浮かんだ。
千造は遠眼鏡を放さないまま怒鳴った。
「餓鬼だっ、おばばに知らせろっ」
「はいっ」
樹太郎は、錘につかまって、飛ぶように物見台の下へ向かった。
頻賀は空を飛べるから、下へ向かって急ぐ時はワイヤーに錘をつけてそれにつかまって急ぐ。
「お、お、お、おばおば、おばば、」
樹太郎は、応接間に転がり込むと、やみくもに口を開いたが言葉にならなかった。
「これ、落ち着くんじゃ、」
樹太郎は、湯のみを引っ付かむと、一気に飲み干した。
お婆のウリ酒だった。
樹太郎の顔はみるみる真っ赤になった。
少年は、腹の底から声を出した。
「何か変なのが飛んで来る。」
よっぽど恐怖だったらしい、まだ浮かびながらわなわな震えている。
「ん!」
梅花老は、樹太郎が震えながら差した方向を壁越しに凝視した。
何かが見えているようだった。
「蟆と婪、出せるだろ、」
お婆の直感に基づく要請だった。
「い?」
「ほれ、はっきりしな」
「あ、はい!」
樹太郎は、やっと恐怖を払い落としてしゃきっとしたようだった。
「組頭元締の竜の丞と長吉を呼びな!」
「はい~~~~」
樹太郎はころげるようにして飛び出していった。
お婆は伝声管に怒鳴った。
「襲撃じゃ、皆の衆、心せい!」
こおーん…こおーん…こおーん…こおーん…都市全域のスピーカーから、狼の遠吠えのような警戒警報が鳴り響いた。
南大門の市場で夕餉の惣菜を求めて買い物を楽しんでいた主婦たちは、散り散りになって逃げ回った
「みんな、逃げるのよー」
子供連れや、親の使いで子供達だけで買い物に来ている頻賀も多かった。
「きゃー」
評議衆の年老いた頻賀達が誘導に飛び回った。
「女子供は、場で包むんじゃ。」
中和結界と、火伏の印を切りながら評議衆のスタッフが飛び回ったが、それでも逃げおくれて火に巻かれる者が続出した。
「まさか餓鬼どもが実力行使に出てくるとはな、」
千穴は、平和な工房都市だった。
☆★迎撃
それが1機、降下した。
機体下部に括りつけた爆弾がはらはらと落ちた。
南の市場から評議衆の高床式議事堂に向かって爆発が走った。
人間の都市の寸法に換算してもかなり巨大な構造物がひしめく都市構造だったが、藁葺きの屋根や、木製の板葺きの屋根をそのまま巨大なビルに応用するのが、頻賀のやり方だった。
火伏の結界展開が始まった。
しかし、襲撃をうけたすべての場所に対しては、ほとんどが手後れだった。
別のやつも爆撃を始めた。
工房の特設ハンガーが開き、台車に乗せられた3機のマ・ギャタイが引き出された。
組頭元締の竜の丞は、舞うようにして、移動しながら、怒鳴った。
「佐輔」
「うっす」
「半次」
「はっ」
「助三郎」
「へい」
技師長クラスの頻賀が飛びながら応えた。
「いいか、舞い上がってからの機動は、見なし運動動作どおりやれ、いいな」
「は、」
三人の頻賀は、3機のギャタイに取り付いた。
佐輔が蟆の1号機、半次が蟆の2号機、助三郎が婪の1号機だった。
暖気と、機体駆動系張力制御担当の頻賀が各機に2~3人ずつとりついている。
襲撃者の機体が旋回しながら降下してきた。
千穴には、使えそうな対空砲火はほとんど無かった。
蟆の殻羽が広がった。
身長70センチほどの昆虫型の機体の背中から、片方に2約メートル程、両方合わせて4メートル以上にわたって半透明の羽が伸びた。
機体を取り囲んで、下降気流が爆発的に発生し、周囲10メートルほどの円周状にそって気流が吹き荒れた。
この3機のマ・ギャタイは実験機だった。
臨界出力値まで機体の出力があがるのにどうしても時間がかかる。
竜の丞は、クリップボードを抱えて浮かび、滝のような汗を流しながら出力表示を凝視していた。
次いで、婪の殻羽根が広がった。
佐可戸基地電探室
「司令、川島の原生林にギャタイ、」
「なんだと、識別信号は?」
「ありません」
「餓鬼か、かまわん、打ち落とせ」
スクランブルで急行すれば10分ほどの距離だった。
蟆の2号機が、襲撃者の100キロ爆弾を食らった。
至近弾だったが、機体を乗せていた台車がひっくり返り、起動用の液体水素に引火した。
あっという間に炎が爆発を伴い2号機を包んだ。
「半次を助けろ」
「急げ」
消化用の水桶を抱えてうろうろ飛び回るもの、延焼を食い止めるために火伏の法を招来して印を切るもの…
空槍、12000馬力の空冷星形エンジンを搭載した局地戦闘機である。
東京は都市国家である。
様々な縁のある他の都市国歌と経済連合体を形成しつつも、その国家観はかなり閉鎖的だった。
それは魂の修行場として約束された街だったからとでもいえよう。
そのため、都市防衛の装備は、都市の規模に応じ、また空軍に力をいれる都市、陸軍に力を入れる都市、防衛協定や全方位外交に力を入れる都市等様々だった。
空槍の5翅プロペラが回転を始めた。
強制冷却ファンの金属的な回転音と、エンジンの駆動音が一体となったどぅぉん、という爆音が響く。
前輪式の降着装置、滑走路の路面表示の後ろへ流れていく速度がみるみる早くなる。
前輪が地表を離れた。
機首が上がる。
揺れながら、機体全体が舞い上がった。
すぐさま、機体後部の下方に折り畳まれた垂直尾翼が展開される。
主翼付け根の整流部外鈑に装着された片方3基づつのロケットブースターに同時に点火した。
一気に機首をひき起こし上昇する。
遷音速まで加速する。
6本の火の矢で轟然と後押しされた空槍は、山内大佐の01、大西少尉の02、石川少尉の03の順で東へ向かった。
3機の空槍と、4機の襲撃者は、接敵コースで、正面からすれ違った。
相対速度で時速千キロを超えるすれ違いの瞬間、巨大な衝撃波の爆発があった。
「山内大佐、なんすかあれは?」
石川少尉の空槍03が右へ横転した。
それが火球を撃ってきた。
石川少尉の機体にギ・ギャタイの攻撃は間一髪それた。
さらに次が迫った。
「石川少尉、後ろだ!」
編隊指揮官の機体が左へ猛烈なバンクをとった。
石川の機体は山内大佐の機体斜め前方700メートルあたりにいた。
1機、石川少尉の機体後方についた。
さらに2機、あと1機は大西少尉の機体後方についた。
まずい…
ブースター点火
降下から、右へ捻る。
蟆と婪の推進力場は、千穴全体に展開してある結界の震動波を受けて、最大出力まで高まった。
一瞬、機体が光球と化し、直線的に舞い上がった。
竜の丞が、進行方向を指し示し吠えた。
「行けぇっ」
十数秒の間に二機は三百キロ以上まで加速し、千穴上空の襲撃者達の中に突っ込んでいった。
「半次のかたき!」
「熱くなるな佐輔」
二人の頻賀のパイロットは、我を忘れる寸前だった。
それの口とおぼしき所から火球がほとばしった。
山内大佐は、手袋をつけた左手で九字を切り、気合いを込めた音を放った。
それは機体の物理的な状態を瞬時にイメージし、ある程度の位相制御を可能ならしめるものだった。
火球は、山内大佐の機体を掠めて崩れ、消え去った。
現在機速480キロ、高度800メートルだった。
編隊指揮官の山内大佐は、通信機を口元に引き寄せて怒鳴った。
「あれは、ギ・ギャタイだ。」
『い!』
大西少尉の絶句が通信機の向こうにあった。
「油断するな」
石川少尉
「落ちろぉっ」
30ミリ機関砲で反撃、しかし逃げられる。
火線が、両翼から伸びた。
右、
左、
右斜め下、
緑色に赤いグロテスクな文様を書き込んだそれは、からかうように航路を震わせ続けた。
原生林の水平線が回転しながら近付く。
400メートル
300メートル
200メートル
ひき起こし
それはそのまま原生林に突っ込んだ。
木々の梢を吹っ飛ばして直進し、大爆発を起こした。
が、平然とひき起こしをかけて飛び出してきた。
大西少尉が1機の後ろをとった。
「餓鬼め」
少尉は、右手で操縦捍を握りながら、暴露結界の法力を招来した。
30ミリ機関砲の発射捍を引き絞った。
それは、特定の結界にかけられた法力の方術式を読み取って逆転させることができる。
主翼の下面から薬莢が吐き出された。
前方の機体の右上を30ミリ砲の火線が抉った。
強化霊土の装甲を覆っている餓鬼の呪が部分的に解けたらしく、くだけ散った粘土状の装甲土が空槍のキャノピーを叩いた。
「もう一丁!」
一回目で抉った傷が広がった。
餓鬼の機体は、いきなりスピンを始めて失速した。
佐輔の蟆は、1機のギ・ギャタイに照準をあわせ、数分もの間、それの螺旋航法を執拗にトレースし、ついに機体の頭の部分にしがみついた。
推進用の力場の震動が共振を起こして、コクピットを凄まじい激震が襲う。
佐輔は、意識が遠くなるのを必死で堪えながら、機体の右手首から先を、何度も敵の目に当る部分に叩き付けた。
…餓鬼の機体にはな、特別に邪法をもってかけられた力が蓄えられておる。これを逃がしてしまえば、機能を停止させるのはたやすいぞ…
梅花老の、講議を思い出していた。
「落ちろぉっ」
がんっ!
