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FILE.2-2 テストと死神②

「この子が受験する前に、不幸を取り除いてしまいたいの」

 鳴り響くカウベルの音とともにやって来たのは、母と息子二人の親子だった。母親の方は紺のジャケットに下はスカートとハイヒール。ところどころ角ばった顔にかかる赤縁の眼鏡が印象的だった。

 ――ハリネズミみたいだ、というのが僕の第一印象だった。まるで何かを守るかのように、じっとうずくまって、針を立たせて敵を威嚇し攻撃する。

 そんなふうに僕は思えた。

 息子の方は母親とは違い、ジーンズに地味なシャツ。靴もスニーカーで二人が並ぶとどこかちぐはぐな感じが否めない。

 母親がハリネズミなら、こっちはピィピィと泣きわめく雛鳥だろうか。エサを親からもらい、何もかもを頼って身をゆだねている弱くてもろい雛鳥。僕は視線の先にいる二人にそんな印象を抱く。

「は、はぁ……。それで、その貴方の『不幸』というのは一体何です?」

 母親の鬼気迫る勢いに押されたのか、イルはどことなくやり辛そうだ。

「それはこの子が『受験に失敗した』という過去を持っていることですわ! これでは今年の受験も同じ結果になってしまいます! 余計なリスクは潰しておくもの、ということですわ!」

「は、はぁ……」

 母親の勢いに呑まれたイルは助けを求めるように僕をちらちらと見やる。だが、僕はどう対応すればいいのか分からない。

 分からないから手が出せない。僕は両肩を上げ、早くも降参の態度を彼女に示す。

「悲しいことですわ! なぜこの子がこのような仕打ちを受けなければならないのでしょうか! 学校には充実した環境とカリキュラムがそろったところに通わせ、さらに学校だけでは不十分と判断して有名な、それも難関大に幾人も合格させている実績のある学習塾へと通わせているというのにっ!」

 僕はそんなふうにヒステリックに叫ぶ母親から視線を息子の方へと移す。自分の隣でわめきちらすそんな母親の姿を横目に、息子の方はどこか沈んでいた。

 そんな対照的な二人の姿に、


「――受験が『成功』すると、幸せになれるのかな?」


 ふと僕の口からそんな言葉が漏れた。

 なぜこんなことを言ったのだろう、と僕は漏らした後で考えた。

 あぁ、たぶんイルの言葉が頭に残っていたのだろう。


『知識という《材料集め》に躍起になってしまい、その先にある《集めたら何をするのか》ということがすっぽりと抜けているんだよ』


 瞬間、母親がギロリと僕を睨んだ。

「受験が『成功』すると幸せになれるのか、ですって? それは当たり前でしょう! 何のためにこれだけのお金をこの子に投資していると思っているの。それはこの子の将来のためを思ってのことなのよ!」

「将来、ですか……」

「だってそうでしょう? 今は『学歴社会なんて……』と昔のように語れますが、実際に大企業のトップや官僚、政治家といった中枢を支えているのは難関大や有名大学を卒業した人々たちが多いのは事実でしょうに」

「は、はぁ……」

 この母親の前に、僕は曖昧に返事をすること以外に選択肢はなさそうだ。どうやら僕の言葉はこの人にとっては禁句だったらしい。

 こういったことを『火に油を注ぐ』というのだろう。

「まぁ、そこまでにして話を元に戻しましょうか」

 横で僕が攻められている姿を見ていたイルがさっと話に割り込んでくる。僕は「どうしてすぐに割り込んでこなかったのか?」と思ったが、イルの顔を見ているとすぐに気づいた。

 彼女はかすかに笑っていたのだ。

 それを見て、僕は「あぁ、なるほどな」と納得する。

 ――たぶん僕に対する仕返しだ、と。

 そして、

 ――彼女はきっと面白がっていたに違いない、と。


「では、改めて聞きますが……その貴方の持つ『不幸』――本当に買い取っていいんですね?」


「もちろんですわ!」

 母親は自信たっぷりにそう頷き、

「……はい」

 息子は小さくそう呟いた。


「取引……成立ですね」


 イルがため息交じりにそう宣言したその数分後、二人は綺麗さっぱりと抱えていた『不幸』を買い取られた。



「参ったよ。あぁいった客の相手をするのは本当に疲れるし、面倒だ」

 いつも通りに業務が終了してから、イルは僕がコーヒーを淹れている間中ずっとぶつぶつとそんなことを呟いてばかりいた。

 僕は「これが『愚痴を漏らす』ということなのかな?」という表現をあてはめてみる。

……うん、まさにぴったりの言葉だ。

 なるほど、これが愚痴なのか……と僕はまた一つ学んだ。

「あの親子、幸せになったのかな?」

 僕の口から思わずそんな言葉が漏れる。イルはいつものように僕から渡されたマグカップを受け取ると、静かにそれに口を付けた。

「どうかな? それは私の責任ではないし、意見を求められても困るというものだよ」

「それもそうだね」

 僕はその言葉に頷いた。なぜなら、イルはただ『不幸を買った』だけで『不幸を買った後の人間』がこの先歩んでいく道のことまでは保証しないからだ。

 だから、と言うべきか。扉の前に設置された立て看板にも、「あなたの不幸を買い取ります」という文言だけで、誰も「依頼主の今後の幸福を保証します」とは書きつけられてはいない。

