現実仮想の治癒術師
わたしはそれはもう紛うことなき現代っ子なので、ゲーム仕立てのごっこ遊びなんてのをやっていた幼き時代もあった。
小学生の頃からパソコン授業はあったし、放課後は友達と膝突き合わせて通信対戦ゲームもした。仮想現実は常に傍にあった。
そんな中、ハード持ち込み禁止の学校の休み時間に流行ったのがゲームのキャラクター扮したオンライン風クエストだった。
伝統的な言い方をするならばチャンバラとも言う。設定が違うだけで基本は変わらない。
特別な道具は何もいらない。心の目さえ開けば勉強も運動もいまいち冴えない吉田すら最強の武具を装備する剣士になれたし、口ばかりの嫌な尾根川が高度魔術を操る魔導師にもなれた。子供の空想力を駆使したごっこ遊びとは天地創造に匹敵するのだ。
ちなみにその遊びの中でのわたしの職業は治癒術師。回復に特化した能力者はパーティーに一人はいて欲しい存在ではあるけれど存在は地味である。
どんなに鍛えても攻撃力はいまいちで剣士の腕には遥かに及ばないし、前線に役立つ攻撃魔法は殆ど扱えず治癒術師はあくまで補助役。治療してバリアを張って防御を固め、味方の腕力や敏捷を上げるか敵の妨害をするか徹底した縁の下の力持ちは正直ごっこにしろリアルでは退屈な役回りでしかない。
わたしだって華やかな役職をやってみたかった。騎士になって剣を振って魔物を斬ったり、武道家として華麗に蹴り上げたりとかやってみたい。
だけどこの遊びは悲しいかな子供ながらも立派な男社会を作り上げているのだ。女の子で仮想現実を見立てたとは言え、チャンバラ遊びをする子は少ないので紅一点のわたしは押し付けられるように裏方に回された。
どうして不満があったのにわたしはその中に加わっていたのかと言えば、それは腐れ縁だとか子守だとか単純に女の子の輪に入りにくかったとか当時のきっかけは今ではもう曖昧だ。
ただ、当時わたしが治癒術師をやっていたことが今に繋がっているのだと思う。そうに違いない。
「サチコ、こいつ治してくれ」
グレーのジャケットが汚れるのを惜しまずに血に塗れたナニカを包んで抱えて来た南鶴はまるで壊れた玩具を差し出すように私に突き付ける。
ジャケットに染み出た血の量と鼻を刺す鉄の臭いに中を見ずとも悲惨な状況がすぐ分かる。分かるだけに疑問が口を付いて出た。
「これ、手遅れなんじゃないの?」
「生きてるよ。虫の息だからもしかしたらもうアレかも知んないけど、死にたてでもサチコの今の力ならイケるだろ」
レベル上がってんだしと調子のいい体でその場に屈むとジャケットを広げてナニカを露わにした。
ああ。
何度見ても慣れる事のない光景に胃から酸っぱいものが込み上がる。さすがに最初の頃のように吐き出すまでには至らないものの、同じ生き物としてこの色には畏怖するものがある。
「猫……だよね」
「こうなったら小犬とも見分けがつきにくいけど、猫だったよ。動いてるのはっきり見てるから間違いない」
別に犬か猫に白黒はっきりつけたい訳でなく、一見してそれすら判別し辛い状況に物言いたいのだけど悠長に検分してる間に小さい命が燃え尽きては忍びない。
立っていてはやりづらいので同様にしゃがめば、より患者との距離が縮まって目に飛び込む痛々しさに胸が苦しくなる。
内臓が潰れているな。
内臓だけでなく折れた骨も突き出ている。これで虫の息ならさぞ苦しかろうに、助かるにしろ終わってしまうにしろこんな苦痛を与えられる猫は気の毒だった。
「待っててね。今治すから」
囁いて手を翳す。
どこがどう怪我しているのか医者でもない私には見当もつかない。
けど、そんな知識はわたしには必要なかった。
静かに深く息を吸う。
鉄の臭いが不快だったけれどまだ新鮮なその臭いはどこか安心もする。
大丈夫。まだ間に合う。
目立つ傷口に手を翳して目を閉じる。
