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FILE.3-1 人殺しと死神①

 最近分かったことだけれど、イルはいつも音楽を聴きながら本を読み、ブラックコーヒーを飲んでいる。

 音楽はそれこそJ-POPのテレビで何度も流れる聞き慣れたものから、昔流行った往年のロックミュージックに、果てはクラッシックやジャズと節操がない。

 本も同様で、すぐそばの本屋で手に入る小説やハウツー本、専門書に古書店でしか目にすることができないような絶版本や洋書とその幅は図書館のそれよりも幅が広い。

 加えて、かなりの愛煙家だということも分かった。

「マコト、すまないがそこの棚から煙草を一ケース頼む」

「どこにあるの?」

「私から見て左側にある棚、その上から四段目、左から三列目にある」

 これは授業が終わり、僕がいつものように店の中に入ってきて早々のことだった。イルは僕に当たり前のように注文してくる。

 イルの態度に僕以外の人だったら、思わず「それぐらい自分でやったら?」と言うかもしれない。事実、イルが指示した棚は僕よりも彼女の方が近いのだから。

 それこそ彼女が手を伸ばせば届くぐらいの位置に。

「これ?」

「あぁ、それだ」

 ただ僕はそんなイルに怒ることも呆れることもなく、言われるがままにつかつかと棚へと近寄った。

 僕は指定された棚の引き出しから目当ての物を取り出すと、ソファの上で本を読むイルに手渡す。クリーム色をした煙草のケースには、三つ葉を加えた鳩とも思える鳥の図柄と『Peace』という文字が書かれている。イルがいつも吸っている煙草だった。

「キミは面白いな。この店の、この私の助手だというのに店の中のものには触れようとしない」

「……おかしいかな?」

「いや、『ちょっと変わっている』と言えばそれだけのことだよ」

 イルはくすりと笑いながら僕を見つめていた。彼女の赤い二つの瞳が射抜くように僕を真っ直ぐ見つめているが、毎日のようにここにいれば嫌でも慣れる。

 現に、僕もさして違和感を覚えることはなく、普段通りの会話が店の中で交わされていた。

ちなみに、イルが言ったように僕は不用意に店の中にあるものには極力触らないように心掛けている。

 それは一体なぜか?

 決まっている。ここはイルの店だからだ。僕の部屋ではないし、店の中にあるのは言うまでもなく彼女の持ち物だ。

 他人が勝手にどうこうする必要はないし、僕が何かできる立場でもない。下手に店内を掻き回してイルから怒られるより、よっぽどマシだから。

「コーヒーを淹れてくるよ。イルも飲む?」

「そうだな。私ももらおう」

 新しい煙草に火を付けたイルは、空になったマグカップを僕に手渡して引き続き読書に没頭している。煙草から漏れるほんのり香る甘い匂いが僕の鼻腔をくすぐった。

 僕はいちいち五月蠅い小姑のように、「煙草なんて吸っても大丈夫なのか?」とは聞かない。イルの年齢が二十歳以上かどうかなんて確認したことはなかったし、そもそも彼女は人間ですらない。

 死神が煙草を吸うのは二十歳以上から、なんてルールや法律はこの世には存在しない。いや、仮にあったとしても彼女は守ろうとはしないだろう。

 だから聞く必要もない。

 だから僕は注意しない。



「はい、おまたせ」

「ありがとうマコト」

 マグカップを受け取ったイルは、テーブルにそれを置くと、灰皿の上に置かれた短い煙草を揉み消し、真新しいものを取り出す。

 その先端に点火したマッチで火を付ける。イルが吐き出した、ニコチンとタールがたっぷりと詰まった空気が店内にゆらゆらと漂う。人差し指と中指に挟まれた煙草からは、白煙が途切れることなく立ち上る。

 ただその光景を僕はぼんやりと眺めているだけだ。

「うん? まさかキミも煙草を吸いたいのか?」

「いや、別にいいよ。興味がないからね」

「それがいいさ。煙草なんてキミが吸うようなものじゃないからね」

「そもそも吸えないよ。僕は未成年だからね」

「それもそうだな」

 イルは僕が煙草を欲しがっているように見えたのか、そんな言葉を僕に投げかけた。けれど、僕は学生で未成年だ。煙草を吸える年齢じゃないし、そもそも煙草に興味はない。

 だから、と言ってはなんだけど、目の前で煙草を堂々と吹かし音楽を聞きながら読書に耽る死神に、僕は抱いていた疑問を口にした。

「なぜイルは煙草を吸うの? コーヒーも飲むし、音楽と本だって好きなように見える」

 けれど、イルが煙草を吸う行為やコーヒー、音楽、読書をすることには疑問があった。

 どうしてイルは音楽と読書とコーヒーと煙草が好きなのだろう?

