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探索者シリーズ

黒い腕輪の物語

作者: 鰰家

 自分は探索者と呼ばれる職業で、日夜暗い地の底で宝を探す。

 俗に言われる地下迷宮ダンジョンと呼ばれている所には魔物がうようよ、といる。

 しかし、ハイリスクハイリターンである。

 危険地ほど手に入る宝も多くなるし、価値も上がる。

 中には呪われた曰く付きのモノもあるが、そういった物の方がかえってマニアには高く売れたりする。

 呪いの道具を装備したことが無かった自分は後悔した。

 まさか、あんなことになろうとは。

 この後悔に終わりは無いと思われる。

 果ても無いと思う。


 ***


 悪霊や怨霊と呼ばれる稀少レアな魔物が時折いる。

 実体を持たず、身体はガスか障気で出てきているとか。

 その魔物の目撃数も少なく、魔物が落とすアイテムもまた稀少とされていた。

 噂でしか聞いたことのない魔物が今目の前にいる。

 ヘルゴースト。別名『地獄霊』。

 ヘルゴーストと遭遇した、まさかこのようなところで出会うとは。

 障気のような黒い靄の塊は空中に浮遊して、こちらをみるなりに敵意と共に人間の叫び声にも似た鳴き声で鳴いてくる。背筋に凍る物が走った。

 この魔物の系統に効くのは教会のお抱えの僧侶や司祭が使える神聖とされ崇められる『光』の魔法。もしくは――アイテムによる攻撃。

 自分は教会の所属でもないので、後者の方法しかない。

 それは教会によって聖別された「聖水」である。

 幸いにも自分の持ち物の中にはこういうことを予想して「聖水」の予備ストックは用意してあった。

 予備を全て使い切る頃にはヘルゴーストを何とか撃破した。

 この魔物には物理攻撃といったものが通用しない。見たら永遠と逃げなければ「死に匹敵する呪い」か、精気を吸われ尽くされて死そのものを与えられるか。

 聖水瓶を的確に当て続けた自分の持つ数少ないスキルの投擲が役に立った。

 撃破すると、ヘルゴーストの気体と同成分と思われる黒い靄が晴れると地面に金属物が落下した音が地下に響く。

 探索者はそれを拾い上げると、それは黒い石が埋め込まれた腕輪だった。

 何かの魔導装飾マジックコーティングされた腕輪なのか、只の装飾物としての腕輪なのか。

 どちらが正しいのか、よく分かっていない。前者ならば自分のこれからの戦いの助けになるだろうと思い右腕に装備した。

この時の自分はまだ知らない。

 自分の浅はかさを。


 ***


 ボスと呼ばれるダンジョンを支配する主がいる部屋に来たのかと思った。

 その理由は戦うにはとても適した広い空間だったからだ。

 慎重にじりじり、と脚を運ぶ。この時の自分は目の前に広がる空間にしか目がいっていない。警戒心を怠り、地面に隠されていた床のトラップに気づけなかった。

 けたたましくダンジョンに響く警戒音。

 モンスターの気を強く惹き、音のする方向へと誘う。警戒音にも種類はあるが、この広い部屋に来たモンスターを見てそれに気づいた。その警戒音には魔物の気分を高めて、闘争心を駆り立てるものだった。