力は込めなくていい。わたしの体中に巡る光の筋を頭に浮かべ、その光がわたしの掌に向かって流れる絵を想像するだけだ。ただその光に少しだけ指令を加える。
この猫の傷を癒せ。
難しいことはない。どこをどのように怪我をしているのかレントゲンで詳しく調べなくてもいい。専門知識は何一ついらない。
わたしはただ祈り、願うだけ。
わたしは治癒術師だから傷を癒やし、体力を補う力が素質があるのだ。
難しく考えてはいけない。この力の源がなんなのかとか、わたし以外の能力者は他にいるのかとか何故治るのかとか考えてなんになる。
仮想現実世界には当然のように存在する力じゃないか。
中二病だろうがゲーム脳だろうが存在する力は存在する。
「治ったよ」
「おー……最近、前以上に力が増したよなぁ」
血に濡れながらも驚く程の驚異的回復で自立する猫を見て南鶴が感嘆の声を漏らした。
わたしの治癒術はゴッドハンドよと鼻高々に言いたかったが、まだ完璧じゃないと猫を抱き上げる。血で汚れるのを南鶴ほど厭わないわけじゃないが、フラつく猫を見れば見過ごしてもいられない。
「失血分まで補えないから貧血のこの子は父さんの病院で面倒みないとね」
「なんだ、結局は病院の世話になるのか」
「血まで精製する力はないの」
「レベル上げなきゃな」
「そんなの不確実でしょ」
ゲーム上の能力は小回復、中回復と目に見えて分かるけれど、実際はその力が擦過傷、裂傷を癒やすのみとか骨折、内臓破裂への効き目なんてまで分かりっこない。それこそ生命がゲームのように単純に癒せればわたしは万能の医者になれただろうと思う。完全無欠でないのを実感しているからわたしはあまりこの力に驕れなかった。
「猫の治療の残りは父さんの仕事。あとはあんたがどうにかしなさい」
「どうって?」
むしろそっちの方が重要だと察しの悪い幼なじみに溜息ついて指示する。
「飼い主探し。家猫なら飼い主を探す。ないなら新しい主人を探す。でないと結局この子の末路は遅かれ早かれ死因はなんであれ同じ結果なんだからね」
「そっか。うんうん分かった分かった!」
あっけらかんとした返事は逆に頼りがいを感じさせず、任せていいものか疑わしいものがあるけれど責任は負わせなければいけないので黙っておく。
「いいご主人探してやるからなぁ」
元気になった……とはまだ言いにくいが、死の淵から離れた猫を南鶴は撫でようと手を伸ばし一瞬のうちに弾かれた。必死の形相の猫に引っかかれたのだ。
「ったぁ〜」
三本の筋が入った手の甲に血が滲む。猫は全身の毛を逆立て南鶴に威嚇するとわたしに頼るようにブルブルしがみつく。あまりの恐怖による為か爪が肌に食い込み痛い。
「サチコ、治して」
「やだよ。今あんたに近づいたらこの子逃げちゃうもん」
「ちぇっ」
傷口を動物のように舐めて南鶴は拗ねたように猫を睨む。
「やめてよ。ショック死したらどうすんの」
「だってこいつが……」
「恨まれても仕方ないでしょ。あんたが原因で死にかけたんだから、警戒するのが生き物として正しいの」
それでも納得いかない顔を見せる南鶴にガキかと言いたくなるが、わたし以上に理不尽な力に納得するのはまあ難しいだろう。
“これが魔王の運命だから”と簡単に言い切るにはあんまりである。
「この子預けたら治すから」
そう言って南鶴は少し機嫌を治して寂しそうに少し笑った。
* * *
椎名南鶴は今も昔も魔王である。
比喩ではない。
しかし昔はある本物の魔王ではなかった。ごっこ遊びの中だけ役割が魔王だっただけである。
実際の南鶴は世界を滅ぼすどころか学級崩壊すら起こせない平和な子供だった。ただ、どっかずれてるので授業態度が悪く集中力に欠けているので大人から見れば良い児童ではなかっただろうが、悪かと言われれば悪童とも呼べない。