佐輔の最後の一撃が、襲撃者の機体の頭部をもぎ取り、動力伝達路らしき部品を一緒に引きむしった。
こいつは絶対生かしたまま捕まえる。
半次のかたきだ。
そして餓鬼が何故武力侵攻に出たのか…
装甲土がぼろぼろとはげ落ち、抵抗を止めた襲撃者の機体は、飛行しながら炎上を始めた。
佐輔は、火伏の印を切り、餓鬼の機体を抱えながら飛行を続け、一路、千穴の特設ハンガーデッキへ急いだ。
襲撃者のパイロット二名を捕虜とした。
「餓鬼は浅ましいものじゃ、かまってはならん…」
梅花老は、あらん限りの声をあげて、注意を喚起した。
その男は、正面から見ると右と左の肩の位置がずれていた。
正面から見ると頭と両手のバランスがかなり歪んで見える。
背中側に触手のようなものが生えている。
おそらく奇形か何かだろう。
パイロットスーツから半分以上包帯がはみ出し、化膿した膿の臭いが血の臭いと混じって吐き気を催すものを放っていた。
あまりに男の悪臭がひどいので、手持ちの香を炊いている頻賀もいた。
「へへ、へへへへへへへへへへ、へへへへへへへへへへへ、へへへへへへへへへへ、へへへへへへ、へへへへ…」
もう一人は、壊れたように薄ら笑いを続けるだけだった。
肩歪みの男がふてくされるようにして口を開いた。
「讃苦が目覚めたらオレたちゃやり放題だぜ」
「讃苦か、」
「まさか…」
甚大な被害を出しながらも辛うじて敵を退けた現場に、耳慣れない言葉が飛び交っていた。
「讃苦って、…おぬし讃苦と言ったのか。」
「讃苦をしらねえのかよ、だせえな」
「まずい、まずいぞ、」
「おばばさま、讃苦って何ですか?」
「うむ、まさやも来るがよい」
「絶じゃ、」
「ぜつ?」
「これを見るがよい、少年よ」
お婆は、伝承を保管する施設へ案内し、古文書を広げた。
そこは、千穴を訪れた人々のサイズに合わせたところではなかった。
「“モノ”というのはな、ここ頻賀の住む世界やら、東京、お主らが旅をする場所などいたる所にいる巨大な生き物のことじゃが、その中に絶と呼ばれるものがおった。」
黄ばんだ和紙を綴り合わせた古文書をお婆は広げた。
「昔な、全長21キロにも及ぶ“モノ”がいたんじゃ。」
「ええ~~~~!」
「おばば、それが讃苦!?」
その古文書は図鑑のようなものだった。
絶:
そは巨大なり。
天候不順好み、不吉なる色まき散らしたる。
全長数哩から数十哩。
現世人の言の葉、いと力富めりて、絶好みたり…
贄好む。
高波動の咒を込めたる結界弾、絶を封じたり 讃苦と呼ばれる絶あり…。 贄の人柱を確保して、逆さ護摩開きたる者、讃苦を手なづけたり
『森羅万象源泉之経全3巻』第2巻の第5章、讃苦なるものあり、八百五十年前の封印時にこれを記す。
「そうじゃ、かつてな、まだ東京、という名前の町ができる遥か前の話じゃが、その時、この讃苦は恐るべき被害をまき散らしてな、何十年もかけて封じたと、ここにある…」
少年は、頭が真っ白になりかけていた。
「おそらくは森羅万象源泉之経を手に入れたばか者が、召還陣をこさえたんじゃろう…」
「化燐を4機も放ってきたのは、この裏がおそらく真実だからじゃ」
お婆は、奇襲に使われたギ・ギャタイの識別名称を知っていた。
「お婆、あの大きさの絶を封じ込めるには…」
「そうじゃ、三八式ではだめじゃろう、四八式でいくか、それでだめなら圧を高めたものを新規に作らねばならん」
竜の丞
「あやつの体長から結界弾の推定圧と必要な個数を計算してみましょう。」
「たのむぞ、竜」
「はっ」
評議衆総代の樹州が進みでた。
「齎藤よ、千穴は、讃苦を封じるための結界弾の製造に入る。おそらく時間も数も足りんじゃろう。お主は、いち早くこのことを東京に知らせい!」
「了解」
調査官を見送る。
梅花老が少年に書簡を手渡した。
「少年よ、この書簡をじれるだかりやの長、徳永に渡してくれんか」
「わかりました、おばばさま」
「うむ」
齎藤はバイクをスタートさせていた。
「司令に、碑を1機まわしてもらおう、それにきみの瑠を積んでいけば安心だろう。」
ろーらん
「なんかすごいことになってきたな」
「ぼく、こういうの好きだよ」
「それでこそ男だぜ」
旅行家は、また鳴りものを取り出そうとしたが、やめておいた。
☆★阿須ヶ乃宮工房にて
遥か東方、日光峰と月光峰の間を隔てて雲の下に霞む東京の姿がおぼろげに見えた。
高原地帯のイメージ。明るくきれいな道が続く。
榊宮のさらに北にある工房都市。人口20万くらい。
全都市、伊勢神宮のような雰囲気
工房にて。
「親方ぁ、ここんとこ鉋かけました」
「おう」
白い山羊ひげをはやした束帯姿の矍鑠たる老人が、つかつかと歩いてきた。
「だめじゃ、まだまだじゃの」
親方は、ギャタイの外装を持ち上げて、斜めにすかして見る。
「ん…」
「ほれ、ここじゃ、な」
親方は、指をつつーっと外装板の縁にそって走らせた。
「あ」
「な、曲がっとるじゃろ」
「ん~」
「ギャタイの外装は、これではだめじゃ」
「この霊木の合板をな、これから88回の硬化処理を重ねて仕上げる。削りの歪みは極限まで許されんのじゃよ。」
「そうすか…」
「識相の核を組み上げる時なんぞはの、一刀三礼の境地で取り組まなければならんのはお主もしっとるじゃろ」
若い組み立て工は、親方と呼ばれた老人の鋭い視線をまねるようにして、自分の“作品”をもう一度見直した。
「おーい、そろそろお茶にしよう。」
「…」
親方は、一人、立ち上がって、外へ向かって歩き始めた。
「璃翔慈救金剛の完成、急がねばな…」
千穴からの報は、ここ阿須ヶ乃宮にももたらされていたが、餓鬼界の極めて不穏な動きを感じさせるものだった。
璃翔慈救金剛とは、新規に建造が始められた一万トンクラスの超大型移動拠点だった。
造船所は、じれるだかりや。
それは、餓鬼界や人間界の隔絶を超えて自由に行き来できる交易船として設計されたものだった。
そしてそれは、希望への祈り、そのものでなければならなかった。
☆★交錯
議事堂脇で外宣車をだしてアジる。
「現東京市長は民族浄化主義者であります!我々は反動右傾化主義を盲進する現市長の政策に断固反対し、人間性溢れる街を作るために取り組みます。…」
*餓鬼から見ると、都合が悪いために…
怪火、魔の類いが外宣車のまわりを飛び回る。
ギャタイの納入式牛車で行う。
龍樹韻と拓哉も列席していた。
街宣車が停まり、抜刀して移送行列に切り込む餓鬼!
