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祈りの銃と異界の娘  作者: 白玉蓮


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エピローグ――祈りが戻った国で


 白い塔が崩れてから、季節がひとつ巡った。


 空は、以前よりも“空”らしい色になった。

 神の紋章に塗り潰されていた白さが薄れ、雲が雲として流れていく。


 祈りは――遠いものじゃなくなった。


 誰かが命じたからでもない。

 救いの許可を買うためでもない。


 悲しいとき、苦しいとき、嬉しいとき。

 人々はただ、自分の胸の奥へそっと触れて、言葉を落とすようになった。


 それを奇跡と呼ぶ人もいる。

 けれど私は、奇跡というより――「返ってきた」んだと思っている。


 奪われていたものが。

 当たり前のまま、生きる場所へ。


 国は、静かに分かれていった。

 学びは学校へ。癒しは医療へ。裁きは法律へ。


 かつて“庁”が一つで握っていたものは、それぞれの場所へ返され、

 誰か一人の「正しさ」ではなく、

 多くの人の「責任」で回るようになった。


 異端審問局長だったグラディウス・ヴァン・アーデンは、軍へ籍を移した。


 あの人はきっと、“秩序を守る”という役目そのものを手放せないのだろう。

 形が変わっても、刃の仕事は必要だ。

 ――それを知っている目を、あの人はしていた。


 そして司法の長に就いたのは、マタイだった。


 何食わぬ顔で新しい壇上に立ち、

 穏やかな笑みで、冷静に、淡々と法を語る。

 誰より器用に、“世界の中心”へ戻っていった。


 ……だからこそ、私は少しだけ警戒している。

 あの人はいつだって、本心を“微笑み”の奥へ隠すから。



◆ 私たちの時間


 アベルさんの罰は解除された。

 不老不死の鎖も、双子の呪いも、もうない。


 彼は私と同じ速度で眠り、同じ速度で疲れて、同じ速度で朝を迎える。

 「永遠の神父」ではなく、ただの――


 少し口が悪くて、堅実で、優しい恋人になった。


 そして私の癒しの力も、あの日を境に消えた。


 指輪はもう脈打たない。

 祈っても光らない。


 でも不思議と、寂しくはなかった。


 私は“鍵”じゃなくなった。

 道具じゃなくなった。

 ただ、生きる人になった。


 それが、こんなにも心地いいなんて思わなかった。



◆ ある午後の来客


 午後、教会の扉が軽くノックされた。


「失礼。――おや、随分と生活感が出ましたね」


 入ってきたのは、白い法衣ではなく、仕立ての良い外套を羽織ったマタイだった。

 司法の長――なんて肩書きがついたくせに、相変わらず足音が静かで、笑みが柔らかい。


 その瞬間、アベルさんが反射で眉を寄せる。


「何の用ですか。あなたが来ると、教会の湿度が下がる」


「ひどいですね。私は湿度管理まで疑われるんですか」


 マタイは楽しげに笑い、私へ視線を寄こした。


「リコさん、元気そうで何より。……癒しの力が消えたと聞きましたが?」


「はい。もう、普通の人です」


「普通。……素敵な言葉ですね」


 褒めているのに、どこか薄い。

 値踏みと好奇心の境界線が、この人はいつも曖昧だ。


 私が曖昧に笑った、その瞬間。


「ただ、残念です」


 マタイが一歩近づいて、私の指先――薬草で少し荒れた手を、そっと取った。


「あなたの手は、世界を救いました。失われるには惜しい」


 距離が近い。声が甘い。

 息を止めた私の横で――空気が沈む。


「……マタイ」


 低い声。


 アベルさんの“温度”が変わっていた。

 さっきまで帳簿にしか興味がない顔だったのに、目だけが鋭い。


「その手、放してもらえます?」


「おや。嫉妬ですか」


 マタイは面白がるように口元へ手を添えた。


 そして何でもない調子で――とどめを刺す。


「そうそう、リコさん。今日は仕事の話をしに来たんです」


「仕事……?」


「ええ。司法で事務が不足していまして。お給金も弾みます。――考えていただけませんか?」


 差し出された資料は、妙に現実的で、妙に魅力的だった。

 新しい秩序のど真ん中。

 安定した収入。

 そして……マタイのテリトリー。


 マタイは私の反応を楽しむように眺めながら、踵を返した。


「良い返事をお待ちしていますよ」


 去り際、名残惜しそうに私の手を握り、微笑む。


「――それと。僕はまだ、あなたに興味があります。忘れないで」


「忘れてください。出禁です。」


 アベルさんが即答した。


 マタイは肩をすくめ、愉快そうに笑って帰っていった。




◆ 焼きもちの後始末


 扉が閉まると、教会に静けさが戻った。

 私は台所で湯を沸かしながら、背中越しに言う。


「……アベルさん。お仕事、どうしましょうか」


「断りましょう」


「お給料、良いそうですよ」


「………」


「そこは即答できないんですね」


 思わず笑ってしまった。


 背後で、椅子が小さく鳴る。

 アベルさんは少し間を置いて、静かに言った。


「リコさんが働きたいなら、止めません。ですが」


「ですが?」


「マタイが傍にいるのは嫌です」


 短い。正直すぎる。

 その言い方が、くすぐったくて可笑しい。


(……こんなに分かりやすい嫉妬、する人だったんだ)


 胸の奥が温かくなって、つい振り向いた、その瞬間――


「リコさん」


「はい?」


 不意に抱きしめられた。

 息をする間もなく、口づけが落ちる。


 ひとつ。

 もうひとつ。

 今度は首筋へ、熱が滑る。


「ちょ、ストップですー!」


 私は慌ててアベルさんの頭を押し返した。


 アベルさんは不満そうに眉を下げる。

 その顔が、ずるい。可愛い。腹が立つ。


「……リコさん」


「不満そうな顔してもダメです」


 私が言い切ると、彼は観念したように息を吐いた。


「分かりました。……夜まで我慢します」


 さらり、と言う。


 あの黒の執行人が。

 こんな言葉を、こんな素直な顔で。


(……いや、待って。言い方が危ない)


 私は赤くなる頬を両手で押さえた。


 ――季節が巡って、世界が変わって、私たちも変わった。


 永遠を失って、奇跡を失って。

 それでも、手に残ったものは、ちゃんと温かい。


 だから私は、湯気の立つカップを手に取って、わざと平静を装った。


「……はいはい。じゃあ今は、お茶飲んでください」


 アベルさんは、ほんの少しだけ笑った。

 照れを隠すみたいに、目を細めて。


「命令ですか?」


「お願いです」


「……従います」


 そう言って、彼は私の手を取る。


 指輪のない指。

 光らない手。

 でも、確かに――生きている手。


 私たちの時間は、ここから始まる。




END

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