 詐欺的手法だと言われればそれまでだ。けれども現実として確たる保証もできないのだから致し方ない。

 ちなみに、僕だって保証できない。というより、そもそも不幸というものが分からない『心』が壊れている僕に保証なんてできないというのが本当のところだけれど。

 イルは愚痴をこぼすのも飽きたのか、読みかけていた本を再び開いた。紙に印字された文字を目で追うイルの口から、ため息とともにその言葉は吐き出された。

「……この世はまったくもって非情な世の中になってしまったな」

 机に戻り、僕の方も勉強を再開しようとしていた時だった。イルのそんな言葉を拾った僕は、教科書に伸ばしていた手をピタリと止める。

「非情? どういうこと?」

「うん? なんのことはないさ。それは単なる『数字』がその人の人生を左右する……という世の中になってしまった、ということだよ」

 イルは僕の方をちらりとも見ていない。たぶん、僕に興味がないんじゃなくて、話の内容に興味がないからだろう。

「学校では試験や通知表の成績。会社では取引先企業の数や営業のノルマ。銀行なら預金残高に融資額と融資先企業の数。国家なら国内総生産(GDP)の指数に、為替・株価の相場も金額という「数値」だ。キミの周りには、いや世界中が数字の推移に一喜一憂して踊らされている。数字が世界の在り方を決めているのさ。……こんなことを言えば『そうじゃない』『そんなことはありえない』と怒られるかもしれないがね」

「でも、言われてみればそうかもしれないよね。身の周りには数字が溢れている。けれど、そのことと『非情だ』というのとはどういった関係があるの? 今のは単なる現状分析でしかないでしょう?」

「言っただろう。『数字が世界の在り方を決めている』と。なんの面白味も無い、ただの情報の羅列が人の生き方や立場、位置を機械的に決めてしまうんだ。これほど非情で容赦のないことはないだろう?」

「どうだろうね。そんなことを言われても、具体的なイメージが持てないよ」

 そう切り返すと、イルは僕の方に顔を向けて口の端を吊り上げた。ニヤリと意地の悪い笑みと白い歯を見せ、言葉を紡いでいく。

「では、別の角度から見てみようか。……唐突ではあるが、問題だマコト。お金持ちとは一体どういった人間を指すんだい?」

「それはお金をいっぱい持っている人だよ」

「なら、その『お金をいっぱい持っている人』は幸せかい? お金持ちはそこら世間一般の人間よりもはるかに大きな金――もっと言えば金額でありそれは数字である――を持っている人種なのだろう?」

「そうだね。……でも、そのお金持ちの人が幸せかと言われればそれは僕には分からないよ」

 僕がそう言うと、イルはおもむろに読んでいた本を閉じて僕の方に振り向いた。

「なぜ? お金は持っていても野菜や果物、魚や肉のように腐りはしない。お金はいつだって、どこだって使えるものなのに?」

「それとこれとは話が違うんじゃない? 幸福か不幸かなんて、それは当人が決めるものなんじゃないのかな? 『次元が違う』と言ってしまえばそれまでだけど、少なくとも僕が知っている、あるいは理解している幸・不幸というのはそういうものだったと思うよ」

「でも、数字が大きいほど人間は喜ぶのだろう? 試験で言えば五十点よりも百点の方が成績は良いと評価されるし、機械に喩えれば処理速度という数値が大きければそちらを性能がいいと判断するじゃないか」

「……さぁ、どうだろうね? でも、同じものを買うのなら一円でも安いものを買うだろうね。それは数字の小さなものを喜ぶことじゃないのかな?」

「そうだね。確かに物を買うなら一円でも安い――値段の数値が低い物を買う方が喜ぶだろう。だが、惜しい」

「惜しい?」

 僕の返答に、イルはこくりと首を縦に振った。

「それは表面的に見れば確かにそうかもしれない。けれども、何かを買うということは自分の手元にある財産を減らす行為だ。『同じものを買うのなら、一円でも安いものを』ということは、言い換えれば『手元に残る金を少しでも多くするために』とも考えられる。たぶん、無意識のうちにトータルで残る金額を考えているからこそ安いものを選ぶのだろうね。そう考えると、数字が大きいほど人間は喜ぶ……というのは、あながち間違いでもない」

「なるほど。それはそうだね」

「なら同じことだよ。数字が大きければ大きいほど人間は喜ぶ――これを当てはめると、より桁数の大きい数字を持っている人間は、より喜びを感じるという理屈が成り立ってしまうよ」