 様々なモンスターの種類が広い部屋の中でひしめき、蠢き、空間を支配すべく荒れ狂う。

 あらゆるモンスターの種類と数に自分は絶望していなかった。不思議と手にしていた自らの剣を振るう。

 頭の記憶の中をよぎったのは故郷に置いてきた恋人の笑顔――。

 警戒音はいつまでも鳴り響く。さながら部屋の中は魔物部屋モンスターハウスといっても差し支えは無い。

 終わりは無いんじゃないのかと、いつまでも続いていく。

 視界が赤で染まろうとも、腕に腐食液をかけられようが、どこまでも戦える。

 気分は高揚していく。

 力や腕っ節が太くて有名なトロールと呼ばれるゴブリンの派生種の頭蓋を踏みつぶした時には得も言えぬ快感を自分は背筋に走る。

 ピリピリと感じる電気にも似た流れと共に、脳髄は興奮物質を分泌する。

 また記憶が出ては現れるを繰り返す。

 小さい頃から一緒に暮らしてきた記憶。

 髪を後ろに縛り揺れるポニーテールを自分はいつも追っていた記憶。

 探検者となり、宝を手にして必ず帰ると誓った。

 武器を振るうたびに記憶は出ては消えていく。

 小さい頃、あの大樹の下での将来の結婚。成長する年の度に新しい記憶が現れていく。


 ――ここで違和感に気づいた。

 世界があまりにも遅くなってしまった。

 全てが等間隔に遅延し、1秒がどこまでも引き延ばされていく。

 スローになっていく。

 スローになっていく。

 この違和感の正体に気づいた時には遅かったような錯覚を覚える。

「これって、もしかして走馬――」

 世界が元の時間の流れに回帰する。

 世界が遅かったのではない、自分の感覚が見える世界を遅くしまっていた。

 ばきっ、と乾いた音が聞こえた。

 あらん限りの力が自分にたたき込まれていた。もう一匹のトロールが自分の身体を易々と殴り飛ばしていた。先程の乾いた音は骨が砕ける音だったようで、背中に激痛が走る。

 冷えていく身体を自分の両手で抱きしめる。

 ああ、こんなところで自分は死ぬのか――、と。

 薄れゆく意識の行き着き先は天国か地獄か。

 自分はそこで意識を保っていた紐を手から離していた。


 ***


 永遠の暗闇の中で独りでいた。

 消えたはずの意識がチクハグに縫い合わせられていく。

 ただし、それは余りにも強引なパズルでむちゃくちゃだった。

 バラバラだったピースをはまるべき欠片ピース同士を繋いでいくのではなく、本来組み合わせる筈のない欠片同士を力任せにはめ合わせていく。最初から決まっている形を崩し、それを再構築するのがパズルだというのに――今行われているそれは違った。