「民族浄化主義者、右傾化反動主義者に天誅!」
結界にふれて四散爆発する。
招待席の拓哉、餓鬼を見て、
「ボス、あいつら、ほんとに懲りませんねぇ」
「あいつらも生きるためにポリシーがあり、それなりに真剣なんだな、その姿が浅ましく醜く現れるのが、この世界の法なんだよ。」
「ふーん、そういうもんなんすか…」
拓哉、話すだけ話たので、ちゃっかりお神酒を始めてていた。
「そいつは『美少年』か」
「おお、ボス、いけるクチっすね、」
「もらおうか…」
「ちょっと失礼」
「おお齎藤か」
「これは拓哉にお土産、千穴のウリ酒だ」
頻賀の寸法の酒瓶を指で挟んで、龍樹韻の有能な眷属に渡した。
「うおー、超最高っすよ、齎藤さん」
ライダースーツ姿の精悍な巨体をゆっくりと下ろした。
「軍司令部に行ってきた。」
「で、首尾は?」
「だめだね、デスクワークしかできないキャリアなんざ死んじまえ、ってんだ。」
「まあ、そう熱くなるな、お前さん阿須ヶ乃宮出身だろ」
調査官は熱く語った。
「讃苦の実体は、餓鬼の邪法で、位置座標を7重にも防御をかけられたうえに未知の隠行の法をさらに三重にもかけられている、っていってもな、そこまでして讃苦を解放しようとする奴などいるはずがない、ときたもんだ。」
「まいったね、」
拓哉は、御猪口を口につけながら舞い上がった。
「中司部の書記局にいるオレのダチに聞いたんですけどね、局長クラスがかなり人事移動になったって、その内の何人かはどうも餓鬼っぽいかなって…」
「ほう…」
若い餓鬼、三人、ファーストフード屋でくだを巻いていた。
ピアスじゃらじゃら、金髪ロン毛
何も注文しないで、奇声をあげ、机や椅子を蹴飛ばして下品なばか笑いを続ける。
みつるを抱いたふみなの髪を引っ張る、服を引っ張る、ペンなどで突っ突く、暴言を浴びせる。
龍樹韻がたまたまいた。
制止に入る。
「夜になるとよくここらへんに出るってきいていたが、ほう、最近はこういうガールハントの方法が流行っているのか…」
龍樹韻が人さし指でさわっただけで餓鬼の服に火がついた。
他の客
「なんか臭い」
「また毒ガステロか」
三人の餓鬼は2台の原付きにノーヘルのまままたがって、ぶい~~~~んと逃げていった。
「すみません、ありがとうございます」
「遺蔵にからまれたってのはきみか、もしかして」
「そうですけど」
少女は、こわばった顔のみつるを抱いたまま、長身の法律家の問いに頷いた。
「じゃ、まさやを知ってるな」
「ええ~~~~!」
☆★じれるだかりや
「少年よ、梅花老からの書簡は預かった。安心するがよい。」
「ありがとうございます。」
鳥居/鳥居のイメージ
海岸沿いの沙漠/オアシス砂漠/朽ちた石造建造物/木像建造物
石や板で被われた水路
オアシス/高山、石組みの参道、霧、マチュピチュのイメージ
シルクロードの朽ちかけた石組みの城塞 井戸
天空に消え入る程の高い断崖の縁…
管理人の頻賀(精霊団)
長/徳永
清栄
秀
心を浄めていく取り組みを行っておるかのう。
「心を浄めるって?」
「心を浄めるんじゃよ」
老人の一人がにこやかに応えた。
「知らないなぁ」
「心って、浄まるの?」
長老が応えた。
「もちろん浄まるとも、行いと祈りによってな…」
「頻賀は人間や餓鬼ほどには薄情ではないぞ。」
老人は、あえて餓鬼と人間と別けた言い方をした。
「」
「」
「あるところにな、幼い乳飲み子を亡くしてしまった若い母親がおったんじゃ、」
「ふーん」
「もちろん、おぬしらのような人間ではなく、頻賀じゃよ。」
「かわいそうだね。」
「うむ全くじゃ、」
「幼子を亡くす、という悲しみはの、人間も頻賀も変わらんじゃろう。」
「そうだよな」
「ま、な、それでの、」
「どうしたの、そのお母さん?」
「頻賀の母親はのう、悲しみのあまり、冷たくなったわが子を抱きかかえてのう、街へ出てな、道ゆく頻賀にな、『この子は眠ってるんです。どうかこの子の眠りを覚ます薬を分けてもらいませんでしょうか』と尋ねてまわったんじゃ。」
「ええ?どうして?死んだんじゃないの?」
「死ぬ、ということはのう、心の中にそう簡単に思い描くことができるもんじゃろうか。」
「う~ん」
老いた村の長は、むしろこのことを伝えたかったかのような口ぶりだった。
「お主らのような者どもをな、糸の結び目、というんじゃ。」
「うん、聞いたよ、意味わかんないけど」
「わしら頻賀はのう、お主らに、いろいろなものを託す。一つには、お主らが、この世のことわりから少し外れておるからじゃ。」
「お父さんやお母さん、って知らんじゃろ。」
「うん」
「糸の結び目とはそういうもんなんじゃ。本来、父母の縁でこの世生まれてくるもんではないからじゃな」
「やっぱりな、実感無いもん」
「さばけておるのう」
「この世の全ては縁によって生まれ、死ぬ」
「縁?」
「そう、出会いじゃな」
「餓鬼や人間でも、父母との縁で子供がうまれるわけじゃな、」
「ところが、お主らに限って、お主ら糸の結び目と父母となるべき者どもとの縁は、限り無く薄い。零に果てしなく近いの」
「ふーん」
「うむ、甘露じゃ、どうじゃおいしいぞ」
甘露は甘くて栄養価の高い飲み物だった。
旅の合間に立ち寄る集落や集積所では必ず用意してあり、疲れた旅人の咽を潤した。
旅を続ける少年少女は、甘露を竹筒に入れて持ち運び水筒がわりにしたり、病人食として利用することもあった。
少年はなみなみと注がれた甘露の入ったマグカップを両手で持ちあげ、一気に飲み干した。
「ぷはぁ」
「どうじゃ、外を歩いてみんか」
「うん」
「ま、難しい理屈は置いておくとしてだな、その母親は、村一番の智恵者の老人の所を訪れたわけじゃ。」
「そっか…」
「『この方だったら、なんとかしてくれるかもしれない』と考えたわけじゃよ、」
「そうだよね、わかんないもんね、一人で悩んでたんじゃね、」
「そうじゃよ」
「そしたら、その老人はこう答えた
『そなたの願いはよくわかった。そなたの子を眠りから覚ます薬を作ってあげよう、そのためにはどうしても必要なものがある、そなたはこれから街へ出て、誰も死んだことの無い、今まで一回も葬式を出したことの無い家を探し、その家の者から石榴の実を一つもらってきなさい』とね、」
「石榴の実?なんで?そのお母さん探すことが出来たの?」
「無駄じゃった。考えてもみい、わしら頻賀は人間と違って長生きじゃが、それでも必ずいつかは死ぬ。一回も死人を出したことがない家なぞあるわけがないんじゃ。」
玩具/色紙、お手玉、紙人形、凧、綾取り、知恵の輪、ビー玉、めんこ等
絵本、写真入りもあり。手製の和綴じ本が置かれてある。
童話、地理、文字などの本、教科書、当然ながらどこにでも同じようにあるわけではない。
精霊が残した書簡集/集積所に祀られている精霊団が独自に編さんしたもの。
「若い母親はな、悟ったんじゃよ、死は誰にでも訪れる、死が訪れて悲しい思いをしているのはあたしだけじゃないんだ、とな…」
少年は、つぶらな瞳を見開き、滝のような涙を流し続けていた。
「おぬしはのぅ、他者を、受け入れる心、良いところを見つけてほめてあげる心に満ちておる、なかなか直ぐな心をもっておるな。」
「え、そんな」
「自信もてよ、まさや」
ろーらんは、囁くように誉めた。
☆★出航前夜
まさや、船長
集積地の“造船所”、出航まであと十日。緊張高まる
ギャタイの母艦としての機能。
出航記録、ギャタイを何機積むか。船長を誰がやるか。砲塔、ブリッジ、カーゴベイ
発進甲板のデザイン
「徳永さま、やはり璃翔慈救金剛を対讃苦用に使用しなければだめなのでしょうか。」
「うむ21キロもの巨大物体を東京に放とうとしているばか者がおるわけじゃ、結界弾の敷設艦として使用するしかあるまい。」
「人間どもの航空機を使えばいいじゃありませんか。」
「あたっておる。しかし無理じゃろう。讃苦の隠行陣は人間には解けぬ。見えぬものは信じない、等と小賢しい理屈を餓鬼のように並べる手合いが増えたのも嘆かわしいことじゃよ。」
「引き続きあたってみます」
「うむ、頼むぞ…」
大形結界弾48式 直径10メートル。重量300キロ、讃苦を倒すためには36発必要だったが、18発しか集まらない。おまけに4発不発。
手動で設置しなくてはならなくなる。
千穴で作製している。
「徳永さま、ちょっとお越しを」
「うむ、」
少年も後に続いた。
夜になっていた。
じれるだかりやの造船所と空港施設の照明が、空に光の矢を数十本も投げていた。
「これギャタイでしょうか。」
「そうじゃな、間違いなかろう。」
じれるだかりやの長老達は、画面の前に浮かびながら確信を深めていた。
長老がマイクに話しかけた。
「聞こえるか?」
『はーい、きこえまーす』
まさやには懐かしすぎる女の子の声だった。
「!」
「えーとえーと、着陸誘導管制は、これ、っと」