「…………」

「それはつまり人の幸・不幸というもの――つまりは人の生き方、立場、位置も単なる『数字』というモノが機械的に決めてしまえるということさ」

「う~ん……でもさ。それはあっているの?」

 イルのそんな解説を聞きながら、僕は不意に疑問を挟んだ。それはそうだろう。

 誰だって「あなたの生き様はすべて数字によって決められているんですよ」とでも告げられれば、良い顔はしないだろう。

 もともと心が壊れている僕は別として。というより、むしろ人によっては「ふざけるのも大概にしろ!」と怒り出す人間さえ出るかもしれない。

 数字がすべてを決める世界、という現実は人間にとって受け入れ難いものなのだから。

 そんな意図が伝わったのか、思わず出てしまった僕の疑問に目の前にいる死神の口元がかすかに歪む。

「さぁね。今私が言ったことが本当に正しいのかどうか、などという問題は瑣末なことだよ。結局私が言いたいのは『数字はどこまでいっても数字でしかない』ということさ」

「数字は数字……?」

「そうさ。それを見てどう感じるか、どう判断するかということは、それを見た人間次第さ。もし、キミが百点満点の試験で五十点を取ったとしようか。それをキミはどう判断するかい? 『五十点しか取れなかった』とみるか、『五十点も取れた。では、残りの五十点を埋めるためにはどうすればいいか?』とみるか……」

「どうだろうね。僕には分からないよ。だって、五十点は五十点だもの。それを見てどうするかはその時の状況次第じゃないのかな?」

「そう。まさにそれが正解だよ。五十点は五十点でしかない。数字は数字であり、それ以上でもそれ以下でもない。だが先ほど言った二つの考え方の間には、大きな違いがある」

「それは何?」

「それは――『思考停止に陥る』か『知恵を働かせる』かの違いさ。前にキミに言っただろう? 『知識と知恵は車輪のようなものだ』と」

「あぁ、そういえば言っていたかもね」

「数字は数字さ。それは今現在の状況を、程度を測るためのものさしに過ぎない。もっと砕いた言い方をすれば、いわばそれは単なる『情報』でしかないんだ。そこから知恵を使って、想像と創造を行うから人間は前に進むのさ」

「知識と知恵は車輪だから?」

「車輪だからね」

 僕はイルの言葉に耳を傾け、時に頷くことしかできない。

 僕にはイルの言っていることが正しいのか間違っているのかも判断できない。

 なぜなら、僕にはそれを判断するための材料が――知識がないから。

「数字は明確で分かりやすく、平等だ。……けれども、同時にそれは残酷でもある」

 イルはすでに熱が冷めてぬるくなったコーヒーを一口あおり、その舌を湿らせた。

「なぜならそれは現状を正確に反映させ、欠点を浮き彫りにさせるからな。だから、とそこから逆説的に導かれるのかもしれないが……人間は面白い生き物だ。毎日毎日数字に追い立てられて生きている。それが単なるものさしでしかないと分かっているというのに」

 一息ついたイルはぎしりと背中を黒革のソファに預けた。

「人間が数字という『道具』を生み出した。けれども、それは『道具』という本来の役割を超え、いつしか人間をも支配するようになった。……大した道具じゃないか」

 僕は彼女の言葉を、死神から見た人間の評価を、ただ沈黙をもって答えることでしかできなかった。

「どうだい、マコト。キミは数字に縛られ左右され、知識だけを詰め込む人生はお望みかい?」

「……どうだろうね。僕には分からないよ」

「では、なぜキミは勉強という『知識を詰め込む作業』をしているんだい?」

 イルが不思議そうに僕を見つめる。僕がやっていることは、彼女から見ればそんなにも摩訶不思議なことと思えるようなのだろうか?

「なぜかな? ただ単に暇だからだよ」

「キミは暇になったら勉強するのかい?」

「やることがないからね。ダメかな?」

 聞き返した僕にイルはただニヤリと笑って、

「――勉強なんて、暇な時にやるものだよ。先達も言っているだろう。『智に働けば角が立つ』と。角が立つなら暇な時にやるぐらいでちょうどいいのさ」

「夏目漱石の『草枕』だね。その続きは確か、『情に(さお)せば流される。意地を通せば窮屈だ』か。思い返すと、依頼を受けていたあの時のイルはやり辛かったように見えたよ」

「あぁ……。だから『兎角にこの世は住みにくい』のさ」

 そう言って彼女は本の世界へと旅立っていった。

 僕は机に広げた教科書とノートを見やり、おもむろにそれらを閉じて鞄の中へとしまい込んだ。

「コーヒーを淹れてくるよ。イルも飲む?」

「あぁ、頼むよ」

 イルは本に目を落としたまま、マグカップをずいっと僕に突き出した。僕はそれを受け取り、キッチンへと歩き出す。

「……ところで、さっきから何を読んでいるの?」

「うん? 『人の心を掴む会話テクニック』という本さ」

「人の心を掴む?」

「あぁ、どうも私はああいった依頼主は苦手だからな。また同じような思いをするのは御免被りたいんだよ。会話の主導権を私が握っておかないと話が前に進まないからな」

「なるほどね」

 どうやら死神にも苦手なものはあるみたいだ。

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