 無作為に、無造作にあてはめる。

 近くにあるだけの欠片をかき集めてはヒステリックにあてはめる。

 一言で形容するならば、混沌と書くその行為は暗闇の中で作業される。

 終わりはないのだ、何せこのパズルには完成が無い。

 完成にさしかかったパズルに激しい違和感、劣等感を感じる。

 頭の脳髄に沸騰するような熱がドロドロに掻き回される。

 右腕が自分の意志に沿わない破壊衝動によって、目の前のパズルを粉々に破壊する。

 破壊したパズルを見ると、突然虚しくなってくる。

 喪失感は自分の空っぽの胸を埋めてはくれない。

 吐き気が自分の口から嘔吐物を吐き出す、嘔吐物が暗闇に吸い込まれるように同化する。

 赤色にも似た濃いピンクは血にまみれている。それは昨日食べた食料が内蔵が傷ついたせいで血が混じったものだと思っていたが、違った。

 ドクドク、と脈を打つこれが頭の中で認識が合致するとまた抑えられたと思っていた吐き気がまたこみ上げる。

 次は何を吐いてしまうのか分からない恐怖の感覚から口を押さえる。

 指と指の間の隙間からはみ出る血と、口腔の許容を超えてそれは出てきてしまう。

 喉を超えてボコボコと圧迫された空間を無理矢理広げるようにそれは出てきた。

 内臓の部位のどこかだとは分かっている。

 その自らの身体から抜け出てしまった所為で、体温が消えていく。

 胸を打つこの鼓動が消えていく、喉から出て行ってしまった。

 今まで大切にしてきた半身をもがれたような強烈な喪失は彼の身体から幾多の物を奪っていく。

 崩れたパズルを見る、ぐしゃぐしゃな破片を再び手探りにかき集めて完成を目指す。

 完成なんてすることはない、と頭の片隅で分かっている。

言い訳にしかすぎなかった。

 今はそうすることでしか嘔吐感と孤独感を阻害することしかできない。

 一度、壊れてしまったピースは歪に形を変えながらもパズル本来の機能は失っていなかった。

 この無限の闇の中で気を紛らわす為にと、パズルをはめていく。

完成にさしかかると、また。

 目の前の醜悪な完成途中のパズルを拳を握りしめて破壊する。

 瓦解する。

 消滅する。

 壊滅する。

 全壊する。

 破壊する。

 破壊して。

 破壊する。

 なぜ壊すのか、という疑問にも答えられずに気づけば壊れている。破壊が終わってから、疑問が湧いてしまう。疑問は答えに変わる前に、吐き気がこみ上げて抵抗虚しく口に溜まったモノ全てを吐瀉する。

 吐物する。

 吐却する。

 吐逆する。

 吐撲する。

 吐瀉する。

 吐瀉して。

 吐瀉する。

 内臓や血やら自分の中から一体これほどのモノが出てくるとは思わない、自分の身体が持つ本来の血の量を超えているのに、まだまだ吐いてしまう。

 終わったら再び吐くのを抑えるためにパズルを組み立てる。

 何度壊しても未だにパズルの形、機能、本質が残っているそれを見ても恐怖や疑問はない。

 永遠の牢獄。恒久の煉獄。永久の地獄。

 泥沼の泥地獄。もがいても抜けないのだ。その泥沼さに。

 捕食の砂地獄。もがいても抜けないのだ。その貪欲さに。

 閻魔の血地獄。もがいても抜けないのだ。その罪深さに。

 分からなくなる、認識できなくなる、理解できなくなる。

 どれくらいの時間が過ぎただろうか。

 暗闇の中で時間の感覚が分からない。

 暗黒の中で空間の感覚が分からない。

 暗影の中で次元の感覚が分からない。

 そもそもここはどこなのだ?

 そもそも自分は誰――――?

 自分を保っていた形がぐずぐずの腐った卵の中身のように腐っていく。

 形を失って、喪って、無っていく。

 不定形のスライムよりもはるかに無くなる。

 物質ではない別のモノへと変質する。

 魔法大国で扱われる霊的な物質、第五元素エーテルや空中に漂う魔力素子マナにも似て相違なる物質へと変解する。

 今まで保っていた形は人間の言葉で表すと魂。

 ドロドロの自分は黒く染まっていく。

 暗闇に浮かんでいるパズルはいつの間にか完成していた。

 今まで完成していなかった理由と、今だから完成した理由は理解できなかった。

 ―――否、理解できなかったのではない。 

 理解すべき思考の空きが無くなっていた。

 その思考も消えていたのだから。

 それ故に。

 彼だったモノの中に浮かんでくる記憶が要領を得ない。

 土地の記憶が浮かぶ、これはナンだ?

 過去の思出が浮かぶ、これは何時だ?

 少女の横貌が浮かぶ、これはダレだ?