 死神なのに。

神様が人間のものを欲しがる「理由」が思いつかない。一般的(?)なイメージとしては、神様という存在は人間よりも偉くて高尚で、人間という種の「上位」に位置する存在だ。そんな神様がどうして人間という自分よりも下位に位置する存在のものを好きになるのだろうか?

 僕のそんな質問に、イルはふと「そうだな……」と呟いた上で、

「たぶん、私が人間のことを面白いと思っているからだよ。――例えばこれさ」

 イルはすっとその細い指をテーブルの上に置かれた煙草のケースへと伸ばす。

「キミも見ただろう? この煙草の銘柄は『永遠なる平和(ロングピース)』というものらしい」

「うん、僕も見たよ」

 僕はイルの伸びた指の先、クリーム色をした煙草のケースへと視線を落とした。中央に描かれた鳩(のようなもの)は、よく「平和の象徴」としてよく起用されるものだろうか。

「なかなかに面白いと思わないか?」

「何が?」

「この煙草の名前の付け方(ネーミングセンス)だよ。まったくもって人間というのは面白い」

「なぜ?」

 僕にはただの煙草の銘柄にしか見えない。この名前のどこが面白いというのだろう?

 そんな僕の疑問をよそに、死神の少女は言葉を続ける。

「これは煙草だ。マコトも知っているだろうが、煙草というものはニコチンとタールが存分に詰まった、いわば毒物でしかない」

「そうだね。確かニコチンによって喫煙への依存が生まれてしまうんでしょ?」

 僕は「煙草を吸っている張本人がそれを〝毒物〟などと言うのはおかしくないか?」と疑問に思ったが、あえて口を挟むようなことはしなかった。

「あぁそうだね。そのへんは麻薬と一緒さ。脳にダメージを負わせ、病気への危険性を高め、余計なリスクを背負わせるものだ」

「うん、一緒だ」

「加えて、この煙草の名前は『永遠なる平和(ロングピース)』だ」

「そうだね」

 僕はさっきからイルの言葉に頷くばかりだ。それは事実であり、実際に耳にしたことであり、目の前にあるものだ。

 事実は否定しようがない。厳然とそこにあるものに対して、あえて否定する行為自体、馬鹿馬鹿しいものだ。

「だから人間は面白いんだよ」

「だから、どうしてその結論に行き着くの?」

 僕がそう訊ねても、イルは煙草をふかしながら本に目を落とすだけだった。数瞬の間を置き、イルの口が再び開く。

「テレビをつければ、今日もどこかで人間同士が血で血を洗う愚かな戦いを繰り広げている。今、この瞬間にも世界のどこかで飢餓と貧困にあえいで命を落とす人間がいる。こんな不条理な世界にも関わらず、この煙草の名前には『永遠なる平和(ロングピース)』と名前が付けられている」


 ――一体誰を殺したら、世界はこの名前のように『永遠なる平和(ロングピース)』になるんだろうな?


 読みかけの本を閉じたイルが笑って僕を見つめる。その笑顔には、皮肉も嘲笑も何もない。

 あるのは、ただ単純に「疑問」だけだ。無邪気な幼い子どもが「なぜ1+1=2なの?」と訊ねるような、純然たる疑問。

 僕の目の前にあるのは、そんな幼い少女の顔だった。

「さぁ、誰なんだろうね? 僕には見当もつかないよ」

「私もだ」

 イルはそれっきり口を開くことはなく、僕もまた机で宿題を片付けることにした。



「どうぞ……」

 僕はトレイに乗せた湯呑みをそっとテーブルの上に置いた。僕がこんなことをするのはただ一つ。それは、この店に客がやってきたからだ。

「どうも」

 依頼人から発せられる、お腹に響くずっしりとした野太く低い声。今回この店にやって来たのは男性だった。僕はトレイを片手にイルの隣に腰かける。メモは取らない。取る必要もない。僕はイルの隣に座って依頼主の話を聞くのみなのだから。

 それが僕の仕事であり、役割だ。

 その男性はがっしりとした体格の持ち主で、手入れの行きとどいたスーツに漆黒の輝きを放つ靴を履いている。特徴的なのはその指と顔だ。指は太く見れば金色の指輪がいくつも嵌められている。指輪には精緻な細工が施され、所々に宝石も散りばめられている一級品だった。