ふみなはタケヒデの電子計算機をギャタイの管制識相に直結させていた。
三ツ星型の平面形の上部に菩薩に似た立像を乗せた形の大形輸送機である碑は、航空機型のギャタイではもっとも大形である。
地上からまた声が聞こえた。
『おぬし、一人でこれを操ってきたのか?』
「はーい、そうでーす」
『あきれたもんじゃ…』
「どこ降りたらいいの?」
『おぉ、そうじゃった、これから誘導する、よく聞いておれよ…』
「はいっ」
ふみなの碑、不時着
「まーさーやっ」
「」
少女は少年に飛びついて笑顔で顔をくしゃくしゃにしていた。
ものすごく嬉しい
☆★書き置き
老父の机の上に、真っ白い便箋が一枚、文鎮で置いてあった。
子供の字で、一言、
『また夢の話を聞いてね…ふみな』
老父は便箋を手に取った。
「あの子はいつも、いきなりいなくなってしまうな…」
「きっと…」
老母は言葉が続かず詰まってしまった。
「わしらは、あの子の実の親ではないんじゃ、あの子の無事をただただ祈ろう…」
「はい…」
ちりんちりん
…風鈴が6月の風に鳴っていた…
☆★招換陣
それは競技場のような形をしていた。
800メートル級の陸上競技トラック(のようなもの)の周囲に、数万人を収容できる観客席。
観客席は、ほぼ満杯で、歓声が埃っぽい大気にどよめいていた。
空気の中に血の臭いが混じっていた。
それもむき出しの鉄を舐めまわした時のような猛烈な臭い(香り)だった。
貴賓席の下には実況中継席があり、観客席の中三箇所には一遍が30メートル以上もある超大形画面があった。
しかし、ここは餓鬼の街である。
健全なスポーツなどは存在しない。
存在するのは、精神を暗い快楽で満たすための刺激の増幅作業のみである。
トラックの中に、餓鬼の奴隷集荷のキャラバンが何十台も停まっていた。
檻がついたバスが20台以上、燃料かなにかの移送用トレーラー、そして護衛のギ・ギャタイが数10機。それも、青竜刀のような長刀をつけたギャタイサイズの大型砲を構えて歩哨よろしく整列している。
実戦配備されて2年になる『化燐』である。
その化燐の戦列の前に大きさで約2倍ほどの機体が止まっていた。
格闘戦用の巨大な鈎爪は化燐の2倍以上の大きさがあり、化燐の機体につけられている呪のしめ縄もこの機体のものはひとまわり太いものだった。
そして、機体の前にパイロットの少年が直立していた。
身長は140センチくらい。歳の頃は13~14くらいだった。
ゆったりと波打つ前髪がおでこを半分くらい隠している。
黒めがちの済んだ瞳だった。
しかし、表情は堅くこわばっていた。
子供用のパイロットスーツを重装備で固めていたが、麦わら帽子をかぶっていた。
トラックの中にあるバスの一台に近寄ってくる一人の男がいた。
異常に太って背骨が正面から見て右に曲がっている。
前歯が欠けて、無精髭だらけだった。にやにやして何か含むところがあるようだ。
妙な体臭がある。
窓に檻のついたバスの中には、手縄に繋がれた人間が十人ほど乗っていた。
「こいつ、餓鬼だ!」
窓の中から、檻の枠越しに気丈に叫んだ男がいた。
おそらく出自は、餓鬼界ではないのだろう
背骨の曲がった男は、人材斡旋会社の社長だった。
ここが、いくら餓鬼の街とはいえ、奴隷の売買を大っぴらにやっているなどとはいわない。
資本主義経済に則り、理性的な価値の流通を行っている、という自負が彼らにもあるからだ。
社長は、へらへら笑いながら、いきなり顔が崩れだした。
呼び捨てにされ、プライドを傷つけられたためだろう。
片目が流れ出すようにしてわずかにずり落ち、元の大きさの三倍ほどまで腫れ上がった。 そして右手の指を鳴らした。
異様な体臭は、腐敗した生ゴミにニコチンをぶち込んだような凄まじい悪臭に変わっていた。
「おいおい、ちゃんと敬語を使えない奴はいらないよ。」
軽機関銃を構えてやってきた警備の男は、叫んだ男の髪の毛を掴み、いきなり肩口に銃口をあてて引き金を引いた。
ぶお~~んという音とともに、男の胸から下は砕け散り、男の両手は、警備の男の手の下で、舞いを舞うような仕種を続けた。
「社長、汚しちゃってすいません。」
片目の腫れ上がった社長は気さくに応えた。
「ああ、かまわんかまわん」
軽機関銃の銃口がバスの床下ではなく外側を向いていたのは、車軸を傷つけないためだった。
赤黒くしみがこびりつき穴を塞いだところが一台のバスで5、6ケ所あった。
警備の男は二つにちぎれた男の体を手で掴んで窓から外にほうりだした。
バスの中には、二人づつ警備の男が乗っていた。
二つになった男のすぐ後ろにいた貧相な男が、小便をもらし、吐いた。
「お仕置きが必要かぁ~」
二人めの男はナイフを取り出して、貧相な男の肩に突き立てた。
ナイフの警備の男は、顔全面がケロイドで、目と鼻がどこにあるのか分からなかった。
「うげ、ぽ…」
“処分”するつもりはないらしい。
わざと血を滲ませていた。
「おれたちがバスを汚すのは仕事なんだよ、でもなお前らが汚すのはだめなんだな。」
外に放り出された男の体は、下半分が警備の人間が従えている犬の餌になっていた。
そして、まだ湯気のたっている上半身は、近くにいた子供が…
「おじちゃん、今度ね、学校でね、理科の観察するんだけど、これもってっていい?」
目が細く、引き攣った笑顔を浮かべた10才くらいの子供が、血塗れになりながら上半身をひき起こしていた。
「おお、いいぞ、しっかり勉強するんだぞ。」
軽機関銃の男は窓から顔を出し、笑顔で応えた。
社長も、新鮮な教材を担ぎ上げている血塗れの男の子の頭をなでてやった。
ハンドテレビカメラの男が、間発を入れず、勉学の意志溢れる少年と、社長の顔のカットを撮っていた。
水平線近くは、埃でうす墨色に濁っていたが、雲一つ無い青い空だった。
断根が、ゆっくりと空を横切り視界に現れた。
公園とビルの上空を、太陽を遮りほとんど埋め尽くすほどである。
地上は、太陽の光(今は、紫色に変色し、三つに分裂しかけていた。)を遮っただけではない、異様な寒さに覆われ始めていた。
それは、手らしきものや、足(脚)らしきものが、辛うじてその形を確認できる程度の、無気味に膨れ上がった岩塊だった。
断根は、まわりにいるすべての力を吸い取り続けながら無気味な唸り声をあげていた。
塊退の郊外に巣を作っていた一匹を軍の関係者が捕獲して飼いならしたものだった。
それが競技場の上空をゆっくりと横切る時に、観衆のどよめきと歓声はひときわ高くなった。
ここの競技場全体が讃苦の招換陣だった。
ここでは、一日あたり数百人の子供、大人が生け贄にされている。
この招換陣の上空にある讃苦の巣(まだ人の目には見えない)の中にいる讃苦が、贄の蟲毒をたっぷり吸収して、やがて姿を現わすのである。
招換陣の内陣全体は100メートル四方に円周状に磔台が並べてあった。
300人以上の子供が磔にしてあって、一番外側の子供の体はすでに焼け尽きた炭になっていた。
まわりに塊退のテレビ、マスコミの報道のカメラが一斉に放列を作っていた。
10基以上のクレーンカメラに手持ちのカメラが30台以上動き回っている。
クレーンカメラは、焼け死んでいく子供の顔を、間断なく、時にアップに、時にロングに撮り続けて、超大形モニターにスイッチャーを中継して画像を流していた。
内陣の外側(いわゆる外陣)には、内陣ほどには重要性の高くない贄を血祭りにあげる場所があった。
ここにも磔台があったが、内陣のものほど手間をかけて作られたものではなく、角材を素人細工で組み合わせたものがほとんどだった。
(内陣の磔台は、朱塗りだった)
それでも外陣の磔台は300以上あった。
手持ちのテレビカメラマン達は、この外側の生け贄のライブショットを撮るのである。
観客席にも多数の移動カメラマンがいた。
そのカメラマンの中に混じってひとり変なカメラマンがいた。
どこで手に入れたんだか『報道』の腕章をつけ、望遠レンズ付きの35ミリを抱えてスチール写真を撮る報道カメラマンを装ってはいたが、大きな麦わら帽子を目深にかぶってリュックの上にポンチョを羽織っていた。
ぽんちょの背中には切れ目が入れてあって、小さな目が二人分中から覗いていた。
そのカメラマンは、ゆうきだった。
内陣の生け贄は、子供が中心だった。
これは、伝承により、讃苦が子供の贄を好む、とあったからである。
外陣の生け贄は、単純に数を稼ぐためのものだった。
その内訳は、罪人、捕虜、奴隷だった。
磔にまわされる前に、さっきのバスの中のように切り刻まれる人間もいた。
そのような予定外は、観客席のあちこちに設けられたバザーに商品として供された。
内陣の生け贄は、いわば讃苦のメインディッシュとなるべきものだったので、その調達には特別の配慮が払われた。
宇極を中心とする讃苦復活プロジェクトチームの餓鬼達は、旅の子供、といわれて天界や東京などとの間を旅の人生に生きる特別な子供達がいることには、かなり早くから注目していた。