 最後の記憶が思い出せなかったことにズキリ、と胸の奥が痛む。

 が、それは気のせいだったことに気づく。

 自分の胸は大きい虚無の闇が広がる。

 痛んでいる胸など無いことに。

 目の前にも闇が広がる。

 無いはずの胸の奥の暗黒から滝のように嫌悪が雪崩れていく。

 それがとても嫌なことに気づいた自分は。

 自分は。

 自分を巻き込んでいく闇を振り払う。

 振り払うと闇は空に霧散してしまう。

 ナンのことはなイ。

 ジブンには力があるノだカら。


 ***


 闇しか無かった自分の視界が急に開いていく。

 クリーンでどこまでも明るく広い視界。

 今まで黒一色しかない有色は酷く眩しく思えた。

 地下奥深くだというのに、今までの闇に比べれば明るい。

 歩を進める、とぬめりと足底に絡みつく泥を感じている。

 それが血だと気づいた。

「――――」

 声を出したはずだったのに自分が思っているよりも声は出ていなかった。

 声帯が消えていたのか、それとも声の出し方を忘れたのか。

 自分が出そうとした声のせいで酷く喉が痛んでしまった。

 声を出すことも煩わしくなった。

 別にかまわない。

 声を出す必要がない、この地下世界では話すべき声はいらない。

 自身が持つ両腕と力の肉体言語だけだ。

 人間なんて元よりいない、目の前に現れる敵を屠るだけ。


 魔物部屋の中心で彼は獣のような雄叫びを上げる。

 声帯が痛むが、構わなかった。この一声で十分だという。

 獣のように見えたが、彼が上げた咆吼は獣ではない。赤ん坊の産声に違いなかった。

 新しく生まれ変わったような気分。羽根のように軽くなっていく肉体から不可能という文字は取り外される。痛んでいたはずの傷口からは鎮痛剤を打ち込まれなかったのか痛みを感じない。痛みを感じないということは自由に動いて戦える。

 無限に湧いてくるモンスターというモンスターを切り裂く。

 探索者を壊したトロールの低脳な知能では壊した筈の得物がもう一度起きあがったことに恐怖は無かった。自分に刃向かってくるのならば、自分に敵意を向けるならば。再度、敵を殺すまでである。

 トロールは手にしていたボコボコの凶悪な突起が生えた棍棒を振り回した。

 横に一薙ぎで、風圧が生まれる。

 トロールにもある浅い低脳にも経験はある。

 大抵の他種のモンスターや人間はこれによって倒すことができる、と知っている。

 これで終わりだと、周りに湧いたモンスターに視線を向けようとする。死体の確認など不要だと考えていた傲慢がトロールの命を削ぐ一因となる。

 トロールの頭上から振り下ろされた刃は醜く形を変えてしまう。トロールの脳漿がスイカが破裂したように爆ぜる。切り込まれた刃と人間からかけ離れた力によって、それを可能としていた。

 トロールが全力で棍棒を振りきった後だ。視界から外れた棍棒を足場に探索者がトロールの頭上に飛んでいたことに気づくわけがなかった。

 このトロールは自分の死亡要因すら解せぬままにその一生に幕を下ろした。


 無事に着地した地面。

 踏みしめる感覚はまぎれもなく生きている証。

 視界の先には無数の魔物が放つ闘気が体全体を包んでいる。

生きているからつかめる感性。この四方に囲まれた世界を生き残る術は力のみ。力を示さなければ生き残れない。

 トロールに続いて、強敵と目されている石の身体で出来た巨人が出てくる。記憶の中の魔物辞典から想起する。ゴーレムだ。

 こんなモンスターまで出現するのが、魔物部屋の恐ろしさである。

 巨人の指と指の間から滴る緑色の体液はゴーレムが既に握りつぶしたであろうモンスターの残滓と思われる。勢いよくこびりついた体液からはゴーレムの握力の強さが計り知れる。頑丈な刃をも弾く岩の肉体、3mにも届く身長。探索者達の中でも中堅探索者以上の実力者でないと歯が立たない。

 かつての自分なら尻尾を巻いて逃げていたのだろう。

 逃げる、なんて思考に至る前に自分は前方へ走っていた。

 痛みなんて感じない、生きているこの感覚しか感じない。


 周りや空中に浮かぶこの靄は何なのだろうか?

 以前までの自分なら見えていなかったモノが見える、これは何だ?

 ゴーレムが殴り殺さんとする右岩拳は速度が増し、巨人の間接が伸びきったところで更に勢いが増速する。

 ゴーレムの岩の拳の軌道線状の先に靄が現れると、不思議と自分はその靄を避けるように走る。こんな靄に独断即決で頼ること事態が自殺行為だというのに、自然に探索者は靄が示す軌道に身を任せる。