南鶴は動物が好きで植物が好きで人間は普通に好きなマイペースなやつだったんだ。マイペースが過ぎるから幼稚園の頃から幼なじみであるわたしが面倒を見るハメにはなったのだけど、それはこの際どうでもいい。
少なくともはじめに魔王を名乗った時は人畜無害であった事には間違いなかった。
魔王は悪役だが大役。勇者に次ぐ花形をヤツは嬉々として演じていた。
魔王らしい設定を練り込み、半ばチートながらも勇者もチートで乗り切り最終的にはなんだかカオスに陥っていたような気がするけどそのカオスが深淵より魔性を呼び覚ましたとのか、いつ頃からか南鶴の周囲には奇異な現象が見え始めていた。
細かな予兆はあったかも知れないけど見落としたかも知れない。
とにかく最初は深く考えず、こいつの周りでよく動物が死んでるなって思うくらいだった。
クラスで飼ってた金魚が最初だったかもしれない。花壇の花が枯れてたのが最初か。
通学路に一日一回以上は鳥やら猫やら何かしらの死骸があった。帰り道でより目についたかも知れない。
一番酷かったのは南鶴が可愛がっていた飼い犬だろうか。
まだ若く、元気だった彼は突然死んだ。散歩中に南鶴を振り切りリードをつけたまま逃走し、数時間後高架上でリードが絡まり首を吊った状態で見付かったのだ。その日からしばらく南鶴はショックのあまり引き籠もり、彼の家族やわたしが右往左往してから彼は突然天の岩戸を開けて言った。
「ぼくは魔王になったみたいだ」
笑い話である。
愛犬の逃走を許して死なせてしまった自己嫌悪の現実逃避ならまだ可愛い。けど南鶴はいつになく真剣で、自分は魔王になったと言いはばからない。
彼の親は少し笑って、それでもいいからただ息子が部屋から出て来たことを喜んだ。
わたしは南鶴が出て来たことを喜んだけど、あることに気がついた。南鶴の言う魔王が南鶴が演じた魔王であり、その魔王の設定が南鶴の身に起きた事象と似ていることに。
魔王とはとかく畏怖され忌まわしく嫌われ、迫害されるだけの力がなくてはならない。そんな前提を南鶴は大事としていた。
魔王とはは災厄である。存在自体が許されないので、魔王の周囲は災いにより死が病のように蔓延する。
一撫でで生命力を削ぐ力は確かに南鶴の身近な死に似ていた。南鶴は「まだ魔王としてレベルが低いからこの程度なんだ」とわたしに言ったけど、それでも続けば訝しむ者もいる。例えばごっこ遊びの仲間だ。
一緒に遊んだ子らは南鶴の魔王の設定をよく知っていた。知っていたから誰より先に南鶴に恐れ口走った。
「南鶴は本物の魔王になったんだ」
大人は宥めて諫め笑うが、彼らの恐怖は同じ子供に伝播しあっという間に広まった。そこから一時酷い苛めと言う名の迫害に発展するのだけど、それはすぐに収まった。南鶴の周りでパタリと死が消えたのだ。
そこで察しが良い人は気付いてくれるだろうか。
わたしの治癒術の覚醒である。
何故騎士吉田の勇者覚醒でなかったのかは謎だが……覚醒の末に命を持って成敗されるオチは法治国家において児童による惨殺事件として取り扱われ、仮想と現実の取り分けが社会問題になったであろうからわたしが選ばれたのは現代社会において一番平和的手法だったのかも知れない。天の采配は根本的解決を導いてはくれなかったようだが。
わたしは南鶴によって死に追いやられた生き物を回復するといういたちごっこをかれこれ七年間続けている。
今のところ南鶴の力は人間にまで及んでいない。
及ばないのかも知れないけれど本人の意志するところに力が働いてる訳ではないので安心は出来ない。南鶴の両親は我が子の言動を未だ受け止められず、南鶴は南鶴で両親を殺したくない為に中学生の頃から一人安アパート暮らしだ。
それなら出歩かずに引きこもっていれば世界は通常運転で彼の采配関わらずに生き死にを行き来するだろうに。
そう思うでしょう。思うけれど敢えて引っ張り出したのはわたしだ。