そのために特別な誘拐チームが結成され、少なくとも5つ以上のチームが東京に潜入していたという。
タケヒデは、一週間以上前から、高麻の無人の肥料小屋の中にいた。
場所は、高麻大字高堀1058あたり。
塊退と地脈が直結している数少ない地点だった。
誰にも知られずに好きなことをやるにはもってこいの場所だったが、当の本人は、好きなことをやるためにここに来たのではなかった。
精霊の目の前には、10センチ四方の大きさの壇を組んであった。
一週間以上、炎が絶えず燃やされていた。
タケヒデは霊気のチャンネルを全開にしていた。
精霊は、肉体のまま餓鬼界へは行くことが出来ない。
そのため、ゆうきの写真機を法力の中継機がわりに使っていた。
何度となく身体中がひっぱたかれる衝撃をうけて、猛然と熱を感じ身体全体が熱くなった。
「しまった…」
《熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い嫌ぁぁぁぁぁぁ》
そこに、もはや声だけとなった存在を数えきれないほど察知した。
声だけとなったものは、実体をもっているものへとすがりつく。
すがることが救いにもなるが、ほとんど意味をなし得ない徒労と終わることも多かった。
餓鬼が、その存在の根本に、常に無明と飢渇を抱えているところに、大いなる救いへの隔絶があった…
餓鬼が浅ましく死体を貪り食っていた。
「はい下がって、ここの死体は食べちゃだめですよ、」
2姫、ゆうきのリュックの中に隠れていた。
二人とも、両手の指先をふたのすきまからそおっと出して、外を覗いていた。
二人ともヘルメットはかぶったままだった。
“モノ”を連れている市民、自虐の市民
何かの景品のように、血だらけの手足を抱えて出てくる餓鬼、
うめく餓鬼、等
あやの姫
「…」
なお姫
「…」
あやの姫
「おしっこちびちゃった…」
なお姫
「あたしも…」
招換陣の内陣を見下ろすステージの上に宇極がいた。宇極、讃苦の招換陣の制御盤をもっている。
軍関係者とおぼしき将校服姿の人間(餓鬼)が何人か、宇極の回りにいた。
縦横10センチほどの四角い箱。八卦のマークと簡単な液晶画面
宇極
「長さ21キロのものが暴れたら、どれくらいの広さにわたって清々しますかな」
軍服の書記官らしき男
「そうですね、差し渡し60キロ以上の地域は固いでしょうな。」
指揮官らしき男
「お見事ですな、よくこのようなものを召還されることに、」
「世のため人のためですよ、」
宇極
「森羅万象の巻によれば、讃苦は、自分のいる座標を、自分で編みなおすことができる、ということですな、これは、贄をくれてやることで、進んでやるようになるわけです。」
「ほほう」
「どのように編みなおす、かは、これで方式を組んでやって逐一、讃苦に教えてやるわけです。」
「今、讃苦のしっぽの部分は、ここから西北の血奴の上空にありますが、」
「現地へ行けば、見れますかな、」
「うーん、どうでしょうな、部分的に暴露結界を張ればその部分だけは可能でしょうなぁ」
「なるほど、」
「そうです、で、お話をもとにもどしますとですね、この血奴の上空の位置は、高麻にあと数キロまで迫ってます。」
「しっぽさえ出せば、あとは簡単、ということですな、」
ゆうきは夢中で写真を撮り続けていた。
命がけの撮影だった。
少女と同じくらいの歳格好の子供達が磔台に括りつけられている。
火をつけられて焼け死んでいく子供の姿を実況中継するテレビカメラがあり、観客はそれを見て、どの子が一番先に死ぬかで賭けをしているのだ。
大人も子供も夢中だった。
笑い声が絶えなかった。
火にまかれてどの程度まで生きているかを見極めようとしのぎを削っていた。
どの顔も酔っていた。
充実感さえ感じられる表情をしていた。
彼等の充実感は虚ろなものだった。
火にまかれる子供の姿を見て興奮し、絶叫しながら煙草を吸い続け、悶え苦しみながらなお煙を吸い続ける男がいた。
若い餓鬼は、割れたビール瓶やバットを振り回し観客席で徒党を組んであばれまわっていた。
警備員がすかさずスタンガンで脅して大人しくさせていた。
スタンガン自体も、遠慮の無い使い方で、大人しくなって蹲っている餓鬼の中には、そのまま床に転がり、耳から血を流しているものもいた。
それは、ただ単に、バザーに供給される商品が増えただけのことだった。
彼等の会話自体は、その根本において虚ろなものだった。
「オレはエラーい、オレはエライんだあ~」
と、無意味な絶叫をくり返している男がいた。
誰も男の台詞は聞かない。
男の台詞は、目前の地獄絵図に彼なりの解釈を付け加えていた結果だったのかもしれない。
言葉が少ないのではない。言葉の語彙そのものは豊富である。
むしろ、東京一の繁華街狂言町の居酒屋の喧噪よりも豊かなくらいである。
しかし、彼等は建設的思考が大嫌いだった。
絶対的な正義と真実に酔うことがすべてだった。
酔っていさえすれば彼等に孤独は無かった。
自戒する、反省する等という作業は、彼等にとって、死にそうなほどの激痛を伴うものだった。
ゆうきは、それらをみていると、涙が出てきそうだった。
いや、今日で何日めかもわからないこのぶっ通しで行われているイベントに潜り込んでからは、時間の感覚に少し疎くなっていたかもしれない。
ここは餓鬼の世界なのだから、と気をふるい立たせていないと、何度となく気を失いそうになった。
こんな恐ろしい光景は今まで見たことが無かった…と思いつつ、そんなんことなかったじゃない…と気軽に言ってのける少女の中のもうひとりの少女に気がついていた。
少女には不思議な達成感があった。
それを、少女の中のもうひとりの少女が教えてくれていた。
これは見なければいけない光景だったからだ。
これでも人間なのだ。
これは人間がやっていることなのだ。
あの日、あたしのお父さんとお母さんを殺した連中と、やってることは全く同じじゃないか。
そうか、人間って、何度生まれ変わっても、人殺しが好きなんだ…
—なあんだ、そうだったのか—
心が焼け付くような結論を取りあえず下した少女は、脱出の時がきたことをさとった。
少女には、どんな所にいっても帰ってこれる、という自信があった。
少女は、阿須ヶ乃宮北方数百キロの原生林や、東京のずっと南の海も行ったことがある。
しかし、今度ばかりは足が震えていた。
齎藤のおじさんやタケヒデさんの迎えを祈った。
見つかる。
「もしもし、ちょっと!」
見つかった!
「あ、あああの、あたし、し、仕事…」
「ちょっと来なさい」
「あ、あの」
「何ですか」
「トイレ…」
「その辺ですればいいだろう」
「いやぁ、そんなの恥ずかしい」
少女は目一杯しなを作って演技した。歯のねが会わなくなる寸前だった。恐さにまけたらお終いだった。
「しょうがないな」
まんまと逃げるがそうは問屋が…
「行くわよ」
ゆうき、2姫脱出。
追撃
鵠へ脱出シグナル、回収用バルーン
2姫のリュックが丸ごと落っこちてしまう。
「ゆうきちゃんの座標は確認できたか」
「まだです」
鵠の超大形レーダードームがゆっくりと回転を始めた。
鵠、説明、描写。
☆★ギ・ギャタイ
大形のギ・ギャタイの前にいたパイロットの少年は、タラップを登り、機体に乗り込んだ。
ぐきゅううううううっという奇妙な軋み音がして機体が浮き上がった。
餓鬼のギャタイをギ・ギャタイという。
ギャタイのフレームを密輸入してリファインし、特別な呪をかけた霊土を塗りこんで作る。
咒とは、「呪い」を、エネルギー物質相互変換の臨界点を超えるまで高度に圧縮したものである。
それはある種の力場回路としても転用することができた。
ギ・ギャタイが餓鬼界から離脱すると、機体が回りから受け取るエネルギーが飛躍的に増えるので強力になるが、違法ライセンスの限界で、空中分解や自壊する場合も多い。
・燐 推奨出力値: 臨海出力値: 全高12メートル 全備重量 パイロット ペイロード 識層核 識層核演算臨界定数
しかし、それも気付かれてしまう。
「あんたつくづくそれ好きね」
「いいじゃない、好きなんだもん」
「こんな時にもうっ、」
「無駄口聞いてるヒマあるんだったら飛び続けなさい」
いつもあまり物を考えないで行き当たりばったり行動してきたが、今度ばかりは恐かった。
心底恐かった。
ここは餓鬼界のまっただ中なのだ。
懸命に飛び続けた。
2姫のドレスと十二単は泥だらけだった。
あたし達がかわいい、なんてのは見逃してくれる理由になりゃしない。
ゆうきお姉ちゃんとはぐれた。
東京から連れて来られた人間が生きながら殺されていくのも見た。
これで自分達まで捕まっちゃたらどうすんだ。
そう思うといても立ってもいられなかった。
平均時速70キロ以上で飛び続けた。
早く、早く飛行機に辿り着かなきゃ!