 巨人が思い描いた軌道は見事に空振った、今度の靄は体全体を覆った。というか、腕の内側のインサイドに入り込もうとしていた腕全体より内側全てを靄が覆う。

 この靄に頼る自分には信じられなかったが、靄の中から逃げるべく腕よりも高く飛ぶと、ゴーレムはガリガリとラリアットするように巨腕で地面を削るように振り回す。

 もしも。まだ、あの場所に自分が立っていたら薙ぎ払いに巻き込まれていた。

 恐ろしい。けれど、自分は高揚する。

 あのゴーレムを相手取って戦っているのだ。

 払う為に体全体を捻っていたおかげで右脇はガラ空きだ。

 刃、剣の柄、剣の先へと体重移動の乗った一撃を込める。

 ガギィンッ、と鈍い石と金属がぶつかった音が響いた。

 ゴーレムの堅い岩拳には刃は通らない。

 探索者達がゴーレムにおそれを為す理由である。

 持ちうる武器で対抗する手段が無いのだ、持っている剣というゴーレムから見れば貧弱な武具にしかすぎない。

 剣よりも遙かに大きい大剣や槌といったものでしか反撃できない。

 切断属性の短剣といったダガー類の探索者の壁。探索者は刃こぼれを起こした剣を見ながら、作用反作用で返ってきたエネルギーで剣を握っていた掌が痺れる。

 一撃を決めなかった為に後ろに二歩、三歩とバックステップで後ろに後退する。

 右脇サイドを覆い尽くした靄のせいである。

 靄が覆った空間には攻撃の軌道が行われる。その靄を頼りに軌道上から避けることでゴーレムの攻撃を回避できる。殺意にしか反応しないのか、あるいは別の条件なのか。バックステップ時に。ゴーレムが自分が立っていた空間に向けて地団駄を踏んだことで発生した落下石を額に受けてしまった。

 どうやら靄が反応しない事もあるようだ。

 ゴーレムの攻撃の余波によって、周りに僅かながら残っていたモンスター達を屠っていく。


 靄を頼りに避けていると、気づけば探索者とゴーレムしかその場に立っていない。

 金属片を刃物代わりに持っていたゴブリンや先程まで戦っていたトロール、強毒で様々な毒を使い分けるジャイアントスコーピオンは息を止めて、亡骸となり地面に横たわっている。

 血や体液のおびただしい量が広い空間で異臭を放つ。――――はずだが、自分の鼻には利かなかった。

 この戦いの最中で強い臭いに晒され続けた嗅覚は一時的に失ってしまったようだ。

 戦いに差し支えが無いのでその方がありがたい。

 ゴーレムは普通の生物と違い、人工生物ホムンクルスといった性質に近い。

 空気中の第五元素エーテル魔素子マナを体内に取り込み活動を続ける。

 ゴーレムの体の何処かに永久停止するための刻印を付けるのが慣例である。但し、それは魔法大国での常識であり、ダンジョン製のゴーレムにはそれといった部位が見あたらない。

