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目と目が合ったら――挨拶。

作者: 透明スケ
掲載日:2026/06/15

 ガチャ。


 ――――まただ。


 僕が学校に行くためにいつもの時間に家を出ると、ほぼ同時に隣の家から1人の女性がドアを開けて出てくる。


 先月くらいからこのアパートに越してきたと言う女性。

 新しい土地に慣れ、家を出る時刻が定まってきたのか、ここ最近ほぼ毎日、よく会うようになっていた。


 そしてその都度、ちらっと目が合いドキッとする――――


 その女性はとても綺麗な人だった。

 見るからに清楚系っぽく整えられた、黒くて長めのポニーテールに、ぱっちり開く茶色い瞳。

 いかにも、これまで周りの男から(ことごと)く人気があったであろうことが予想される美貌だった。


 だが、年齢は20歳よりも上っぽそうだったし、高校生の僕には遠い存在だとは自覚していた。

 綺麗なスーツを身にまとっていたし、おそらくこの春から新卒社員なのだろう。



「(おはようございます……)」


 口の中で弱々しく籠る声。


 隣の家に住むようになりましたと挨拶に来たとき以来、全く喋ったことがなかった。

 目が合うんだから挨拶もすべきだとは分かっているのに、声に力が入らない。


 彼女はそのまま目を逸らして、さっと行ってしまった。


 中学3年生の頃、クラスに不自然なほど頻繁に目が合う女子が居る、ということを兄貴に相談したことがあった。

 その時兄貴が、「そんなのお前が一人でそう思ってるだけで相手はお前のことなんて見てないよどうせ」とか味気ないことを言っていたのを思い出す。

 実際、結果的になんの好機も無く、ほとんど話すこともないまま卒業して離れ離れになったのだけれど。


 歳が少し近そうと言ってもせいぜい異性の隣人。

 例のクラスの女子とさほど変わらない未来になるのだろうと(おのず)ずと悲観的になってしまう。



 その日の夕方、アパートに入るためのエントランスを母親に開けてもらっていた時、後ろから例の隣人の女性が来ていることに気付いた。

 今朝のほのかな期待とは裏腹に僅かに避けようとする気持ちも湧いたが、僕の良心は小さく頭を下げさせた。

 すると、彼女も少し恥ずかしそうにしながらペコッとお辞儀を返してくれた。

 彼女の黒いポニーテールが縦に揺れるのを目で追った瞬間、胸の奥が小さく揺れた。

 ありふれた仕草のはずなのに、何故か頭から離れなかった。




 ガチャ。


 相変わらずほぼ同時に鳴る重いドアの音。

 僕は昨日、もう既に会釈をしている。

 それが、気まずさからなる抵抗を無くした。

 いつも通り目が合い、すぐ逸らしそうになるところだった。


「おはようございます……!」


 それに対し、彼女はお辞儀を返した。


 すぐ別の道になり別れたが、その頃にはもう、僕の心はなんとも言えない達成感で満ちていた。

 彼女の声はまだ聞けていないけれど、なにかアクションを起こすことが出来たという事実に満足感を得ていた。


 改めて思う、挨拶ってこんなにも感情を左右できるものなのだと。



 学校に着くと、教室の色が、いつもと違って見えた。

 ただ珍しく女性と挨拶をしただけなのに、どうも明るい光に満たされているように見えたのだ。


「お、おはよ」


 すると、普段「おはよう」なんて言われたことのない友達からも挨拶された。

 そんな馬鹿なと思っていたけれど、よく良く考えれば自然なことなのだ。

 むしろ本当は、普段気付いていないうちに挨拶をして来てくれているのに、僕が無視してしまっていたのではないだろうか。


「おはよう」


 僕の中ではかなり精一杯、元気に言った。

 もしかしたら、今まで言えていなかったかもしれない分。

 心の中で申し訳ないと詫びながら。


 これは、僕の中で、何かが成長したなと実感する朝であった。

お読みいただきありがとうございました!


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