そんな「頑丈そうな肉体」という印象を顔――正確には右頬に刻まれた大きな傷が裏切っている。黒いサングラスをかけ、傷の一部を隠しているけれど、それで全部が隠れてはいない。その痛々しい傷は右眼から顎まで斜めに入っていた。

 おそらく僕以外の人が見たら、逃げ出すのではないかと思うぐらいに「怖い」という印象を受けそうな人だった。

 僕は怖いということがどういうものなのか分からないので逃げることはなかったけれど。

「それで、貴方の持つ『不幸』とは何でしょうか?」

 イルは依頼主の醸し出す雰囲気に臆することなく、いつも通りに話を進めた。

「それは、俺の過去だ」

 強面の男性は、じっとイルの顔を見つめたままだ。サングラスをかけているためにその顔の表情が読み取り辛い。たぶん、この男性はイルのことを試しているんじゃないかと僕は密かにそう思えた。

 なぜなら、『不幸』というものはお金を払って買い取るものではないからだ。

この男性はきっと「コイツら一体何者だ?」という目で見ているのだろうか? 僕には関係ないものだけれど。

「過去、ですか……」

「あぁ。分かると思うが、俺は世間一般で言うところの『ヤクザ』っていうやつさ。この傷もある組との抗争の時にできたモンだ」

 そう言いながら、男はそっと傷を撫でた。当時のことを思い起こしているのか、その声はどこか昔のことを懐かしがっているようにも思える。

 憧憬……と言い換えていいかもしれない。

「だが、いい加減に俺はもう足を洗いたいと思っている」

「それはなぜでしょう?」

 イルの質問に、男はふっと自嘲気味に笑った。

「親父――といっても、先代の組長だが――には十二分に恩義を返したからさ。俺はそれまで何をやっても中途半端な生き方しかできなかった。そんな俺を拾って育ててくれた先代の組長には感謝しているし、恩義も感じている。だが、今の組長は先代を裏切るようなことばかりだ」

「裏切る?」

「先代はそりゃあ昔堅気で堅物な人として有名な人物だった。ドロドロとした汚い裏社会を仕切っていたが、男を下げる仕事はしない。仁義を重んじ、俺みたいな中途半端な生き方しかできネェ奴等を拾っては大切に育ててくれた。だが、今は――」

「その先代とは真逆のことをしている、と?」

 イルの指摘に、男は静かに頷いた。

「今の組には仁義も何もありゃしネェ。完全なカネと力に支配され、挙句には先代が固く禁じていた覚醒剤(シャブ)にまで手を出す始末だ」

「覚醒剤……。そうでしたか。しかしながら、そういった麻薬関連の取引は難度の高さもさることながら、組の重要な資金源なのでは? まぁ、他にも拳銃密輸などもあるでしょうがね。とにもかくにもヤクザであれ何であれ、組織を維持するためには資金が必要でしょう。そういった目で見れば、仕方がないとは思いますが?」

 イルの歯に衣着せぬ言い方に、依頼主は肩をゆすらせてかすかに笑みをこぼした。

「言うじゃネエか。そんなことを人前で堂々と口ン中から吐き出せるっつうこと自体、アンタはマトモじゃネエぜ?」

「冷静な分析、というヤツですよ。……まぁ、そういったモノは犯罪行為でしょうが生きていくためですしね。それに『そんなコトをしてはいけない』と言ったところで事実でしょうから」

 イルは依頼主の男が漏らした皮肉をあっさりと交わす。その表情からは嫌悪感を見ることはない。彼女からすれば、純粋な「事実」であり「分析」としてあるがままのことを喋っているに過ぎないのだろう。

 一方の僕も顔をしかめて二人の会話から遠ざかるようなこともない。

 他人から見れば、僕等は「異常」にカテゴライズされる種類の存在かもしれない。まるで今日の朝食のメニューを聞くかのように、犯罪につながる言葉が交わされるのだから。

「確かにカネは重要さ。カネがなけりゃあ生きていけネエのは事実だ。だが、それも『やり方』っつうもンがあるだろ? クスリは人を狂わせる。……それも徹底的に。人様を不幸のドン底に突き落として、絶望の淵に追いやってまで自分が生きてエとは思わネエよ」