 だから体を粉々に打ち砕く必要がある。この剣では、駄目だ。

 もっと自分に必要な武器へと変えなくては。

 空間の危険を示す靄が自分の剣の付近で具現化する、本来探索者の視界でしか見えなかった靄がこの世界に体現する。

 部屋に横たわるありとあらゆるモノを靄が覆う。

 ゴーレムというたった一人の敵を除く、死体や屍を覆う。

 パズルを組み合わせるようにカチカチ、と探索者の頭の中でピース同士がはまっていく音が響く。

 それは錯覚だったのか。

 それは幻聴だったのか。

 それは何だったのか――――。

 剣を覆っていた靄が晴れていく。

 剣の代わりに現れたのは、ちぐはぐに縫い合わされた不出来なモノだった。

 あえて形容するに一番近い武器がある。

 それは―――槍。

 長い柄の先に穂先があるようなヤワな槍ではない。

 龍といった巨大な敵を撃破するための槍である。

 更に付け加えるなら、ランスというべきだろう。

 本来は騎兵用の武器だが、大型モンスターを倒すために愛用している探索者もいるが武器としてはとても重い。

 探索者の武器というよりは「騎士」といった部類の職業の方がよく使われる。

 赤やら青やら紫やら緑やらを強引に練り合わせて作られた、漆黒の色とは程遠い混色の黒のランス。

 2mにも及ぶ円錐型の金属先には刃物というよりは刺突するためを目的としている。

 こういった大型の武器を使うような力には彼には無かったはずだが、今も湧き上がる力による恩恵が大きい。

 今まで使ってきた剣のように今の自分は振り回せるだろう。

 走り出す。今度こそゴーレムを倒すために。

 靄が安全なラインを導き出す、もちろん自分にしか見えていない。

 そのラインをただ走るだけ。

「我が道を行くが如し」―――探索者はただ走る。

 岩の巨人の両腕が自分を殴り潰す目的の為にまっすぐ飛んでくる。

 その両腕の人が独りだけ進める空間を進む。

 靄が指し示す道を信じる、その先に何が待っているかも分からない。

 ただ黒い靄が見せるその先へ。


 剣を持っていた時と同じように。

 踏み込んだ足の裏から膝―――腰をひねる動作を入れながら――体から肩へ、肩を会し腕へ、腕から握りしめる柄に、柄からランスの先へ。

 力のベクトルが体に染み込んだ手順通りに爆発的に力を増しながら必殺の一撃を描き出す。

 ランスの先がゴーレムの胴体に一撃をかます。ヒビが入る、これは人間の膂力を超えた腕力だ。それだけでも僥倖といっても言い。

 その讃辞が与えられるが、ゴーレムを倒しきるには至らない。

 ならば―――――。

 腕を引く。

 もう一度のチャンスが自分にはある。

 ここで引かなかった自分を靄が纏う。

 これしかない。

 一歩、引いて二歩引く。

 先程と全く同じ挙動。

 ここまでで実にコンマ数秒。

 地面に対して平行した足を垂直に踏み込む。

 足の裏から膝へ、腰から体へ、体から肩へ、肩ほ介し腕へ、腕から握りしめる柄に。

 ここでもう一つワンアクション。

 掴んでいた柄を右に捻り、螺旋の回転を描く。

 螺旋の力を取り入れてランスの先へと力を注ぐ。

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおぉぉぉぉぉおっ!」

 叫ぶ。

 こんなことが何になる。

 彼が今までの経験則が叫ぶ事に意味を見いだす影響が出ない事は知っている。

 それでも彼はこの世界に結果を発現するために見いだす。

 初撃をもってして入れたヒビが、ゴーレムの胴体に入ったヒビが広がりを続ける。ヒビの広がりに合わせるようにゴーレムは動きを止めた。動かなくなったゴーレムの腕が、足が、体が。ただのもの言わぬ岩へと変わっていく。

 やがて、岩の身体が瓦礫となって崩れ去っていく。

 瓦礫を踏みのけて魔物部屋にモンスターがいなくなったことを確認し、ダンジョンを脱出することを決意する。彼は、探索者なんてもうまっぴらごめんだ、と考える。

「探索者ってなんだ?」

 今まで、自分が積み上げていた足下が崩れ去ったような悪寒を覚えて、そのことに関しては後で考えることにした。

 勝利を掴んだ彼は空間に広がる靄を払う。

 敵や攻撃してくる者はもういなくなったというのに。

 これからの行く末と共に靄は視界を覆っていたような気がした。

                      

 ***

                            

 ダンジョンから出ると夕方だった。

 昼夜の感覚が分からなくなるのがダンジョン。

 もうそろそろ夕日が沈んでしまう。

 早いところ野宿の準備をしなくては、と思っていた。

 肌がかさつく、触れてみると乾いた黒に近い精気を失った肌だった。

 目が白黒と明滅する、これはダレの肌だ?

「う……ろ?」                    

 声もうまく出せなくなっていた。

 嘘だろ、言ったはずなのに言葉の最初と最後しか発音していない。

 そもそも発音が可能だったのかも謎である。

 喉をおさえると、かさついた肌が手にまとわりつく。

 若さの瑞々しいものではなくて、乾いた老人のような肌。

 血の気が失せている。

 コレハイッタイダレナンダ?