「望まない力で南鶴ひとりが抱える理不尽なら周りを傷つけても構わない。傷ならわたしが治すから」
なんて言ってしまってからわたしは魔王直属の治癒術師として今に至るわけだけど、後悔は……していない。早まったとは思っているけど。
「そう言えば告られたんだ、わたし」
「誰それ殺そうか?」
「断ったっての。人なんて殺したことないくせに口ばっか物騒になって」
「殺したってサチコが治すからでしょ」
「それでもよ。人にはまだ災いしてないじゃない」
「レベルが低いんだよ、ぼく。多分、対象が死ななければカウントされないんだ。だからレベルだけならずっとサチコが上だよ」
「おかげさまでね」
痕も残らない引っかき傷があった場所を確認すると、南鶴は「ステイ」が解けた犬のようにわたしを抱き締め押し倒す。
「サチコ、いつもいつもありがとう愛してる」
「どうも。圧迫されなければ尚嬉しいんだけど」
抱き締められて押し倒されるとさすがに苦しい。昔ならわたしの方が背が高かったからこの程度なら少しは耐えられたけれど、体格が逆転した今は無理だ。
南鶴は胡座をかいて足の間にわたしを座らせると、腹部に両手を回して肩に頭をもたれさせる。
「今日は何時までいられる?」
「いつも通り八時には帰るよ。うちの親にもあんたの親にも心配させちゃ悪いわ」
「真面目堅物鉄壁処女」
「……最後のはあんたの甲斐性次第」
「うん」
大きな甘えん坊は昔からわたしに好意を示してくれていた。言葉にはっきりと明示したのはわたしが専属になってから。確信を得たのだろう。分かりやすいくらいに自分のものと言い張るようになった。
わたしが自分で生き方を決めたから南鶴は確かな絆をそこに見いだしたんだと思う。
南鶴にわたしを手放す素振りはないし、わたしも離れる気はない。それが愛情か義務感かは分からないけど、好きなのは確かだ。
でも、他の恋愛をする猶予がなくなり人並みの青春を送れない部分に対しては早まったとだけ思っている。ただ、南鶴が最後の一線を踏みとどまっているから他の可能性がゼロかと言えばそうでもないのだけど。
南鶴が一線を越えないのはわたしと深く繋がってわたしを殺してしまうのが怖いのだろう事は察している。
南鶴をわたしなしに生きられない依存体質にしたのはわたしだ。
つまりは自ら己を封じた魔王を解き放ったのもわたしだから、諸悪はわたしかも知れない。
ヒーローじゃないのは分かっている。限りなくダークサイド。
それでも南鶴が表で生きられない世界は間違っていると思うし、それを押し通すなら人類は滅びてもいい。
「ねえ、南鶴、卒業したらわたし達どうしよっか」
「ぼくはとても外で働けないからサチコの奇跡の手で養って貰うか、絶対に物的証拠の出ない殺し屋になろうかな」
「どっちもある意味、現実的だこと」
「きっと生かすも殺すも思いのままだけど、一番は平穏に緩やかに死んでいきたいんだけどね」
「それも現実的……」
南鶴の頭を撫で、夢のように将来を語る。
多分わたし達なら選べる未来だろう。
たまに思うんだ。
南鶴がわたしを繋ぎ止めたくて魔王になったのか、わたしが南鶴を繋ぎ止めたくて治癒術師になったのかって。
どちらにしろこの歪んだ共依存の時限爆弾を抱えて今日も地球は廻っている。
今のところ平和主義な現実仮想の魔王様は災厄の種を最小限に留めているけれど、手綱を握るわたしがいつ裏に返るか分からない。
だからある意味で最悪の魔王は、実は最弱の治癒術師なのだと世界の誰も知らないのであった。
きっかけは愛猫がハブに咬まれて苦しんでいる時に「RPGのような回復解毒魔法があればすぐ治せるのに」と思ったことからです。
猫は元気です。大丈夫。
ともかくそんな現代社会に癒しの力があったらと思って書いたものがどうして欝展開なのかは不思議です。
2013/4/20