 その声には落胆の色しか見えなかった。道端に捨てられたゴミを見るかのように、足もとに転がる遺骸を見るかのように、依頼主の口元がわずかに歪んだ。

「それと、過去とはどういった関係が?」

「分かるだろ? 俺みたいな人間は結局のところ陽の下を歩けネェのさ。俺だって過去に何人も殺したことがある。ムショだって一度や二度じゃネエ。そんな犯罪者が足を洗ってカタギになろうと思ったら、その過去が邪魔をしちまうのさ」

「……なるほど」

 イルは納得したように、深く二度頷いた。

 イルがそんなふうに頷く一方、僕は目の前にいる男性がこれから歩もうとしている未来に思いをはせた。

 この依頼主が抱えている傷は深くて重いものだろう。人を殺し、刑罰を受けた彼がこれからまっとうな人間として生きていこうとしている。

 けれども、社会はそんな人間を快く受け入れるのだろうか?

 その人の過去なんてものは、ちょっと調べればすぐに分かるものだ。いや、調べずとも過去は過去だ。誰であれ、過去の自分を消すことなんてできない。鉛筆で書かれた文字を消しゴムで消すのとは訳が違う。

 過去とは、それこそ今まで歩んできた自分自身なのだから。

 過去を否定するということは、今までの自分を否定することと同じこと。

過去を消すということは、今までの自分を消すことと同じこと。

 それほどまでに「歴史」とは重いものだ。

 このヤクザの男性も、それを承知の上でここにいるのだろう。記録が消せないのなら、せめてその「不幸だ」と考えている自分を消し去りたい――そんなことを思っているからこそここを、イルを頼って来たのではないだろうか。

 僕は話を聞きながら、ふとそんなことを考えていた。



「そうそう。言い忘れていたな。これはまぁ、今さら確認するほどでもないんでしょうが……。今回の貴方の依頼、もしノーと断る――」

 ――のならどうしますか? とイルは続けようとしたのかもしれない。

 けれども、それを最後まで言う前に、

「その瞬間、頭で煙草を吸うことになるだろうよ」

 依頼主の男は脇の下に吊るしたホルスターから取り出したものをイルに突き付けた。

 ずっしりとした重量感と内に秘めた暴力。

 黒々とした艶のあるそれ――

「……これは脅しですか?」

「なぁに、単なるお願いさ。俺は幼い女の子を虐める趣味はネエよ」

 拳銃を突きつけた男は、飄々とした顔でそんな事を呟きながら、しかしその銃口はイルの額を捉えつつ少しばかり口角を上げた。

拳銃コイツは俺の女々しさの象徴さ……。過去を洗いたいと思う俺を裏切るように、この銃は『まだあの世界には俺の居場所がある』って言ってやがるからな」

「…………」

 依頼主の男はイルに銃口を突きつけながら、乾いた笑みをイルに見せた。

「人って脅かす時にはこうやって拳銃を突きつけるものなのかな?」

 ふと隣で二人のやり取りを見ていた僕はそんな場違いともとれる言葉を吐き出した。

 他の人から見れば、「こんな状況で何を言っているんだ?」と騒がれるかもしれない。事実、依頼主の男も僕の顔をまじまじと見つめている。

「こういう時は分かりやすいものが一番なのさ。こうして銃口を目の前にすると、『あぁ、自分は殺されるんだな』と恐怖心を誘う方が自分の都合の良い方向へと導くこともできるからな」

「はぁ……なるほど」

 僕はちらりと目を配ったイルに頷きをもって答える。

「お前……怖くネエのかよ?」

「怖い? なぜ?」

 僕は銃を握ったままの依頼主に首をかしげた。

「そうだろ? このお嬢ちゃんはもう俺の思うままさ。うっかり引き金を引いちまえば、次の瞬間にはサクッと天国へ召されるだろうに。このお嬢ちゃんの後にはお前が死ぬかもしれねえんだぞ? ……怖くて恐ろしくは思わネエのかよ」

「……怖いと言われても」

 そう。僕は――

「その『怖い』ということが分からない(・・・・・)から」

 僕は朝起きて歯を磨くように、自然とそんなことを呟いた。それに、付け加えるなら……

「私はこんな玩具では死ぬワケがないさ。だって死神なのだから。神様がなぜ人間の造ったもので殺されなきゃならないんだ?」

 イルはおもむろにそう呟くと、その白魚のようなか細い指で自分に突き付けられた拳銃の銃口をぐにゃりと潰した。

 飴細工のように曲げられた銃口とイルの双方をせわしなく見つめながら、依頼主の男はそれ以上の追及を諦めた。

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