 鏡なんてモノはあいにく持ち合わせていない。

 近くに水源があったのを思い出した。

 空にさしかかる月は満月。

 雲が無いおかげで、よく光が通っている。

 泉の近くに自分を映す。

 そこにあったのは老人の老化現象とはまた別の浅黒い顔になってしまった。

 これは?

 ダレだ?

 すぐ脇に突き刺した黒色のランスが酷く不出来で醜いものに見えて仕方がなかった。

 思考を靄が塗り潰す。

 ここに立っているのは本当に自分なのか?

 ヘルゴーストを倒した時の戦利品である黒い腕輪が自分の右腕と融合していた。

 腕輪に埋め込まれていた黒い石にはヒビが入り、ヒビの隙間から赤い光が鈍く輝き、脈打っていた。人間の心臓のように蠢くこれが暗闇の中で無くした自分の心臓のビートだと気づいたときには涙を流していた。

 この時に初めて、確信する。

 この右腕につけていたアイテムが呪われていることに。

 探索者組合ギルドでも気をつけるようにと注意を受けていた。そのアイテムは装備すると数少ない解呪師に頼まない限り「呪い」は剥がれないという。

 装備者が死ぬことによって発動する呪いの蘇生リバースアイテムだとは思っても見なかった。

 呪いの中でも更に希少。死して尚装備者を苦しめるこの呪いは死ぬことを許さず、また人であることも許されない。今の自分は人間では無いのだ。

 ツゥ、と目から溢れた水滴を拭き取る、温度のない涙。

 流れ落ちていく涙は黒色だった。

 傷口から溢れるのは血ではなく、黒い液体。

 食事を必要としない。なぜなら、食物を食う必要がないからだ。

 睡眠を必要としない。なぜなら、布団で寝る必要がないからだ。

 生殖を必要としない。なぜなら、異性と会う必要が無いからだ。

 人間が持つ三大欲求すら彼には不要。

 世界は彼にはとても残酷だった。

 呼吸するたびに喉が痛み、歩くたびに足が痛み、生きるたびに体が痛む。

 死のうとするも、死ねない。死ねない呪いなのだ。何度も何度も死のうとしても腕輪が彼を生かす。

 高い崖から落ちようが、折れた骨は時間が経つと勝手に回復する。

 太陽の光に弱い体を太陽下にさらしても、夜になると体が回復する。

 どんなに努力しても死ぬには届かない。

 そんな人間には当たり前の「死」を「呪い」は彼から取り上げてしまったのだ。

 そのうち彼の思考と記憶はむしばまれて、ここ最近の記憶しか残っていない。

 かつての楽しかったあの日々は永遠に忘却の彼方に飛んでいってしまった。

 これほど残酷な仕打ちがあるのだろうか。

 いつも手元に置いていたのはかつて自分が生き残るきっかけを作った黒い槍だった。

 それは彼の墓標であるようにも見えたのだった。


 彼だったもの、は最後にと涙を流した。

 誰も受け止めてくれないこの叫びに噎び泣き、嗚咽をもらした。

 大量に流れていく黒い黒い水滴は、まるで墨のようだ。

 墨のような黒い漆黒の涙と共に自分の体は靄に包まれていた。

 

 彼は今度こそ。

 今度こそ本当に自分という「自我」は消えた―――――。


 ***


 暗ィ……暗ぃ……………。

 ダレカ……………………。

 オレヲコロシテクレ……。

 イヤ、コロシテモダメ…。

 タスケテクレィ…………。

                           

 黒い槍を携えた化け物は今日も靄だらけの世界を旅する。

 旅に終わりは来るのだろうか。

 終わりを知るのは化け物を取り巻く黒い靄だけだろう。

探索者シリーズの青年とはまた違った探索者の物語です。

呪われたアイテムを手に入れた探索者の末路の話でした。


ハッピーエンドではありませんね。

こういう話もたまには良いかと思います。


では、これにて失礼します

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