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FILE.4-1 就活と死神①

「……ふぅ。さすがに全部の床をモップがけするのは一苦労だな」

 僕は一息小休止を取り、手に持っていたモップを壁に立て掛ける。じんわりと額に浮かんだ汗を袖口でぐいっと拭うと、窓の外から店内を照らす陽光に向かって大きく伸びをした。体に溜まった疲れを削ぎ落とすようにぐいっと思い切りよく背すじを伸ばす。

 コキコキと気持ちいい音が小さく鳴ると、僕は身体に喝を入れるように再び手にモップを握り締めた。

「う……うぅ~ん……」

 この店の主にして僕の上司、そして死神の少女――イルは窓から差し込む陽光を浴びながら、猫のようにソファの上で丸くなって眠っている。ソファ越しに頬に当たる陽の光にむず痒さを覚えているのか、時折「うぅ~ん、うぅ~ん」とうなされた声を上げる。

 そんな彼女の姿を見ていると、横で眺めている僕の方まで眠たくなってしまうのは気のせいなんだろうか。

「マコト、掃除を頼む」

 そう言ったイルは、僕が「分かった」と言う前にそのまま眠ってしまった。他にやることもない僕は、結局彼女が言いつけた仕事をひたすらに片付けることしか残されていない。

 こんな二人のやり取りを端から見れば、僕の行為に疑問を抱く人がいるかもしれない。

 ――なぜ君は彼女に怒らないのか、と。

 その問いに僕はこう答えることしかできない。

 ――怒る、ということが分からないからどうすることもできない、と。

 どうすることもできないのなら、言いつけられた仕事をするという選択肢しか残っていないんじゃないだろうか。

「これが終わったらどうしようか……」

 そんな言葉が僕の口から漏れたその時、不意にポケットにしまっていた携帯電話が震えた。


「……うん。こっちはいつも通り。さっき銀行で残高も確認したよ。問題なく振り込まれていた。いつぐらいにまたこっちに帰ってくるの? ……そうなんだ。分かった」

 僕は最後に「じゃあね」と言って携帯電話のボタンを押した。それを再びポケットの中にしまうと、不意に目の前で眠っていたはずのイルが訊ねてきた。

「誰からの電話だい?」

「両親からだよ。『そっちは元気でやっているか?』だってさ」

 起きたてだからだろうか。イルはところどころぴょんぴょんと跳ねて自己主張する白髪を気に留める様子もなく、眠気の残る目をこすって僕にそんな言葉を掛けてきた。

「親から? ……そういえば、キミの両親はどうしているんだい?」

「父さんはアメリカの支社で働いている新聞記者だよ。母さんはパリでデザイナーの仕事をしている。どちらも僕から遠く離れた場所で生活しているということは同じだけどね。……でも、なぜそんな事を訊くの?」

「だってそうだろう? キミは毎日ここにやってきている。平日は夕方からだが、土日は午前中からここにいる。そんなに毎日家から離れていると、ご両親は『一体アイツは何をしているんだろうか?』と疑問に思ったり、心配になったりするのではないのかい?」

「そうなの? 僕には分からないけど」

「キミに分かるわけがないだろう? まだ親になっていないのだから」

「それもそうだね。……ところで、寝起きがてらにコーヒーでも飲む?」

「あぁ。頂くとしよう。とびきり熱くて濃いものを頼むよ。起きたての身体にはそれが一番いいからね」

「わかった」

 僕は掃除道具を片付け、キッチンへ行くと洗いたてのマグカップにコーヒーを注いだ。

黒々としたコーヒーを注ぎながら、僕は先ほどのイルとの会話を思い返した。

本当はなんとなく分かっているんだ。なぜ両親が僕のことを気にかけないのかを。


 ――それは恐れているからだ。


 僕はこの通り心が壊れた人間だ。両親とも、それは頭では分かっている。理解もできている。

 でも、やっぱりそれは「異常」とも言うべきことだ。

 痛いということは感じることができる。

けれども、その前提となる「恐怖心」ということが僕には分からない。

 ゲームをすることはできる。

けれども、それをやっても僕は「楽しい」という感情が分からない。

人間という集団の中で、それはやっぱり異質なことだ。異常なことだ。僕はいつもの通りでも、他人から見ればそれはやっぱりおかしなことだろう。

そんな異質で異常で異端な人間は誰からも相手にされない。いや、距離を置かれる存在だ。

なんだかよくわからないから近づかないでおこう。そんな程度のもの。

僕の両親は酷いことをしているんじゃない。むしろそっちが正常で、僕の方が異常なだけなんだろう。

「……できたよ」

 僕は頭に渦巻いていた思考を断ち切り、キッチンから出た。マグカップをイルに渡すと、彼女は嬉しそうにそれに口をつける。

「……苦い」

「あっ、ごめん。……淹れ直す?」

「いや、いいさ。たまにはこういったものも飲んでみたい」

 僕の淹れたコーヒーは、イルの口には合わなかったらしい。けれども、イルは作り直せとも言わず、いつものように本を読み始めた。

その後、二人でいつもより苦みの増した熱いコーヒーをすすり、僕はこの店で行う仕事へと取りかかった。

 この店での僕の仕事――それは、この店に訪れた人にお茶を出して、イルのそばで二人のやりとりを見ていること。

 仰々しく言ってみたものの、つまりはこういうことだ。

 それは依頼主が『不幸』を買い取って欲しいとやって来た、ということに他ならない。



「それで、貴方の買い取って欲しいという『不幸』とは一体何ですか?」

「それは――仕事に就けない、ということです」

 疲れたようにため息交じりにそう答えたのはスーツに身を包んだ若い男性だった。就職活動中の大学生なのか、まだスーツに着慣れていないようでどこかぎこちなさが残っている。