鵠は、餓鬼の呪を中和する結界符を散布しながら、頻賀の女の子が飛んでいる高度まで機体高度を下げた。
2姫救出
「あの子たち、まだ20前だからそんなに速く飛べないっすよ。」
「頑張ってどれくらいで飛べる?」
「せいぜい90キロくらい。」
「こいつ(鵠)の失速速度切ってるじゃねえか!」
「うむ…」
「網を出してつかまらせよう」
「なお姫急いで」
「あ、あんたの方こそ急ぐのよ」
鵠は、網を括り付けたワイヤーを機体後部からくり出しながら、2姫の飛行高度をめがけて緩い降下を続けた。
「よしつかまえた。」
「引き上げろっ!」
☆★ 璃翔慈救金剛
讃苦の召還陣
第二ステージへ。大岩屋のプログラマーも一枚噛んでいる。
「清栄さま?」
「うむ、少年よ、かけ声をかけるがよい。」
「璃翔慈救金剛、発進します」
「左舷推進圧上昇値3から5へ、右舷推進圧3から3,5、少し足りないですぅ」
「落ち着いて上がるのを待つのじゃ」
「はい」
「慣性制御、暫定遷移帯へ移行」
機関部の駆動音がわずかにかん高くなった。
「慣性制御、完全反転値域帯へ移行しました。」
さらにかん高くなっていく。
「船体重量、減少しま~す。減少曲線、え~と、良好です。」
船体艦橋上部監視台
「うあぁ、何あれ?」
「船体重量、ただいま30%へ」
「!」
「ちょっと、やだ、何あれ、」
「ギャタイ、30機、いや、それ以上」
「“モノ”が何匹か混ざってる!」
「船体重量、ただいま18.5%へ」
餓鬼、大形の凶を暴走させて、集積所を破壊し璃翔慈救金剛を奪取するつもりだった。
断根 1
痢 10
ギ・ギャタイ 25
ギャタイの母艦としての機能。
出航記録、ギャタイを何機積むか。砲塔、ブリッジ、カーゴベイ
発進甲板のデザイン
・帆のデザイン
・
・オブザーバー
造船所長 清栄が同乗する。
・機関部の不具合/ゆうき、まさや、ふみな、他一同に会するシーン
ギャタイの母艦としての機能。出航記録、ギャタイを何機積むか。
ブリッジ、カーゴベイ/発進甲板のデザイン/全長/全幅/ブリッジ高さ
・正義感
何故生きるのか?という問いに応えてもらえぬままこの世界に来てしまった…という背景が無意識にある。
喧嘩をして反省ををせずに同じことをくり返していると経験値を減らす。知恵を絞って経験をいかせば経験値を増やす。
瑠が剣を構えながら結界を張る。
瑠が歌っていた。
瑠は、数あるギャタイの中でも、歌が好きだった。
今は戦闘の歌だった。
「でやぁぁぁぁぁっ」
まさやは、瑠のコクピットで絶叫していた。
「船体浮上」
「船体浮上します」
「」
瑠の視界に凶が完全に実体化した。
嫌らしい声でうなりつつ、よだれをたらしながら、ゆっくりと降下をしてくる。
讃苦の尾が、黒ずんだN雲お間から垂れ下がっていた。
その太さは、推定でも100メートル以上あったに違い無い。
☆★ここより永久に
『可越』地方都市
☆可越線 ディーゼル単線。
駅:可越西詰
駅:八幡参道
通過交換待ち、タブレット、東京、高麻へも通じている。
駅員、目撃事例相次ぐ
線路がめくれ上がっていく。
それは、あっと言う間に数百メートルもの山になり、山にはりついた二本のねじくれた鉄の糸、と化した。
そして次の瞬間、大爆発を起こし、山ができた八幡参道駅西方数キロの地点を中心にして10キロ近い大きさのクレーターができた。
ゆうき、頭を抱えてうずくまる。
「いや、嫌ぁ、嫌ぁ嫌ぁ、嫌ぁああああ」
讃苦が覚醒するシーン3
頭が現れた。
幅800メートルくらい。
「母さんや、退避しよう。」
「ええ、」
ふみなの養父母は、着の身着のまま家を出た。
間断ない地震で歩くのも一苦労だった。
餓鬼、夥しい数出没。
嵐になった。
凄まじい横殴りの雨だった。
外に出ると一歩も歩けないほど。
讃苦が現れた穴の中から、夥しい数の餓鬼が出現する。
服を着てるもの、空気がうまいので喜びいさんで踊り狂うもの。
「うぉ~~~むかつく、オレはむかつくぜ~~~~」
残らず、凄まじい空腹
地震で倒壊した食料品店の物を片っ端から口に運ぶ
真っ黒い空に、ぼんやりと鎌首をもたげた讃苦のシルエットがあった。
それは、西の地平から天を横切り、東の空まで届かんとしていた。
餓鬼の蹂躙
東京の市街がかなりあおりを食らって壊滅する。
どの区か、チェック!
「オレはむかつくんだよ~~~~~~っ」
その若い餓鬼は、100メートルほど向こうの穴からはい出して、泥だらけのまま食料品店を襲撃してきたばかりだった。
「むかつく、ちょーむかつくぜぇっ」
しきりにねじまがった鉄棒を振り回して喚き散らしていた。
この手に持った棒を何かに打ちつけたくて仕方が無かった。
この棒のように捩曲がった精神のこの男が、何に対してむかついているのかは、当人にしかわからない事情だったが、彼は、東京に這い出て始めて身体中に漲る力をもって彼らしい仕事に取り組むことにした。
塊退で生きてきた彼の価値観に戻っただけのことだった。
それは、人を殺して食うことだった。
男の視野に、よろよろと逃げまどう老人二人が映っていた。
そこから先は簡単な仕事だった。
男は、二人の老人が呻き声も出なくなるまで棒を二人の身体の上に下ろし続けた。
塊退もあおりを食らう。
・仰角90度の上昇を行う
・帆のデザイン
14発、設置完了。頭の実体化が早まる。
・オブザーバーの設定
・機関部の不具合
璃翔慈救金剛、大破して東京に不時着
左舷転換帆、破損、出力30%下回る。 回路接続設定注意
都島区、議事堂周辺に不時着
「民族浄化主義者の手先、排斥しろ、」
餓鬼が先導して襲いかかる。
讃苦を目前にして、“そんなこと(讃苦のこと)が問題ではない…”とわめきちらす。
まさや達が飛び出していく。
たけしの燐、直立する。
無茶苦茶強い。
主砲を乱射する。
「ぼくのお父さんの仕事邪魔させないよ」
ふみな
「何勘違いしてんのよ。」
少年が操る餓鬼のギャタイが、ふみなの目の前に直立していたのはほんの30秒ほどだった。
少女の血はいっぺんに冷えて逆流した。
この子は何をいっているのだ。
餓鬼のギャタイに乗り、この破壊をお父さんの仕事だという…
燐がそこにいたのはほんの30秒ほどだった。
碑が不時着する。
「結界弾四八式改じゃ、使うがよいぞ」
追加4発と48改が届く。
「これが四八式改じゃ」
重量1トン/直径35メートル/樹太郎が技術士官を務めていた。
昼なのに、黒ずんだ空を背景にして讃苦の頭部は、天空をほぼ埋め尽くそうとしていた。
昼の時間であるはずなのに、墨を流し込んだように黒ずんだ天空を背景にして、讃苦の頭部は、ほぼ視界を埋め尽くそうとしていた。
「ろーらん、いくぜー、」
璃翔慈救金剛の第二発進デッキをぶっ壊してすっ飛んでいった。
奔は、腕を持った飛行型ギャタイだった。
ろーらんは、この機体の特製を活かすつもりだった。
追加の一発目を掴んだ。
・奔:
ろーらんがインターフェースをつけて操縦
推奨出力値: 臨海出力値: 全高 全長 全幅 全備重量 巡航速度マッハ1.2 パイロット ペイロード 識層核 識層核演算臨界定数
阿、48改を讃苦の頭部へ運ぶ。
瑠、ギ・ギャタイの迎撃、
「ぼくが起動するから、ふみなちゃんは逃げて。」
「なんでよ」
「一人で十分だよ、こんなの」
「だめ、危ないよ」
「早くいかないとぶつよ」
「う、うん」
「ろーらん、ふみなちゃんを助けて」
「うっす」
頻賀専用のインターフェースを介して奔の制御にかじりついていたろーらんは、瞬時にはじけるものを感じた。
別れ?