「知っていますか? 今の就職活動がどれほど激しくて切羽詰まったものかということを」

 萎れた花を思わせるその青年は、これまでの自分の過去を振り返っているのか、どこか自嘲気味に笑っていた。

「会社説明会の受付はわずか十分もかからずに満席状態。エントリーシートの締め切りに追われて徹夜が続き、身体はボロボロ。……でも、そこまでしても結局帰ってくるのは『貴方のご健勝とご活躍をお祈り申し上げます』という不合格通知のメールが一通来るのみ。百社二百社応募するのはザラにある。けれども、結局惨敗の日々ですよ」

「…………」

 ちらり、と依頼主の足元を見やれば、その苦労を物語っているかのように靴底がごっそりとすり減っていた。それを見ただけでも彼が今までどのように戦ってきたのかが窺い知れる。

 僕は目の前に座るその青年を見ていると、まるで戦うことに疲れた戦士を見ているような気がした。彼はたぶん、これまでには経験したことのない戦いに挑んでいるのだろう。

 今までは楽だった。なぜなら、それは「テスト」や「試験」という目に見える、ハッキリとした数字で捉えられるものを相手にしていたのだから。

 でも、これから立ち向かうのは社会であり、人間だ。そこには「テスト」や「試験」では判然としない「感情」というものが加わってくる。

 これは厄介な相手だ。なぜなら、人間は「感情」という複雑怪奇なものを持っている。その捉えられ方によって、自分は勝者と敗者に色分けされてしまうのだから。

 エントリーシートを読むのも、面接をするのも結局は人間だ。機械が行い、ふるいにかけるわけじゃない。それこそ機械がすべてやってくれるのなら、どれだけ楽になるのだろうか。

 たぶん、この依頼人が立ち向かっているのはそういった複雑怪奇でワケの分からない、怪物なのだろう。

 そんなふうに僕は目の前で肩を落とす青年の話を聞きながら、とりとめもない想像を広げていた。

「なるほど……。お話は分かりました。要するに、貴方の『就職できない』という不幸を買い取って欲しい、そういうわけですね」

 イルの確認するような言葉に、青年は静かに首を縦に振った。

「不合格の通知をもらうたびにこう思うんです。『自分はこの社会で必要とされていない存在なんじゃないか』と。必死に自己分析をして、エントリーシートの対策や面接の対策も、万全にやってきたつもりでした……。けれど、帰ってくる返事は『まことに残念ながら』という決まり切った文句が並ぶメール一通のみ。何が悪かったのかも、どうすれば良かったのかも分からない。けれども時間は過ぎ去っていく……」

 青年が喋るたびに重くなっていく空気に、僕はどうすることもできない。僕はまだ学生だ。アドバイスできる立場ではないし、目の前でうなだれる青年と同じ立場でないので勇気づけることなんてできるわけもない。

「万全に準備をしても落とされる。それはある意味当たり前と言えば当たり前ですよ」

 イルはコーヒーをすすりながら、ひどく落ち着いた様子でそう口を滑らせる。けれども僕が淹れたコーヒーのカフェインが効いていないのか、時折「くふぁあ……」とあくびをかみ殺した声が店内に漏れていく。

「えっ?」

「なぜなら、人間はひどく自分勝手な生き物なのだから」

 青年は驚きの声を上げた後、数秒ほどまじまじとイルの顔を見つめていた。僕はどうということもなく、ただイルの横で聞いているだけだ。

「面接に割かれる時間はわずか十分や十五分ほど。『人物を評価する試験』とは言われているが、たかだか十五分や三十分でその人の何が分かるとお思いですか? 社交性? 勤勉さ? 社会常識? 貴方が初対面の人の内面性や性格がそんな短い時間で分からないのと同じように、面接官だって分かるわけはないんですよ。けれども試験と名のつくものなのだから、それまでに何がしかの結論を出さなければならない。なら、相手はどうするのか。――決まっているさ。ただ単に第一印象で良かった人を選ぶだけだ」

「そんな!」

 青年は思わずそんな驚きの声を上げながら、愕然とした顔を浮かべていた。イルの言葉は残酷に聞こえたかもしれない。

 まさかそんな曖昧なもので自分の結論が出されているとは思わないのだから。

「初対面の相手に抱く第一印象が決まるまでは、わずか十秒足らず。人によっては三秒ほど。そんなわずか数秒の間に、人は『好感が持てるか持てないか』を決めてしまう。ラベルを貼り、人間を型に嵌めこむ。しかも、そういった印象はなかなか変わり辛い。変えようと思ったら、それは多大なエネルギーと時間が必要になる。というより、それで十分なのさ。第一就職試験はテストと同じように理解度を図るためのものじゃない。これは『落とすため』の試験なのだからね。目的が違えば、当然その中身も違ってくる。ペーパー試験は加点法かもしれないが、面接試験はいわば減点法さ。その人のアラを出来得る限り探し出し、×をつけるのがその本質だ。『人物を評価する』と表現すれば聞こえはいいが、その実は全くもって陰険な試験とも言うべきものなのさ」

「そ……そんな……」

「残酷だと思いますか? 非常だと思いますか? ……ですが、至極当たり前のことなんですよ。私が『当たり前』と言うように、それは貴方も同じことを日々していますよ?」

「えっ?」

「『あいつはいい奴だ』『あいつはこういうヤツだ』『あいつはバカな奴だ』……こんなふうに型に嵌めて人を批評したことは、思ったことはありませんか? それと同じことが面接の場所でも起きているに過ぎない。ただ視点と状況が異なるだけですよ」

 イルはマグカップのコーヒーを一息に飲み干すと、愕然としてぶつぶつと呟く青年に静かに告げた。


「――貴方の不幸は買い取る価値もない」

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