旅立ち?
成長?
飛翔?
奔を後退させる。
ろーらんの小さな顔は正面の画面に釘付けになっていた。
涙がとまらなかった。
「起動準備」
まさや、必死に起動用の御幣を差し込んでまわる。
「邪魔するな邪魔するな邪魔するな邪魔するな邪魔するな邪魔するな邪魔するな邪魔するな邪魔するな…」
瑠は、左手を失い、燐、瑠が右手でねじ込んだ長剣でヘッドを落とされて後退する。
まさや、
「起動」
四八式改起動。
結界が展開した。
それは、浄化の光だった。
ほんの数十分の一秒の出来ごとだった。
最初の0.000001秒でピンク色の光球が現れ、次の0.000001秒で、それは数百メートルの大きさまで拡大した。
一切熱の発生を伴わない不思議な光だった。
しかしこれほどの強力な浄化の光の発生は、それだけで物理的な圧力も発生した。
それは空気の衝撃波となって、キノコ状の水蒸気を発生させ、いくつかのビルによって切り裂かれながらも、ほぼ音速に近い速度で第一波が広がった。
結界弾は熱破壊爆弾ではなかった。
物によっては爆弾形状をしているものがあるにせよ、それは空間座標の選択的移植を行うための“鉢”だった。
浄めは破壊ではなし得ない作業だった。
まさや、瑠といっしょに、結界は閉じてしまった。
絶、崩壊
ゆうき
「ふぇ、ふぇえ~~~~~~~ん…」
ふみなは半狂乱だった。
「ねえ、まさやは、ねえ、ねえ、まさやは?まさやはどこ?ねえねぇねえ!!」
ゆうきは、ふみなを抱きしめた。
「いやぁあっぁぁっ、ううう、うぇ、うううううう、うぁあああああああん、えんうぁああうああああああん…」
二人の少女は、璃翔慈救金剛の艦橋でおしりをデッキに貼りつけて抱き合ったまま、半日近く泣き続けていた…
崩れたビルの合間に延々と横たわる絶や断根の死骸、ろっ骨等
妖怪が、一時的に跳梁跋扈する。
☆★廻向
東京全土に溢れ帰った餓鬼を捕まえるために、警察とその関係者すべて、さらには銃器操作のできる人間は老若男女すべて、動員されていた…
そして四八式結界弾が起動して11時間後の夜8時過ぎ、木村と澄眠の二人は、事の発端を作った男を、大岩屋の厨房の受け渡し口の前まで追い詰めた。
もはや、この店は、東京にあって、塊退にあるような店それ以下の有り様を呈していた。
都民を撲殺して喰い散らかしてきた連中が、後から後から詰め掛けてくるのである。
「う、吐きそう…」
「きったねえところだな」
「ば、***ま、がて**か*かかっt********」
宇極が変化を始めた。
二人とも息を呑んだ。
だらしなく溜まった腹の脂肪が溢れ出すようにして蠕動している。
「ば、***ま、******か*かかっt********」
もはや、その男の口は何を喋っているのか不明だった。
「宇極印刷代表取締役、宇極寛美、性的脅迫、連続買春、騒乱罪、誘拐未遂、誘拐罪、及び殺人容疑で逮捕する」
二人は、右手で拳銃を構えながら、左手の指の先だけで複雑な形を瞬時に切ってみせた。
暗がりに微かな光の粉が飛んだような、華麗な動きだった。
それは、天界人だけができる餓鬼専用の封じ込めの咒だった。
竜人、印を切って、法力を招来するシーン
ゆうき
「あなた、ふみなちゃん?」
「へ?」
「あっ、違うんだ…」
「おばさん、誰?」
「まぁぱぁ、だぁぷぅ、だあ」
「あ、この子」
「そうよ」
「」
「」
「」
大井田七小学校の体育館。難民の中に、みつるの養父母がいた。
ゆうきは、ふみなに子守りをしてもらってた、と話を聞く。
「寄るな、散れっ」
「ぐるるるるる」
「腹へってんだよ、食い物くれよ」
「肉だ肉、肉をくれ」
ラーメン屋の屋台をひっくり返して食い散らかしている若い餓鬼がいた。
肌日焼けアフロ/顎ひげワイシャツ/光り物じゃらじゃら
「まずくねえ、これ」
「こんなの食ってんのかよ、だせえ」
主人
「あ、あっ、た、助けて…」
「うるせえっ」
転がっていた包丁で切り殺す。
朝方6時頃。
無数の灯明の点された灯篭がゆっくりと、藍川の川面を流れていく。
東京の人口の3割以上は、讃苦の出現によって瞬時に圧死していたといわれている。
犠牲者供養のための灯篭をつくっては、通行人に手渡している詰め所がすぐ近くにあった。
タケヒデ
「つまらぬ作りごとで善と悪をひっくり返して得意がってみせるのが人間だぞ。」
齎藤
「そういう人間もいる、ということだ。どうだい、あんたも一つ流してみないか。」
ライダスーツのままの調査官は、灯篭を手にとって、精霊にわたした。
精霊は、ライターで中の蝋燭に火を点し、ゆっくりと水面に浮かべた。
精霊は、寿命がある人間などとくらべたら桁違いの自由人の筈だったが、何か寂しそうな表情をしていた。
精霊は、人間が嫌いだったのだ。
ただ、何度となく問いなおしても人間を嫌いになりきれない自分がいるのだ。
遥かな次元へ自分をシフトさせてケリをつけてしまおうとしない所が、また、この精霊のへそ曲がりな所なのかもしれなかった。
「…」
流れていく無数の灯明を見て号泣している男がいた。
親父に謹慎を命じられていた遺蔵だった。
「そそそそそそそそそ、そ、そそそそ…」
鼻水と涙と、残骸と化した言葉すべてを持ってすれば、彼の内面的激情を理解することはもしかしたら可能かもしれなかった。
竜人が、珍しい台詞を吐いた。
「塊退に結界弾を打ち込んで丸ごと浄化してしまうこと等できやしないからな。」
「竜人はそういう発想もするのか、」
「あそこで泣いている男に聞いてみるのはどうだ?」
「そうだな…」
長身の法律家は、遺蔵の背中からゆっくりと近寄った。
青年というにはまだ幼さの残る彼の背中は、小刻みに震えていた。
彼の言葉は、よりいっそう他者の理解から隔絶されたところにあったようだ。
「そそそれそれれrrrそそそそそ、そ、そそそそ…そそそそ…」
「よぅ、」
「だぁぁぁぁぁっぁぁ、とは、っははははははは、はは…」
餓鬼の男は狼狽し、あとじさった。
焦っていたので、ざぶざぶと水の中へ身体が半分沈みこむほどだった。
流れてきた焼け死んだ罹災者の死体が、ゆっくりと彼の身体にぶつかって離れていった。
「あああああ、」
彼は、竜人を指差し、醜く歪んだいくつかの死体に視線をやり、いっそう取り乱した。
かけていた眼鏡が半分がたずり落ち震えていた。
竜人は、遺蔵の脇にしゃがみこんだ。
「よう、元気か?」
「そそそそそそそそそそそそそそそそそそ、っててて…」
餓鬼の男の顔には、涙と埃がべっとりとついて、後から後から流れ落ちる鼻水によって形容しがたい隈取りを作っていた。
しかし男の目には、澄んだ光が宿っていたようだった。
男は焼け死んだ死体が流れてくる流れの中に座り込んで、顔を竜人の方へむけた。
竜人は、唇の端をかすかに曲げて微笑んんだ。
「流れに祈れ、この流れはお前を許してくれる…」
☆★扉をあけて
二日め。
セミが鳴いていた。
強い日ざしが差し込んでいた。
遠くから、讃苦の被害で壊れた建物を片付けるブルドーザーの音が響いていた。
半壊した養父母の家。
ふみなは、麦わら帽子をかぶり、家を見上げた。
昼間から物神がたむろしていた。
讃苦の被害で散らばった皿や茶わん、箪笥、本棚など…
それは、人に長い年月使われて、いきなり打ち捨てられた家具や、食器等が変化する妖だった。
小さい物神は、影がその物自身から別れて手足が生えて歩き回り、大きい物神は、表面に人間の目のようなものが現れて、近付く人を恨めしそうに見つめる。
人の生きざまを遠くから羨ましがることしかできない妖なのさ…
旅の経験からそういう浅ましき“モノ”どものあしらいなどは心得ていた。
少女は、力なくそれらを手にとって見てまわった。
少女の心を煩わすのは、物神ではなかった。
お父さんもお母さんもいなかった。
物神が、しゃかしゃか、しゃかしゃかしゃか…と動き回る音、と、セミの音、そして微かな風の音以外何もしなかった。
がらら…
タケヒデが、玄関の引き戸を開けた。
「こんにちは」
「あー、すけべ野郎っ」
少女は麦わら帽子のまま振り返った。
目が線のように細い革ジャンの長髪男は、右手の人さし指を振り、
「ちっちっちっちっ、あまり怒鳴ってばかりいると、可愛い顔に皺がよるよ、」
「ぐ…」
「というか、大切なお客さんをお連れしたんだ。」
長髪の男は後ろを振り向いて手招きした。
「さぁ、どうぞ、」
懐かしい顔がのぞいた。
「あ、お父さん、お母さん、」
気丈な少女は、それでも一瞬感激で固まっていた…
「ふみなや、お帰り、」
「元気でやってたかい」
「…」
「こんなんなっちゃったから大変だろ、だから二人をみつけてまっ先にお連れしたんだ。」
「すけべ野郎、気が効くじゃん。」
生意気な口を聞いていても、少女は嬉しくてしかたがなかった。
少女は、居間で、久しぶりに手料理を養父母に振る舞った。
「ふみなの作る炒めものは美味しいね、」
「…」
「うん、また腕をあげたな、」
「ありがと、いっぱい食べてね」
夜は、三人で川の字になって寝た。
翌朝起きると父と母はいなかった。
少女は、家の中じゅう探してみた。居間と台所は、昨日の夕食の跡が残っていたし、玄関には二人の靴もあった。
かわりに、二人の寝ていたところに二人の写真があった。
少女は、2枚の写真を手にとって交互に見比べてみた。
老父は、歌会に出た時に、自分の“作品”を詠んでいるときのスナップだった。
老母は、ふみなの小学校の父兄会に来てくれたときに、ふみなが無理をいって写真機をかりて、ふみな自身が撮ったものだった。
わずかにぶれていた。
裏をめくると、日付けと病院名が走り書きがしてあった。
ふみなは、とるものも取りあえず走った。
何だか、何が待ち構えているのか分かっているような気がした。
養父母の遺体があった。
二人とも手足や顔が、形をとどめないほどだった。
どこの病院にも、餓鬼に撲殺され、その身体を殺されてから食い散らかされたた都民の死体が、夥しい数、運び込まれていた。
少女は、白い布がかけられた父母の顔の脇にうずくまった。
涙を堪えることは無理だった。
でも、少女は、これで家を空けていた間に見た夢の話を、大好きなお父さんお母さんに全て聞いてもらえると思った。
これが最後の機会だったんだ。
よかった…
龍樹韻の事務所。
龍人達は、讃苦が暴れた時に、結界保持のために使う力を限界まで引き上げて、被害を最小限に食い止めていた。そのため、龍人の事務所を町内に持っていた場所は比較的被害が少なかったようである。
タケヒデが龍樹韻と将棋をしていた。
二人とも、若さを標榜しているわりには爺臭い趣味があったりする。
龍樹韻は盆栽も手懐けていた。
さつきや松などの逸品物の鉢は、事務所の裏に百点以上もあった。
法律家は、ニヤニヤしながら露骨な台詞を並べた。
つき合いが長くなければ言えない台詞だろう。
「だから、おれは精霊が嫌いなんだ。善意のつもりで、気安く他人の運命に干渉する。」
「まあ、そう言うな、あの子には、前世の縁もあるからな、ありのままを見せただけだ。」
「ほう」
「そしてな、必要なことは、この世はそんなに捨てたもんじゃない、ってわかってもらうことだろ。」
「そうだな」
「オレは精霊でお前は龍人なんだよ。」
「なんだよいきなり、」
ぴしっ
「王手」
「おお、そう来たか…」
龍樹韻の事務所の黒板にふみなの書き置きがしてあった。
『まさやのばか』
(落書き、ともいう)
タケヒデが、ちゃっかりこの文字に法力をかけて、言霊を封じ込めていた。
少女が還ってきて、少年と会わない限りこの落書きは誰にも消せないのである。
屋敷森の一角に、瑠が後ろへ倒れ込むようにして着座していた。
椎や柏の背の低い雑木林を機体のまわりいっぱいにへし折って押し広げていた。
着地の衝撃で、機体の一部か、もしくは立ち木が焦げたのか、ぶすぶすと煙も立ち上がっていたが、それはあまりひどくはない様子だった。
瑠の左腕は消失したままだった。
ろーらんもいなかった。
「ふあぁ、」
少年は、息をついて、機体の外へ外へ這い出し、瑠の右肩から頭部へよじ登った。
冠の宝玉が多くくっ付いているので、手がかりは多かった。
青い空に白い雲が、気ままに浮かんでいた。
遠くまで視界が広がった。
白い光の太陽が南天高く上がっていた。
南向きに農家の家屋敷が一列に並んでいた。
左手の方には屋敷の間に何かの櫓のようなものも見えた。
家の前の庭から細い道が、西から東へ向かって伸びる街道につながっている。
屋敷の北側は屋敷森になっており、そのまま雑木林につながっているところもあった。
緑の中に手入れの始まった田畑が、帯のように広がっているところだった。
少年には、ここがどこだかまるで分からなかった。
下の方から声がした。
「ばあさんや、男の子だ、男の子が出てきた。」
「おやまあ、旅の子だよ」
少年はポンチョを羽織ったままだった。
日ざしが強そうだったので、機体の外へ出る時に麦わら帽子をかぶっていた。
「どこから来たんだろうねえ」
少年は、子猫のように、すばしこく機体からおりると、老夫婦の前に出た。
「お腹空いてないかい。」
「どら、かまわないから、ご飯、食べておいき、」
「はい」
少年は澄んだ瞳から、滝のような涙を流しながら何度も何度も頷いていた。
あの街道の向こうに何があるんだろう…
ごはん食べたら、行ってみようか…
懐かしいな…
堆肥の臭い、牛の鳴き声…
ろーらんは、もういなかったが、なんとかなるかな、と心の片隅で思っていた…
「あたしって、いつもこんなもんばっかし見てるような気がするな…」
木村巡査部長が、ゆうきを迎えに来ていた。
「嫌?」
少女は胸をはって応えた。
力の溢れる笑顔だった。
少女の顔に、微かに白んだ明け方の光が差していた。
この子は、半端な大人など行けないところどころか、命さえおとしかねない所へ何度も平気な顔して行ってきたのだ。
「ううん、あたしはいつも明日を見ていたいの」
少女は、写真をずっと見つめていた。
かりょ、で、頻賀の写真屋に撮ってもらったものだった。
むーが、猫の姿のまま人の声で話かけた。
「おねーちゃん、頻賀ってね、百年前のことでも千年前のことでもちゃんと覚えてるんだよ。」
「聞いたことある、それ、あたし…」
「どうしたの、おねーちゃん…」
「ううん…」
ふみなは、訳もわからず涙ぐんでしまった。
少女は拳でごしごしと目をこすって、しゃがむと、むーの咽を撫でてあげた。
「うなぁ…」
むーは、気持ちよさそうに目を細めた。
崩れたビルの間から、陽が差し込んできた。
太陽は、ここ四日間ぐらい、東京の西の空に沈もうとはせず、白夜状態が続いていたが、復興を急ぐ各区は、その作業を進行させるためにかなり好都合だった。
沈むのをやめていた太陽は、まるで、少女の気持ちの変化に合わせるかのように、ここ数時間くらいの間で、わずかに高度を上げて、8月の暑い季節に相応しい姿に変わり始めていた。
少女は、麦わら帽子を被ったまま、見送りに応えて、青空を振仰いだ。
ポンチョの両袖をまくって手を出していた。
旅装束セット、ボーガン、コンパス、時計を装備していた。
龍樹韻が見送りに来ていた。
少女は、今度から、東京に来た時にこの龍人の事務所に世話になることになっていた。
空には雲一つなかった。
少女の愛機とトラックが強い日ざしを浴びていた。
少女はギャタイのシートに乗り、ハンドルに手をかけてスターターを入れた。
遠い目をしていた。
「あたし、またじれるだかりやに行ってみようかな…」
「そうか、気をつけてな、」
少女は、長髪のスーツ姿の竜人に、少しだけ目をやった。
「うん、じゃね。」
大内裏の秘密調査官は、頻賀のばあさんと縁側で茶を楽しんでいた。
事を終えて、跡目譲りの話が具体化した梅花老である。
お茶請けには、満つ環屋(東麻地汰駅前にある銘菓店鋪)の水羊羹。
「齎藤よ、嫁はとらんのか、」
「…」
「なんだったら、頻賀の綺麗な娘を世話してやってもよいぞ。」
「おばばさま、寸法の問題を考慮されていない、ということは、お戯れですな。」
「うほほほほほ」
夏が盛りになりつつあった。